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第3章

ひと時の癒し

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 コンスタンティノポリスの春は、ヴァティカンほど暖かくはないが、それでも四月の終わり頃から祖国のイタリアを思わせる、爽やかな青空の日々が何度か訪れた。
 そんなある日、レオナルドたちはアサナシウス総主教から依頼を受ける。市民への炊き出しの手伝いを頼まれて、彼らは聖ソフィア大聖堂に赴いた。テオドシウスの壁に砲撃を受けているのが信じられないくらい晴れ渡った空の下、聖ソフィアのまわりを堀のように低く建物を囲む花壇の上に橋が渡され、それを超えた聖堂前の広場が食事の提供場所となっていた。
 庭の花はたとえ戦の最中でも色とりどり鮮やかだ。戦いに身を震わせる信者たちは、花壇の手入れによって憩いを得ているのだった。ガーベラが、時おり大砲の衝撃で花びらを揺らしている。可憐であると同時に、正視するには勇気が必要なほどに痛々しく……。
「見事なヒラメだ」
 アサナシウス総主教は、ゲオルキオス司教の運んできた魚の桶を見て感嘆の声を上げる。
「ご覧下さい。金角湾で釣り上げたばかりの鮮魚の寄付です。最近ではあの大砲のせいですっかり釣れなくなっていましたが、珍しく今朝は大漁だったとか」
 桶から水しぶきを上げて魚の尾がはねた。炊き出しは、久しぶりに豪華な料理が配給される運びとなる。
 かつては教会がこのような施しをしても、訪れるのは貧しい者たちに限られていた。だが今日は、籠城生活で飢え始めた一般市民にも、満足してもらおうという大掛かりな施しだった。
「さすがだな。トマに演奏してもらうと、大勢集めるのはあっという間だ」
 リュート演奏だけでもあらゆる所から人が際限なく集合するのだから、それに加えて魚のリゾットに無料でありつけるとあれば、なおさらたくさんの人が訪れてくる。
「この不思議な力をいつか活用したいものだ」
 レオナルドはいつも心の片隅でそんなことを考えていた。トマには出会った日に教会の寄付の中から服が見繕われ、それ以来彼の外見も食事事情もずいぶん良くなっている。生活に足るものを得て、トマの演奏の腕にいっそう磨きがかかったようだ。
「どうした、何を笑っているエルネスト?」
 大鍋から料理を皿に盛る聖職者たちのために、食器を準備するエルネストが笑いを噛み殺している。その視線をたどれば、理由はレオナルドにもすぐに理解できた。きっとフィリベルトの手慣れない様子だ。公爵より身分の高いはずの枢機卿と王太子のほうが手伝いに慣れていることは、なかなか滑稽な場面には違いない。
 けれどカトリックでは、身分の高い者が貧しい者に、手ずから施しをする行事はたくさんある。ヴァティカンでは枢機卿だけでなく教皇自ら手を差し伸べるし、西欧の君主たちも民に奉仕する儀式の数は少なくない。例えば洗足式など、キリストに倣って教皇が神の使徒と同じ数、十二人の足を洗う儀式もそのひとつである。ユリウス・シルウェステル六世もユージェニオの父ダヴィード王も、年に一度跪いて、一般市民から選ばれたイエスの十二弟子たちの足を洗う。だから枢機卿と王太子は何の苦もなく食事を配っているのだが、それに比べてフィリベルトのほうは奉仕の経験があまりないらしく、慣れないようだった。
「ふぅー」
 ため息をつき疲労した手と首を回して筋肉をほぐしている兄にレオナルドが呆れ顔を向けようとした時、目の前に上品な貴婦人が現れた。
「お疲れのご様子ですね。代わりましょうか? デッラ・ローヴェレ公爵」
 清楚な声の流れてきたほうをフィリベルトが見ると、エルネストの母がまるで戦下に咲く花のように優雅な笑みを浮かべていた。
「ミ、ミノット伯爵夫人……! と、とんでもありません」
 彼女の後ろには、エルネストの弟ミケーレと母の手にしがみつく幼い妹イネスがいた。
 籠城の中で生き抜くという状況下にいながら、レナーテはごく控えめな化粧なのに、とても三人の子持ちには見えない若さできらめいている。
 ――天より光が降りると、蒼ざめた馬に乗った第四の騎士(死)は、黄泉(ハデス)を伴い引き返す――
 彼女の神々しさを含め、聖ソフィア大聖堂やそこに集まった人びととその施しの行為には、ヨハネの黙示録に綴られている第四の封印が解かれた時に現れる蒼ざめた馬さえも、踵を返すかもしれない……レオナルドはそう思った。
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