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最終章
とある皇帝の凱旋行進
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オスマン勝利の日、五月二十九日の午後。
皇帝メフメト二世は、カリシウス門から勝利の入城を果たした。
スルタンはいつもの黒いアラブ馬ではなくローマ皇帝が乗っていたような白馬に跨がり、手には預言者ムハンマドの剣をたずさえる。七万のイスラム戦士の先頭に立って栄光をことほいだ。
「進め、征服者ら! 神をたたえよ! 汝らこそ、コンスタンティノポリスのファーティフ(征服者)なり」
唱えながらゆっくりと、今や自分のものになった街を存分に味わい行進していく。カリシウス門から続く大通りを進み凱旋門をくぐった。街の中心にやって来ると、威圧を放って近づき難い印象さえ漂わせている円蓋ドームを見上げる。
物心ついた頃からずっと憧れを抱き続けてきた、聖ソフィア大聖堂……。その聖域に踏み入る前に、彼は馬から下りてアラーの神に感謝の祈りを捧げる。スルタンは地面に座り込んで、頭を地につけるほど深く下げた。そして土をひと掴み握りしめると、自分のターバンの上から注ぎ、汚(けが)れを清めた。
「慈愛深きアッラーの聖名(みな)において、万有の主、アッラーにこそすべての称讃あれ」
手のひらに残る土の一粒一粒が、さらさらと心地よい感触を握りしめる。――おごり高ぶる皇帝は今、神を崇める謙虚なアラーの僕(しもべ)であることを人びとに知らしめたのだ。この日、聖堂に歩み入ったメフメトは、歴史上聖ソフィアの扉をくぐった最初のイスラム教徒となる。
スルタンの心を洗うように、さまざまな色で織られた一枚の布地のごとく波打つモザイク画に、彼は迎えられる。目を上に移し、遥か高みにある丸天井(キューポラ)の内壁を見上げた。スルタンはそこへ神のごとく駆け登り、ドーム開口部の高所から聖堂を眼下にした。まるで化石のように模様を組み込まれた大理石の床は、スルタンを異なる空間へといざなっていく。彼の目は、宙に光が通り抜けていく筋に吸い寄せられ、そして光の流れにさえも捕らえられ……。
「海の底にいるようだ」
しばらくその安らぎに満ちた世界を満喫していたメフメトは、やがて新たな生命力を得て満足げな表情で下に降りてきた。
「ただ今この時より、このアヤ・ソフィアを、我らのモスクとする」
側近のナディームと大臣(パシャ)たちに、厳かにそう告げた。その言葉の意味するところは、これらの素晴らしいモザイク画が、いずれ漆喰で塗り潰されるということだ。だがメフメトはただ単に偶像崇拝を禁ずるイスラムの宗教的な理由でそう命じただけで、モザイクの芸術的価値は十分に認めていた。ひとりのオスマン兵がモザイク画をナイフで剥がし、持ち出そうとしているのを見咎めると、彼は剣をひらりと抜いた。
「誰が触れてよいと申した!? 他の物は略奪を許したが、この建物は余の物だ」
メフメトに睨みつけられ、兵士は恐ろしさで口がきけなくなった。そして皇帝は全く別人のように、泰然と重臣たちを振り向き、戦争の終結を宣言する。
「千年の都ビュザンティオン、ここに沈めり。今この時より我らの都(イスタンブル)となる」
六十日間に渡る攻城戦は、ここに終わりを遂げた。
メフメトの命令でコンスタンティヌス十一世の遺体の捜索が行われた結果、それが皇帝だとビザンティンの大臣たちが証言する首が発見される。メフメトはその首を聖ソフィア近くの広場の円柱の下に曝(さら)させたが、二週間後に元皇帝にふさわしい葬儀を行って敵の王に礼をつくす。ただし、胴体と繋がっていれば皇帝の位を示す物があったはずだが、この頭部にはコンスタンティヌスの証拠となる物が何も無かった。だから住民の中には「あの首は皇帝陛下のものにはあらず。コンスタンティヌス十一世は大理石の像に姿を変えられた」と信ずる者も多かった。
戦の終わりには武器を持って戦った宰相ノタラスと、エルネストの父であるヴェネツィア大使ミノットは、戦の後の混乱を整理する間は任務を遂行させられた。だが、その後戦犯の責任を問われ、惨殺の刑に処されてしまう。実はメフメトはノタラスの政治能力を認め、彼を自分の部下にして使うことも考えていたのだが、パシャたちの強い反対にあって最終的に処刑させる道を選んだのだった。
