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第二話 魔王城の大掃除をしましょう!

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「…それでは皆さん、これから最後の作戦会議を始めます」
 私が魔王城のお片付け宣言をしてから、二週間が過ぎた、魔王城にある大広間。
『はいっ!エキナ姫っ!』
 そこでは私、エキナケアを筆頭としたお片付け…ううん、魔王城の上から下まで全てを巻き込んだ大掃除が、今まさに最終局面を迎えようとしていた。
 …うん…本当に大変だった…。
 ヒルガオちゃんすら把握していない部屋の発覚に始まり、魔界の今後を左右する程の書類が七つに破られて各部屋から見つかったり、果ては置かれた荷物が複雑に干渉して異空間が発生していたり…。
 本当に…本当に大変だった…!
 とと、いけないいけない。
 目の前では今回のお片付けに協力してくれる魔物さん達が、それぞれ得意な能力で部隊分けされて整列しており、後は私の指示を待つばかりとなっていた。
 感傷に浸るのはあとあと、今はとにかく大掃除をこなさなきゃ!
「今日この段階で、全ての選別が終わっていますっ!
 あとは、廃棄する物を廃棄して、整理整頓をするだけですっ!」
「少々よろしいですか、エキナ姫」
 この二週間で、私の事をエキナ姫と呼ぶ魔物さん達が増えた。
 なんだか私という存在がみんなに受け入れて貰えたみたいで、少し嬉しくもあり、
 …少し、怖くもある。
 …勿論、その事を、私は誰にも言わないけれど。
「はい。
 なんでしょうか、コカトリスさん」
「先程、全ての選別が終わっているというお話でしたが」
「はい、間違いありません」
「…まさかとは思いますが、左が必要な物で、右がいらない物と言いませんよね?」
「…………仰る様に、左が必要な物で、右がいらない物です…」
 そう告げると、みんなは天を仰ぎ見たり、「神も仏もいないのか畜生が…!」や「魔王あのヤロー…!」と思い思いに叫んでいた。
 うん。みんなの気持ち、とても…とっても良く分かるよ?
 でもね?魔王様も頑張ったんだよ?
 忙しい公務の間を縫ったり、夜通し掛けたりして必要な物といらない物を選別したり。
 …ああうん…でも…。
「確かに、ちょっとあれですよね…」
「ほんに先代のいらん所ばかり受け継ぎおって…」
 隣で立っていたヒルガオちゃんがはぁー…ととっても深いため息をつく。
 確かに、左が必要な物で、右が不要な物。
 …正確には、左の十部屋にぎゅうぎゅうに…魔術を使って押し込まれている物が必要な物。
 そして、右の小さな一山がいらない物。
「魔王様…もうちょっといらん物増やしてくれんかなー」
「無理だろ…」
「前献上品の包み紙大事そうに取っといてるの見たぞ…」
「無理だな…」
 魔物さん達は口々に愚痴る。
 そう。魔王様が必要な物と不要な物を選別して…厳正に選別して、これなのだ。
「エキナ姫、いらない物はこのまま灰にするとして、いる物はいったいどうすれば…」
「だ、大丈夫です!
 必要な物の更に選別の仕方を書いて頂きましたっ!」
 ポケットから数本の巻物を取り出して、それぞれの部隊の隊長さんに渡す。
 今の私の服装は町人の着る服より更に分厚い素材の、沢山ポケットのある服だ。
 この服だったらどんな物でもポケットに収まるし、すっごく動きやすい上に頑丈だし、何より頑張ってるみんなの中でドレスなんてすっごく浮いちゃうもの。
「何故じゃっ!何故ドレスを着ないのじゃっ!」
「流石にお掃除にドレスを着ていく訳にはいかないよっ!」
「ならエキナは椅子に座り指図するだけで良いっ!
 それならドレスを着るじゃろうっ!?」
「それじゃあ本末転倒だよヒルガオちゃんっ!」
 …最初の頃、ヒルガオちゃんとそんなやり取りもあったなぁ…。
「おお…見やすい!そして分かりやすい!」
「しかも部隊全部に行き渡るだけの量がある!」
「めっちゃ字綺麗っ!」
「やるなぁ魔王」
「…それは昨晩、エキナが魔王の書いた走り書きの仕分け表を不眠不休で部隊分書き起こした物じゃ」
「ちょっ、ヒルガオちゃん!?それ今言わなくても良いんじゃない!?」
「エキナよ!自分の手柄を魔王にくれてやるつもりか!?」
「手柄とかそんな事考えてないよ!?
 ただみんなが少しでも作業しやすくなれば良いかなって思って作っただけで…!」
「だよなー」
「魔王様にこんな鮮やかで細かい芸当が出来るとは思えないからな―」
「よっ!流石エキナ姫!」
「こんな短期間で魔界の言葉を完璧に…どんだけだよお姫様…!」
 ああああ…魔王様の株がダダ下がりしてその分私の株が上昇してる…!
「で、でも必要な物のリストのオリジナルを書いたのは魔王様だから!」
「そりゃ当然だろ」
「だって殆ど魔王様の私物でしょ?」
「むしろ自分の私物を管理出来ないって魔王としてどうなん?」
「みんな!今日でお片付けも最終日!
 頑張ろー!おー!」
「エキナ…諦めたか…」
「これ以上余計な事すると、ちょっとした事で魔王様の株が下がっちゃいそうで…」
「そこは安心せい。元より大して株は残っとらん」
「ああ…うん…」
 魔王様…頑張って…本当に…。



「バハムート率いる空路運搬部隊より連絡!
 全部のゴミの処分が終わった!今なら数匹他に手を回せるぜ!」
「では五番目の部屋に向かって下さい!運搬して欲しい荷物が山程あります!」
「合点承知っ!」
「ダイダラボッチ率いる陸路運搬部隊より連絡。
 ゴーレムが一体、荷物を足に落とした事による負傷を負った」
「負傷したゴーレムさんに治癒魔術を掛けて下さい!容態によってはそのまま戦線離脱を!」
「了解」
「おうクラーケン率いる四番目の部屋整理部隊だ!
 魔王様のコレクションの第三弾と第四弾の区別が付かないんだがどうすればいい!?」
「ええとええと…第三弾は銀色!第四弾は金色だそうです!」
「了解した!」
「エキナ姫!これはどうすれば良いの!?」
「エキナ姫!」
「エキナ姫ー!」
「ええとええとええとええと…!」
「ええいこのぼんくら共!少しは自分で考えんか!
 あのエキナがとうとう目をぐるぐると回し始めたぞ!」
「だっ、大丈夫だよヒルガオちゃん!
 皆さんごめんなさい!戸惑わせてしまって!
