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◆2章 たとえそれが徒夢であっても溺れたい

016.余計なものは捨ててしまって良いからね

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「.......」


 __アリスはそわそわしていた。


 あまりにも落ち着かなくて、別に眠る訳でもないのに頭の中で羊を数えたりもした。「メー」と鳴くのは羊だったか、ヤギだったか、それとも両方だったか。何ならよく聞いてみると「メー」じゃなくて「ウェー」とか「ヴェー」と鳴いている気がする、本当にどうでもいいことばかり考えていた。


(どうしよう。本当にお泊まりする日が来てしまった.....)


 アリスが落ち着かないのは仕方ないだろう。なんせ今日はオーウェンの部屋に泊まる日だった。泊まるのは寮にある方の部屋である。「城がいい?」と尋ねられた時には心臓が数回は爆発したかもしれない。


 今回のお泊まりは学院の寮になったため、緊張はするがお城よりはきっとマシである。まだ心の準備ができていないのに流石にお城は無理だ。多分当日は緊張のあまり熱発した挙句、暫くベッドから起き上がれない。それを考えると段階を踏んでいくのが大事かもしれない。



「.....はあ」


 緊張からかため息ばかり出る。提案されてからあれよあれよという間に決まってしまったお泊まりに関して、両親もあの兄たちですらも何も言わなかった。「そうなんだ。楽しんで」と言われて終わりだ。


 あまりにあっさりしていてアリスは家族のその言動に思わず、「えっ」と言ってしまった。そんなアリスの反応に寧ろ家族の方が驚いて「え?」である。曰く「もう婚約してるしそんなものだろう」らしい。


 確かに自分の周りの貴族の子も頻繁に婚約者の所に泊まっている。確かに特に特別なことはないかもしれない。


 この世界の常識が未だに中途半端にしか身についていない自分が恨めしい。もう少し簡単に割りきることができたら、確かにこんな風に気負う必要はなかったかもしれないというのに。


 しかし、そう思えたとしても心の準備ができるかと言われれば、答えは「否」だった。




「どうしましょう.....」


 今日数回目のそれを呟いた。オーウェンがシャワーを浴びに行ってから十数分。先にシャワーを浴びさせてもらい、ネグリジェに着替えたアリスは彼に促された時と変わらずベッドに腰掛けていた。


 好きに寛いでいい、と言われても兄や父、従兄弟以外の殿方の部屋に入ったこともなければ、わざわざ色々と物色して回る趣味もない。


 シンプルなのに高級で、落ち着いた色味の家具を眺めて楽しむといった余裕すら今のアリスにはなかった。



「__アリス」
「.....ひゃいっ!」
「っ」


 ビクッ!そんな効果音がつきそうなほどにアリスは肩を震わせた。突然名前を呼ばれたことに相当驚いてしまい、心臓が有り得ない速度でドクドク鳴っている。


「大丈夫?」
「お、お、オーウェンさ、ま。大丈夫で、すわ.....」


 明らかに大丈夫ではなかった。


(近い.....!)


 オーウェンはいつの間にかアリスの目の前に来ていて、至近距離で彼女を覗き込んでいる。アリスはこんなに顔が近くにあったというのにボケっとしていた自分にもとても驚いた。


 オーウェンは実はもう数回アリスに呼びかけているのだが、アリスは緊張しているのか何かを考え込んでいるのか全く反応がなかった。そして、呼び方に反応したかと思えばこの驚きようだ。思わずオーウェンも肩を震わせて驚いてしまった。


「.....緊張しているみたいだね」
「は、い。.....申し訳ありません」


 オーウェンはアリスの髪をふわりと撫でてから、彼女の隣に座った。2人は顔を見合わせて苦笑する。どうやら互いにこういう経験をしたことがないらしい。


 普段のお互いとは違う装いだとか、長時間一緒にいることがほぼないためそれによる照れだとかがオーウェンの部屋を支配して、何ともむず痒い空間が出来上がってしまっていた。


(ど、どうしましょう!い、一体何を話せばいいというの?)


