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第1章 ルナの願い

第7話 エレミア

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「今日も外を眺めているのかい?」
 後から声かけられ、振り返る。そこには白髪のエルフが立っていた。年齢はかなり高齢なのだろう。

 自分の見つめているこの人…誰だったかしら?
「どうしたの、爺…」
 わたしはそう応えていた。爺…、そう、爺といつも呼んでいたのだ。小さい頃の記憶なのかしら…、自分の声も身長も幼さを感じる。

“これはわたしの幼い頃の記憶?”

 なんとなく、それが分かった。

“これは夢なのかしら…”

 多分そうなのだろう。そして、この爺っていう人は、生まれたときから、わたしの近くにいた人なんだわ。なんとなく。それが分かった。とてもわたしを大事に想ってくれていた人なんだということも知っている。

 
「爺…」
 もう一度、そう呼ぶと、目の前の爺の細い目が、より細くなった。
「はい、王女様」
 わたしが王女? そうだったのかしら…。

 爺は、わたしの瞳を覗き込むと
「王女様、あなた様の瞳には二つの重なるようなものでありましたね。」
 二つの輪って何かしら? わたしの瞳はおかしなものなのかしら?
「いえいえ、その瞳を”重華ちょうか”ともいい、大変な貴賓高いもの。」
 ”ちょう…か”
「はい、二つの光、という意味でございます。」

 そう言うと、ベル爺は深く感嘆したかのように、幼き王女に話を続ける。
「初代エルフ王は、この西の大陸を統一なさり、種として絶滅の危機にあったわたしたちエルフのための国を創られました。」
 初代王。二千年以上前の話ね。
「その王の瞳も同じく二重の瞳を持っておられました…」
 そう言うとわたしの頭に優しく手を置く。

 ふと爺の目に涙で潤んでいるのが、わかって驚いた。
「ど、どうしたの、爺、悲しいのですか?」
 なにか不幸な印なのかと、わたしが不安げに爺を見上げる。
「いえ、嬉しいのでございます。この王国が、もしも、滅びたとしても…、王女様がきっと…」

 少しずつ爺の姿が霞の中に消え、声だけが残り、それも次第に遠くなっていく…。
 爺…どこへ行ってしまうの! 待って。
 そう叫ぼうとしても、声が出ない。すぐ近くにいたはずなのに、その存在が薄れていく。必死に捉まえようとしても、いくら手を伸ばしても、ただ空を切るだけ…。

 待って! 行かないで!

「あなた様が、王国を蘇らせてくれるでしょう…」
 消えていく声が、そう言ったような気がする。






「爺…!」
 そう叫ぶと、自分の声に驚き目を見開いた。


 白い天井にが見える。どうやらベットの上で眠っていたようだ。
 温かな日差しを感じ、鳥の囁く声が聴こえる。窓辺にゆれるカーテンの影が揺れている。微かな消毒薬の匂い…。
 視界の横に人がいる。目を向けるとおどろいたようにこちらを見つめている。看護をしてくれていた女性なのだろう。しかし、彼女は看護師というよりも、どちらかというと戦士に思われた。身体つきがちがうのだ。

 初めて見る顔だが、エルフ族であることは一目でわかった。

「目が覚めましたか?」
 優しく声をかけてくれる。どうやら、自分は怪我していたようだ。なぜ? そうなったのか理由が思い出せない。全身に微かな痛みが残っているようなだが、動かせないほどではない。どうやら魔術の治癒が施されたようだ。

「わたしは、どれくらい寝ていたのですか?」

 すると彼女は、今の状況と、治癒をしてくれた者の名を教えてくれた。
「倒れてから二時間ほどで経過したしょうか? すでに身体の治療は、アイリスという方が施されているようです。わたしは肌に残っていた血を拭うだけでした…」

 それって…、頭が少し混乱している…。
 ”治療を…アイリスが…、そうか”
 左右を見回す。どうやら、ここは治療室のようで、薬品の瓶や、さまざまな治療器具が所狭しと並んでいる。ライムの姿もない。
「ここは…どこ? ライムは…どこ?」
 口の中にもまだ血が残っているようで、血の味がする。