 また改めて指示を出します!」
「…………のぉ、エキナよ」
 沢山の部屋を行ったり来たりして、みんなに指示を出している、その最中。
 私を呼ぶ、ヒルガオちゃんの声が聞こえた。
 ヒルガオちゃんは、今にも泣きそうな顔をしていて。
「…エキナ、どんなに困難な物でも託された任を全うしようとするその心、感服する。
 …しかし、決して無理はするな。
 主が倒れ床に伏せば、この作戦の全てが灰燼に帰す。
 …何より、そうなってしまったらこの城中が悲しみに暮れるであろう。
 そんな結末等、この城にいる全ての魔物が望んでおらん。
 …だから決して…決して、無理はするな」
 ヒルガオちゃんは、私の手を握る。
 つるりとした、硬くて冷たい、お人形さんの感触。
 …でも、温かい。
 体温の温かさ、だけじゃなくて。
 …これは、きっと。
 …心の温かさ、なんだと思う。
「…うん、ありがとう、ヒルガオちゃん」
「…うむ」
 …ねぇ、お父様、お母様、ペチュニア。
 ここ魔界に来て、二週間と少し。
 私には、魔界で沢山の大切な人達が出来たよ。
「ささ、エキナ、少し休むが良いよ。
 何、三十分一時間休んだ所でここにエキナを批判出来る者も、そもそも批判しよう等と考える輩はおらん」
 私を沢山、沢山大切にしてくれるメイド長さん、ヒルガオちゃん。
「エキナ様!ちょっと良いですか!?」
「馬っ鹿お前今エキナ姫休むって聞いただろ?」
「そうだったそうだった!」
「エキナ姫ー、ゆっくり休んでねー」
 人間の私を沢山頼って、沢山心配してくれる魔物さん達。
 …そして…。
「エキナ姫!来たよー!」
「今更何をしに来たこのすっとこどっこい魔王めが!」
「なんで僕怒られたの!?」
「いったい誰のせいでこんな事になってると思う?ん?」
「全面的にごめんなさい!
 ほ、ほら!差し入れ持って来たから!」
「中身はなんじゃ?
 エキナの口に合わぬ粗末な品なら今ここで…」
「な、何されるの僕」
「エキナに主の恥ずかしい性癖を演劇の形にして暴露する」
「…もう一度選別して来ます…!」
「あ!あの!魔王様!そんなに気張らなくても大丈夫ですよ!?」
「あ、エキナ姫は気にしなくて大丈夫大丈夫っ!
 ほらっ、献上品のお菓子も沢山種類あるからっ!」
 …そう言って笑ってくれる、魔界の王様。
 …確かに、元居た世界に帰りたいって、思わない訳じゃない。
 …でも。
 でも、ここなら私、ずっといても良いかなぁって、
 心の底から…本当に…本当に、そう思うんだよ?



「…よし」
 片付けが一段落…終わってないけれど、ひとまず一段落して、その日の夜。
 私は日々の日課である日記を書き終わって、ほぅっと一息付いた。
 魔界に来てから、毎日続けている日課。
 勉強の為に魔界の言葉で綴る、日々の記録。
 内容は、大した物じゃない。
 日々起きた事、知った事、感じた事。
 一日一日の、些細な出来事。
 …ここに来てからの、その全て。
 書く事が沢山あり過ぎて、いつも一時間ぐらい掛かってしまう。
 …そして書き終わった後、ほぅっと息を吐くと、安堵と充実に満たされる。
 …安堵と充実に満たされる理由になっているのは、もう一つ。
 多分、もうそろそろ…。
 …………フォン!
『やっほー、エキナ姫ー』
 未だに正体不明の丸い鏡に、簡素な服を着た魔王様の姿が映る。
 両手にはいつも通り、お菓子の入った布の袋と数冊の本。
「鍵は解いてありますよ、魔王様」
『はーい』
 …魔王様は、毎日この時間に、こうして顔を出してくれる。
 理由を聞いたら、いつも笑ったり、お菓子をすすめられたり、わざとらしく咳き込んだりしてはぐらかされてしまうけれど…。
 …あの様子だと…多分…図書館で本を読み切れないから私の所に来てるんだと思う。昨日も司書のハーピーさんにすっごく怒られてる所を見たし。
「今日もお菓子持って来たよー」
「ではすぐに紅茶を淹れますね」
 うん!いつもすっごくお世話になっているし、こんな時ぐらい魔王様のお役に立とう!
 少し前に沸かして保温しておいたお湯を温め直して茶葉をポットに入れ、お湯を注ぎ、じっと待つ。
 …紅茶が出来上がるまでの時間。
 この時間が、私は好きだ。
 誰かを歓迎する為の準備をする、この時間が。
 …やがて紅茶が出来て、私は魔王様が待つ部屋へと戻る。
 魔王様はいつも、紅茶が出来るまで本を読んでいる。
 いつもの事。
 …そして、その姿に私が見惚れてしまうのも、いつもの事。
 月明かりに照らされ、本を読む魔王様。
 その顔は、時たま微笑んだり、考え込んだり、少しだけ悲しそうな表情をしたり。
 その表情の全てが、美しくて。
 …それは、人間では絶対に出せない、人間を超えた美しさ。
 …たまに、怖くなる。
 怖くて、怖くて、
 怖くて、どうしようもなくなって。
「…あ!エキナ姫!」
 …だから私は、いつも魔王様が気付いて微笑み掛けてくれるまでじっとしている。
 魔王様に、気付いて欲しくて。
 魔王様に、こんな風に笑って欲しくて。
「…お待たせしました、魔王様」
「…エキナ姫、何かあった?」
「え?」
「あ、いや、ううん!
 ただ…なんか雰囲気が暗いなぁって…」
 魔王様は聡い。
 特に、心の動きに関しては。
 …これが、王としての素質…なんだと思う。
「…その、茶葉選びに、迷ってしまって」
「エキナ姫が煎れる紅茶はどれも美味しいから、別にそこまで考えなくても良いのに…」
「…魔王様を歓迎するのに、適当な茶葉を出す訳にはいきませんから」
「…ありがとね、エキナ姫。
 こんな僕に、そこまで考えてくれて」
 お願い。
 ありがとうなんて言わないで。
 貴方に、感謝なんてされてしまったら。
 これ以上貴方から、優しい想いを受けてしまったら。
 …私は、貴方から貰った優しさに、どう報いれば良いと言うの?



 翌日も、朝から魔王城の片付けだった。
 みんなも自分のすべき事があるから、みんなの力を借りる事が出来るのも今日が限界。
「エキナ姫!この本に付いてる帯っぽい紙の束は捨てて良いのか!?」
「それは魔王様がヒルガオちゃんから死守した物ですので大切に扱って下さい!
 あ、でもワーウルフさんの指じゃ破ってしまいそうですから…それはホビットさん!お願いします!」
「ほいきた!」
「そいきた!」
「どっこいしょーっ!」
「エキナ姫ー、私達ウィッチはお昼休憩入るねー」
「はいっ!ゆっくり休んで下さいね!」
「エキナ姫も、無理はしないでね?」
「はいっ!ありがとうございますっ!」
「フシャーッ!」
「お帰りなさい!サラマンダーさん!
 早速ですけれど庭にあるゴミを燃やして下さい!全部やっちゃって良いので!」
「フッシャーッ!」
「バウッ!」
「どうしたんですかケルベロスさん!?」
「バウワウ!バウワウ!」
「え!?ついうっかり咥えてしまって破損!?何がですかっ!?」
「ウーッ!ウーッ!」
「…ヒルガオちゃんが大切にしていたお魚のぬいぐるみ…」
「ガウッ!ガウガウッ!」
「…わ、私が謝って来ます!
 ヒルガオちゃんも話せばきっと分かって」
「儂のぬいぐるみを千切ったたわけは今すぐ儂の元に来い!説教してやる!」
「メイド長落ち着いて!その武装は間違いなく相手を瞬殺する類の物だから!明らかに説教を超える事をしようとしてるからっ!」
「ええい離せ魔王よっ!
