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2クリスマスイブ
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その夜遅く、携帯が鳴り、忠之から電話が入った。
十二月二十四日にクリスマスイブのお祝いをしたいと言うのだ。すぐに、理江は申し出を受けた。場所はスターロイヤル。フランス料理の店で高級レストランだ。今まで一回も行ったことはなかったが、理江でも知っている高級な店だった。
今度こそ、指輪がもらえる。理江は待ち望んでいた。だから、その日は、めいっぱいオシャレをした。白いドレスに真っ赤なバラの胸飾りをつけ、それらを隠すようにグレーのコートを着ていった。理江の方が先にレストランに入り、案内をされて、窓際のテーブルにすわることになった。
忠之は予定時間を五分ほど遅れてやってきた。忠之もきちんと正装をしてきた。でも硬すぎる。上下に黒い服をきていたのだ。忠之がすわると、すぐにウエイターがやってきた。
「まず、乾杯をしよう」と忠之が言った。透明なワイングラスに黄金色に輝く白ワインがそそがれ、二人はグラスに口を付けた。それを契機に次から次へといろんな料理が運ばれてくる。忠之はいろんな話をしてくれる。でも、結婚については一言もしてくれない。
「結婚の話をしないの?」
待ちきれなくなった理江は話を切り出した。忠之は口を閉じた。そして、両手をさげたのだ。理江は、今度こそ、指輪を出してくれると思った。だが、そうではなかった。テーブルの上に再び出された手には何もなかったのだ。
「理江、もう言っておかなければならないことがあるんだ」
「何よ?」
「ごめん。ぼくは出世したいんだ」
理江は黙って聞くしかない。
「出世できるチャンスが廻ってきた」
「どういうことよ」
「社長の娘さんと十日前に合わせられたんだ。見合いじゃないが、娘さんがぼくを前から気にいっていたらしいんだ」
「私たちと関係ない話だわ」
「いや、そうじゃない。ぼくが彼女と結婚をしたら、時期の課長になることは間違いない。将来は社長になることもできるかもしれない」
理江は何も言えなかった。確かに、彼女には忠之が望んでいる出世をさせてあげる力はない。
「私とは結婚できないというのね」
理江がそう言うと、忠之は大きく頭を下げて見せた。こんな場面に自分が弱い所なんて見せたくはない。そう思っていたのに、理江の両目から涙があふれて止まらなかった。
「先に出てもいいかしら?」
顔をあげていた忠之は、黙って理江を見つめてきた。このまま息苦しい時の中にいたくない。理江は立ち上がり、クルリと回るとこのレストランから飛び出していった。
頭の中は真っ白になり何も考えられなくなって、理江はただ歩き続けた。一時間も歩いただろうか。体が冷えきり、身震いをした。今どこを歩いているのか、気になり出した。どうやら、スターロイヤルのある所から西に歩いてきたようだ。
いつの間にか理江は小公園に入っていた。明かりが見え出し、理江が近づくと、そこは屋台だった。長い間、歩いたせいか、空腹を感じ出していた。スターロイヤルでフランス料理のフルコースを食べたはずだったが、運ばれてきた料理は皿の上に少しずつで、上品すぎた。やはり、それなりの量のある物を腹に入れないと食べた気はしない。
目じりをさわると、もうぬれてはいない。理江は屋台に近づいていった。
「いらっしゃい」
頭に白い手拭いをまいた店主が声をかけてくれた。引き寄せられるように置いてある長椅子に理江は腰をおろした。
「何にしますか?」
「体が温まる物がいいわ」
「じゃ、ラーメンはどうです」
「他には何ができるの?」
「餃子やチヤーハンもできますよ」
「ラーメンでいいわ。醤油」
店主はまず醤油のタレを入れたどんぶりにスープを入れる。次に手際よくメンをゆで、湯切りしてスープの中にそれを入れる。できあがったラーメンを理江の前に置いてくれた。どんぶりを両手で持つと理江はまずスープをすすった。温かいスープは冷えた体にしみて行くようであった。麺をかむと歯ごたえが心地よかった。
