上 下
23 / 36

10話 貴女の望みは?

しおりを挟む
 
 次の夜。夫妻はまたリリシアの寝室にいた。ゆったりとした手当ての時間が流れる。そして夫は席を立つと、今度は側のテーブルでお茶の準備を始めた。スパイスのつんと来る匂いが鼻をついた。薬葉の説明をしてくれたのだが、今夜もドキドキしてしまって頬を赤くしているリリシアの耳にはさっぱり入ってこない。

「リリシア殿。……リリシア殿?」
 リリシアははっと顔を上げた。
「は、っ、はい!」
「できたよ。どうぞ、熱いから気をつけて」
「い、頂きます……」
 セヴィリスはティーカップを彼女に渡すと、再び椅子に腰を下ろした。また、きっちりと膝をそろえて座る。そして、少し躊躇いがちに妻に尋ねた。

「貴女をここに迎えてそろそろ二十日ほど経つけれど、なにか、やってみたいことなどはないのかな?」
「……え?」

(やってみたいこと、って、どういう意味かしら)

 リリシアは言葉の意味がよくわからなくて、ティーカップを掲げたまま首を傾げる。
 セヴィリスは長いまつ毛を忙しなく瞬かせ、困ったように眉を下げた。
「ええと、侍女のサラや、家令のアンドルから何度か頼まれているんだ。貴女に尋ねるようにと。ここの生活に馴染んでもらうためにも、なにか楽しみを見つけるのはとてもいいことだと私も考えている」
「私の……楽しみ、でございますか?」
「そう。貴女は、何をしたら一番楽しいのかと。たとえば芝居を観たいとか、吟遊詩人を呼びたいとか。そう、豪華な庭園を作りたいとかね。貴女はその、あまり自己主張をされないと聞いたから」

 ともかく、奥様はなにかお望みはないのでしょうかと迫られるというのだ。
「そんな、私はなにも……本当に良くしてくださって、これ以上望むものなどありませんわ」
 セヴィリスはリリシアをじっと見る。
「私は貴女をここに迎えたときに言ったよね。好きに過ごしてほしいと。みんなで望み通りにするからと。これは館の者皆の気持ちなんだ」
「え、ええ……」

 リリシアは微笑もうとしたが、かえって頬がぴくぴくと引き攣ってしまう。自分の望みなんてそんなもの、伝えても鼻でせせら笑われてきた。それに、望みをなんでも言っていいなんて、そんな価値は自分にはない。

「わたしはなんでも、なんでもだいじょう、ぶ……」

 言いかけたところを、セヴィリスが優しく遮った。
「『大丈夫』、ではなくて、貴女のやりたいと思うことを尋ねているんだ。ゆっくりでいい。何かしたいこと、ほんとうにないのだろうか?」
 もちろん、無理にとは言わないけれど。

 遠慮がちなその言い方に、胸がきゅっと詰まる。
(本当に……、お伝えしてもいいのかしら)
 ずっと気になっていることがひとつある。だが伝えてもいいのか躊躇う。セヴィリスはただ、静かにリリシアを待っていてくれる。

「で、では……」
 彼女は薬草茶をこくりと飲み、息を吸った。

「ベルリーニ家の領地にある修道院のことです。シノ達の無事を確かめたくて……」
 セヴィリスは一瞬大きく目を見開く。だがゆっくりと納得したように頷いた。

「……なんだか実に、貴女らしいな。森でのこと。あの少年たちのことが気になるんだね」
「ええ。もしかして、あの子達まで魔印に苦しんでいたらと思うとずっと心配だったので……」
 リリシアはカップを持つ手に力を込めた。
「も、申し訳ありません。楽しい催しなどではなくて」
 セヴィリスは首を横に振った。
「そんなことはない。気になっていることを教えてくれて嬉しいよ。だが、彼らの安否については問題ない。私たちはあの後、修道院を訪ねたんだ。……実はそこで貴女の素性も教えてもらったんだよ」
「ま、あ……!そうでしたのね」
 セヴィリスは慌てて付け加える。
「も、もちろんこれは聖騎士として正式な手続きだよ。魔物に遭遇した者への聞き取りだから」
「ええ、わかっております」
 
 聖騎士は存在を公にしないと言っていた。だから、話が闇雲に広がったりしないよう注意深く配慮されているのだ。
「たまにしか訪れることはできませんでしたけれど、私はあそこで子供たちと一緒にいるのが楽しくて……でも、挨拶もできないままこちらに来ましたから」