 こればかりは!こればかりは見逃す事は出来んっ!」
「…クゥーン…」
「…だ、大丈夫ですよ…多分…」
 そんな訳でもう朝からてんやわんや、昨日の私は別の部屋でみんなに指示を出しながらだったけれど、今日は実際に現場に立ち会っての指示と、細かい所の補正に入っていた。
「ごめんね!ごめんねヒルガオちゃん!」
「…エキナ…」
「わ、私がちゃんと縫い直すから!」
「…………うううううううううーっ!
 えっ、エキナが優し過ぎるううううううううううううーーーーーーっ!」
「ひ、ヒルガオちゃん!?
 どこに行くのーーーーっ!?」
「多分色んな物が許容量を超えたんだろうねぇ…」
「は、はぁ…。
 …それで魔王様、何故こちらに?
 今は公務の真っ最中で昼食もご一緒出来るか怪しいと魔物さん達からお聞きしたのですが…」
「流石に朝からぶっ通しで椅子に座りっぱなしだとね…腰がね…」
「な、なるほど…」
「という訳で、軽い運動がてら僕も何か手伝うよー」
「…手伝って下さるのは嬉しいですし、ありがたいのですけれど…」
「…?」
「あ、こんにちは、タイムさん」
「え?」
「こんにちは、エキナ姫。
 今日も精が出ますな」
「うわ!
 た、タイム!?」
「…魔王様、少し運動してくるというのは健康にとても素晴らしいと思います」
「う、うん」
「座りっぱなしというのも、確かに身体にとって良くは無いでしょう」
「う、うんっ!そ、そうだよねっ!」
「…かといって二時間図書館に籠るのはいかがなものかと」
「た、タイム…まずはその殺気をしまって、話をしよう?ね?」
「…そうですね」
「タイム…!」
「話を聞く為に、こちらへ来て下さい」
「待ってタイムそっちは執務室だからいたた痛い痛い襟首引っ張らないでタイムお願い話を話を聞いてお昼までにあの量を一人でやるのはちょっと僕には厳しいかなってせめてみんなと一緒にお昼ご飯食べたいなぁお願い僕の話に何か返事をしてお願いお願いだから!」
 叫びながらタイムさんに引っ張られる魔王様と、何も言わずにずるずると魔王様を引き摺るタイムさん。
 そして、それをただ唖然と見つめる私と、何事も無かったかの様に作業を続ける魔物さん達。
 ……と、とにかく!
「…頑張ろー!」
『おーっ!』
 …と、意気込んだは良い物の、思ったより量が多過ぎて、結局その日中に終える事は出来なかった。
「…うーん…」
 日記を書き記し、天井を仰ぐ。
 残っている物は、後は細々した物だけ。
 それぐらいだったら私一人でもどうにか出来る…と思う。
 …うん、上手く動けば…明日一日…ううん、二日あれば…。
「…もしかして、一人で頑張ろうって思ってる?」
「ひゃゃうっ!?」
 背後から、突然の声。
 驚き振り返れば、そこには、
「まっ、魔王様!?」
「こんばんは、エキナ姫」
 にこやかに微笑む、魔王様が立っていた。
「ごめんね、突然来ちゃって。
 でも、何度か呼んだんだけれど返事が無かったから…ちょっと気になっちゃって」
 そう言われて体を起こせば、確かにテーブルには応答を待つ丸鏡が浮いていた。
 ちゃんと見てみれば応答を待つマークが数十個並んでる。全部魔王様からの物だ。
 …あれ?
「確かこの部屋って、私の開錠が無ければ最高位の魔術師でも突破出来ない結界で守られている筈ですけれど…」
「ああうん、それは間違いないよ」
 魔王様はいつもこの部屋で使っている椅子に座りながらそう答えた。
「…私、開錠していないのですが…」
「メイド長はこの結界を、エキナ姫の許可無しでも通り抜けるキーを持ってるんだ。
 …エキナ姫に万が一、億が一があった時の為にね」
「では、それをお使いに?」
「ううん、キーはメイド長の体の中にあるから容易には取り出せないよー」
「じゃあどうやって…」
「そのキーの情報を元にして、この結界の超える為の空間転移術を組んだんだー」
「…今さらっと凄い事を仰いませんでしたか?」
「そう?」
「え、ええ…。
 空間を移動する魔術は人間の世界では確立出来ていないので…」
「そっかぁ…。
 まぁ人間は僕達魔物と違って体内に炉が無いからなぁ…」
「炉…ですか?」
「うん。
 魔物の体内には大小様々あるけれどみんな炉…人間が使う魔方陣をいくつも束ねた様な物があるんだ。
 その炉に魔力を込めて、僕達は魔術を使用出来るんだぁ」
「魔物さんってそういう風に魔術を使ってるんですね…。道理で皆さん呼吸をする様に魔術を使用して…………それって魔界の在り方の根幹に触れる、結構重大な秘密じゃ…」
「……あ!」
「考えてなかったんですね…」
「こ、この事は秘密で!バレたらメイド長に怒られる!」
「勿論。
 この秘密はお墓まで持って行きます」
「ありがとぉ…良かったぁ…!」
 魔王様ははぁと息を吐いて、テーブルに手を伸ばす。
 けれど、その手は空を切って。
「…も、申し訳御座いませんっ!
 紅茶を準備していませんでしたっ!」
「あ、謝らなくて良いよ!
 僕も咄嗟に手を伸ばしちゃっただけだから!」
「いえ!
 このぐらいの時間に来る事は予想出来ていたのに…!」
「いやいや!本当なら連絡が付かない時点でとっとと撤収してメイ長を呼びに行かなきゃいけなかったのにそれを怠った僕が悪いよ!」
「いえいえ!それだったら私だって扉に張り紙の一枚でも貼っておけば良かったのにそれすら思い至らなかった私の落ち度です!」
「いやいや僕が悪いよ!」
「いえいえ私が悪いんです!」
「僕が!」
「私が!」
「僕がっ!!」
「私がっ!!」
「…………」
「…………」
「…とりあえずお茶菓子持ってくるね」
「で、では、私は紅茶の準備をしておきますね?」



「…それで、さっきの話の続きなんだけれど」
「さっきの話、ですか?」
 魔王様は紅茶を飲みながら、そう話を切り出してくる。
 私も、魔王様が持って来てくれたお菓子を食べながら返事を返した。
「うん。
 …エキナ姫、もしかして、片付け最後は一人でやるつもり?」
「…現状、そうするしかないと思います。
 もう皆さんをこれ以上拘束するのは難しいですし、残っているのは小物だけです。
 それぐらいなら、私一人でもなんとか出来ますから」
「…エキナ姫、もう無理はしなくて良いよ?
 これは本当なら僕が…僕達がやらなきゃいけない事だったんだ。
 それを来たばかりの…しかも肉体的魔力的に、僕達魔物よりずっとずっと弱いエキナ姫に全部背負わせて…。
 でもエキナ姫はそれを完璧にこなした…僕達がするより遥かに効率良くね。
 ここまでやってくれたってだけで、莫大な報酬を与えたって足りない程の偉業なんだ。もう充分だよ」
「…あの、これってただの片付けですよね?
 なんだか話が大事になっている様な…」
「色々と考えると、それほどの事なんだよねー…実際」
 魔王様はティースプーンをくるくると回しながら、たははと弱々しく笑った。
 魔王様は、もう良いよと言ってくれた。
 大変だから。
 一人じゃ、無理だから。
 …だから、もう良いよって。
 私を、気遣って。
「メイド長には僕から言っておく。
 ちゃんと説明すれば…ううん、ちゃんと説明しなくてもメイド長も分かってくれるだろうし。
 だから…」
「…いえ、ちゃんと終わらせます」
「…え?