 アリスは訪れてしまった沈黙に思わず固まった。そっとオーウェンから視線を外し、目の前の壁を見る。


「.....」
「.....」


 己が聞き専であるせいか、話題が全く思い浮かばない。話すきっかけがあれば違っただろうが、相手は王族の方だ。「王子様 会話 話題」というワードを頭で検索してみるが、残念ながらこの場に相応しそうなヒットはない。


 焦りでアワアワとしながら、アリスはまたオーウェンを見やる。するとずっとそんなアリスを見ていたらしいオーウェンはがクスクスと笑う。


(もしかして焦ってる私を見て面白がってる?)


 あまりにも綺麗に笑うので、アリスはムッと口を尖らせた。するとそれを見て「はは」と声に出してオーウェンが笑い出す。


「オーウェン様.....」
「ごめん。アリスの一挙一動が可愛らしいから」


 そう言ってオーウェンは笑うのを止めない。「オーウェン様は"いい性格"してるからな」とアリスは今朝兄たちから言われた言葉を思い出した。


(もしかしたら人を揶揄うのが好きな人なのかもしれないわ)


 兄たちの言っていた"いい性格"の片鱗を見た気がして、アリスは顔を逸らした。するとオーウェンの手がアリスの腰に回ってくる。


「ひえっ」
「ふ、やっぱり可愛い.....」


(あまーい!ちかーい!うわーー!)


 驚いて声を上げてオーウェンを見遣れば、ほわっと溶けた笑顔がこちらを見ていてアリスは心の中でそう叫んだ。脈拍数が絶対に正常値も平均値も逸脱している気がする。


 まずお泊まりって時点で、友人から布教される少女漫画で飽きるほど見たあるある展開で、更にこの世界の貴族男性の吐くセリフまで正直「うわ、くさいセリフ」と前世なら思えていたはずだ。しかし、ここ最近色々と実体験をしてみると意外とドキドキしてしまう。


(本物の王子様つよい。そしてカップルのイチャイチャはむず痒いっ)


 ちゅ、と額にキスを落とされながらアリスは客観的に現状を捉え、そして悶える。しかし、そんな余裕もすぐになくなってしまう。


「は、むぅ、んんっ」


 額から鼻の頭に落ちてきたキスが、唇に到達した。ここ最近多少キスには慣れたが、それでも余裕は全くない。オーウェンにされるがまま、アリスはそれを享受する。


 呼吸を貪られて、舌を絡められる。静かな空間にそれらの音が響いていて、それをいやでも知覚してしまう耳にオーウェンの髪が軽く当たり、ぞわぞとしたものが背中を擽っていった。


「...っ、ふ、ぁ」
「...ふ、は...」


 それからしばらく唇を貪られる。長すぎる口付けにアリスは体から力が抜けてしまった。そんなアリスに気づいたオーウェンは、そのままアリスを押し倒した。


「うぅ、オーウェン様はケダモノだわ...」


 __食べられるかと思った。


 いつもよりも長く深く激しいキスにアリスは思わずそう素直に言葉を紡いだ。


(肉食獣だわ。...こんな顔して意外とがっついてくるもの)


 オーウェンはそんなアリスを見下ろしてクスリと笑う。そんなオーウェンを涙目で見上げる様は正直言って妖美だ。強い衝動を感じてオーウェンは奥歯を強く噛み締める。


「.....は、おかしい。近くにあるのに"まだ遠い"」
「?」
「いや、何でもないよ。そうだ、先にこれを」


 急にいつもと違う顔をしたオーウェンにアリスは首を傾げるが、彼はゆるりと首を横に振る。それから準備してあったらしい避妊薬をさっと取るとアリスの口に押し当てて、自分の分も口に入れた。今日は両方とも薄い青色だ。


 前回の行為後に聞いた話だが、薄いピンク色の方にはどうやら軽く催淫効果のある成分が含まれていて、主に処女に使うことが多い。"こういう行為"に関するあれこれが緩いこともあり、初体験がトラウマになるのを防止するためなのだとか。


 アリスは口に入れるなり液体になったそれをゴクリと飲み込む。やっぱりこちらの色も無味無臭だ。


 アリスは病弱なこともあって散々不味かったり、甘かったり、苦かったりする薬を飲んできた。内服には慣れてはいても、本当は薬が苦手なアリス的には他の薬もこれくらい味がなければ良いのにと思ってしまう。


「アリス、そろそろ良い?」
「はい」


 オーウェンがアリスの髪を梳きながら心の準備が出来たかを問うてくる。アリスはそんなオーウェンを見上げてこくりと頷いた。



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