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第1章 ルナの願い
第10話 戦士の帰還
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「オルキヌス!」
夜も更けた時間に、制止する警備員を振りほどくと、ドアを蹴飛ばすように、彼の私室へ乱入する女性の姿があった。その圧倒的な力に、ギルドでも屈指の戦士達でさえ、彼女の前に立つことはできなかった。
オルキヌスの部屋はその乱入者が破壊した扉が舞い上げた埃と書類で、一瞬見えなくなるほどであった。彼は目を細め、乱入者の影が女性のものであることが分かったが、やがて、それが自分の知り合い、いや、自分の想い人であること気がついた。
「カサンドラさん!」
彼はこの高貴なエルフの女性を慕っていた。エレミアというギルド戦士の母であったが、彼女の美しさはこの街で随一であった。
夫が亡くなっても、一人で働き、家族を守り、その美貌をつかって媚びることもなく、類稀な戦闘力をつかうこともなく、静かに人々営みの中に身を置き、必要以上に人と接することもない、孤高の女性であり続けた。
彼はその容姿よりも、彼女の精神、態度に深く敬意と憧憬、そして崇拝さえしていた。そしで、可能であれば自分の大切な女性になってくれるならば、自分の全財産さえ、惜しみなく捨てられると思っていた。
彼女は自分のアプローチを知っていたに違いない。彼の財力があれば、今よりもずっと裕福な暮らしもできる。しかし、カサンドラは近づくことさえしなかった。
その女性が、自分の私室に入ってくる!
彼が自分の部屋を破壊されていることさえ忘れたかのように、この想い人を歓迎した。オルキヌスは、たとえ自分で部屋の壁を破壊することで彼女が来てくれるならば、自分から進んで部屋の壁、いや、邸宅をすべて爆破してもいいと思っていた。
「よく来てくれました。さあ、どうぞ、カサンドラさん」
しかし、部屋は今、カサンドラがドアを破壊した衝撃で、応接のソファが埃だらけになっていることに気がつくと、
「おや、これは失礼した。こんな埃だらけの部屋ですが、お座りください。」
と言って、彼はソファの埃を自分のハンカチで払うと、目の前の立っている女性に席を勧めた。
後から追いついたエレミアも、警備兵も、そのおかしな構図に呆気にとられた。自分の部屋を破壊した乱入者を、歓迎すると、席を勧めているのだから…。
カサンドラも、これはやり過ぎたと思ったのか、静かに席に座ると
「申し訳ない」
と謝った。
「いやいや、あなたが来て下さるなら、わたしの家の一軒や二軒、破壊してもらっても構いませんから、どうぞお気になさらずお願いします。カサンドラさん」
といって、彼が頭を下げた。
それを見て、警備員たちは自らの持ち場に戻った。彼らも、カサンドラがどういう存在なのか知っている。エレミアはもう何も言えない。
「慌てて、ドアを叩いたのだが、このように壊してしまって…」
”こんな風にドアを叩く人は見たことはないわよ!”とエレミアは母に苦笑した。
「はは、いや、それはこのドアが少し壊れかけていたのでしょう。明日、この扉の設計者を叱っておきます。カサンドラさん」
彼は少しおどけたように笑った、“本当にそう思っているの?” エレミア呆れた。
「それで、カサンドラさん。相当に御急ぎの要件なのでしょう。ぜひ、お聞かせください。」
と彼が両手を組んで身を乗り出した。
「申し訳ない。実は…」
カサンドラが要件とは、どうやらグラントの仲間の一人、ギルド室長の奥で眠っていたエルフの行く先を知りたいとのことであった。
どうやら彼女にとって、とても大事な人であるらしい…。
「その、あなたがそれほど取り乱すほどの方、なのですね。カサンドラさん」