 いっ、いやいや!だからもう良いんだって!」
「いいえ、それじゃ駄目なんです。
 ちゃんと…ちゃんと、終わらせたいんです」
「…どうしてそこまで…?」
「それは…その…ええと…」
「…エキナ姫?」
「…うまく理由は、言えないです。
 でも…それでも、お願いします。
 これだけは…これだけは、やり遂げたいんです。
 勿論無理はしません。駄目ならすぐにやめます。
 …だから…」
「…分かった」
「魔王様…」
「ただしっ!
 …ただし、僕達が見て危険そう、無理してそうって思ったら、すぐに止めさせるからね?」
「…はいっ!
 ありがとうございますっ!魔王様っ!」
「それと…」
「?」
「もし終わったら…ううん、終わらなくても、何か欲しい物ってある?」
「欲しい物…ですか?」
「うん。
 こんなに頑張ってるのに無報酬じゃあみんなから本当に見限られちゃうし、僕だってそんなの絶対に嫌だ。
 それぐらい、エキナ姫のしてる事は凄い事なんだよ?」
「は、はぁ…」
「何かある?」
「何か…ですか…?」
「うんうん」
「……すいません、思い付きません」
「そう…うん、確かに、すぐに思い付く訳も無いよね。
 まぁゆっくり考えて?
 どんな物だって、どんな量だって良いんだから」
「…はい。
 ありがとう…ございます」



 翌日。
 朝から作業着に着替え、小さな木箱を運んだり、物を並べたりしている間、私はずっと考えていた。
 私が、欲しい物。
 …なんだろう。全然思い付かない。
 ここでの生活は十分過ぎる程に満たされている。欲しい物なんて無い。
 でもあんなにもお優しい魔王様の事だ、そんな事を言ったらきっととんでもない事になるだろう…想像に難くない。
 迷惑を掛けるぐらいなら、いっそ小さなお願いをして事を穏便に済ませてしまおうか…ううん…でも…。
 …なんて事を考えていたら、不意に、小さな小箱に触れた。
 恐ろしい程埃を被っている…長い事誰も触れなかったんだろう。
 軽く埃を払って箱を振ってみると、カラカラ、カラカラという音が聞こえた。
 何か小さな物が、二つ分、動く音。
 小箱をじっと眺める。
 古めかしい小箱だ。
 色鮮やかで、丁寧かつ細かな装飾がなされている。
 きっと腕の立つ職人が、時間を掛け、丹精を込めて作った物なんだろう。
 …けれど、鍵穴の様な物が無い。
 それなのに、何をどうしても開かない。
 魔術で特殊な封印がなされているのか、それともそれ以外の何かなのか…。
 …うん、これにしよう。
 魔王様にする、お願い。
 これを下さいって、お願いしてみよう。
 無理だったら…まぁ、その時はその時で。
 私はそれを肩から下げたポーチにしまって作業を続行する。
 これはもし面白い物があった時、一人でも運搬が出来る様にとヒルガオちゃんがくれた物だ。
 …それにしても、本当にいろんな物が出て来るなぁ。
 魔王様が借りたらしい図書館の本、ヒルガオちゃんの名前が入った縫いかけの刺繍、タイムさんのダンベル、これは…原稿?あ、イキシアさんの署名がある…そういえばイキシアさん、小説家さんなんだっけ……す、凄い…面白い!イキシアさんってこんな凄いお話書いてるんだ…!
 とと、こんな事をしてる場合じゃない!
 あれー!?もうお月様が昇ってる!?
 ええ!?いつの間にこんな時間になってるの!?
 大変!御夕飯に間に合わなくなっちゃうよぉ!
「…………で、エキナ姫、進捗どう?」
「ごめんなさいごめんなさい…イキシアさんの小説がとっても面白くて作業が止まっちゃいました…」
「うん、イキシアに伝えとく。絶対喜ぶよ」
「ごめんなさい…」
 …という訳で、片付けは翌日に続く事になって。
「えっさほいさえっさほいさ!」
 細かい物しか残っていないのが幸いした。
 この調子なら今日中に終わる!ううんっ!終わらせてみせるっ!
「えっさほいさえっさほいさえっさほいさえっさほいさ!」
 よーし!頑張ろー!



「…と、頑張った結果がこれか…」
 …と頑張ったら、身体を痛めてしまった…。
 今は自室でヒルガオちゃんに手を貸して貰って、身体中に治療用のお札を貼って貰っている。
 うう…一人で頑張るって決めたのに…情けない…。
「ごめんねヒルガオちゃん…迷惑掛けちゃって…」
「何を言う。
 こんなになってまで頑張るエキナにこうして力を貸せる事、儂は嬉しく、誇りに思うぞ」
「ありがと…ヒルガオちゃん…」
「それで、片付けの方はどうじゃ?
 明日は大きな予定は無いから、儂も手伝えるぞ?」
「あ、うん。
 片付け…お部屋…とりあえずそれはどうにか終わらせたよ…」
「……………………それは誠か?」
 ヒルガオちゃんはぽかんと唖然としていたけれど、私の返事を聞くと即座に通信用の魔方陣の描かれた小さなお札を取り出して、
「やった!やったぞ!
 エキナ姫がとうとう…とうとうやったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 そう声を上げた瞬間、
『おおおおおおおうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
 城中が、歓喜の雄叫びで震えた。
「なっ、何!?何があったの!?」
「エキナよ!主がしたのは魔王が魔王になって以来の偉業を成し遂げたのじゃ!」
「そ、そうなのっ?」
「そうじゃ!
 料理長以下全ての給仕の者達よ!今日は食糧庫を全て開け放て!…宴じゃあああああああああああああああああああああああ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
 …そうして開かれた宴会も、本当の本当に大宴会だった。
 食糧庫全てが開け放たれ、魔王城にある全ての部屋が…片付けたばかりの部屋まで宴会場になった。
 飲めや食えや騒げや踊れやの、まさに大宴会。
 …そして、魔王城内での私の評価がとんでもない事になっていた。
 何故か行く先々で褒め称えられ、たまに「片付け神様!」と崇められ、
 …その中で、私は恐縮するしか出来なかった。
 私は、そんなに凄い事をした覚えは無い。
 みんなが私を信じ、私に託してくれた事を、私に出来る最大限の努力をして完遂したまでだ。
 …それにこれは、私一人では出来なかった事。
 みんなの協力が無かったら、絶対に出来ない事。
 …だから、私の部屋にわざわざ魔王様が最初に見た式服で来る理由なんて一つも無いし、
「本当に…本当にありがとぉぉぉぉぉ…!」
 …こんな風に、魔王様が感涙に咽び泣きながら、私に感謝をするのは間違っている。
 …と、結構本当に真剣に話しているんだけれど、魔王様は聞き入れてくれない。
「…どうしてですか?」
「え?」
「今回のお片付けは、私一人では到底完遂する事は出来ませんでした。
 …褒美と言うのなら、私ではなく皆さんに与えるべきです」
「それは勿論。僕が魔王として出来る最大限の事をするつもりだよ。
 …でもね、それはエキナ姫にだって言える事だ。
 …エキナ姫がやろうって言わなければ…そしてそれを本気で実行しなければ、なされなかった偉業なんだよ?」
「偉業って…ただの片付けですよね…?」
「違うよ」
「え…?」
「今回の件。みんなはただのとんでもない量の片付けだと思っているけれど、僕はそうは思っていない。
 …エキナ姫、君は人間だよね?」
「…はい」
「その人間という種族が僕達魔物と交わした約束を守ってくれて…それだけじゃなく、人間に忌避される筈の僕達魔物を助けてくれたんだ。
 それは先代からも聞いていない、人間と魔物、初めての共同作業とも言えるかもしれない」
 …言われてみれば、確かに。
 今まで必死にやっていたから気付かなかったけれど、人間が魔物の為に何かをしたなんて…少なくともルクスカリバー王国にある各国の歴史書のどこにも記載は無かった。
 …私、結構凄い事をしてたんだ…。
「…ね?凄い事してたでしょ?」
「…はい」
「…さぁ、エキナ姫。
 この世界の歴史が始まって初めての事をした君は、何を欲する?」
「………それ、じゃあ」
「何々!?なんでも言って!?」
「…片付けをしている時、こんな小箱を見付けたんです」
 ポーチからあの小箱を取り出して魔王様に見せる。
 その瞬間、魔王様は驚きに目を見開いた。
 この小箱に、見覚えがあるのだろうか?
