生命の樹

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第10話 集団意識

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 歩くたびに箱の中にある瓶同士がぶつかり、甲高い音が鳴る。僕、バン博士、エツィオ、シーナは街の郊外に来ていた。最もクジラの件で被害が多く出た場所。それは言い方が悪いが貧民街と言われている場所で。

 もともと耐久力のない素材で作られている建物は軒並み壊れており、復興に向け多くの人が工事している中だった。ただでさえ道は狭く、舗装もちゃんとされておらず、泥だらけで、余計に足がとられる。案の定、滑ってこけるシーナ。

 何度も道を間違えながらなんとか目的地に着いた一行。それは外側から見れば古い工場のような見た目の建物だ。エツィオが扉を開ける。

 そこは、負傷者を集めた施設だ。今回の騒動でケガを負った人たちが収容されている。しかし、大した設備はない。ただ大きな部屋に、ベッドがずらっと並べられているだけ。その上で寝かされている怪我人たち。重傷者から軽症者までさまざまで、凄惨な状況だった。
 耳に入る音は、苦しみに悶える声と泣き声、叫び声だけで。その中で、白衣を着た医者や、看護師らしき人が数人部屋の中をあっちこっち歩いている。一目見ただけで人手が足りてない状態。

 誰も僕らが入ってきたことに気づいている様子はない。シーナが拡声器を使って声を張り上げる。

「私たちは研究所から来ました。『生命の樹』を使って療養が出来ます!希望者はいらっしゃらないですか?」

 さっきまでもだえる声や、泣き声、叫び声で満たされていた場だったが、その一言で明らかに変わった。微かに聞こえる悶える声だけになり、それ以外は静まり返ったのだ。

 一斉に向けられる視線。
どの視線にも大小なり敵意があった。

「何、変なもんを埋め込もうとしてるんだ!」

 一人が怒鳴った。しんとした場だからこそ余計に響いた声。それを皮切りにその場は怒声で溢れかえった。

「そんなの人間じゃねぇ」「こんな時に、気持ち悪いものもってくんじゃねぇ」「早く帰れ。バケモンが」

 やっぱりか……。ここまではみんな予想していたようだ。全く堪える様子のないシーナはまた続けて話す。

「私たちは無理に治療するつもりはありません。必要な人だけ言ってくだされば治療します。そして、費用についてはこちらで負担します」

 淡々と答えるシーナ。それが余計に場に油を注いだようで、一気にヒートアップした。

「誰がそんなバケモンになるか!」「お前らになんか騙されないぞ!」「お前らが変なもんばらまいたんだろ!」「お前らが変な研究してるって軍の人が言ってたぞ、それのせいじゃないのか!」

 場は完全に怒りに満ちていて、異様なほどに騒がしくて。少しでも変な行動をとれば暴動を起こされかねないと思わされるほど。

『生命の樹』は希少だ。それによって貧富の差が引き起こされるのは繰り返されてきた歴史の通りだ。

 金を持っているものが『生命の樹』による治療を受けれる。反対派である軍はそこをうまく利用した。『生命の樹』の治療を受けれない層を反対層として取り入れた。デモなど頻繁に先導しているらしい。
 そんなところに治療を持ちかけるなんて……。トニー博士は何を考えているんだ。僕は不意に思った。