大蔵大臣でありコンスタンティヌスの側近だったフランゼスは、質素な服装が幸いして重臣だとは気づかれず、奴隷としてアドリアーノポリスに連れて行かれる。後に自分で自分を買い取って自由の身となった。
あの日、スルタンが聖ソフィア大聖堂に入ってきた時、まだそこにいたアサナシウス総主教とゲオルキオスたちに、メフメトは手荒なことはしなかった。総主教から司教へ、他の僧たちへと黒い法衣に視線を巡らせながら、そういえば緋色の法衣の若者がそこにいないことに、彼は初めて気がついた。
(聖ソフィアを……、この街を手に入れたあまりの喜びに、ローマ教皇の代理者のことをついぞ忘れていた……)
それほどまでにこの勝利の喜びは、彼にとって大切な意味のあることだった。
「汝らに用はない、アヤ・ヨーギ(聖ゲオルキオス聖堂)へ戻るがよい」
正教会の高僧たちには、そう告げただけだ。後刻メフメトは、ソフィア大聖堂がイスラムの高僧には御し難い総本山だと判断を下す。アサナシウスは総主教の座を継続するよう、あのプライドの高いオスマン皇帝から依頼されたのだった。総主教は驚きつつも、聖ソフィアへの忠誠心によりその役目を受けることに抵抗は示さなかった。
ユスティニアーニ将軍はジェノヴァ船に乗ったが、腕の怪我は思ったより重症で、残念ながらギリシャに着く前に出血多量で船上で死亡してしまった。
トレヴィザン将軍については、混乱の中なんとかヴェネツィアに帰還し、後年また海軍提督の仕事に戻ることができた。
コンスタンティノポリスの人びとの運命の定めもさることながら、オスマンのパシャたちの命運も大きく分かれた。とりわけ皆を驚かせた決定がある。
「本日より、ハリルに代わりサガノス・パシャを宰相とする」
父親ムラト二世以来の重臣ハリルは、メフメトの厳たる命(めい)により逮捕、そして処刑という悲惨な運命をたどることになったのだ。蒼ざめる彼に「理由は自覚しているはずだが」とメフメトは冷たく言った。それはハリルが密かに皇帝を裏切り、決定事項を逐一敵の宰相ノタラスに知らせていたからだ。おそらくスルタンは、ハリルの手紙がノタラスの机の中から発見される以前から、裏切りには気づいていたのではないかと思わせるきらいがあった。考えてみればハリルの態度には、納得できない点が前々からいくつもあった。
メフメトが一四歳の時、彼から治世を取り上げ、ムラト二世を呼び戻し、十九歳になって再び皇帝の座を取り戻すまでみじめな地位に追いやった元凶はハリル・パシャなのだ。ハリルはこのコンスタンティノポリス攻略の戦に関しても、スルタンの命令を完全に遂行しながらも、常に計画に反対の意を示していた。決定的な裏付けは、ビザンティンから密かに贈り物を受け取り、メフメトの軍事命令を敵に知らせていたことだ。ノタラス宰相から渡されたハリルの送った手紙を読み上げるスルタンの顔は、驚くほど冷ややかで落ち着いていた。
オスマンの兵士たちは、落城の当初は東ローマ帝国の兵を倒すのに懸命だったが、それは彼らが敵兵の数がもっと多いと信じていたせいだ。殺さなければ殺(や)られる――そう思って自衛していただけなのだった。残された兵士の数が四千に満たないことを認識すると、とたんに殺戮を中止し、捕獲に切り替えられ無意味な流血は避けられた。したがってコンスタンティノポリスの全ての民たち三万五千のうち、殺されたのは約一割の三千五百だけで、捕虜にされた者の数が二万人にものぼった。
あらゆる人間から恐れられていた青年皇帝メフメト二世は、神と民に誓った通り三日後、一切の殺戮と略奪を中止させる。
中立の立場を守ったガラタ地区のジェノヴァ人は、略奪されも殺されもせず、戦争後もそこに住み続けるようメフメトに許可された。実は、同じ処遇を受けたのはガラタの住民だけではない。コンスタンティノポリスのギリシャ人も、三日間の略奪終了後まで殺されも奴隷にもされず隠れていた者たちは、そこに住み続けることを許された。
「新たなる征服者により、コンスタンティノポリスは、たった今からイスタンブルと改名される」