カサンドラは、真っ直ぐにオルキヌスを目を見つめ、静かに頷いた。
「そうですか…」
ここでオルキヌスは内心、困ったな…と逡巡した。
その女性は明日から、自分の酒場で接客サービスを依頼したばかりだ。これをカサンドラが知ったら、激怒しそうだ。そこまでの人なら、使い方も違ったのだが、すでに店長に伝えてしまっている。
これはすべてを正直話すしかない。下手に言い繕ってはいけない。オルキヌスはカサンドラの性格から、それを好まないことを熟知している。たとえ、自分が怒られても、それが最善手なのだと覚悟した。
「実はですね。エレミアさんもご存じの通り、わたしのギルド下にある酒場が跡形もなく破壊されまして…」
後にいるエレミアに同意を求めるように目をやると話を進める。それにエレミアも、カサンドラも頷く。
「それは聞きました。大変なことで、怪我人も多数出たと聞いています。大変でしたね。わたしでお手伝いできることがあれば…」
カサンドラが自分に気を使ってくれる! その言葉が聞けただけも嬉しかった。怪我した人たちに申し訳ないと思いながら…も。
「あ、ありがとうございます。それで…その…事件の原因なのですが…」
核心に入ろう、とつばを飲み込むと
「実は、その原因に二人の女性の喧嘩によるものらしくて…」
と言って、部屋をを見回す。
「!」
カサンドラは自分が感情的になって、この部屋を壊したことと、同じことが起きたと彼は言おうとしているのだと気がついた。たしかに、レベル900超えならば、簡単にビルも破壊できる。
「なるほど、つまり、問題の二人は、この部屋のように酒場を破壊したのですね」
オルキヌスは慌てた。彼にはカサンドラを非難するつもりは毛頭なかったのだ。
「いえ、決して、この部屋の事はお気になさらずください。わたしの言動が間違っていました」
彼は自分の例え方が稚拙であったことを悔やんだ。
「いえ、その通りですから。それで…」
そんなことを歯牙にもかけず、カサンドラは話の続きを促す。
「はい、彼ら冒険者は、この街で静かに暮らしたいことを要望していたので、酒場の破壊行為は単なる事故として王都へ報告させるようギルド長にお願いしました。そして、彼らの希望通り、住居と仕事を提供したのです。できれば仕事はわたしの酒場の補填も兼ねてほしかったので…」
カサンドラの表情を伺いながら続ける。
「そこでその代償として、わたしのもう一軒の店で働いてもらうこと提案しました。この街に溶け込むためにも働き口があった方が良いかと判断したので…カサンドラさん」
* * *
「これが、あの方が働いている店?」
カサンドラは、酒場「ビーナス」の前で驚いた。
確かに飲食店だとオルキヌスは言っていたが…、ここで何をなさっているのだろう。しかも、大繁盛である。簡単に入れそうもない。
「おや、カサンドラさんじゃないか? 珍しい、こんな繁華街にも来られるのですね」
冒険者たちが声をかける。彼らもカサンドラを慕っている。
「いや、わたしはお酒はあまり飲まないのですが、どうやって入れるのですか?」
整理券が必要だが、誰もがサンドラに券を譲ってくれた。エレミアはあまり外出しない母が、これほど人気があるのだと知って驚いた。
「いらっしゃいませ!」
店員に案内され、カサンドラはエレミアと席に座る。
「エレミア! わたしは、こういう場所に来たことないけど…」
顔を近づけると小さく娘に声をかける。
「わたしはよく来るわ。冒険者たちの情報源として、こういう酒場はかかせないもの」
といって、周りを見回すと
「あ、いたわ! あの人がルナリアさんよ!」
エレミアが指を指す宝庫を見ると、随分と派手な格好をした女性が注文を聞いている。
「はい?」
カサンドラは目を疑った!
オルキヌス! これは、一体どういうこと!
あれは、あれば、なんて格好をさせるのよ!