「それが欲しいの?」
「え、ええ。
 …もしかして、何か重要な物でしたか?」
「ううん、エキナ姫が欲しいなら、全然あげられる物だよ」
「ですが、これを見て驚かれている様でしたが…」
「ああうん。
 それ、先代の魔王様が大切に保管されていた物なんだー。
 逝去される直前までとても大切にさせていた覚えがあるよー」
「…………え…………ええええええええええええええええ!?」
「だから大切にしてね?」
「いえいえいえいえ!
 そっ、そんな大切な物を頂く訳にはいきませんっ!」
「良いんだよ」
「でも!」
「…それに、それはエキナ姫に見付かるのを待っていた様に思うんだ」
「…え?」
「実はね、それは今まで見付からなかった物なんだ」
「見付から…なかった?」
「うん。
 それ、先代が逝去された時その小箱を探したんだけれど、どこを探しても…最高位の探索系魔術を駆使しても見付からなかった」
「…これ、引っ越し用の荷物の中に紛れていたんですけれど…」
「でもそれがあったという報告は無かった。…それを見付けたらすぐに報告する様にって、みんなに常々言ってあったからね」
「…そんな大切な物を、私が貰っても良いのですか?」
「うん。
 間違いなくエキナ姫ならそれを大切に出来るし…それに、もしかしたらそれを解除出来るかもしれない」
「解除…ですか?
 先代の魔王様が大切になされていた程の物に掛けられた魔術の解除は私では出来ませんし、それ以前に、これに魔術が掛けられている様にも見えませんが…」
「その箱は東洋の品物らしい、確か秘密箱だったかな?複雑に組み合わせた木々だけで封印がなされているんだ。
 …まぁ箱の強度そのものは低位の攻撃魔術で破壊出来る程度だけれどね」
「この中には何が入っているのでしょう…?」
「厳密な事は僕にも分からない。
 ただ、先代の魔王様はその中にある物を、とてもとても大切な物と仰っていたよ」
「とてもとても大切な物…魔界の王様が大切と言うのなら…中に入っているのは大魔術の触媒でしょうか…?」
「うーん…例え大魔術の触媒でも危険な代物じゃない筈。
 先代がそんな物を大切な物なんて言う訳が無いし。
 …あ、そうだ。
 もしその中身が分かったら教えてよ。それは僕も興味がある」
「勿論。お約束します」
「…それで?」
「え?」
「まさかエキナ姫のお願いがこれだけって事は無いでしょ?」
「あ、えと、その…これだけ…ですが…」
 …なんだか魔王様が絶句してる。いったいどうしたんだろう?
「…え…エキナ姫?
 自分が叩き出した功績って、実はちゃんと理解してなかったり?」
「いえ、理解していますよ」
「だったらこう……もっとなんかあるんじゃない!?」
「…え、ええええええ!?」
 な、なんだか怒られてる!?ど、どうして!?
「あ、あの、何がなんだかさっぱり…」
「それはエキナ姫が何もしなくても渡していたよ…僕はもっともっと凄い物を要求して欲しいんだ…」
「あの、どうして…」
「…そこまでしてもらわなきゃ、君がした事への感謝を表せない。
 …言葉や態度で表せないぐらいの事をしてくれた事への、感謝を。
 …そんな物でしか感謝を表せないのは、すっごく情けないけどね」
 魔王様は、そう呟いて息を吐く。
 …私への、感謝。
 そんなの、別に良いのに。
 私は、大した事はしていない筈なのに。
 …………ううん、違う。
 私はそう思っていても、魔王様は違うんだ。
 私が当たり前にしていた事は、魔王様にとってとても大切な事で。
 …それこそ、どんな願いだって叶えたいと思う程に、大切な事で。
 …私の、願い。
 本当の本当に、叶えたい願い。
「…………魔王様」
「ん?どうかしたの?」
 聞かれて私は、一瞬、ためらってしまった。
 それを、言って良いんだろうか?
 魔王様に。
 そんな願いを、言っても、良いんだろうか?
 …………でも。
 でも、今この時を逃してしまったら、
 きっと。
 きっと、もう二度と、言えなくなってしまう。
「……私は、恐ろしいと感じるのです」
 だから私は、告げる。
 ずっと、
 ずっと、
 胸の内に抱えていた、私の想いを。
「…僕、を?」
 魔王様の言葉に、私は首を、ゆっくりと、縦に振った。
「…魔王様が私と話して下さる時。
 魔王様が私の淹れた紅茶を飲んで下さる時。
 魔王様が私の側にいて下さる時。
 …私は、恐ろしいと感じるのです。
 こんな私が、魔王様とお話して良いのかと。
 こんな私が、魔王様にお茶をお出しして良いのかと。
 こんな私が、魔王様から感謝を受けて良いのかと。
 …人間という穢れた種族である私が、魔王様のお側にいて良いのか…と」
 私は、微笑む。
 口が、うまく上がらない。
 …きっと私の笑顔は、とても惨めで、醜い物になってしまっているのだろう。
「…私は人間…この魔界では、異物とも言える種族です。
 …本来なら、この魔界に来た時点で淘汰されてもおかしくはなかったんです」
 異物は淘汰される。
 それが、この世界の常識。
 それは、この魔界だって同じの筈。
 …でも。
「でも、そうされなかった。
 …そればかりか、魔物の皆さんは私を大切にして…私を信頼してくれた。
 人間の私を。淘汰される筈の私を。
 …それ程までに、魔王様は…魔物さん達は、お美しいのです。
 そのお姿も、そのお心も」
 魔王様は、目を見開き、
 それを、一瞬ですぼめ、
「…そっか」
 そう、小さく呟いた。
 …私が、魔王様にする願い。
 魔王様に願わなければならない程の、強大で、強欲な願い。
 私は、魔王様の前に、跪く。
 手を組んで。
 …神様に赦しを、乞う様に。
「…魔王様。
 私は、自らが汚らわしく、醜悪な種族である人間と理解しています。
 ……そんな私は…ルクスカリバー王国第一王女であるエキナケア・ルクスカリバーは、魔界の王たる貴方様に、乞い望みます。
 …どうか…どうか私が、貴方様のお側に…皆様のいる事をお許し下さい!