「仲間の皆さんは、今、隣のギルト長室でお話をしています。」
 そう、みんな、近くにいるのね…、良かった。でも、治癒はアイリスがしたって…本当なのかしら? もしも、そうだとしたら、また助けられたって訳ね…。

 そして、“負けたのね、アイリスに…”。

 わたしは“ブラッド・ミラー”を多重詠唱したところまでしか、記憶がない…。
 あの決死の秘術でも、負けたのなら…仕方ないわね。視界が滲んできて、心の底から悲しみが湧いてきた。

 ”ああ、負けたんだ、わたし、ライムを諦めなくちゃ、いけないの…?”

 そう思うと涙が止まらない。それなら…いっそ、あのときに死んでしまってもよかったわ。

 突然、泣きだしたわたしを見て、エルフの女性戦士が戸惑っている。
「だ、大丈夫でしょうか? 何かお力になれることがあれば、遠慮なく言ってください。」
 その優しい言葉に、ルナリアは少しだけ救われたような気がした。少しだけ陽に焼けた肌に、白い歯が映える。薄い亜麻色の髪は戦士なのか、三つ編みに束ねてまとめている。あまり王国にはいないタイプのエルフの顔を見て、この大陸にいる同族も魅力的だと感じた。

 一方のエルフの戦士は、この目の前にいるエルフが、今まで見たどんなエルフにも感じたことない、気品、知性、魅力を感じていた。白い肌と金よりもプラチナに近い髪、ルビーのようなまばゆい赤い瞳、その奥に微かに黄金色に光る六芒星がある(このとき、彼女はブラッド・ミラーの余波が残っていた)。
 額には非常に小さい菱形印が三つ、六芒星と同じく黄金色で、逆さにした二等辺三角形の頂点に位置にそれぞれ配置されている。
 なによりも不思議に感じるのは、彼女への強い畏敬の念が、自然と湧いてくることだった。

“おそらく、高位のエルフなのだろう…”
 もしかしてエルフの王族とは、こんな感じではないか…と感じた。その直感は正しかった。目の前にいるエルフが亡国の王女、その人なのだ。

 涙をぬぐいなら、ルナリアは目の前のエルフの戦士に声をかける。
「あ、ごめんなさいね。大丈夫だから…」
 本当は、大丈夫ではないのだけど…。ルナリアの瞳の六芒星が薄くなる。

 そんなルナリアを見守っていたエルフの戦士は、少し遠慮がちに尋ねる。
「ルナリア様は、ハイ・エルフでしょうか?」
 彼女はルナリアを見つめながら、そう言う。思わず敬称を付けたのは、彼女の直感が自然にそうさせた。

「様? ハイ・エルフ?」
 ルナリアは少し考えるが、その言葉の正確な定義がはっきりとわからない。それになんで”様”を付ける意図もわからにない…。迷っているルナリアを見て、その疑問に彼女が応える。

「はい、こちらの大陸にいるエルフ族は様々な種族と共存するようになって、かなりの時間が経ちました。結果、純粋なエルフ族はほとんど残っていません。そのため、西方大陸にいる純粋なエルフのことを、特にハイ・エルフと呼びます。」
 彼女は珍しい種族を見るようにルナリアを見つめる。
「その定義だと…、そうなるのかしら?」
 王国を出て以来、魔城や異世界にいることが多くて、他種族の住む大陸の情報をあまり知らない。

「あの、わたしはあまりこちらの大陸で、エルフと話したことがないのです。」
 ”そうなのですね”と彼女は笑った。
「あなたの名前は?」
 ルナリアが告げると、目の前のエルフは立ち上がると、軽く会釈をする。
「これは失礼しました。わたしは、エレミア・ミラーゼと申します。レベルは56、所属している冒険者ランクはCです。」
 礼儀正しい立ち振る舞い、胸に手を当てる所作、聞いていないのにレベルを告げるところが軍人っぽい。おそらく、実力に自信もあるのだろう。どこかの部隊に所属していたのかもしれない。