カサンドラは立ち上がると、その女性の下に駆けつけた。
ルナリアは突然、エルフが走り寄ってくるので、驚いた目で彼女を見つめた。
一方のカサンドラは、ルナリアをじっと見つめている。その顔、気品、そして、彼女の特徴のひとつでも見落としてはいけないと、真剣に見つめた。ルビーの瞳、その中に微かに見える黄金の六芒星、そして、額には薄いが確かに三つの印がある。
ルナリアは余りに見つめられるので、どう対応していいのか分からずに、困った表情をする。
二人はしばらく見つめ合った。
周りの客も驚いて、見つめ合っているエルフの二人を見ている。
“この街一の美女、あのカサンドラさんだ。あの孤高の人がなぜ? 酒場にいる?”
誰もがそう思った。
すべてを確認すると、突然、カサンドラはその場で崩れ落ちると、その前に額をつけて傅いた。
「え、ええええ!」
全員が息を飲んだ。
酒場の全員があまりの事態に固まった。
慌てたのはエレミアである。
母のもとに駆け寄ると、大きな声で説明口調で声を上げる。
「いや、いやあ、もう飲み過ぎよ。」
かけよるエレミアを無視して、カサンドラは自分の正式名称とかつての同志たちの名前を、目の前にいるエルフに告げた。
「カサンドラ・エル・ルイーゼ、王国第一騎士団団長。
スピネル・アレキサンダー副団長
カイル・ベリル第一級宮廷魔術師
ゼガイル・アーク第一級騎士
マイセン・ファンリル第一級騎士
イノマス・コーツ第一級騎士
我らは東方方面、魔城”魔術が無効なる城”の攻略を目指しましたが
力及ばず全滅しました。」
カサンドラは下を向いたままである。
「わたしは、騎士団長として最後まで戦い抜きましたが…、仲間たちを救うこともできず、申し訳ございません」
「・・・・・」
「カサンドラさんが、王国の騎士団長?」
「ま、まさか?」
「しかし、あのギルド長が戦わずに負けを認めたと聞いたぞ」
「でも、その人がなぜ、ルナちゃんに」
今度はルナリアが慌てる番になった。
「いやぁね。この人、何か勘違いしてるわ。わたしはただのこのお店の従業員なのよ」
ルナリアは必死に声を上げる。
ライム、アイリスは遠くからだまって見つめる。
エレミアは泣いている母を立ち上がらせながら、奥へ連れていく。
「皆さん、すみません。母は今朝から混乱しているんです!」
娘に肩を持たれて、力なく歩くカサンドラは泣き崩れている。店長も手伝って、奥の部屋へ案内する。
「さてと…」
店長は皆を部屋にいれると、扉を閉めた。
ルナリアを方を向くと
「ルナさん、あなたは何者かしら?」
店長が、真面目な顔でルナリアに質問する。
「言いたくないのなら、これ以上、聞かないよ。でも、カサンドラさんはわたしも良く知っている。この人がこんなになるなんて…余程のことだね」
店長も毅然とした振舞う孤高のエルフ、カサンドラを敬慕していた。
ルナリアが周りを見る。
下を向いたまま床に座り込んでいるカサンドラ、その横に寄り添い見上げるエレミア、そして腕を組んでいる店長…。
“別に隠しているわけでもないし…”とルナリアは前置きして、
「わたしはエルフ王国の元王女なんです」
エレミアと店長が驚く。
「王女…様、あの西方大陸の王女だっていうのかい?」
店長は唸った。それなら…カサンドラは、あの王国の騎士団長だったのか…。
「しかし、わたしはもう真の名を捨ててます。国は滅び、今はただの一人のエルフでしかありません。だから、これからも同じようにただのエルフとして扱ってください」