「体から寒さがぬけたみたい」
理江はいつの間にか笑みを浮かべていた。温かい食べ物が寒くなっていた心まで温めてくれていたのだ。
やがて、恰幅のいい一人の男が現れた。オーダーメイドの高級な服を着ている。公園の端に停めた車から降りてきたのだ。停められた車の運転席にはお抱え運転手がのっていた。
男は「すいません。相席させてくださいね」と言って、縮こまるように理江の隣にすわった。見かけに会わないほど下でな言い方をしていた。店主はニヤニヤしながら、何も言っていないのに、餃子を焼くと恰幅のいい男の前に出していた。すぐに男は食べ出した。
「常連さんなんですね」と理江は店主を見あげた。
「たまに、顔を見せに来てくれるんですよ」
「いろいろ世話になった人だからね」と、顔をあげた男は真顔になっていた。
「世話になった?」
「この人、昔は刑事だったんだよ」
恰幅のいい男は店主の方に顔をあげて笑った。
「お嬢さんに聞かせる話じゃないよ」と、店主は不機嫌になる。
「いえ、聞かせてください」理江は今をのりこえる手掛かりが欲しかった。なぜか、そんな話が聞けそうな気がしたのだ。
「昔、人を殺しそうになったんだが、この人の御蔭で人殺しにならずにすんだ」
「争いの場にかけつけることができた。そこで、やめるんだと怒鳴った。それを聞き入れてくれたからだよ」と言って、店主は夜空を見上げていた。
「殺人未遂と、殺人罪では、雲泥の差がある。旦那のおかげで、三年で刑務所を出ることができた」
「今のあんたがあるのは、刑務所から出た後のあんたの精進のたまものだよ」
「たしかに、分岐点はある。刑務所から出てすぐに働く場を紹介してくれたのは旦那だ」
「わたしの分岐点は、定年前に上司とぶつかったことだな。ぶつかって刑事をやめて、屋台を引くようになった」と、店主は顎をなでていた。
「でも、その上司も旦那の後を追うようにやめていった。暴力団との癒着がばれちまいましたからね」
「ともかく、右にするのか、左にするのか、最終的に決めるのは自分だからね」
そう言って店主は笑っていた。もしかしたら、二人に理江が悩んでいることを見抜かれていたのかもしれない。
十二月二十四日にクリスマスイブのお祝いをしたいと言うのだ。すぐに、理江は申し出を受けた。場所はスターロイヤル。フランス料理の店で高級レストランだ。今まで一回も行ったことはなかったが、理江でも知っている高級な店だった。
今度こそ、指輪がもらえる。理江は待ち望んでいた。だから、その日は、めいっぱいオシャレをした。白いドレスに真っ赤なバラの胸飾りをつけ、それらを隠すようにグレーのコートを着ていった。理江の方が先にレストランに入り、案内をされて、窓際のテーブルにすわることになった。
忠之は予定時間を五分ほど遅れてやってきた。忠之もきちんと正装をしてきた。でも硬すぎる。上下に黒い服をきていたのだ。忠之がすわると、すぐにウエイターがやってきた。
「まず、乾杯をしよう」と忠之が言った。透明なワイングラスに黄金色に輝く白ワインがそそがれ、二人はグラスに口を付けた。それを契機に次から次へといろんな料理が運ばれてくる。忠之はいろんな話をしてくれる。でも、結婚については一言もしてくれない。
「結婚の話をしないの?」
待ちきれなくなった理江は話を切り出した。忠之は口を閉じた。そして、両手をさげたのだ。理江は、今度こそ、指輪を出してくれると思った。だが、そうではなかった。テーブルの上に再び出された手には何もなかったのだ。
「理江、もう言っておかなければならないことがあるんだ」
「何よ?」
「ごめん。ぼくは出世したいんだ」
理江は黙って聞くしかない。
「出世できるチャンスが廻ってきた」
「どういうことよ」
「社長の娘さんと十日前に合わせられたんだ。見合いじゃないが、娘さんがぼくを前から気にいっていたらしいんだ」
「私たちと関係ない話だわ」
「いや、そうじゃない。ぼくが彼女と結婚をしたら、時期の課長になることは間違いない。将来は社長になることもできるかもしれない」
理江は何も言えなかった。確かに、彼女には忠之が望んでいる出世をさせてあげる力はない。