そしてメフメトはこの政治的にも、商業的にも要(かなめ)となる位置にある街を、オスマンの首都とすることに定めたのである。
皇帝メフメト二世は、カリシウス門から勝利の入城を果たした。
スルタンはいつもの黒いアラブ馬ではなくローマ皇帝が乗っていたような白馬に跨がり、手には預言者ムハンマドの剣をたずさえる。七万のイスラム戦士の先頭に立って栄光をことほいだ。
「進め、征服者ら! 神をたたえよ! 汝らこそ、コンスタンティノポリスのファーティフ(征服者)なり」
唱えながらゆっくりと、今や自分のものになった街を存分に味わい行進していく。カリシウス門から続く大通りを進み凱旋門をくぐった。街の中心にやって来ると、威圧を放って近づき難い印象さえ漂わせている円蓋ドームを見上げる。
物心ついた頃からずっと憧れを抱き続けてきた、聖ソフィア大聖堂……。その聖域に踏み入る前に、彼は馬から下りてアラーの神に感謝の祈りを捧げる。スルタンは地面に座り込んで、頭を地につけるほど深く下げた。そして土をひと掴み握りしめると、自分のターバンの上から注ぎ、汚(けが)れを清めた。
「慈愛深きアッラーの聖名(みな)において、万有の主、アッラーにこそすべての称讃あれ」
手のひらに残る土の一粒一粒が、さらさらと心地よい感触を握りしめる。――おごり高ぶる皇帝は今、神を崇める謙虚なアラーの僕(しもべ)であることを人びとに知らしめたのだ。この日、聖堂に歩み入ったメフメトは、歴史上聖ソフィアの扉をくぐった最初のイスラム教徒となる。
スルタンの心を洗うように、さまざまな色で織られた一枚の布地のごとく波打つモザイク画に、彼は迎えられる。目を上に移し、遥か高みにある丸天井(キューポラ)の内壁を見上げた。スルタンはそこへ神のごとく駆け登り、ドーム開口部の高所から聖堂を眼下にした。まるで化石のように模様を組み込まれた大理石の床は、スルタンを異なる空間へといざなっていく。彼の目は、宙に光が通り抜けていく筋に吸い寄せられ、そして光の流れにさえも捕らえられ……。
「海の底にいるようだ」
しばらくその安らぎに満ちた世界を満喫していたメフメトは、やがて新たな生命力を得て満足げな表情で下に降りてきた。
「ただ今この時より、このアヤ・ソフィアを、我らのモスクとする」
側近のナディームと大臣(パシャ)たちに、厳かにそう告げた。その言葉の意味するところは、これらの素晴らしいモザイク画が、いずれ漆喰で塗り潰されるということだ。だがメフメトはただ単に偶像崇拝を禁ずるイスラムの宗教的な理由でそう命じただけで、モザイクの芸術的価値は十分に認めていた。ひとりのオスマン兵がモザイク画をナイフで剥がし、持ち出そうとしているのを見咎めると、彼は剣をひらりと抜いた。
「誰が触れてよいと申した!? 他の物は略奪を許したが、この建物は余の物だ」
メフメトに睨みつけられ、兵士は恐ろしさで口がきけなくなった。そして皇帝は全く別人のように、泰然と重臣たちを振り向き、戦争の終結を宣言する。
「千年の都ビュザンティオン、ここに沈めり。今この時より我らの都(イスタンブル)となる」
六十日間に渡る攻城戦は、ここに終わりを遂げた。
メフメトの命令でコンスタンティヌス十一世の遺体の捜索が行われた結果、それが皇帝だとビザンティンの大臣たちが証言する首が発見される。メフメトはその首を聖ソフィア近くの広場の円柱の下に曝(さら)させたが、二週間後に元皇帝にふさわしい葬儀を行って敵の王に礼をつくす。ただし、胴体と繋がっていれば皇帝の位を示す物があったはずだが、この頭部にはコンスタンティヌスの証拠となる物が何も無かった。だから住民の中には「あの首は皇帝陛下のものにはあらず。コンスタンティヌス十一世は大理石の像に姿を変えられた」と信ずる者も多かった。
戦の終わりには武器を持って戦った宰相ノタラスと、エルネストの父であるヴェネツィア大使ミノットは、戦の後の混乱を整理する間は任務を遂行させられた。だが、その後戦犯の責任を問われ、惨殺の刑に処されてしまう。実はメフメトはノタラスの政治能力を認め、彼を自分の部下にして使うことも考えていたのだが、パシャたちの強い反対にあって最終的に処刑させる道を選んだのだった。