「やっぱり無理ですよ。聞く耳持ってません。帰ります?」

 そう面倒くさそうに耳を抑えながら話すシーナ。博士も危険を感じたのだろう。それも仕方ないという表情を浮かべて。そんな時だった。エツィオが一歩前に出た。

「俺がいきます」

 その目は諦めている様子はなく、どことなく自信さえ感じさせる。エツィオがシーナから拡声器を受け取って、声を張り上げた。

「皆さん。研究機関から来ましたエツィオと申します!」

 自信に満ち溢れた声、元来持ってるエツィオの声の通りやすさが相まって、一人ながら圧倒的存在感を感じさせるその姿。

 そして、まるでエツィオは一人一人に語り掛けるように話す。

「私たちにあなたの大切な人任せていただけませんか?」

 そして、少しの間を取って、

「どんな怪我でも治すことが出来ます。一切の後遺症を残さずに」

 その一言だけで、場のボルテージが一段階下がった。

「たとえ、死が間近にあっても治せます」

 エツィオの声は不思議な力があった。何か言い返せなくさせる迫力のようなものがあった。

「そんなの……余計、気持ち悪いだろ」

 投げかけられる罵声の量もキレも半減ほどになって。

 エツィオが何か言えばさらに場を鎮めることが出来ると感覚的に分かった。しかし、エツィオは何も言わなかった。ただ、怒声を浴びせる人をじっと見つめる。

「さすが、親譲りですね」

 ぽつりとシーナが呟いた。

 その迫力で、勢いは一気に失速していき、自然に場は静まり返る。

「では、治療をしてほしい方、もしくはその親族の方は手を挙げてもらっていいですか?」

 穏やかな口調でエツィオが言った。完全に場はエツィオが支配していた。誰の目にも明らかだった。

 そこから数分間。無言の時間は続いた。しかし、一向に上がらない手。

 僕は疑問に思った。
 内容に多少なりとも魅力があったからみんな強く否定できないはずなのに。
さらに、さっきまで皆がエツィオを見ていたのに、選択を任された途端に、皆あたりをばつが悪そうにきょろきょろと見渡し始めた。
 
 一体何をしてるんだ……?

 しかし、そんな様子を当たり前そうに見ている博士たち。しばらくその状態は続いた、そんな状況を切り裂いたのはやはりエツィオだった。

「どんな怪我でも治せます」

 エツィオは優しく寄り添うような声で言った。
 その声で弾かれるようにようやく上がった手。

「……っうちの妻を、直してくれっ」

 手を挙げた男性の体は震えていて、真下を向いて、

「結婚したばかりなんだ」

 まるで恩赦を求めるように言い訳をして、声は上ずっていた。

「承知しました」

 エツィオが笑顔でそう答える。

 それを皮切りにぽつぽつと手を始める人々。
 どうして周りに言い訳するんだろう。なんでみんな周りを気にして手を挙げるんだろう。

 僕は疑問に思った。

 そんな疑問を抱えたまま治療を始める。

 手の平から患者の体の中に『生命の樹』が入っていく感覚。

 少ししてまるで何事もなかったように立ち上がる妻。抱き着く夫。

「よかった……よかった……」

 一瞬何が分からない様子の妻。周りを見て、自分たちを見て。
 数秒後、理解したのだろう。何か気づいたような表情を浮かべ、その表情は数秒かけて恐怖で染まっていった。そして、下を向いて、抱き着く夫にも、どう対応すれば分からない様子で。

「ありがとうございます」

 そう泣きながら言う夫の隣で、何も言わず固まっていた妻。

 実際にケガを直す様子を見て心動かされる人が増えたのか、ぽつぽつと手を挙がり始める手。それを見て妻の顔は少し緩み、小さく「ありがとうございます」と言った。

 そんな様子を見て僕の中で疑問が強くなっていく。

「重傷者から治療していきます。患者の確認をしていきますね。手を挙げたままにしてください」

 博士がそう言って辺りを歩き回る。
 その手を挙げている中にはさっきまで怒声を上げていた人もいた。さらに、時がたつほどにどんどんと増えていく。

 手を挙げてない人にも気まずそうに下を見つめていて、何か逡巡している人や。「ふざけるな」と周りに声を上げだした人様々だった。

 どうして他人の意見と自分の意見を同調させようとしているんだろう。
 僕は不意に疑問だった根っこの部分に気づいた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 手を挙げた人の半分ほどを治療し終えたころだった。

 ズボンに小刻みに引っ張られる感覚があって。見下ろすと子供だった。僕のズボンを掴み、どこかに向かわそうと引っ張っている。
目を赤らめて、顔はぐしゃぐしゃに歪んで、必死に引っ張っているその姿。