 どうか……どうか…………っ!」
「エキナ姫」
 魔王様の声に、私は顔を上げる。
「魔王…様…?」
「…ええと…そうだね…んー…なんて言ったら良いのかな。
 …ごめんね。
 きっと、僕以外の魔物だったら、もっとうまく伝えられるんだろうけれど…」
 魔王様はへにゃりと、頼りない笑みを浮かべる。
 その笑みを見ただけで、こうも安堵出来る。
 …今まで、不安と恐怖でいっぱいいっぱいで、どうにかなってしまいそうだったのに。
 …魔王様は、やっぱり凄いなぁ…。
「…エキナ姫、手を出してくれる?」
「…え…?」
「ほら、早く早く」
「あ、は、はい」
 魔王様に言われるがまま、私は顔を上げ、魔王様に手を伸ばす。
 …魔王様は、微笑んだまま私の手を取り、そっと撫でて、
「…ちょっと荒れ気味だねー…クリームとか塗ってる?」
「い、いえ…」
「じゃあ今度メイド長に言っておくよ。
 南の方で作られているクリームなんだけれど、すっごく良い香りがするんだよねー」
「…あの…」
「…うん。
 ちょっとだけ荒れてるけれど、温かくて、柔らかい手だね」
「あ…ありがとう、ございます…」
「…僕は幸せ者だなぁ。
 こんなに温かくて、柔らかくて…まるで聖母様の様な手を持つお姫様に、側にいたいだなんて言って貰えるなんて」
「え…?」
「…君のお願いを聞く前に、僕からお願いがある」
「は、はい」
「…どうか、僕の側にいてくれる?」
「…………え?」
「あ!いや!べっ、別に求婚とかそういうのじゃなくてね!?
 ああいや僕の側っていう表現がアレか!ごめん!
 僕の側というよりみんなの側にいて欲しいというかなんというかあのえっと…おほんっ!
 …少なくとも僕は、君に側にいて欲しいって思っている。
 きっと…ううん、絶対に、みんなもそう思っているよ。
 …それにエキナ姫は知らないだろうけれどね。
 エキナ姫が来てから僕の所に、どれだけの魔物がエキナ姫の日向口を言いに来たと思う?」
「…………私は、ここにいて良いんですか?
 こんな…こんな汚らわしく、醜悪な種族である人間が。
 …魔王様の、皆さんの側に、いても…良いのですか…?」
 魔王様は、私の問いに答える事無く、
 ただただ微笑んで、頷いた。
 …そっか。
 私は、いても良いんだ。
 魔王様の側に。
 魔物さん達の側に。
「くおらぁあああああああああああああああああ魔王おおおおおおおおおお!
 貴様がエキナの手を取って求婚なぞルクスカリバー王国国王が許しても儂が許さんぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 魔王様が扉を蹴破って…本当に蹴破って乗り込んで来たヒルガオちゃんに吹っ飛ばされた。
「本当にっ!本当にそんなつもりじゃ無いんですごめんなさいごめんなさいっ!」
「そんなつもりが無いならとっとと手を離さんか貴様がベッドの下に隠している秘蔵中の秘蔵本を全国民に晒すぞっ!」
「脅し方がえげつない!」
「そういえば魔王よ、エキナが来てから秘蔵本の傾向が変わった気がするのじゃが…」
「お願いそれ以上言わないでせっかくエキナ姫の中で上がった僕の評価がまた下がる!」
「元々大してある訳じゃなかろうに」
「痛い所突っ込まれたーっ!」
「あ、あの!ヒルガオちゃん!
 わた、私!大丈夫だから!」
「おお…エキナよ…じゃが慈悲は無用!そろそろエキナが来て色々とふわふわしている魔王には灸を据えねばならんと思っていた所じゃからの!」
「待ってメイド長が持ってるそれ灸じゃないただの焼けた石だからっ!いくら僕でもそんなの乗っけられたらあちってなって大惨事になるからっ!」
 魔王様は「ぎにゃあああああああああ」と猫みたいな叫び声を上げながら床を這い回り、ヒルガオちゃんは「今を逃すと後が無いいいいいいいいいいっ!」と絶叫を上げながら魔王様を追い掛け回していた。
 …そんな光景を、見ていたら。
「…………ふふっ」
「あれ?エキナ姫、どうしたの?」
「あ、いえ。
 …なんだか、おかしくなってしまって」
「?」
 だって、おかしいでしょう?
 …あんなにも。
 あんなにも、悩んでいたのに。
 そんな、どたばたとした、賑やかな光景を見ただけで。
 悩んでいた事が、割と、どうでも良い事の様に感じてしまうだなんて。
「そうかっ!魔王に焼けい…灸を据えている所を見るのがそんなに楽しいかっ!」
「いや多分それ解釈がちょっと違うかなって思うんだけれどっていうか今焼け石って言い掛けたよねメイド長っ!」
「ほら鳴けっ!我等の姫の為に豚の様に無様に鳴き叫べっ!」
「メイド長すっごく楽しそうなんだけれどっ!?」
「姫様の御前であらせられるぞっ!
 豚なら豚らしい鳴き方があるじゃろうっ!?」
「ブヒーーーーッ!ブヒーーーーッ!
 あっちょっと楽しいかもこれっ!」
「ヒルガオちゃんっ!魔王様が多分開けたら駄目な新しい扉を開き掛けてるからそれぐらいにしよっ!?」
「ちっ…エキナがそう言うなら…」
「あー…終わったぁ…」
「よしっ!今日は満足じゃっ!」
「ねぇメイド長今日はって今言った?…今日はって今言った!?」
「…次にエキナに手を出したら…分かってるな?」
「想像出来るのが微妙に嫌だ…!」
「…あのー……ヒルガオさん?」
「何故敬語なのじゃエキナっ!儂はエキナの為を思ってっ!」
「メイド長それ人間界で恋人を狙っていた人を殺した犯人っぽいよそれっ!」
「だっ、大丈夫っ!
 もう本当の本当に大丈夫だからっ!
 ほらっ!元気っ!」
「…エキナ、ちょっと言わせてもらおうか」
「え?う、うん」
「…………そのポーズかわゆいのぉ…!」
「えっどんなポー痛いっ!」
「貴様は見んでも良いっ!」
「メイド長のデコピン痛い…っ!」
「ほれっ!とっとと立て魔王っ!
 タイムから公務が溜まっているから縛ってでも連れて来て欲しいと言われておるんじゃ!」
「もう行くからお願い縛らないでっ!
 メイド長の縛り方なんかちょっと普通の縛り方と違うんだもんっ!」
「たわけっ!
 これが魔界に伝わる絶対に相手を逃がさない捕縛術だというのを知らんのかっ!」
「いや知らないんだけどっ!?
 というかそんなの伝えて欲しくなかったなぁっ!」
 どんな縛り方なんだろう…ちょっと気になる…。
「ならとっとと行くぞっ!エキナももうおねむの時間じゃっ!」
「今から行くからっ!行きますですはいっ!」
「ったく、手間を掛けさせおって…。
 夜遅くに騒がしくしてすまなかったの、エキナ」
「う、ううん、大丈夫だよ。
 おやすみ、ヒルガオちゃん」
「うむ、おやすみ、エキナ。
 …どうかエキナに、幸の多き夢を」
 ヒルガオちゃんはそう言ってにっこりと笑い、私の部屋から出て行った。
「あーいたた…。
 メイド長、本当に手加減を知らないんだから…」
「本当にごめんなさい…私のせいで、とんだ事に巻き込んでしまって…」
「ああ良いの良いの気にしないで。
 僕としては、お姫様の笑顔が見れただけでもう充分なんだから。
 …それじゃ、僕も行こうかな」
 ぱんぱんと埃を払いながら魔王様は立ち上がって、にっこりと私に微笑み掛ける。
 …本当に。
 本当に、魔王様には敵わないなぁ…。
「それじゃ、僕はもう行くね」
「あっ、はっ、はいっ!
