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◆第1章 ゆっくりと籠に堕とされていく金糸雀

011.最期がいつも繰り返すその言葉は

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「俺には欲しいモノがあるんです」
「欲しい、もの...?」


 オーウェンはアリスに顔を近づけたままそう言った。アリスは呆然と彼を見上げ、その言葉をただ繰り返した。


(欲しいもの、かあ.....)


 アリスは、深い深い夜の紺青から明け方の日が昇る前の山際の空の色に変わる綺麗な目に思わず見蕩れながら、オーウェンのその言葉を咀嚼し考える。


 その目が窓の外から射し込む穏やかな陽の光に照らされ、明けの明星を彷彿とさせる輝きを浮かべていた。前世ではありえないその色彩は相変わらずキラキラとしていて、アリスの心を奪っていた。


「アリス」
「...っ」


 アリスは暫し呆然としながら若干現実逃避をしていたが、肌に当たる息をぼんやりと感じてようやくまた現状を思い出した。



(__っ!って、ち、近い近い!息当たってる...!ひえぇぇぇっ)



「お、おーうぇ、ん、さまっ...」


 今更やってきた動揺に呑まれたのせいで上手く彼の名前が呼べない。アリスの拙い発音を聞いてオーウェンがクスクスと笑うので堪らなく恥ずかしくなった。


 アリスは、オーウェンに掴まれていない片手をモゾモゾ動かして、彼の胸板を押し返そうと試みるが力はあまり入らないし、手のひらから伝わる彼の心音を感じて照れてしまった。


 オーウェンがアリスのその手に気づいて「ん?」と微笑みながら首を傾げるので、気まずくなって視線をウロウロと彷徨わせる。


 アリスは少しだけどうするべきか視線を彷徨わせたあと、そっとベッドにその手を投げ出した。上手く回らない頭のせいで抵抗の仕方もこの状況からの抜け出し方もまるで思い浮かばなかった。


 見知らぬ相手や親しくない人に対してなら、今頃は不快に思って魔法を打っ放してしまっていたかもしれないが、オーウェン相手にはそんな感情は浮かんでこないし、魔法を行使しようという考えすらも思い浮かばなかった。


 ドクドクと心音が煩くて、顔はぶわあっと熱くて、頭の中は大混乱でグラグラしている。その様子が伝わっているのかいないのか、オーウェンは笑みを浮かべたまま口をまた開いた。



「もう一度言うけれど、俺には欲しいモノがあるんです」
「.....それは一体何なのですか?」


 またその言葉だ。アリスは先程と違い、その「欲しいモノ」が何なのかを声に出して問うてみた。オーウェンはアリスの金色をじーっと見つめる。


 それから自分の宝物を自慢するときの子どものように口元を緩め、それはもうウットリしてしまうくらいに綺麗にふわっと笑う。そんな彼の表情を今まで見たことがなかったからか不覚だった。アリスは更に顔を赤くさせた。



「それはとても綺麗で、.....いつもふわふわとしていて、今にも消えてしまいそうなほど弱々しいのに、強い輝きも持っている。__.....俺のことを簡単に見つけるくせに、すぐ他のことに目を輝かせてばかりで全然見てくれない」
「.......」


(見てくれない...?つまりそれは、"もの"ではなくて"人"ってこと.....?)


「小さい頃からずっとずっと見つめているのに、誰よりも近くにいようとするのに、本人はそのことに気づいているのかどうかもわからない。.....__まあ、そこまでは良い。しかし、最近"私"が大切にしているそのを横から掠めとって、絶対に敵わないひとの隣に飾ろうとする奴が現れた。_.....俺はもう限界なんです」
「オーウェン様.....」
「せっかく周りを囲んだのに...、ようやく何となく手応えがあったというのに、俺から盗ろうとするなんて.....」
「.....」


 うっとりと綻ばせていた表情が先程とは打って変わって、苦しげなものに変わっていた。


 アリスはじっとオーウェンを見つめる。オーウェンもアリスをじっと見つめたあと、アリスの頬に片手を置いた。アリスは無意識に身体を強ばらせる。


「だから少し手荒だけど奪ってしまおうか、と思ってね」
「う、奪う.....?」


 ギシッとベッドが音を立てる。オーウェンがベッドに体重を掛けたのだ。アリスはその音にビクッと肩を震わせた。


 __この状況は非常にマズイ!


 ベットで押し倒されて、そんなこと言われるなんて。つまり、これからされるかもしれないことも容易に思い浮かんで、アリスは困惑と不安の表情を浮かべる。


「アリス」


 オーウェンがうっとりとした表情を滲ませてアリスの名前を紡ぐ。それが擽ったくてアリスは唇を本当に軽くもごもごと噛む。



(も、もしかして欲しいものって.......、私?)