「何かあったの?」

 ただ事ではないと気づいたエツィオがすぐに尋ねる。

「お母さんを助けて」

 子供は今にも泣きそうな様子で答える。しかし、その首根っこを掴まれる持ち上げられる。

「おい、こんな奴らに話しかけるな」

 後ろから来た父親らしき男性。持ち上げたままそのまま連れて行かれそうになって。それに必死に抵抗しようとする少年。

「お前ら絶対に嫁に余計なことすんなよ!」

 ガラの悪そうな男だった。僕らにガンを飛ばし、そのまま子供を無理やり引っ張っていく。

「いやだぁぁぁ」

 そう叫ぶと子供は泣きだした。しかし、全く気にすることない男。それを見た途端、エツィオがつかつかと歩いていく。

「なんだよおま」

 バキッ

 エツィオは何の躊躇もなく男を殴った。

 そこにいる誰もが驚いた。全く躊躇のない様子で、話し合うこともなく迷いなく殴った。エツィオは子供と同じ高さまで膝を折ると、「お母さんはどこにいるの?」と尋ねた。

「あっち」

 エツィオはすぐに向かった。
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「お母さん!」

 少年は、治療を終え目を覚ました母親に抱き着いた。最初は分からない様子の母親だったが、少年のただ事ではない様子を感じ取り、「大丈夫だよ」と強く少年を抱きしめた。

 それを誇らしげと感慨が混じった顔で見ているエツィオ。しかし、それも数秒間だけで。

「さぁ、他にも苦しんでいる人がいる急ごう」

 そう次の患者のもとへ向かうエツィオ。

 その後も、治療を続けた僕ら。ちょうど半分ほどの人を治療したくらいだった。

 バンッ

 荒々しくドアが開く音が辺りに響く。
 見ると、軍服を着た男たちがぞろぞろと中に入ってくる。

「遅くなってしまい申し訳ありません。軍の方で受け入れ態勢完了しました」

 芯の強い声が病院内に響き渡った。
 ちょうどその時、僕らはドアが離れている場所にいるだけでその顔は見えないが、佇まい、声だけで軍の最高責任者、ホーガンだと気づく。

 立っているだけで頼もしさを感じさせるその姿。

「訳の分からないものを埋め込むのはやめていただきたい」

 そのままつかつかとエツィオの前まで行くと、ぎろりと睨みつけた。
 言葉に当てはめることが出来ない迫力があった。どこから感じるか分からないが、圧倒的な重厚感を感じた。

「人の弱っているときに紛らわすのはやめたまえ」

 しかし、エツィオは全く引かず、睨み返した。

「適切な処置をしているだけですが」

「まだ完全に確立もされていない治療法を適切な処置とは医学なのか」

 一発触発の雰囲気、緊張感が走る。慌てて間に博士が入り、

「処置が遅れて亡くなってしまう可能性があったので、特例的に処置を行ったんです。そちらの方の準備が整ったのですなら、私たちは用済みなので出ていきますよ」

「今すぐにこの部屋を後にしてください」

 芯の強い声でホーガンは言った。場の空気は変わった。「そうだ、早く帰れ」「もう二度と来るな」否定派の声が大きくなった。

 その中で、俯いて体を小さくする治療を受けた人たち。

「では、治療を受けた人は観察のため、研究所へご同行願います」

 そうバン博士が言った。
 そうして僕らは様々な敵意の視線を向けられる中、建物を後にした。

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 研究施設に戻った僕ら。博士は『生命の樹』で治療した患者の体の経過観察を行う。観察の間、暇が出来た僕たちと、連れ添いの人たちは研究所の空いている部屋に集まっていた。

 そこへ手をつないだグラシアとユズキが顔を出す。

「どうしたの?」

 そう尋ねると、

「ちょうどグラシアちゃんと同じくらいの子がいるんでしょ? 遊ばせてあげない?」

 ユズキが見渡しながら言った。

「えっ、でもどうなのかな?」

「大丈夫。大丈夫。博士には後で言っとくから」

 そう言ってユズキは少年のもとまで行き、

「一緒に遊ぼうよ」

 少年はすぐに「いいよ」と答えた。

「人数は多い方がいいし、ルティ達も来てよ」

 そう僕を見るユズキ。グラシアも「一緒に遊ぼ―」と僕の手を掴んで。

 すると、「私が付き添いの方たちの様子を見ているので」とすぐにシーナが言い、エツィオも参加することになった。

 そして、僕たちはいつもグラシアと僕が過ごす部屋に向かった。
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「すごぉぉぉぉい!」

 少年もとい、アレンはグラシアが操った木々によって宙を縦横無尽に舞う。嬉しいのだろうグラシアは誇らしげな顔をして植物を操る。
 その表情があまりにも分かりやすすぎて思わず笑ってしまう僕達。