 おやすみなさいっ!魔王様っ!」
「うん。おやすみ。
 …どうか、良い夢を」
 魔王様は、私に向かってへにゃりと微笑む。
 …その頼りなくて、でも、見てるだけで安心出来る微笑みを見て、
 とくんと、
 心臓が、ちょっとだけ早くなった気がした。
 …疲れ、ちゃったのかな…?



 深夜を越えた頃、読書中の魔王の執務室に入って来る魔物がいた。
 目の前の本から目を離さず、指をふいと動かし、扉を開錠する。
「…不用心な。
 もう少し警戒した方がよいぞ?」
「気配でメイド長だって分かってたから。
 …それ、お酒の瓶?」
「うむ。
 今日は祝いの日じゃし、一杯どうじゃ?」
「んー…そうだね。少し貰おうかな」
「そう来なければの。
 …そういえば、主とこうして飲むのは久し振りじゃのー」
「ここ暫く色々と忙しかったからねー」
 本を閉じ、んーっと背伸びをする魔王の前に、トクトクと琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれた。
 メイド長はずりずりと椅子を引っ張ってきて、魔王の傍らに置き、背もたれに寄り掛かる様に座る。
「ほれ、乾杯じゃ」
「乾杯、メイド長」
 チンとヒルガオのグラスに持ったグラスを当て、魔王とヒルガオはこくりと一口飲んだ。
 …すると、魔王は首を傾げる。
「どうした?魔王よ」
「あ、うん。
 …なんだか、エキナ姫の淹れてくれた紅茶の方が美味しいなぁって思って」
「魔界一高名な酒蔵で造られた酒じゃぞ?
 味も香りも申し分無い筈じゃが…」
「それは知ってるんだけれどね?僕一応魔界の王様だし。
 でも…ううん…やっぱりエキナ姫の淹れてくれた紅茶の方が美味しいんだよねー…」
「…くくくっ」
「ど、どうしたの?」
「以前の魔王だったらそこまではっきりと言う事は無いと思っての」
「…そうかな?」
「そうじゃよ」
「そうなのかなぁ…んーーーーっ」
「お疲れの様じゃな」
「大宴会だったからねー。
 あんなに大きな宴会、本当に久し振りだよー」
「今の今まで使える部屋が少なかったからのー」
「エキナ姫様々だねー」
「凄いじゃろうちのエキナは!」
「エキナ姫はルクスカリバー王国のお姫様だけれどね」
「言うな言うな。
 …ほんに有り難き御人じゃ、エキナは」
「…うん。そうだね。
 本当に…本当にエキナ姫は、有り難い人だよ」
 グラスに口を付け、こくんと飲む。
 …エキナ姫がどれほど立派なお姫様か、今までも理解していたつもりだった。
 しかし、今日ほどそれを痛感した日は無い。
「誰かを思いやる気持ちもある。みんなを導く力もある。
 自分に自信が無さ過ぎるのは珠に傷だけど、そこもなんだかエキナ姫らしいと言えばエキナ姫らしいよ」
 魔王がグラスを少し揺らすと、氷がからからと音をたてて回る。
 魔王はこくんと、グラスを煽った。
「確かに。
 謙虚なのは美徳じゃが、あれは少々度が過ぎておる気がするのぉー…」
「…やっぱり、何かあったのかな」
「何か、とは?」
「想像もつかないけれど…あれだけ人徳にも才能にも恵まれた人が傲慢にならないどころか…なんだろう、危ういぐらいに奉仕の精神が強いっていうのは、やっぱり何かあったのかなって…」
「…うむ、まぁ、そう考えるのが妥当じゃの」
「…何か、出来ないかな。
 少しだけでも、ちょっとでも良いから、エキナ姫が自信を取り戻せる様な…メイド長、どうしたの?」
「いや、ほんにお主も変わったのぉと思って」
「そう?」
「うむ。
 前のお主なら、そんな事を堂々と言う事は無いと思っての」
「…そう、かな…?」
「うむうむ」
 魔王はグラスをからからと音をたて、ゆらゆらと揺れるグラスの中を見つめる。
「…うん。そうだね。
 僕はきっと…エキナ姫が来てから、少し変わった様な気がする」
 ややあって、グラスから目を離す事無く、魔王は呟いた。
「エキナ姫を見てるとね、すっごく元気を貰えるんだ。
 明るくて、優しくて、温かくて…まるで太陽みたいで。
 …だから。
 だから僕は、エキナ姫の力になりたいんだ。
 …エキナ姫と色々話す様になってから、そんな事ばかり考えてる。
 エキナ姫が困っているなら助けたい。
 エキナ姫が悲しんでいるなら慰めたい。
 エキナ姫が苦しんでいるなら側にいたい。
 …こんな僕じゃ、たいした事は出来ないだろうけど…。
 でも、たとえそうだとしても…何もしないままでいるって考えたら、胸の辺りがぎゅってなって…何か出来るって思ったら、胸の辺りがほんわかしてくるんだ」
「エキナに惚れたか」
 ヒルガオの言葉の刹那、お酒が気管に入ったのか、魔王は盛大に噎せた。
 それをにやにやと見つつ、ヒルガオは瓶からグラスにお酒を注ぐ。
「なっ、なっ、めっ、メイド長っ!?
 なっ、何を言ってるのっ!?」
「そんなに動揺せんでも良いじゃろ。
 今の言葉と常日頃の言動を見ていればすぐに分かる事じゃ」
「分かっていたとしても言わないで欲しかった…!」
「照れる事は無いじゃろう。
 それに儂は嬉しいんじゃぞ?
 幼少の頃から面倒を見てきたお主が誰かを好きになり、その相手がエキナだという事がな」
「もう、メイド長ったら…」
 お酒をグラスに注ぐ魔王は、顔色こそ変わらないが、耳だけは夕日の様に真っ赤になっている。
「儂はお似合いだと思うぞ?
 性格の相性も申し分無いじゃろうし、王と姫なら充分な組み合わせじゃろうて」
「魔物の王と人間のお姫様、っていうのを忘れてるよ、メイド長。
 …魔王の僕と、人間のエキナ姫は、どこをどう取り繕ったって、一緒になんかなれない。
 …それに、エキナ姫が僕を好きだなんて、そんな事、絶対にあり得ないよ…」
「そんな事は無いと思うがの…」
 ヒルガオの声に、魔王は答える事無く。
 グラスを持ったまま、椅子の背もたれに寄り掛かり、天井を見上げた。
「お主とエキナか…なんというか、生まれて来る子供はのほほんとしているという事は確実に言えるのぉ…」
「僕とエキナ姫の子供…」
「…きっとかわゆいんじゃろうなぁ…」
「…うん。
 …例え、どんな見た目でも、
 例え、どんなハンデがあっても、
 僕は生まれて来た子供を、絶対に幸せにしたいって想う。
 …そんな気がするんだ」
「…そうか」
 ヒルガオの声に続くのは、ヒルガオがグラスにお酒を注ぐトクトクという音と、魔王が持つグラスの中の氷が溶ける、カランという音だけ。
「……ねぇ、メイドちょ」
「何故貴様はエキナを誘拐したんじゃ?」
 魔王がヒルガオに話すより前に、ヒルガオが魔王に問い掛ける。
 魔王は、ヒルガオを見た。
 椅子に座り、グラスを持ち、
 …ヒルガオは、魔王を睨んでいた。
 恐ろしい目付きだ。
 今まで、誰にも見せた事の無いであろう目。
 …目の前の魔王を、武器さえあれば即座に真っ二つにしそうな程に、殺意で満たされた目。
「人間界と魔界の友好の懸け橋とする為にエキナを誘拐した訳ではなかろう?