大蔵大臣でありコンスタンティヌスの側近だったフランゼスは、質素な服装が幸いして重臣だとは気づかれず、奴隷としてアドリアーノポリスに連れて行かれる。後に自分で自分を買い取って自由の身となった。
あの日、スルタンが聖ソフィア大聖堂に入ってきた時、まだそこにいたアサナシウス総主教とゲオルキオスたちに、メフメトは手荒なことはしなかった。総主教から司教へ、他の僧たちへと黒い法衣に視線を巡らせながら、そういえば緋色の法衣の若者がそこにいないことに、彼は初めて気がついた。
(聖ソフィアを……、この街を手に入れたあまりの喜びに、ローマ教皇の代理者のことをついぞ忘れていた……)
それほどまでにこの勝利の喜びは、彼にとって大切な意味のあることだった。
「汝らに用はない、アヤ・ヨーギ(聖ゲオルキオス聖堂)へ戻るがよい」
正教会の高僧たちには、そう告げただけだ。後刻メフメトは、ソフィア大聖堂がイスラムの高僧には御し難い総本山だと判断を下す。アサナシウスは総主教の座を継続するよう、あのプライドの高いオスマン皇帝から依頼されたのだった。総主教は驚きつつも、聖ソフィアへの忠誠心によりその役目を受けることに抵抗は示さなかった。
ユスティニアーニ将軍はジェノヴァ船に乗ったが、腕の怪我は思ったより重症で、残念ながらギリシャに着く前に出血多量で船上で死亡してしまった。
トレヴィザン将軍については、混乱の中なんとかヴェネツィアに帰還し、後年また海軍提督の仕事に戻ることができた。
コンスタンティノポリスの人びとの運命の定めもさることながら、オスマンのパシャたちの命運も大きく分かれた。とりわけ皆を驚かせた決定がある。
「本日より、ハリルに代わりサガノス・パシャを宰相とする」
父親ムラト二世以来の重臣ハリルは、メフメトの厳たる命(めい)により逮捕、そして処刑という悲惨な運命をたどることになったのだ。蒼ざめる彼に「理由は自覚しているはずだが」とメフメトは冷たく言った。それはハリルが密かに皇帝を裏切り、決定事項を逐一敵の宰相ノタラスに知らせていたからだ。おそらくスルタンは、ハリルの手紙がノタラスの机の中から発見される以前から、裏切りには気づいていたのではないかと思わせるきらいがあった。考えてみればハリルの態度には、納得できない点が前々からいくつもあった。
メフメトが一四歳の時、彼から治世を取り上げ、ムラト二世を呼び戻し、十九歳になって再び皇帝の座を取り戻すまでみじめな地位に追いやった元凶はハリル・パシャなのだ。ハリルはこのコンスタンティノポリス攻略の戦に関しても、スルタンの命令を完全に遂行しながらも、常に計画に反対の意を示していた。決定的な裏付けは、ビザンティンから密かに贈り物を受け取り、メフメトの軍事命令を敵に知らせていたことだ。ノタラス宰相から渡されたハリルの送った手紙を読み上げるスルタンの顔は、驚くほど冷ややかで落ち着いていた。
オスマンの兵士たちは、落城の当初は東ローマ帝国の兵を倒すのに懸命だったが、それは彼らが敵兵の数がもっと多いと信じていたせいだ。殺さなければ殺(や)られる――そう思って自衛していただけなのだった。残された兵士の数が四千に満たないことを認識すると、とたんに殺戮を中止し、捕獲に切り替えられ無意味な流血は避けられた。したがってコンスタンティノポリスの全ての民たち三万五千のうち、殺されたのは約一割の三千五百だけで、捕虜にされた者の数が二万人にものぼった。
あらゆる人間から恐れられていた青年皇帝メフメト二世は、神と民に誓った通り三日後、一切の殺戮と略奪を中止させる。
中立の立場を守ったガラタ地区のジェノヴァ人は、略奪されも殺されもせず、戦争後もそこに住み続けるようメフメトに許可された。実は、同じ処遇を受けたのはガラタの住民だけではない。コンスタンティノポリスのギリシャ人も、三日間の略奪終了後まで殺されも奴隷にもされず隠れていた者たちは、そこに住み続けることを許された。
「新たなる征服者により、コンスタンティノポリスは、たった今からイスタンブルと改名される」
そしてメフメトはこの政治的にも、商業的にも要(かなめ)となる位置にある街を、オスマンの首都とすることに定めたのである。
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