 流石に鈍感なアリスでもここまで来たらそれを理解できる。だってオーウェンの熱の篭った視線はしっかりとアリスだけを捉えて離れないのだ。危機感がだいぶ足りないアリスは、お互いの息が簡単に触れ合うその距離を保ったままであることを忘れ、今までのことを思い出した。




 オーウェンとは学院に入る前から顔見知りではあった。学院に入って最初はあまり関わりはなかったように思えるが、今年に入って関わる機会が急に増えていた。


 アリスが毎日のようにお昼に日向ぼっこ(という名のエイダとミラの攻防の観戦)でベンチにいつも居ると知れば、それから彼も毎日のようにやってきた。最初は王子相手だからと緊張していたが、いつの間にかとても仲良くなっていた。


 その頃から周りの人間たちとオーウェンとの事に関しての話で何処か噛み合わないところが多くあった。兄たちも変なことを言っていた。それはきっとその頃からあの噂があったのだろうと予測できる。


 そしてオーウェンが先程言っていた"敵わないヒト"というのはきっと王太子だ。アリスは自分が彼の婚約者候補に上がっていることを知っている。しかも結構有力候補らしいのだ。オーウェンはもしかしたらそれを聞いて焦っているのかもしれない。そうアリスは思った。


(流石にここまで来ると自意識過剰ではないはず。オーウェン様、もしかしなくても私のことを.....)


 お友達で終わる気はないのだ、と言う発言も含めるとその考えの信憑性は増す気がした。


「お、オーウェン様は.....」
「うん」
「っ、私が欲しいのですか?」
「...はは、さすがアリスだね。急に直球で来た。.....__そうだよ。俺はキミがずっと好きで、そして欲しかったんだ」


 オーウェンが声を出す度に当たる息が擽ったくてモジモジと小さく身動ぎをしながらアリスは問う。アリスの直球なそれに一瞬だけ驚き、そして照れたように笑ったオーウェンはそれに応えるように頷いた。


「っ」


 ドクンと心臓が高鳴る。最近よく感じるその感覚には未だに全然慣れない。


(こ、これ、.....ゆ、夢じゃないんだよね?)


 前世の少女漫画とかドラマでありそうなシチュエーションに、アリスは思わずベッドの上に放り出していた手を握りこんで爪を掌に立てた。掌に痛みを感じて現実だと認識する。


「ねえ、アリス。奪っちゃダメかな?」
「え、あ、.....えっと」
「キミは俺のことどう思ってる?手応えはあると思ってるんだけど.....」
「わ、わたしは.....」


 彼のその目は「逃がす気はない」と言っているくせにそんな問いを持ち掛けてくる。アリスはオーウェンのことをどう思っているかを考えた。


 オーウェンのことは嫌いではない。むしろ好ましいと思っている。王子と貴族の令嬢という立場を抜きにして、ひとりの人間として彼に好意を感じてはいる。


 ただそれが友愛なのか親愛なのか、それとも違うものなのかはよく分かっていなかった。考えたこともなかった。


 アリスは前世から今まで恋をした覚えがない。していたとしても自覚したことがないのだ。それをする時間はあの頃の彼女にはなかったし、今も割と体調を安定させ穏やかに過ごすことの方を大切にしてきたわけで.....。


(オーウェン様に抱いているこの感情はなんだろう)


 オーウェンの隣は居心地がいいし、一緒にいる時間は好きだ。好きだけれど友達として好きなのか、そうじゃないのか分からない。


「ねえ、アリス」
「...はい」


 アリスが自分の気持ちが分からず固まっているのを見兼ねたのかオーウェンがアリスの名を呼ぶ。アリスは小さくその声に応えた。



「アリスは俺とキスするの嫌?」
「き、きす!?」


(それはもちろん魚じゃないのよね!?ってか、この世界に鱚って存在するのかも知らないけれど!)


 なんて混乱しながらオーウェンを見遣る。彼は真剣な表情を浮かべていた。アリスは魚のことは忘れて、オーウェンとキスする自分を思い浮かべてみた。


「~~っ」


 そして次の瞬間、ボンッと音が出てもいいくらいに羞恥で顔を紅く染めあげる。ようやく引き始めた熱がまた帰ってきてしまった。


「ね、どう?」
「い、いや、ではないと思います...」
「そう、そっか」


 いつからかいつもの敬語が抜け、柔らかい口調になったオーウェンの言葉を鼓膜で受けてアリスはそう応えた。言葉の最後の方は彼に聞こえているのかも分からない。でもしっかり届いたのかオーウェンはアリスと少しだけ距離を空けると満足気に笑みを浮かべる。



「オーウェン様.....」
「なんだい?」
「オーウェン様は私に恋をしているのですか?」
「そうだよ」
「その、"恋"とやらはどんな感覚がするのですか?」


 前世のテレビでも書籍でも分からなかったそれ。何人かに"告白"とやらをされたことはある。ただ何も感じなかった。前世で"欠陥品"、"がらんどう"、出来損ない"が良く似合うらしかった私にはきっとそういったものは用意されていなかった。だって元から時間はなかったわけだし、きっと必要のなかったものだろうから。



「また直球だ。...そうだね。__その人といると落ち着くしずっと一緒に居たいと思う。誰かと楽しそうにしているとモヤモヤするし、自分に笑いかけてくれると舞い上がる。手応えがなければ辛いし、苦しい。誰かの大切な人にはなって欲しくない、とかかな?」
「.......」
「あとは触れたいし、触れられたい。抱き締めたいし.....。うーん、何だか言葉にするととても照れ臭いね」


 段々とオーウェンの顔が朱に染まっていく。先程からアリスが見たことない表情を彼は沢山浮かべていて、アリスはなんだかそれがとても嬉しかった。


(恋、恋か.....)