 さりとて愛玩動物として飼い殺す訳でも無さそうじゃ。
 …何故?
 貴様は、何故エキナを誘拐した?」
「…………それは…………」
「よぅく考えて発言せよ。言葉を選べ。
 もし滅多な理由で…下らなく下衆な理由でエキナを誘拐したのならば、
 …たとえこの身が、存在が…儂の全てが世界から抹消されようとも、
 貴様だけは、確実に殺す」
 本気だ。
 エキナ姫の為ならば、死ぬ事すら厭わない覚悟を携えた目だ。
 …だから、魔王は、
「…僕の、目的の為に。
 攫う事を提案した相手と、僕の目的が一致したから。
 …だから僕は、エキナ姫を誘拐したんだ。
 僕の…僕の目的の為だけに」
 それだけを告げる。
 それしか言えなかったから。
 からから。からから。
 魔王の持つグラスから、音がする。
 それ以外に、声も音も無い。
 長い、長い沈黙。
「…………まぁ、お主が下手な下心で人間を攫うとは思えんからの」
 …しかし、その沈黙に、その言葉に、何かを察したのか。
 ヒルガオは放っていた殺意を収め、冗談めかす様に、そう言った。
「…さっきエキナ姫に、側にいても良いのかって聞かれたんだ」
「…ほう」
「僕の前で跪いて、頭を垂れて。
 …まるで、神様に許しを請うみたいに」
「側にいても良いのか、か。
 …それ、むしろ我々魔界の全ての民が土下座してエキナに言うべき言葉じゃのー」
「…うん。
 僕はエキナ姫に、そんな言葉を言わせてしまったんだ。
 …本当はそんな言葉を、エキナ姫に言って欲しくなかった。
 それこそエキナ姫には、この魔王城を我が物顔で、堂々と闊歩して欲しかったんだ。
 魔物達に命令したって良い、この城にあるあらゆる物を好きに使ったって良い。
 …そんな事をしたとしても、エキナ姫を責める魔物なんて、誰もいないんだから」
 魔王の言葉は、そこで止まった。
 ヒルガオは察し、魔王のグラスにお酒を注ぐ。
 それを飲み干して、魔王は天井を見上げた。
「……僕はね?メイド長、エキナ姫が怖かった。
 あんなにも…あんなにも姿、立ち振る舞い、そして何よりその心が美しい人間になんて…今まで一度も、会った事が無かったから」
 魔王も、エキナ姫と同じだった。
 …魔王は、エキナ姫を恐れていたのだ。
 どんな魔物に対しても敬意を忘れず、真摯に、明るく、優しく接し、
 どんな事であっても…魔物という、人間にとっては敵意を向けて当然の存在から頼まれた事であっても誠実に取り組み、誰も彼もが心を許す、エキナ姫が。
 おそらく、この魔王城全ての魔物は、エキナ姫の為ならばどんな無理難題をも攻略しようとするだろう。
 そして、エキナ姫のありがとうの言葉を聞く為ならば、己の命すら喜んで差し出すだろう。
 今の、ヒルガオの様に。
 …そんな人の側に…頼りなくて、魔王としては到底未熟な魔王が、いて良いのだろうか。
 ずっと…ずっと、怖かった。
 エキナ姫と話す時、
 エキナ姫と一緒にお茶を飲む時、
 エキナが自分に微笑み掛ける時、
 エキナ姫と過ごす、全ての時、
 魔王は、ずっとずっと、ずーっと、恐怖していたのだ。
 自らの未熟さが、幼稚さが、いつか聖母の如きエキナに、暴かれてしまうのが。
 …それを知ったエキナが、自らの元を去ってしまうのが。
「……ねぇ、メイド長」
「…なんじゃ?」
「……僕は、エキナ姫の隣にいても良いと思う?
 こんな…こんな僕が、エキナ姫の側に…いても…良い、のかな…?」
「…エキナ姫は、そんな主の側にいても良いのかと問うたのじゃろう?」
 魔王はメイド長を見る。
 メイド長はぐいっとグラスを煽り、ふっと口元を緩めた。
「主がいかなる目的でエキナを誘拐したかは分からんし、正直見当も察しも付かん。
 しかし魔王よ、それでもエキナは主の側にいたいと願ったのじゃろう?
 主がそんな体たらくでは、主に跪き、頭を垂れ…まるで神様に許しを請う様に、側にいて良いのかと問うたエキナがあまりにも哀れじゃ。
 胸を張れ。
 我等が愛しのエキナケア・ルクスカリバーが、側にいたいと希う、
 我等が最愛の、魔界の王よ」
 くくくと笑い、グラスを煽るヒルガオ。
 …魔王からの返事は無い。
 不審に思い、エキナは魔王を見る。
「…………って寝とるんかーーーーいっ!」
 魔王は机に突っ伏し、いびきをかいて眠っていた。
「ったく!眠るなら眠ると言えたわけっ!
 あああああ…儂もしかして良い事言った?とちょっとどや顔してしまったわい…!」
 ぐちぐちと文句を言いながら、魔王の背に毛布を掛けるヒルガオ。
 その顔に、にっこりと笑みを浮かべていて。
 優しい。
 とても優しい、笑み。
 まるで、母が子を想う様な、
 そんな、笑み。
「…魔王様、王妃様。
 貴方のご子息は、立派に育っていますよ」
 呟く。
「…もしかしたら。
 もしかしたら魔王様なら…いいえ、魔王様と、エキナケア様なら。
 …貴方が成そうとして、それでも成せなかった偉業を、成す事が出来るかもしれません。
 …人間界と魔界の架け橋を作り、人間と魔物が生んだ災厄を打ち滅ぼし、
 人と魔物が共に笑い合えるそんな日を…そんな夢みたいな日が訪れる日を、あの二人なら…。
 …いいえ。
 必ず、出来ます。
 二人なら。
 …魔王様と、エキナケア様なら、必ず」
 ヒルガオは、魔王の背を撫で、
「…一つ、一夜の、祈り歌。
 二つ、震え、怯える君へ」
 歌う。
 それは、魔界で長きに渡って口伝され続けた、数え歌にして、子守歌。
「三つ、見果てぬ未来の為に、
 四つ、縁(よすが)の魔法を掛けよう」
 歌う。
 母がお腹の中にいる子に、生涯の幸せを願う歌。
「五つ、いつか、いつか貴方が、
 六つ、無魘(むえん)に、泣くのなら」
 歌う。
 ポン、ポンと、魔王の背を、優しく叩き。
「七つ、涙をそっとぬぐおう。
 八つ、やがて、目を覚ますまで。
 九つ、この世の闇よ、光よ。
 どうか、この子に、久遠の幸を」
 魔王様、エキナケア様。
 願わくば、どうか、幸せであれ。
 久遠に。永久に。
 幸せで、あっておくれ。
 そう、願いながら。
「……父さん……母さん……」
 魔王は、ポツリと、
 小さく、そう、呟いた。


第二話「魔王のお城の大掃除をしましょう!」…CLEARED!
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