ルナリアが頭を下げた。
「そうか。あんたがそれを望むなら…わたしはそれでもいいが…、彼女は…」
カサンドラを見る。
ルナリアはじっとカサンドラを見つめると、凛とした声でカサンドラの名とその同胞の名前を呼んだ。
「カサンドラ・エル・ルイーゼ、王国第一騎士団団長。
スピネル・アレキサンダー副団長
カイル・ベリル第一級宮廷魔術師
ゼガイル・アーク第一級騎士
マイセン・ファンリル第一級騎士
イノマス・コーツ第一級騎士」
“全員の名を一度、聞いただけで覚えている!” エレミアは驚いた。
名前を呼ばれ、カサンドラは目を上げ、王女の顔を見た。もう一度、仲間たちの名前を王女に告げられ、かつて騎士団の任命式を思い出した。そのときの王女はルナリアではなく、先代、つまり、ルナリアの母であった。しかし、彼女にはどちらも同じだった。
小さな酒場の一室であったが、カサンドラはここが王国の王宮と同じだと感じた。
“ああ、わたしは帰ってきたのだわ…”
そう思うと、なぜが部下たちが近くにいるような気がした。
”そう、お前たちも帰ってきたのね…”
そう思うと、仲間を思い、カサンドラの封印していた時間が流れ出し、流れる涙を止められなかった。ただ、一言、それが精一杯だった。
「ただいま、帰りました」
「よく帰ってきました。もう任務は終わりましたよ」
彼女ははっきりと王女にそう言われた。
“終わったのね”
彼女は泣いた。
激しく、大きな声を上げて、泣いた。
仲間たちを死なせ自分だけ生き残ってしまったことを、自分だけが家族を持ち、つかの間の幸せな時間に身をゆだねたことを、どんなに自重して生きたとしても、彼女は常に戦士としての自分を残して、引きづって生きてきたのだ。
しかし、今、王女に再開し、皆の名を呼んでもらい、そして任務の終了を告げられた。自分が生き残ってきたことは無駄ではなかった。仲間たちを王国へ連れて帰れたことを、団長の責務を果たせたことを知った。
こうして、カサンドラ・エル・ルイーゼの長い長い戦士として日は、ここに終わったのである。
夜も更けた時間に、制止する警備員を振りほどくと、ドアを蹴飛ばすように、彼の私室へ乱入する女性の姿があった。その圧倒的な力に、ギルドでも屈指の戦士達でさえ、彼女の前に立つことはできなかった。
オルキヌスの部屋はその乱入者が破壊した扉が舞い上げた埃と書類で、一瞬見えなくなるほどであった。彼は目を細め、乱入者の影が女性のものであることが分かったが、やがて、それが自分の知り合い、いや、自分の想い人であること気がついた。
「カサンドラさん!」
彼はこの高貴なエルフの女性を慕っていた。エレミアというギルド戦士の母であったが、彼女の美しさはこの街で随一であった。
夫が亡くなっても、一人で働き、家族を守り、その美貌をつかって媚びることもなく、類稀な戦闘力をつかうこともなく、静かに人々営みの中に身を置き、必要以上に人と接することもない、孤高の女性であり続けた。
彼はその容姿よりも、彼女の精神、態度に深く敬意と憧憬、そして崇拝さえしていた。そしで、可能であれば自分の大切な女性になってくれるならば、自分の全財産さえ、惜しみなく捨てられると思っていた。
彼女は自分のアプローチを知っていたに違いない。彼の財力があれば、今よりもずっと裕福な暮らしもできる。しかし、カサンドラは近づくことさえしなかった。
その女性が、自分の私室に入ってくる!
