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第2章

聖なる叡智

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 その日の午後、ギリシャ正教の司教ゲオルキオスが、聖ソフィア大聖堂を三人に案内してくれた。
 丸屋根の内側に差し込んでくる光に、視線が吸い寄せられる。半球の上に乗せられた大きな球形の天井がこの上なく高くそびえて、そのドームの周囲を取り囲む窓から午後の光が注いでいた。輝く金がふんだんに使われたモザイク画で溢れた壁。二階だけでなく三階もだ。レオナルドが十九歳まで暮らしていたラヴェンナの聖ヴィターレ聖堂とよく似た構造だが、それとは桁違いの広さと豪華な飾り付けだった。赤い斑のある柱は、レバノン、バールベックのアポロン神殿から、緑色の柱は、エフェソスのアルテミス神殿から運ばれたものだ。
「歴代の皇帝たちが飾り付けてきた大聖堂ですが、私にはきらびやか過ぎて……、ですから私は、ここより少し北の僧院を住まいにしております」
 ゲオルキオス司教に伴われて祭壇に近づく。……と、そこにはレオナルドらを待つ総主教、アサナシウスの姿があった。
「ようこそ、ローマへ」
 ローマを旅立ってここを訪れたはずの三人へ向けられた、歓迎の言葉――それはまったく正しい表現だった。
 ヴァティカンのローマ教皇の地位と同等の、ギリシャ正教最高権力者のアサナシウス総主教は、一見プライドの高い聖職者に思われたが、しばらく話を聞いているとそれは宗教に対する厳しい心構えの崇高さであって権力への強欲さは無い。彼は司祭と同じく控えめな性格だった。これはギリシャ正教とローマ・カトリックの大きな相違点だ。ギリシャ総主教は権力に固執するより、この上なく俊秀な頭脳の持ち主であることを選ぶ人だった。西ではローマ教皇が諸侯に対して権力を示しているのに、ここではまったく違う。総主教の立場が弱いというよりは、東ローマ皇帝の地位が、政治を司るだけでなく宗教上においても強いからだ。
 もともとギリシャ正教は、自分たちがカトリックから分裂したなどとは考えていない。正教会という名にも示される通り、自らがキリスト教のオーソドックスな総本山だと信じている。だからこの国も、彼らこそが正当なローマ帝国だと誇りを持っていた。この地において自らを「東」ローマ帝国だと思っている者は誰もいない。なんの前置きもつけないローマ帝国だ。むしろレオナルドが「西」ローマ帝国から来た人間だった。首都コンスタンティノポリスは地理的便宜上そう呼ばれていたが、千年前コンスタンティヌス一世はビザンティオンに首都を遷都したのである。彼らにとってイタリアのローマではなく、ここが本当の「ローマ」なのだ。そんなもてなしの意をあからさまに表明された気がした。
 千年以上も前から歴史的には東ローマ帝国の方が西欧より豊かで、人口も多く、異教徒の攻撃に対抗する力も強かった。今では力が縮小されてしまったが、その誇りだけはまだ確固として残っている。
 だから……、そのプライドの高さと渡り合わねばならないから、交渉や橋渡しなどの仲介という仕事が、極めて難しくなるのは間違いなかった。
「……そして、ようこそ私たちの叡智へ」
 東ローマ帝国が崇拝し、敵のメフメトさえも魅了された教会「ソフィア」とは、叡智という意味だ。その巨大な聖堂は、我こそが頭脳の極みだというように、オリエントとヨーロッパの交点に座して天を仰いでいるのだった。
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