 王都で何度が騎士団に接する機会があったので、その動作に似ていると感じたのだ。そのルナリアを見て、エレミアが率直な、戦士らしい疑問をぶつける。
「大変、不躾な質問なのですが、ルナリア様は、かなりの遣い手とお見受けしましたが、レベルはいかほどなのでしょうか?」
 エレミアには、ルナリアの実力が自分ではよりも上かもしれないと感じていた。一方、ルナリアも思案した。戦士らしいその真っ直ぐな質問に正直に応えたいだけど、様々な事情もあるし、この場合、なんて答えたらいいのかしら? と迷った。

 彼女はチャイに造ってもらったギルドカードがあったはず…と身の回りを探すしぐさをする。それを察したエレミアが
「お探しのものは、こちらでしょうか?」
 ルナリアのギルドカートを差し出した。彼女が搬送されたときに、所持しているものを念のため、エレミアは確認していたのだ。

 ”既に持っていて、敢えてあの質問をしたのね”
 つまり、彼女はカードの情報を信じていない…ということになる。確かにカードのレベルは偽造している。
“グラントは全員100以下、という制限をつけたから、わたしのレベルは50程度だったかしら…。”
 自分のレベルの設定と、その理由も同時に思い出した。

「いい、これはわたしたちが(とくに私とライムが)、この街で密かに暮らすためのレベルなのよ」
 と自分が提案したのだ。皆が低すぎないかという声も上がったが、ルナリアが強引に設定したのだ。



 しかし、すべては無駄になってしまった。

 アイリスに負けて、それが全部だめになってしまった以上、偽装に何の意味があるのだろう…? ふと、アイリスとライムが並んで立っている幻影が浮かび、心が痛くなる。


“もう! 正直に言って、同じエルフとして私もここで働こうかしら?”
 ルナリアはだんだん、嘘をつくのも、誰かをだますのも、嫌になった。もともと、アイリスに負けた落胆から、ルナリアは深く考えもせず、記憶を遡って、最後に測った数値を口にする。
「わたしのレベルは最近は測っていないのよ…。おそらく、最後に測った時は989だったかしら。その後は知らないわ…」
 最後の方は、言い方がぶっきらぼうになっていた。
 それを聞いた、目の前のエルフの様子がおかしい…。
 自分の言い方が、投げやりな態度にだったことに気がついたルナリアは反省した。
「ごめんなさいね。エレミアさん…。わたし、少し…」
 と言いつくろうルナリアを、エレミアがまだ困惑した瞳をしている。

“あ、あれ? それほどわたし、変だったかしら?”

 しかし、彼女が困惑したのは、違うところにあった。
「989? それって、レベルなんですか? あのわたし、レベルの上限は100だと聞いていたのですが…」

 ”えっ! レベルって100が上限なの? 初めて聞いたけど…”
 ルナリアは自分を含め、ライム、グラント、チャイ、アイリスといった強者しか、接してこなかったので、一般の世界の“常識”がどのレベルにあるのかを知らない。しかも、彼らと出会う前は王女として君臨していたので、常識知らずなのは確かなのかもしれない。逆にルナリアが不安になってきた。

「そ、そうね…はは、わたしが測ったところと単位が、違うと思うの…よ、そう遠い国での測定値だったからね…」
 声がうわずっている。“私は世間的におかしいのかな…”とルナリアはエレミアの表情を伺う。
 無理もない。実際、ルナリアとその仲間たちは、常識的な基準からは余りにも外れているのである。

 一方のエレミアも、どう対応してよいのか苦笑している。
「そ、そうですよね。おかしいですよね。こちらに来てからが、このギルドカードの通りの、43ということなのですよね?」
 彼女にしてみると、ルナリアのレベルはあまりにかけ離れた数値だったので、逆にギルドカードの方が信頼性のある数値だと判断してくれたらしい…。