彼が自分の部屋を破壊されていることさえ忘れたかのように、この想い人を歓迎した。オルキヌスは、たとえ自分で部屋の壁を破壊することで彼女が来てくれるならば、自分から進んで部屋の壁、いや、邸宅をすべて爆破してもいいと思っていた。
「よく来てくれました。さあ、どうぞ、カサンドラさん」
しかし、部屋は今、カサンドラがドアを破壊した衝撃で、応接のソファが埃だらけになっていることに気がつくと、
「おや、これは失礼した。こんな埃だらけの部屋ですが、お座りください。」
と言って、彼はソファの埃を自分のハンカチで払うと、目の前の立っている女性に席を勧めた。
後から追いついたエレミアも、警備兵も、そのおかしな構図に呆気にとられた。自分の部屋を破壊した乱入者を、歓迎すると、席を勧めているのだから…。
カサンドラも、これはやり過ぎたと思ったのか、静かに席に座ると
「申し訳ない」
と謝った。
「いやいや、あなたが来て下さるなら、わたしの家の一軒や二軒、破壊してもらっても構いませんから、どうぞお気になさらずお願いします。カサンドラさん」
といって、彼が頭を下げた。
それを見て、警備員たちは自らの持ち場に戻った。彼らも、カサンドラがどういう存在なのか知っている。エレミアはもう何も言えない。
「慌てて、ドアを叩いたのだが、このように壊してしまって…」
”こんな風にドアを叩く人は見たことはないわよ!”とエレミアは母に苦笑した。
「はは、いや、それはこのドアが少し壊れかけていたのでしょう。明日、この扉の設計者を叱っておきます。カサンドラさん」
彼は少しおどけたように笑った、“本当にそう思っているの?” エレミア呆れた。
「それで、カサンドラさん。相当に御急ぎの要件なのでしょう。ぜひ、お聞かせください。」
と彼が両手を組んで身を乗り出した。
「申し訳ない。実は…」
カサンドラが要件とは、どうやらグラントの仲間の一人、ギルド室長の奥で眠っていたエルフの行く先を知りたいとのことであった。
どうやら彼女にとって、とても大事な人であるらしい…。
「その、あなたがそれほど取り乱すほどの方、なのですね。カサンドラさん」
カサンドラは、真っ直ぐにオルキヌスを目を見つめ、静かに頷いた。
「そうですか…」
ここでオルキヌスは内心、困ったな…と逡巡した。
その女性は明日から、自分の酒場で接客サービスを依頼したばかりだ。これをカサンドラが知ったら、激怒しそうだ。そこまでの人なら、使い方も違ったのだが、すでに店長に伝えてしまっている。
これはすべてを正直話すしかない。下手に言い繕ってはいけない。オルキヌスはカサンドラの性格から、それを好まないことを熟知している。たとえ、自分が怒られても、それが最善手なのだと覚悟した。
「実はですね。エレミアさんもご存じの通り、わたしのギルド下にある酒場が跡形もなく破壊されまして…」
後にいるエレミアに同意を求めるように目をやると話を進める。それにエレミアも、カサンドラも頷く。
「それは聞きました。大変なことで、怪我人も多数出たと聞いています。大変でしたね。わたしでお手伝いできることがあれば…」
カサンドラが自分に気を使ってくれる! その言葉が聞けただけも嬉しかった。怪我した人たちに申し訳ないと思いながら…も。
「あ、ありがとうございます。それで…その…事件の原因なのですが…」
核心に入ろう、とつばを飲み込むと
「実は、その原因に二人の女性の喧嘩によるものらしくて…」
と言って、部屋をを見回す。
「!」
カサンドラは自分が感情的になって、この部屋を壊したことと、同じことが起きたと彼は言おうとしているのだと気がついた。たしかに、レベル900超えならば、簡単にビルも破壊できる。
「なるほど、つまり、問題の二人は、この部屋のように酒場を破壊したのですね」
オルキヌスは慌てた。彼にはカサンドラを非難するつもりは毛頭なかったのだ。