「私とは結婚できないというのね」
理江がそう言うと、忠之は大きく頭を下げて見せた。こんな場面に自分が弱い所なんて見せたくはない。そう思っていたのに、理江の両目から涙があふれて止まらなかった。
「先に出てもいいかしら?」
顔をあげていた忠之は、黙って理江を見つめてきた。このまま息苦しい時の中にいたくない。理江は立ち上がり、クルリと回るとこのレストランから飛び出していった。
頭の中は真っ白になり何も考えられなくなって、理江はただ歩き続けた。一時間も歩いただろうか。体が冷えきり、身震いをした。今どこを歩いているのか、気になり出した。どうやら、スターロイヤルのある所から西に歩いてきたようだ。
いつの間にか理江は小公園に入っていた。明かりが見え出し、理江が近づくと、そこは屋台だった。長い間、歩いたせいか、空腹を感じ出していた。スターロイヤルでフランス料理のフルコースを食べたはずだったが、運ばれてきた料理は皿の上に少しずつで、上品すぎた。やはり、それなりの量のある物を腹に入れないと食べた気はしない。
目じりをさわると、もうぬれてはいない。理江は屋台に近づいていった。
「いらっしゃい」
頭に白い手拭いをまいた店主が声をかけてくれた。引き寄せられるように置いてある長椅子に理江は腰をおろした。
「何にしますか?」
「体が温まる物がいいわ」
「じゃ、ラーメンはどうです」
「他には何ができるの?」
「餃子やチヤーハンもできますよ」
「ラーメンでいいわ。醤油」
店主はまず醤油のタレを入れたどんぶりにスープを入れる。次に手際よくメンをゆで、湯切りしてスープの中にそれを入れる。できあがったラーメンを理江の前に置いてくれた。どんぶりを両手で持つと理江はまずスープをすすった。温かいスープは冷えた体にしみて行くようであった。麺をかむと歯ごたえが心地よかった。
「体から寒さがぬけたみたい」
理江はいつの間にか笑みを浮かべていた。温かい食べ物が寒くなっていた心まで温めてくれていたのだ。
やがて、恰幅のいい一人の男が現れた。オーダーメイドの高級な服を着ている。公園の端に停めた車から降りてきたのだ。停められた車の運転席にはお抱え運転手がのっていた。
男は「すいません。相席させてくださいね」と言って、縮こまるように理江の隣にすわった。見かけに会わないほど下でな言い方をしていた。店主はニヤニヤしながら、何も言っていないのに、餃子を焼くと恰幅のいい男の前に出していた。すぐに男は食べ出した。
「常連さんなんですね」と理江は店主を見あげた。
「たまに、顔を見せに来てくれるんですよ」
「いろいろ世話になった人だからね」と、顔をあげた男は真顔になっていた。
「世話になった?」
「この人、昔は刑事だったんだよ」
恰幅のいい男は店主の方に顔をあげて笑った。
「お嬢さんに聞かせる話じゃないよ」と、店主は不機嫌になる。
「いえ、聞かせてください」理江は今をのりこえる手掛かりが欲しかった。なぜか、そんな話が聞けそうな気がしたのだ。
「昔、人を殺しそうになったんだが、この人の御蔭で人殺しにならずにすんだ」
「争いの場にかけつけることができた。そこで、やめるんだと怒鳴った。それを聞き入れてくれたからだよ」と言って、店主は夜空を見上げていた。
「殺人未遂と、殺人罪では、雲泥の差がある。旦那のおかげで、三年で刑務所を出ることができた」
「今のあんたがあるのは、刑務所から出た後のあんたの精進のたまものだよ」
「たしかに、分岐点はある。刑務所から出てすぐに働く場を紹介してくれたのは旦那だ」
「わたしの分岐点は、定年前に上司とぶつかったことだな。ぶつかって刑事をやめて、屋台を引くようになった」と、店主は顎をなでていた。
「でも、その上司も旦那の後を追うようにやめていった。暴力団との癒着がばれちまいましたからね」
「ともかく、右にするのか、左にするのか、最終的に決めるのは自分だからね」
そう言って店主は笑っていた。もしかしたら、二人に理江が悩んでいることを見抜かれていたのかもしれない。
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