「その人といると落ち着くんですよね?そしてずっと一緒にいたいとも思う」
「...?うん」
「その人のことを考え過ぎて夜眠れなくなることはありますか?」
「ある、と思うよ」
「では、その人と過ごす時間が減るかもと思ったら胸が....えっと、こうズキズキ?グサグサ刺されてるみたいに痛くなったりとかは.....?」
「ぐ、ぐさぐさ?...__まあ、するね。好きって、恋ってそんなものだよ」


(そんなもの、なんだ...。.........ん?つまり.....?)


 アリスはそんな風にして一つ一つ質問していく。オーウェンはアリスの所々にある不思議な表現に首を傾げながらもその言葉たちに相槌を打つ。


 アリスはオーウェンの言う「恋とはそういうもの」という言葉を聞いてから、ようやく自分の中に最近居座ってグルグルと渦巻いていた"それ"に気がついた。


「そう、そうだったのね。__私、オーウェン様のこと好きなんだわ」
「ん"っ!?」
「お、オーウェン様っ!?ど、どうされましたの.....」
「アリス、君って奴は.....」


 思わぬ死角からの爆撃にオーウェンは思いっきりぶち当たった。思わず変な声を出しながら、アリスの上に力を抜いて項垂れそうになった身体に力を入れる。


 ずっと欲しかった言葉が彼女から出てきたのは良いが、思わぬタイミングで出てきてしまって歓喜よりも前に謎の脱力感に苛まれた。それからジワジワと彼女の言葉が胸に染みていく。


 ようやく全てが解けたわ!と、自分の口にしているその言葉の意味をよく分かっているのか、いないのか、アリスはニコニコと満足そうにしている。


(ああ、でもようやくアリスに思いを言えた。そして彼女のその言葉も聞けた.....)


 正直アリスにそう言って貰える自信はなかった。それでもオーウェンはアリスを手放す気はなく、どうにかして自分のところに囲うつもりだった。しかし、この状況はとても良い。


「アリス、それはつまりさ」
「...はい?」
「俺に奪われてくれるってことで良いんだよね?」
「う、うばわれてくれる.....?」
「俺たち好き同士、ですからね?...ね?」
「そ、そうですわね.......」


(なにそのスマイル!?オーウェン様こういう表情もできるの?)


 不覚にも恋とやらを自覚したアリスにはその顔すらも素敵に思えたが、よくよく考えてみると明らかに怖い。有無を言わさぬその表情にアリスはただ頷くしかできなかった。だってどう考えてもそれ以外の選択肢はないのだから.....。


 彼の表情や声には、アリスに首を横に振らせるつもりのない圧力があったのだから仕方がない。


「アリス、今から"キミ"を貰うから」
「それは、...つまり?」
「俺は黙らせなければいけないやつが沢山いてね。.....分かってくれるよね?」
「.......」


(頷く以外の選択肢がない.....!)


 アリスは遠い目をしつつその言葉に頷いた。オーウェンはいつもは見せないスマイル(悪魔)からいつもの笑顔(王子様)に戻るとアリスの額にキスをした。



「ひ、ひぇ.....」
「大丈夫。今日は時間があまりないから無理はさせないよ。ちょーっと痛いかもしれないけれど、優しくするし」



 __男の"優しくする"は信用ならんから!



 アリスは相変わらず遠い目をしたまま、先程と同じくらいの近さに迫ったオーウェンを見つめる。彼の言葉を聞いて思い浮かんだのは、前世で唯一と言ってもいいほど仲の良かった友人のその言葉だった。


(実はオーウェン様、お腹の中が真っ黒だったりするのでは...?)


 今更それを考えついたとしても、もう逃げる術はアリスにはなかった。


「...っ」
「ふっ、.....アリス、愛してる」
「あ、い?.....んっ」


 緊張して固まっているアリスに予想通りだったのかクスリと笑ったオーウェンは、その言葉をアリスに向かって差し出した。


 今世でのあの暖かい家族ひとたちからしか貰ったことのない、口にするのは簡単だけれど、意味を届かせるのは難しいその言葉だった。"暗闇"がいつも決まって"終わりに"言いかけるその言葉だった。


 オーウェンがそっとアリスに口付けを映す。軽く合わさった唇が曖昧になりかけていた現実をゆっくりと起こしていく。



◇◆◇

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