 ルナリアは、自分がどうしてここにいて、今、どんな状況であるのか、ほぼ思い出し、理解できた。そして、彼女が思ったことは一つだった。

“とにかく今は、ライムの元に行きたい”

 無理に立ち上がろうとすると、自分の身体がまだ完全ではなくて、ベッドから転げ落ちそうになる。
「あ、まだ無理です。」
 そう言いルナリアを支えてくれた。
「あ、ありがとう…」
 声をかけると、エレミアはルナリアをベットの縁に座らせれてくれた。

「ルナリア様…」
 ルナリアは彼女の言い方を訂正する。
「エレミア。ルナリア様ではなく、わたしのことは、ルナ、と呼んでいいわ」

「ありがとうございます。ルナ…様、呼び捨てはできないので、ルナ様でご容赦ください。」
 相変わらず、硬い人ね、とルナリアは可笑しかった。
「ルナ様は、高貴な方なのでしょうか? 近くで拝見したときに、額に金色の印なようなものが付いてましたので…」
 ああ、これね。と額を触る。確かにそうかもしれないわ。あまり気にしてこなかったけど…。王国の記憶はできるだけ封印しているからだ。

「そ、そうなのかしら、わたし、こちらのエルフの知り合いがいなくて…」
「こちら? 以前はどちらの国にいたのですか?」
 ここは、どこまで説明すればいいのかしら? 逡巡している彼女を見て、
「私の母が、ハイ・エルフで遠い西の王国に出だと聞いております。祖国が無くなってしまった、失意の母を支えたのが人間である父です。私は、ハーフ・エルフなのです。」

 ”そうか…、東の地に派遣されたとなると、かなりの実力のあるエルフだったはず…”

「その母にも額に印がありまして、ルナ様とは違う印ですが。母はそれを誇りにしております。」
 エルフの貴族、王族、もしくは高位な実力者かしら?
「お母様は、今もご健在ですか?」
「はい、エルフですから。しかし、父はもういません」

「そうですか…、では、いつかお母様に会えってお話ができるといいですね」
 いつかは…とルナリアは考えたが、それはすぐにやってくることになる。

 そこまで話すと、突然、ドアが開いて、ドワーフが入ってきた。グラントだ。
 後にライムがいる。思わず喜びを表情を見せるも、すぐにその笑顔が曇ってしまう。アイリスが無表情に入ってきたからだ。

 その顔を見て、ルナリアの顔が苦痛の表情をする。
「おいおい、もう戦いはごめんだぜ」
 場の空気が冷たくなるのを察して、チャイが勘弁してくれと声をかける。

 そのとき、青い瞳の女はルナリアにとっては、意外な台詞を口にした。
「ええ。わかっているわ。戦いは私の負け。今回は引き下がるわ…」

 ”えっ、アイリスが負けを認めた…!”
 驚くリナリアを見て、アイリスが苦々しく訂正する。
「何を勘違いしているの、戦いは互角よ。ただ、ライムの仲介がなければわたしたちは共倒れ。今回は、あなたの度胸と、ライムの救済に免じて負けを認めているのよ」
 と言うと、腕を組んで横を向く。

「大丈夫か、ルナ? 無茶し過ぎた。あの技はもう使うな! いいな!」
 とライムが近くに来て頭に軽く手をのせてくれる。
 それが嬉しかった。涙が出るほど、嬉しかった。
「泣くな! せっかくの美人が台無しだ」
 ライムが美人と褒めてくれた…。それも嬉しくて泣いた。

 この高貴なエルフが、ここまで表情を崩して泣くのを見て、エレミアが驚いた。
“この人を、こんな表情にして泣かす人間がいるのかしら…?”

 横で見ているエレミアは、ライムをどう値踏みしてよいのか、分からなくなっていた。ただ、ライムという人間がルナリアにとって、“どても大切な存在らしい”ということだけは、エレミアにも理解できた。
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