 そこへ観察の終わったバン博士がアレンの母親とともにやってきた。
 
「大丈夫そうですか?」

 心配そうに尋ねるエツィオに、ニコッと笑いかけて頷く母親。

「不思議ですね。ケガした部分がじんと熱くなる」

 そう言って、母親は右腹を撫でて、

「グラシアですね。エネルギー放出しているのでそれを感じ取っているんです」

 バン博士が答える。

 そんな話をしているとアレンが走ってきた。「お母さんもうちょっと遊ぶ!」返事も待たず、グラシアのもとへ戻っていって、「鬼ごっこしよう!」と言う。

「鬼ごっこって何?」

 グラシアは頭を傾げる。

「鬼ごっこ知らないの?」

 驚くアレン。
 
 知らないのも仕方ない。グラシアはこの研究所を出ることは何か必要な場合しかない。遊び方も知っているわけがない。

 場は妙な緊張感を持った。
 しかし、何事もなかったように、ルールを説明するアレン。グラシアも初めは不思議そうな顔をしていたが、すぐに期待一杯の表情に変わった。

 その後は、人数が多いほうが良いというアレンの提案のもと、母親、博士以外は皆で参加することになり、心配になった僕はユズキのもとへ向かう。

「お腹大丈夫?」

 ユズキは軽く笑うと、

「さっき博士にも言われたよ。大丈夫だよ。そんな全力で走らないし、今のうちに子供との遊び方覚えておきたいし」

 そんなことで始まった鬼ごっこ。

 必死で走るグラシア。
 僕は不意に思った。そういえばこんなグラシア見たことがなかった。その小さな体で必死に走って、まるで体全てから楽しさが溢れ出していて。

 グラシアも子供なんだ。不意にそう思って。そして、胸が痛くなって。何とも言えないもどかしい感覚。

 それは誰もが抱えたのかもしれない。皆どこか楽しそうに眺めるその目には秘めたるものを感じる。

 この時間が続けばいいのにと思った。しかし、その時間は長く続かなかった。

 走り慣れていないグラシア。
 鬼に追いかけられているとき、グラシアは足がもつれた。
 勢いよく走ったことで膝をすりむく。血が流れるのが見える。それでも、楽しいのかすぐに立ち上がって走り出すグラシア。

 しかし、植物はそうはいかない。

 肌がめくれ上がりそうな痛みを覚えて、僕の体の肌の部分が自我を持ちだした。だがそれはすぐに収まった。
 その時に一番近くにいたエツィオが顔をしかめる。その指の一部がめくりあがり、中の肉が。

 それでも、すぐに何事もなかったように走り出すエツィオ。僕は心配になって隣に寄る。

「やめてくれ。こういう時だけ楽しませてくれ」

 そう言って、片手で制止するエツィオ。

 しかし、無理だった。その瞬間、恐怖の顔を浮かべたアレンの母親と目が合った。アレンの母親は右腹部を抑えていて。

 すぐに母親は青ざめながら、博士と何か話し合った。博士の困った顔。そして、博士は肩を落とすと、僕らの方を向いて首を横に振った。

 すぐに帰ることになったアレン親子

 まだ遊び足りないようで不服そうに頬を膨らませるグラシア。

 エツィオはその姿を見ながら唇を嚙みしめていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 アレン親子と遊んでから三日後。グラシアはその日は駄々をこねたものの、次の日にはケロッとしていて。
 しかし、鬼ごっこにはすごく誘われるようになったが、また僕たちは普段の生活に戻っていて。

 部屋に戻ると、グラシアが壁に耳を当てている。

「どうしたの? グラシ……」

 しぃっと指を立てるグラシア。壁に指を向ける。僕もそれに合わせて壁に耳をたてると、聞こえてきたのはユズキの声だった。

「かわいいねぇ。ほらほらっ」

 お腹の子供に話しかけているんだろう。声だけでも幸せというのが分かる。

 ポンポン、

 頭を優しく叩かれる。触られるごとに広がる快感。

「かわいいね」

 グラシアが僕の頭を撫でている。

 僕は何か申し訳なくなって……。
「ありがとう」そう言ったときの表情はどんなものだっただろうか。

 グラシアはどうすれば幸せになるのだろう。

 いつも頭の片隅にあって、何かの拍子で頭一杯に広がる思い。

 その力ゆえに利用され、殺され続け、人間の恐れから部屋に閉じ込められて過ごしている。他人との接触がなく、何も知らない。

 でも、不幸せではない。言い切れる。それはグラシアの願いに現れている。

 瞳を手に入れること。自分の目を手に入れ、他人を見てみたい。世界を見てみたい。
 大地や木々を通じて知るのではなく、自分の瞳で世界を見てみたいという願い。

 この世界は美しいと思っているからこそ持てる夢。
 僕の瞳は完成に近づいている。僕の瞳があればグラシアはこの世界を見ることができる。

 でもそんな夢が叶った時、一体グラシアは何を思うのだろう。
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