 あの修道院はリリシアにとって唯一の心安らぐ場所だった。最後にもう一度金を寄付できなかったのが少し心残りだが。

「でも、それを聞いてとても安心しました。ありがとうございます!」

 リリシアは夫に礼を言う。セヴィリスは顎に手を当て、考えるそぶりをしていた。
「では、今度一緒に修道院を訪ねるのはどうかな」
「え?」
 リリシアは驚いて寝台から立ち上がる。
「よ、よろしいのですか?」
「もちろんだよ。こちらも色々と手続きを急かしてしまったからね。貴女に申し訳ないことをした。気になるのは当然だよね。真っ先にあの少年たちを守ろうとしたのは貴女なのに」
「そ、そんな……。でも、ありがとうございます、旦那様……」
 ねぎらいの言葉に、彼女は思わず涙ぐみそうになりながら夫を見つめた。
「とても、嬉しいです……」
 セヴィリスは緑色の瞳をぱちくりとさせた。
「……う、うん。わ、私も貴女が望みを伝えてくれたことが嬉しいよ。……あっ、あのほら、他にもないかな、なんでもいいんだ」
 夫が目に見えて慌てだしたので、リリシアもつられてどぎまぎとしてしまう。セヴィリスの凛とした風貌が焦った表情になると、とても。
(可愛らしい……)
 リリシアの頭にそんな言葉がぽわんと浮かぶ。彼女は慌ててそれを打ち消した。

「え、ええと、で、では、もうひとつだけ」
 リリシアは頬を染めながら長年の願いを口にした。セヴィリスは期待を込めて頷く。

「できれば、お茶会を」
「茶会? ご婦人方が興じる、あの催しのこと?」
「ええ……」
 彼女は気恥ずかしそうに頷く。
「その、私はあまりお茶会の経験がないので」
 最後に侯爵夫人に招かれた時は、水をかけられてしまった。
「すぐ家令に手配させよう。どなたか招きたい人はいるかな?この館は王都から離れた辺鄙な場所にあるから、街の館で開催した方がいいだろうか。私は貴族の知人はほとんどいないんだ。だが、誰かつてを辿って招待しよう」
 リリシアは首を横に振った。
「あの、サラさんや、私の世話をしてくれる方たちをご招待したいのです」
「サラ? 侍女の?」
 リリシアは頷いた。侍女や使用人を茶会に招くなど聞いたことがない。だが、これが彼女の望みでもあった。
「皆さん、ほんとうに良くしてくださいます。私の体調を気遣ってくれるのがほんとうに嬉しくて」
(少し大胆すぎたお願いだったかもしれないわ、困ってらっしゃる)
 リリシアは肩を小さくした。出過ぎたかもしれない。
「それは……」
 セヴィリスはなにか言いかけてやめた。
「わかった……彼女たちも喜ぶと思うよ。楽しい茶会になるといいね」
「あ、ありがとうございます!」

 セヴィリスは柔らかく頷くと、席を立つ。今宵の魔印の手当ても滞りなく終わったのだ。夫は、豪華な寝台のある部屋を出ていく。

「じゃあ、ゆっくり休んでね。おやすみ」
「おやすみなさいませ」

 夫婦はそう言い合って、互いの部屋へと別れる。夜が更けていくなか、満月へと向かい始める月が淡く光っていた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!

凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。  紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】 婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。 王命で結婚した相手には、愛する人がいた。 お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。 ──私は選ばれない。 って思っていたら。 「改めてきみに求婚するよ」 そう言ってきたのは騎士団長。 きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ? でもしばらくは白い結婚? ……分かりました、白い結婚、上等です! 【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!  ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】 ※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。 ※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。 ※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。 よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。 ※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。 ※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

騎士の浮気は当たり前〜10年間浮気してた相手と別れた翌日妻に捨てられた俺の話〜

おてんば松尾
恋愛
騎士であるグレンは妻を愛している。子供達も立派に育ち家族円満だと思っていた。 俺の浮気を妻は10年前から知っていた。 バレても本気じゃない遊びだ。 謝れば許してもらえると単純に思っていた。 まさか、全てを失うことになるとは……

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

結婚相手が見つからないので家を出ます~気づけばなぜか麗しき公爵様の婚約者(仮)になっていました~

Na20
恋愛
私、レイラ・ハーストンは結婚適齢期である十八歳になっても婚約者がいない。積極的に婿探しをするも全戦全敗の日々。 これはもう仕方がない。 結婚相手が見つからないので家は弟に任せて、私は家を出ることにしよう。 私はある日見つけた求人を手に、遠く離れたキルシュタイン公爵領へと向かうことしたのだった。 ※ご都合主義ですので軽い気持ちでさら~っとお読みください ※小説家になろう様でも掲載しています

【番外編】小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃
恋愛
主従でありながら結婚式を挙げた護衛騎士のアレクと王女マルティナ。戸惑い照れつつも新婚2人のいちゃいちゃ、ラブラブの日々。また彼らの周囲の人々の日常を穏やかに優しく綴ります。※不定期更新です。一応Rをつけておきます。

処理中です...