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1章・渡米を目指す幕末転生少年

燐介、脱藩の瀬戸際に陥る

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 その夜、土佐の上屋敷に戻った俺は、また万次郎から「背丈が伸びたんじゃないか」と馬鹿にされた。
「あの怪力女……、一度ぎゃふんと言わせてやりたい」
「ぎゃふん?」
「あ、あぁ、こっちの話だ」
「そうか。時に燐介」
 万次郎が改まった様子になる。
「実は、昼間、江戸城から人が来て、『幕府の下で働かないか』と言われたのだ」
「あ、そうなんだ」
 万次郎本人はびっくりだろうが、彼が幕臣となって中濱万次郎を名乗るということは知っているので、俺にとって驚きはない。
「待遇の違いは分からないけれど、良かったんじゃない?」
「そうか。そう言ってもらえると有難い」
 万次郎はかなり嬉しそうだ。幕府直参の武士というのはステータスなんだろう。
 そうだ、この機嫌のいい時を見計らって、松陰のことを言っておくか。幕臣となる以上、多少手助けを期待できるところもあるわけだし。
「万次郎さん、俺もちょっと話したいことがあるんだ」

 俺の説明を聞き終えた万次郎は腕組みをして考え込んでいる。非常に険しい顔つきだ。
「何だよ? そこまで問題あるか?」
「……燐介。はっきり言うが、大問題だと思う」
「そうかなぁ? 確かに吉田松陰は色々問題人物ではあるけれど」
「そっちもあるが、下田まで勝手に行くということは、お前も土佐を国抜けするということになるのだぞ」
「……えっ?」
 俺が、国抜け?
 あ、国抜けというのは脱藩《だっぱん》のことね。
 藩という呼び名で親しまれている江戸時代なのだけれど、実はこの当時、藩という言葉は使われていなかったらしい。だから、国抜けとか、亡命とかそういう言われ方をされていたというわけだ。
 しかし、参ったな。松陰だけでなく、俺も脱藩ということになってしまうのか。
 下田に行くまでに捕まってしまえば、土佐に送り返されたりする可能性もあるわけか。
「最悪の場合死刑だってありうるぞ。もちろん、殿様が燐介を死刑にするとは思わないけど」
 うーん、死刑かぁ。
 死刑はもちろん嫌だな。
「ただ、ペリーに直接会う方法はそれしかないんだよね」
 繰り返すが、幕府の人間に俺が転生者なんてバレたら、鎖国維持のためにあらゆる手段を使ってきそうである。それこそ拷問《ごうもん》されることだってありうる。
 とはいえ。
「下田まで燐介が一人で行くのは難しいのではないか?」
 という万次郎の言葉もまた事実である。
 江戸に来るまでについてきた護衛達は、あくまで豊信の命令を受けている。俺が下田に行くのは勝手な行動だから護衛してくれるはずがない。
 しかし、数え12の俺が一人で下田まで移動するのも困難だ。
 となると、土佐の関係者以外で護衛してくれる人間を探さなければならない。
 そんな奴はいない。重太郎や佐那だって龍馬の関係者だからな。
「いや、ちょっと待てよ……」
 イチかバチか、彼らに頼んでみるか……?

 翌日の朝、俺は早朝鍛錬たんれんに励んでいる岡田以蔵に声をかけた。
「以蔵、頑張ってるね」
「おお、燐介。当たり前じゃ。日々の修練あってこそ、強くなれるものだからな」
「だったら、ちょっとその修練度合いを試してみない?」
 俺の言葉に以蔵が身を乗り出してくる。
「どういうことじゃ? あっ、もしかしたら、お主が行っているという千葉道場に俺を連れて行くというのか?」
「いや、千葉道場ではないんだ、千葉道場では。だけど、道場に行くのは間違いないよ。それに、今日行く予定のところも強い剣士が大勢いると思う」
「ほう。練兵館《れんぺいかん》か?」
「いや」
「では、士学館《しがくかん》か?」
 以蔵の奴、有名どころばかり挙げてくる。豊信に気に入られているとはいえ、実家は下級武士なんだから、そんな有名なところに通えるほど金はないだろうに。
 以蔵の知っている道場の名前は尽きたらしい。首をひねりながら尋ねてくる。
「一体、どこなんじゃ?」
「行けば分かるって。剣術修行に行くという名目で、ちょっと協力してくれよ」
「……何だかよく分からんが、まあ、いいじゃろう。この屋敷内では実戦的な訓練は中々できないからのう」
 さすがに以蔵は単純だ。あっさり乗ってくれた。
「でしょ。じゃ、レッツゴー」
「れつごう? 何じゃ、それは?」
「気にしたら負け。慌てない、慌てない」
 俺は以蔵を連れ、丸の内上屋敷を出て、西へと歩き出す。
 向かう先は新宿市ヶ谷・試衛館《しえいかん》だ。
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