「いえ、決して、この部屋の事はお気になさらずください。わたしの言動が間違っていました」
彼は自分の例え方が稚拙であったことを悔やんだ。
「いえ、その通りですから。それで…」
そんなことを歯牙にもかけず、カサンドラは話の続きを促す。
「はい、彼ら冒険者は、この街で静かに暮らしたいことを要望していたので、酒場の破壊行為は単なる事故として王都へ報告させるようギルド長にお願いしました。そして、彼らの希望通り、住居と仕事を提供したのです。できれば仕事はわたしの酒場の補填も兼ねてほしかったので…」
カサンドラの表情を伺いながら続ける。
「そこでその代償として、わたしのもう一軒の店で働いてもらうこと提案しました。この街に溶け込むためにも働き口があった方が良いかと判断したので…カサンドラさん」
* * *
「これが、あの方が働いている店?」
カサンドラは、酒場「ビーナス」の前で驚いた。
確かに飲食店だとオルキヌスは言っていたが…、ここで何をなさっているのだろう。しかも、大繁盛である。簡単に入れそうもない。
「おや、カサンドラさんじゃないか? 珍しい、こんな繁華街にも来られるのですね」
冒険者たちが声をかける。彼らもカサンドラを慕っている。
「いや、わたしはお酒はあまり飲まないのですが、どうやって入れるのですか?」
整理券が必要だが、誰もがサンドラに券を譲ってくれた。エレミアはあまり外出しない母が、これほど人気があるのだと知って驚いた。
「いらっしゃいませ!」
店員に案内され、カサンドラはエレミアと席に座る。
「エレミア! わたしは、こういう場所に来たことないけど…」
顔を近づけると小さく娘に声をかける。
「わたしはよく来るわ。冒険者たちの情報源として、こういう酒場はかかせないもの」
といって、周りを見回すと
「あ、いたわ! あの人がルナリアさんよ!」
エレミアが指を指す宝庫を見ると、随分と派手な格好をした女性が注文を聞いている。
「はい?」
カサンドラは目を疑った!
オルキヌス! これは、一体どういうこと!
あれは、あれば、なんて格好をさせるのよ!
カサンドラは立ち上がると、その女性の下に駆けつけた。
ルナリアは突然、エルフが走り寄ってくるので、驚いた目で彼女を見つめた。
一方のカサンドラは、ルナリアをじっと見つめている。その顔、気品、そして、彼女の特徴のひとつでも見落としてはいけないと、真剣に見つめた。ルビーの瞳、その中に微かに見える黄金の六芒星、そして、額には薄いが確かに三つの印がある。
ルナリアは余りに見つめられるので、どう対応していいのか分からずに、困った表情をする。
二人はしばらく見つめ合った。
周りの客も驚いて、見つめ合っているエルフの二人を見ている。
“この街一の美女、あのカサンドラさんだ。あの孤高の人がなぜ? 酒場にいる?”
誰もがそう思った。
すべてを確認すると、突然、カサンドラはその場で崩れ落ちると、その前に額をつけて傅いた。
「え、ええええ!」
全員が息を飲んだ。
酒場の全員があまりの事態に固まった。
慌てたのはエレミアである。
母のもとに駆け寄ると、大きな声で説明口調で声を上げる。
「いや、いやあ、もう飲み過ぎよ。」
かけよるエレミアを無視して、カサンドラは自分の正式名称とかつての同志たちの名前を、目の前にいるエルフに告げた。
「カサンドラ・エル・ルイーゼ、王国第一騎士団団長。
スピネル・アレキサンダー副団長
カイル・ベリル第一級宮廷魔術師
ゼガイル・アーク第一級騎士
マイセン・ファンリル第一級騎士
イノマス・コーツ第一級騎士
我らは東方方面、魔城”魔術が無効なる城”の攻略を目指しましたが
力及ばず全滅しました。」
カサンドラは下を向いたままである。
「わたしは、騎士団長として最後まで戦い抜きましたが…、仲間たちを救うこともできず、申し訳ございません」
「・・・・・」
「カサンドラさんが、王国の騎士団長?」
