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二、
しおりを挟むファッション誌の撮影現場。
何年ぶりだろう、と由莉はなつかしいような気持ちでスタジオ内を見渡した。
まばゆいほどのライトに照らされ、レフ板の反射を受け、それでもしっかり目をあけて表情を決め、ポーズを取っていく。主役はあくまでも服やスタイリングであって、モデルに求められる役割はそれらをいかに素敵に見せるかだ。
由莉の身長は一六五センチで、ショーモデル向きではなかったため、現役の頃はこういうファッション誌の仕事ばかりだった。
「おはようございます」
由莉を見つけて飛んできたモデル事務所のマネージャーは、かつての顔見知りだった。
「山口さん、おはようございます。お久しぶりです」
「ほんと久しぶり! でも変わってないわね、由莉ちゃん」
山口明彦はいわゆるオネエで、ここ数年はショーンの専属マネージャーとして海外を飛び回っていたらしい。カオルによると、山口は五か国語をあやつる語学とコミュニケーションの天才だという。
「私、もうアラサーですよ」
「アタシなんかアラフォーよ」
「そうなんですか? 山口さん、最初に会ったころと同じ感じなのに」
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
山口は如才なく談笑しながら由莉をショーンのところへ案内した。
「由莉さん」
待機用チェアに座っていたショーンは、二人の姿を見ると立ち上がって迎えた。
「ご無沙汰してます」
「お久しぶり、ショーン」
もう二十三歳だと聞いていたが、顔を見れば少年のころの面影が残っている。
見上げるほどの長身に長い手足、細い首、オリーブ色の瞳。国籍も人種も不明瞭な外見のショーンは、モデルになるために生まれてきたような完璧なスタイルをしている。海外で経験を積んだせいか、以前より存在感が増していて、オーラのような特別な輝きを感じさせた。
「四年ぶりかな? すっかり大人になったね。貫禄があってびっくりした」
由莉がそう褒めると、ショーンは照れたように目をそらし口ごもった。
「こういうとこは変わらないでしょ?」
山口が冗談めかして言う。
「ですね、ちょっと安心したかも」
由莉が微笑みかけると、ショーンもはにかんだ笑みを浮かべて視線を戻す。緊張している様子だ。こんな外見で、モデルなんて派手な仕事をしているくせに、彼は内向的な性格でひどい人見知りだった。
「ショーンのことは昔から知ってるし、チャラ男に変貌したりするわけないってわかってるけどね」
緊張をほどいてやりたくて、由莉は昔と同じように親しみをこめた態度で接した。
「由莉ちゃんはショーンの面倒、よくみてくれたものね」
「面倒みたなんて言えるほど大したことしてないけど」
「他の誰も、由莉ちゃんほど根気よくこの子の相手してくれなかったわよ」
「そうだっけ? ショーン、天使みたいに可愛かったから、現場とか事務所で会うの楽しみだったんだよね」
ショーンのモデルデビューは八歳の時だ。
外見が並外れて美しかったため、まわりは皆ちやほやしたが、人見知りな彼は挨拶すらまともにできなかった。保護者らしき付き添いはなく、子育て経験のあるマネージャーを付けられ、社長にも目をかけられていたにも関わらず、ショーンの人見知りはひどくなる一方だった。
五歳年上の由莉はそのころ中学生で、子役から続けてきた芸能界での仕事が楽しくなってきたころだった。
彼女をデビューさせたのは母親で、熱心に付き添っているうちに逸脱した行為に及びはじめ、由莉が九歳の時、出入り禁止のようなことになった後、父親とも離婚して家を出てしまった。それまで母親に褒められたくてやっていたこともあり、辞めようとしたのだが事務所がサポートするからと強く引き留められた。
父親はなぜ親権を取ったのか不思議に思うほど由莉の芸能活動に関心がなく、続けることに反対はしなかったものの、協力は一切しないと言った。ほどなく再婚して、継母は悪い人ではなかったが、由莉はうち解けることが出来なかった。それで仕事が逃げ場のようになり、結果的に帰宅する暇もないほど多忙な売れっ子モデルになった。
そういう境遇のせいか、いつも心細そうなショーンを他人事と放っておけなくて、由莉はよく声をかけ何かと世話を焼いた。戸惑う彼のペースに合わせてやり取りするうち、次第に仲良くなって、姉弟のように支え合って十年あまり同じ世界で仕事してきた。
「今日から密着取材させてもらうから、よろしくね」
由莉が差し出した右手を、ショーンは遠慮がちにそっと握る。薄い手のひらに長い指のついた手は、彼の体に流れる欧米人の血を感じさせる大きさだった。
「ほんと、大人になったね」
握ったその手を目の高さに上げてしみじみ見つめる由莉に、ショーンはくすっと笑みをもらした。
「そんなこと言われると思わなかった。俺、もうとっくに成人してるのに」
「だって、どうしても昔のイメージ強くて、ショーンって聞いてパッと浮かぶのは十歳ぐらいの姿なんだもの」
「そんなこと言ったら俺だって、由莉さんっていうとティーンモデルの頃のイメージ浮かびますよ」
