上 下
2 / 10

2天龍のご主人

しおりを挟む
 午後二時頃、風月庵の引き戸がカラカラと音をたてて開いた。
 かみは五部がりで、あごのごつい男が入ってきた。こん色の作務衣を着ていたが、下はジーパンをはいていた。
「いらっしゃい」と、父の道春は笑顔でむかえた。男はカウンターを前にした椅子の一つにドカリと腰をおろした。
「なんにします?」と、父は聞いた。
「そうだな。まず冷たいやつ、モリを一つもらおうかな。その後にカケを一つもらうよ」
「わかりました。お待ちください」
「こんな注文をして、おかしいとは思わないのかね?」
 男がそう言うと、父は笑いながら答えていた。
「天龍のご主人、田中忠行さんですよね」
「なに、俺のことを知っているのか?」
 父に名前まで言われた男は目をまるくして、父の顔をみつめていた。
「知っていますよ。ラーメン横丁で店を持っておられた頃に、私もよく食べにいっていましたから」
「何、あんた、客だったのか」
 そう言った男、忠行の顔がやわらいでいた。
「もっと早くここにきたかったんだが、いろいろと用事ができてしまってね。それに俺が作ったスープを息子どもに届けてからでないと、ここには、これないからね」
「たしか、天龍さんは北銀座通り店と手米店の二店持っておられる」
「ほうバレバレだね。それぞれ息子どもがやらせているよ」
「そうですか。おいそがしいのに、わざわざ、私の店の様子を見にきていただいたわけですか?」
「そんなところだよ」
 忠行と話をしながらも、父の手は遊んでいない。ソバをゆであげると、ソバを水で洗いぬめりをとり、氷水で冷やしていた。それをセイロウにのせ、忠行の前に出していた。忠行は割りバシを袋から出すと、パシッと音を立ててわった。そのハシを手にすると、まず何もつけずにソバだけをすすりこんだ。次にソバチョコの中のツユにソバをつけると、そのソバも一気にすすりこんでいた。そして、見る間にセイロウの上からソバが消えていった。
「ソバはいいよ。腰のある打ち方をしている。だが、ツユはまだ甘すぎるな。もう少し甘辛い味にしたほうがいい。なんせ、北の方は辛口の人が多いからね」
「いいアドバイスをいただき、ありがとうございます。多いに参考にさせてもらいます」
 父は笑いながら、すでに作り終えていたカケを出した。
 父の作ったカケは、ネギ以外なんの具も入っていない物だった。忠行は、今度は少しゆっくりとソバを食べていた。メンを食べきると、次にツユを飲み出し、きれいにツユも飲みほしていた。
「まず、ネギがいいね。まるで糸のように細く切りさいて、のせている。これが、歯に心地よくあたる」
「そうですか。ご主人に、そう言っていただけると工夫をしたかいがありました」
「それに、今度は、ツユの甘さが熱さにあっているね。冷たいソバのツユと違うのを使っていると見たがどうかね」
「その工夫にも気づいていただきましたか。実は、二種類のツユを作り、それを合わせているんですよ」
「そうか、やはり、そうなのか。あわせたツユの一つには鳥ガラを使っているのじゃないのかな。かしわソバでもないのに、かすかに油がある」
 忠行は腕を組んでうなずき、父は笑っていた。
「合わせるという手法は、ご主人が作っていたラーメンを食べた時に思いついた物なんですよ」
「やっぱり、そうか」
 忠行の目が、倍の大きさになったように父をみつめた。それから、忠行は先生のような話し方に変わっていた。
「ラーメンのスープは、今ではいろいろな作り方がある。エビ味にしたり、スパゲッテイのようなトマト味をベースにしたものまで、出てきている。しかし、日本人の体の中には、カツオブシを主にした魚をベースにした味になじんでいる。それなのに、鳥、豚、牛肉などの動物系スープの味をも望んでいるんだね。だから、二種類のスープを作って合わせてやる。俺のスープは、そんな考えをベースにしているんだよ。もちろん、秘密のかくし味もいろいろと入っているけどね」
 話し続ける忠行に父は笑いかけていた。
「誰もが、もう一度飲みたくなる。天龍のスープは魔法のスープかもしれませんね」
「そう魔法のスープだからね。誰にも教えねえよう」
「じゃ、天龍のスープは、コーラの原液のように、数人しか知らない秘密ですね」
「いいや、今知っているのは俺だけなんだぜ。まだ息子どもにも教えるわけにはいかない」
 父は何かを言わなければと思ったのだが、言葉が見つからずに、少し困った顔をしていた。 
「大将、俺の夢は、将来、天龍のチエーン店が全国に支店を持てるようにすることさ。今は、その足がかり。まずは末っ子にも店を持たせて、ちゃんと商売ができるようにしなければならない」と言って、忠行は右手で頭をかいていた。
 いつの間にか、忠行は父のことを大将と呼んでいた。それは、忠行が父を同業者として、良い物を作っている店主として認めたからだった。
 しゃべりすぎたと思ったのか、忠行はそばにおかれていたコップから一気に水をのどに流し込むと、立ち上がっていた。
「ごっあん」
 カラカラと引き戸に良い音を立てさせて、忠行は出ていった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

お隣の犯罪

原口源太郎
ライト文芸
マンションの隣の部屋から言い争うような声が聞こえてきた。お隣は仲のいい夫婦のようだったが・・・ やがて言い争いはドスンドスンという音に代わり、すぐに静かになった。お隣で一体何があったのだろう。

金サン!

桃青
ライト文芸
 占い師サエの仕事の相棒、美猫の金サンが、ある日突然人間の姿になりました。人間の姿の猫である金サンによって引き起こされる、ささやかな騒動と、サエの占いを巡る真理探究の話でもあります。ライトな明るさのある話を目指しました。

コント:通信販売

藍染 迅
ライト文芸
ステイホームあるある? 届いてみたら、思ってたのと違う。そんな時、あなたならどうする? 通販オペレーターとお客さんとの不毛な会話。 非日常的な日常をお楽しみください。

他人事とは思えない

きのたまご
ライト文芸
友達と地元のお祭りにやってきた女子中学生の月島。しかし夜店通りの人混みではぐれてしまい、独りになる。そんな時、クラスの気になる男子の緑川君と出会い、二人で行動する事に。はぐれた友達を探す最中、マナーの悪い誰かが残したゴミを見つけた彼が変なことを言い出す。

小さなパン屋の恋物語

あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。 毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。 一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。 いつもの日常。 いつものルーチンワーク。 ◆小さなパン屋minamiのオーナー◆ 南部琴葉(ナンブコトハ) 25 早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。 自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。 この先もずっと仕事人間なんだろう。 別にそれで構わない。 そんな風に思っていた。 ◆早瀬設計事務所 副社長◆ 早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27 二人の出会いはたったひとつのパンだった。 ********** 作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

バンドRINGERを巡る話①警鐘を鳴らす声

江戸川ばた散歩
ライト文芸
「クロール」「わらう雨」と同じ世界の話。 とある朝、バンド「RINGER」のリーダーでギタリストのケンショーはヴォーカルの「Kちゃん」に逃げられる。 凹んでいた彼の前に高校生バンドのヴォーカル、カナイ君が現れる。 元々ケンショーのファンだった彼。バンドに新たな風は吹くか? と…

処理中です...