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◆第1章 ゆっくりと籠に堕とされていく金糸雀

009.少しずつ嵐は近付き、世界は脱線する

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(オーウェン様と私がお付き合いしている?)


 アリスはその事を考えすぎて熱発した。そのせいで2日ばかり学院を休んだ。いつもなら「エイダ様やミラさんを早く見たい」だとか、「あの本を早く読みたいのに」だとか、「授業が...」だとか考えてしまうはずなのに、今回は全くそういうことは思い浮かばなかった。


 __『だって、アリスさんとオーウェン様は"お付き合い"されているのでしょう』


 そう言ったマリーナの言葉がずっと頭の中をぐるぐるして、それからオーウェンの顔が浮かんで、学院での周りの生徒たちの可笑しな言動や視線を思い出す。


(確かに私とオーウェン様は仲が良いと思う。.....でもただのお友達なのに.....。やっぱりこの世界でも男女の友情は成立しない派が多いのかな)


 相変わらず王子をお友達と言うことに、「私ったら不敬ではないかしら?」という不安やら恐怖やらが思い浮かぶのだが、それよりも『お付き合いをしている』と学院の人たちに思われていることの方が遥かに怖い。


 陰湿ないじめとか嫌がらせとかを受けないのは、アリスが侯爵令嬢だからだ。きっとそうだ。特に家の名前もある。侯爵の中でもシェッドスフィア家の地位はこの国では高い。



 シェッドスフィア家は、数代前、当時の王から侯爵から公爵へと陞爵しょうしゃくしないかと提案をされたことは有名な話だ。そして、当時のシェッドスフィア家当主が、建国した際に王家と交わした"約束ちかい"を守るために断ったことも同じくらい有名な話である。


 王の言葉を断ることなど許されるはずないのだが、こればかりはその当時の王も諦めざるを得なかった。そして、この国、オーリアノッドの建国から随分経っても"約束"を守ろうとしていることに王はとても喜んだという。


 シェッドスフィア家の役割は、『流す』『はじく』『不必要なものを減らし、取り除く』『解明し、照らす』だ。建国当時、初代の王と"血の約束"をした今の4つの公爵と、2つの侯爵のうちの一つである。


 その6つの公爵と侯爵のそれぞれの役割を知らない者は多くいる。しかし、建国史やら授業やら大人から聞く昔話やらでそれぞれの家の名はこの国で広く知られている。貴族なら仲良くはしたくても、中々手を出したくはないだろう。特にシェッドスフィア家はその"役割"からあまり敵に回したい人はいない。



(でも、だからといってこの状況はなぁ.....)


 男女が毎日のように一緒にいればそういう噂がされるのは当たり前だ。その二人の本当の仲を知っている者など本人たちだけか、それに近しい者くらい。自分たちが真実を言わない限り、外野で見ている者がその真実を正確に捉えることは難しい。特に少しでも噂が流れれば、面倒なことになるのは分かりきっている。


(深く考えなくても分かるはずなのに.....!)


 アリスは頭を抱えた。恋愛経験なんて前世から全くない。他人の恋愛にも友人からの話以外ではあまり関心はなかった。それだけでなくアリスは少し呑気にし過ぎていた。


 他人のことを観察するのは好きだが、彼らの話している内容にはあまり興味を持つことは少なかったため、噂が流れ始めていても気づかなかったのだ。すぐ気づいていればどうにかできたかもしれないのに、とアリスは今更つらつらと考える。


 噂されていることを含め、全てオーウェンの計画通りで、オーウェンはアリスのことを友人ではない感情で好意を持っているのだと知らないアリスはそれはもう悩んだ。


 熱が引き、学院にいつものように登校するのだが、 身体に重石のような重いものがじわりじわりと押さえつけられるような気分になった。


(今まで何も思わなかったけど、視線が気になるわ.....)


 どうも最近周りと話が噛み合わないことがあるとは思っていた。思っていたし、よく色んな人から見られる。だが、アリスにとってそれは割と日常だった。シェッドスフィア家の者というだけで見られるし、アリスの瞳の色には関心が向きやすいこともあって慣れきってしまっていた。


(マリーナさんが知っているということは、王太子殿下は絶対に知っている.....)


 マリーナは王太子であるクロードと仲が良い。そして同じクラスだ。この前、街でクロードに会った時、彼は何も言ってこなかったのに、と考えてとあることを思い出した。


 __『最近学院での生活で困ったことはないかい?』


 と何かを心配した表情でクロードはアリスに聞いてきた。アリスが首を傾げれば、『いや、貴女が大丈夫なら良いんだ』や『でも、"色々"大変だろう?困ったことがあれば私に言いに来なさい』と言っていた。


 アリスはあの時、クロードのことを後輩を心配する先輩という風にしか考えていなかった。特にアリスの家族が過保護過ぎて、それを知っている者たちはアリスに『困ってないかい?』と有難いことによく声を掛けてくれるので、アリスは何とも思っていなかった。


(あれってもしかして"このこと"を言っていたのでは.....?)