「ほんと? じゃ、もしかして大人どころかオバサンになったなって思った?」
「そんなわけないでしょ」
ショーンは穏やかな表情で首をふり、由莉を真っ直ぐな目で見た。
「あいかわらず綺麗だなって思いました」
「ショーンもそんなうまいこと言えるようになったんだね」
「お世辞じゃないよ」
吸いこまれそうな瞳の色にドキッとしながら、由莉は目を細めて笑顔を作った。
「ありがとう」
カオルに持ち掛けられた話は、編集者も「取材嫌いで知られるショーンの密着ドキュメントなんて超貴重!」と乗り気で、企画はとんとん拍子で進んだ。少なくとも三ヶ月は取材する予定で、その間ショーンはモデルの仕事をしながら、俳優になるための勉強をするということだ。
昔の彼を知っているだけに、俳優転向なんて出来るのだろうかと案じていたが、こうして本人に会ってみたら意外としっかり大人になっていて、由莉はこれなら大丈夫そうだと感じた。
「そろそろスタンバイして」
山口が声をかけると、ショーンは由莉に一礼して仕事に戻っていった。
単体でカメラマンの前に立ったショーンは、次々にポーズを決める。求められるイメージ通りの表情を作り、スタイリストの用意した服を着替えるたび雰囲気まで変えていく。モデルなら出来て当たり前のことだが、ショーンは表面上だけでなく、本当にそういうキャラクターであるかのように見えるレベルで、身にまとう空気を切り替えていく。
「さすが、海外で活躍していただけあるね」
由莉は思わず山口に小声で話しかけた。
「ああ、由莉ちゃんは知らないものね」
「何を?」
「成人したころからショーンはこんな感じよ。仕事モードでは素の自分を見せなくなったの。だからアタシたちも自信持って海外の一流ブランドに売り込めたのよ」
「そうなんだ。たしかに見た目だけじゃショーモデルなんて務まらないもんね」
ショーンは長期にわたる専属契約こそ結ばなかったが、一流ブランドのコレクションに何度も起用されて、それなりの評価を得ていた。けっして日本人デザイナーのブランドばかりではない。
「本人にその気があれば専属の話も受けたんだけどねえ……いつも日本に帰りたがってたから」
「そんな話あったの?」
「悪いけどパリ、ミラノ、ニューヨークと飛び回ってコンスタントにショーに出てたのよ? そんな声もかからないようじゃしょうがないでしょ。FとかCなんか、わりと熱心だったわ。Gあたりは打診程度だったけど、ショーンに野心があれば十分いけると思うのよね」
山口は残念そうな口ぶりだった。
一流ブランドの専属モデルともなれば契約料は高額で、世界的な知名度もアップする。だが、色々と制約に縛られることもあり、広告塔として果たすべき義務は多い。それなりのコミュニケーション能力も求められる。
「もったいないけど……無理に契約させたら病んじゃいそう」
「そうなのよ。あの才能にしてあの性格、ほんと惜しいと思わない?」
由莉がうなずくと、山口はため息をついて言った。
「由莉ちゃんと高宮奏みたいに、献身的に支えてくれる彼女でもいれば、もっと頑張れたのにね」
「え、いるんじゃないの?」
ショーンには一般人の恋人がいると言われていた。表には出さないが、その恋人一筋ということで、どんな美女に言い寄られてもなびかないという噂だ。
「いないわよ。そういう設定なだけ。女避けよ」
山口は口元を隠してささやいた。
「……噂の彼女と結婚して落ち着きたいから帰国したのかと思った」
「ほんとにいたら、帰国なんか逆にさせないわ」
山口は肩をすくめる。
「ね、由莉ちゃん、密着取材ってことだけど、アタシね、由莉ちゃんに期待してるのよ」
「……?」
「ショーンが俳優としてモノになるかどうか、しっかり見てて欲しいの。それで、もし気になることがあれば遠慮なく言ってもらいたい」
「そんな口出しなんか……お芝居のことは何もわからないし」
由莉は戸惑った。現役のころ少しだけドラマなどに出たことはあるが、演技についての知識は素人レベルでしかない。
「わからない時は黙って見てるだけでいいのよ。何か気がつくことあれば、その時は言ってねってこと」
山口は彼女の肩をぽんと軽く叩いた。
「由莉ちゃんは唯一、ショーンがまともに会話できる異性なんだから。あなたの言うことなら、どんなに厳しくても聞くと思うわ」
ショーンに言える何かなどなさそうだが、ムキになって断ることでもないかと思い直し、苦笑しながら由莉はうなずいた。
「わかりました」
「良かった!」
山口はフフっと笑みをもらす。
「芝居経験なくても高宮奏と暮らしてるんだから、見て知ってることは多いと思うのよ。今はピンと来ないかもしれないけど」
由莉は曖昧に首をかしげ、撮影中のショーンに目をやった。
これからしばらく付きっきりで過ごすことを、少し気が重いなと思いはじめていた。由莉は彼に恋人がいると聞いていたから、この取材を決めたのだ。もし、そういう存在がいないと知っていたら、カオルの頼みとはいえ断っていたかもしれない。
「由莉が引退するなら俺もやめる!」
結婚が決まった四年前、ショーンに泣きながら言われたことを、由莉は忘れていなかった。
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