「ま、まさか?」
「しかし、あのギルド長が戦わずに負けを認めたと聞いたぞ」
「でも、その人がなぜ、ルナちゃんに」
今度はルナリアが慌てる番になった。
「いやぁね。この人、何か勘違いしてるわ。わたしはただのこのお店の従業員なのよ」
ルナリアは必死に声を上げる。
ライム、アイリスは遠くからだまって見つめる。
エレミアは泣いている母を立ち上がらせながら、奥へ連れていく。
「皆さん、すみません。母は今朝から混乱しているんです!」
娘に肩を持たれて、力なく歩くカサンドラは泣き崩れている。店長も手伝って、奥の部屋へ案内する。
「さてと…」
店長は皆を部屋にいれると、扉を閉めた。
ルナリアを方を向くと
「ルナさん、あなたは何者かしら?」
店長が、真面目な顔でルナリアに質問する。
「言いたくないのなら、これ以上、聞かないよ。でも、カサンドラさんはわたしも良く知っている。この人がこんなになるなんて…余程のことだね」
店長も毅然とした振舞う孤高のエルフ、カサンドラを敬慕していた。
ルナリアが周りを見る。
下を向いたまま床に座り込んでいるカサンドラ、その横に寄り添い見上げるエレミア、そして腕を組んでいる店長…。
“別に隠しているわけでもないし…”とルナリアは前置きして、
「わたしはエルフ王国の元王女なんです」
エレミアと店長が驚く。
「王女…様、あの西方大陸の王女だっていうのかい?」
店長は唸った。それなら…カサンドラは、あの王国の騎士団長だったのか…。
「しかし、わたしはもう真の名を捨ててます。国は滅び、今はただの一人のエルフでしかありません。だから、これからも同じようにただのエルフとして扱ってください」
ルナリアが頭を下げた。
「そうか。あんたがそれを望むなら…わたしはそれでもいいが…、彼女は…」
カサンドラを見る。
ルナリアはじっとカサンドラを見つめると、凛とした声でカサンドラの名とその同胞の名前を呼んだ。
「カサンドラ・エル・ルイーゼ、王国第一騎士団団長。
スピネル・アレキサンダー副団長
カイル・ベリル第一級宮廷魔術師
ゼガイル・アーク第一級騎士
マイセン・ファンリル第一級騎士
イノマス・コーツ第一級騎士」
“全員の名を一度、聞いただけで覚えている!” エレミアは驚いた。
名前を呼ばれ、カサンドラは目を上げ、王女の顔を見た。もう一度、仲間たちの名前を王女に告げられ、かつて騎士団の任命式を思い出した。そのときの王女はルナリアではなく、先代、つまり、ルナリアの母であった。しかし、彼女にはどちらも同じだった。
小さな酒場の一室であったが、カサンドラはここが王国の王宮と同じだと感じた。
“ああ、わたしは帰ってきたのだわ…”
そう思うと、なぜが部下たちが近くにいるような気がした。
”そう、お前たちも帰ってきたのね…”
そう思うと、仲間を思い、カサンドラの封印していた時間が流れ出し、流れる涙を止められなかった。ただ、一言、それが精一杯だった。
「ただいま、帰りました」
「よく帰ってきました。もう任務は終わりましたよ」
彼女ははっきりと王女にそう言われた。
“終わったのね”
彼女は泣いた。
激しく、大きな声を上げて、泣いた。
仲間たちを死なせ自分だけ生き残ってしまったことを、自分だけが家族を持ち、つかの間の幸せな時間に身をゆだねたことを、どんなに自重して生きたとしても、彼女は常に戦士としての自分を残して、引きづって生きてきたのだ。
しかし、今、王女に再開し、皆の名を呼んでもらい、そして任務の終了を告げられた。自分が生き残ってきたことは無駄ではなかった。仲間たちを王国へ連れて帰れたことを、団長の責務を果たせたことを知った。
こうして、カサンドラ・エル・ルイーゼの長い長い戦士として日は、ここに終わったのである。
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