 と、今更ながらにクロードの言葉を思い返して考える。マリーナが言うように学院の者の殆どが"このこと"を知っているのなら、いくらアリスが侯爵令嬢で例えシェッドスフィアの人間だとしても色々と言ってくる者はいるだろう。噂の相手が王子なのだから。だからクロードはアリスに困ったことがないかを聞いてきたのだろう。そう考えるとアリスは更に重い気持ちになった。オーウェンの兄であるクロードに誤解であっても噂を知られているなど普通に困るからだ。



「.......」


 昼食を終え、北校舎側へ続く廊下を歩きながら相変わらず噂のことで悩む。いつもなら「今日のエイダ様とミラさんが楽しみだわ~」とニコニコしながら歩くのに、今日は全くその感情が浮かばない。


 噂を否定したいのならアリスがあのベンチに行かなければオーウェンと過ごさないことにも繋がる。そうすれば噂も消えていくのだろうが、アリスの身体はいつの間にか染み付いた日課の通りに行動してしまう。


 今日はあの場所へあまり行く気はしなかったのに、つらつら考え込んでいるうちにアリスは無意識にこんな所まで来ていたのだ。



(.....本当にどうしよう)


 悩んでも何も浮かばない。重たい足取りであるが、いつもの定位置は確実に近くなってきている。



 __そんな時だった。



「あの、すいません。アリス・シェッドスフィア様ですか?」
「?.....ええ、そうですけれど」
「少しだけお時間よろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわないですわよ?」


 廊下を歩いていると話しかけられた。振り返ると一人の女の子がこちらの様子を伺うように見ている。制服のリボンの色は緑だ。学院のリボンとネクタイは学年により違い、赤は現在の3年生、青は2年生、緑が1年生となっている。


 彼女は1年生のようである。


「あの!質問してもよろしいですか?.....少し変な質問かもしれないんですけど.....」
「??」


(へ、変な質問?まさかオーウェン様との噂の件かしら?.....これは噂は誤解だと伝えるチャンスなのでは?)


 アリスがそう考えながらコクリと頷くと、1年生は濃い茶髪の毛先を弄りながら、緑色の目を右へ左へ動かす。何か聞きづらいことなのだろうか?と、思いながら黙って待っていると、ようやく決心した、というように彼女がしっかりとアリスを見た。


「そ、その!.....シェ、シェッドスフィア様は、女性なのですか?」
「え?」


(女性なのですか?.....どういうこと?男性だと思われているのかしら)


 思わぬ方向からの質問にアリスはポカンと口を開ける。この見た目なのに性別を問われるとは思わなかった。


「.....」
「.....」


 長い髪はライラに結ってもらい、リタが選んでくれた可愛らしいリボンをつけているし、制服だって明らかに女性用だ。もちろん胸に膨らみもある。それに明らかに声や体格も男性のそれとは違うだろう。


「ええ、もちろん。.....私の性別は女で間違いないわ」
「.....で、...ですよ、ね」


 そう答えれば、彼女はどうも腑に落ちないと言う顔をしている。そしてアリスの頭のてっぺんから爪先まで確認するように視線を滑らせた。そして効果音でもつきそうな勢いで頭を下げた。


「失礼なこと聞いたり、ジロジロ見てしまったりしてすみませんでしたっ!その、.....シェッドスフィア様にとても良く似ている男性の方を見たことがあるので、つい気になってしまって...」
「そういうことですか。.....でも、見ての通りの性別ですわ」


 そう言うと彼女はコクリと小さく頷いた。近くで改めてアリスのことを確認して納得したのだろう。


(私に似ている男性、ね。兄様たちはそれなりに似ているかもしれないけど、わざわざ質問されるほどではないし。似ているなら少なくとも髪の色は薄い水色の筈だろう。目の色が同じ人など特にこの国では見ることがないだろうし.....)


 と、考えてみる。1番アリスに似ているだろう2番目の兄テイトは髪が薄紫だから流石に見間違えないだろう。兄妹で唯一同じ髪色のクラウスは父に似ていて、母似のアリスとはあまり見間違うことはないだろう。


(.....となると?)


 もしかしたら親戚の誰かと間違えられたのかもしれない。もちろん前述した通り、アリスは遠い国出身の母親似だが、髪の色だけなら同じ色の人間もそれなりにいる。遠目に見て、誰かが彼女に「あれはシェッドスフィアの.....」と話していれば、それなりに見間違えるかもしれない。


「あともう1つだけよろしいですか?」
「ええ、いいですわ。何でしょう?」
「アルバート、という男性を知りませんか?」
「アルバート?.....それは先程の私に似ている方のお名前?」
「はい」


(アルバートかあ。.....同じ名前の人間は沢山いるけれど、私と見間違えるような人間でその名前となると.....)


 と考えるが、やはり分からない。きっと自分の知る人の中にその人はいないだろう。その名前でアリスに似ているとなると、親戚の誰かと間違ったという可能性はそれが偽名でない限りは薄かった。


「ごめんなさいね。この学院でその名前の方には何人か心当たりがあるのだけれど、私に似ているとなると分からないわ」
「...そうですか。いえ、お時間を取ってしまい申し訳ありませんでした。それだけでも知ることができて良かったです」


 そう言ってその子はまた頭を勢いよく下げると、「失礼致します」と踵を返してあっという間に廊下からいなくなってしまった。


「.......」


 アリスは何だかモヤモヤしたが、自分には関係のないことのようだから、と考えながらまた歩き出した。そうすると、忘れかけていた悩みたちがまた思い浮かんで思わずため息をつく。


「今日、どんな顔をしてオーウェン様に会えばいいの?」


 噂を知ってしまった手前、どう行動すればいいのかばかり考えてしまう。エイダとミラをただ眺めていたいだけだった数ヶ月前の自分を懐かしく思った。



◇◆

<色んな意味で苦労人、王太子クロードの心境>

(あああ、いつもうちの弟がごめんねぇ!君、絶対"あの噂"知らないよね?絶対オーウェンが囲い込みに行ってるだけだよね??注意しないと!.....ああ、でもオーウェンのやつ、めちゃくちゃ怖いんだよぉおお)


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