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8話ー2

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彼は少しむっとしたように口をへの字にした。

「そうだよ。これが一番手っ取り早い方法だったからね。でも、貴女を守るというのは『そんなこと』じゃない。貴女の魂にかかわることだ。聖騎士は魔物から人々を守り抜くのが使命だ」
「で、でも……っ」
 リリシアはなおも言い募る。
「……もちろん、この婚姻が国の常識の範疇ではないことは承知だけれど」
 彼は小さくため息をついた。
「セヴィリス様……」
「この数百年、国では聖騎士の存在は公にはされていない。あらぬ恐怖を煽らないためにと、国王陛下と聖教会の間で取り決められているからね。魔印に侵された令嬢を保護し守るために、聖騎士団の者で相談して決めた。……ともかく、こうするのが最善なんだ」

 彼はやけに熱のこもった早口で喋ると、ふ、と言葉を切った。

「でも、貴女にとっては理不尽なことかもしれないね……申し訳ない。危険な目に遭わせたうえに、聖騎士の義務などに巻き込んでしまって……」
 セヴィリスはしゅんと項垂れた。その姿さえ悩める精霊の王子のようだ。
「いえ、そんなこと……」
 言いかけて、リリシアは言葉につまる。自分の肩をもう一度確かめた。今ではなんとも不吉な印に見える。

(私の身を守るために求婚なんて……セヴィリス様はそんなご決断をなさったということ?)

 リリシアに限らず、貴族令嬢には将来を選ぶ自由はほとんどないに等しい。のけ者扱いだったリリシアは特に。だから、彼女は自分を望んでくれたことがほんとうに、純粋に嬉しかった。だがセヴィリスは、責務のために彼女を伴侶に望んでいた。
(なんだかとても、申し訳ないわ……)
 彼女は俯いた。不本意なのは、彼の方ではないだろうか。だが、セヴィリスは慰めるようにリリシアに告げる。

「魔印の手当てができるのは私たち聖騎士だけなんだ。それでも、一時的に和らげることしかできない。これからも、満月の晩が一番痛みがひどくなると思う」

 彼は椅子から立ち上がり、胸に手を当てた。

「必ず。あの魔物、ラギドを倒し貴女の魔印を取り除く。なんでも望みを言ってほしい。貴女がここで快適に過ごせるように、みんなでがんばるから」

 あの時リリシアは少年たちを守る為に無我夢中で魔物に立ち向かった。そのせいでアレに目をつけられたことになる。
 行動したことを後悔はしていないけれど、でも。

 リリシアの中で色々な気持ちがぐるぐると回る。

「あの時の、……私の、不注意のせいで、このようなご迷惑を……ほんとうに申し訳ありません」
「そんなことはない! あの場でラギドを倒せば魔印は消えていた。これは私の落ち度だよ。貴女が気に止む必要はないんだ」

 セヴィリスはさらに申し訳なさそうに眉を下げた。

「ラギドは深傷を負い、姿をくらませている。傷が癒えるまで数ヶ月はかかるはずだ。本当は棲家を探し出して叩きたいのだが、闇に紛れてしまった魔物を見つけ出すのはとても困難なんだ。動き出すのを待つしかないのだけれど」

「大丈夫だよ。貴女にとって望まぬ婚姻であることはわかっている。その、ふ、夫婦生活を送るつもりはないから、安心して」
 彼はリリシアの夜着ーーほどきかけた胸のリボンがはらりと垂れているーーを見ないようにして、後ろを向いた。

「ここは今日から貴女の住まいだ。好きに過ごしてくれていい。もちろん、魔物を倒したからといって離縁したりなどしない。魔印が消えて元気になったら、愛人を作るのもいい。私は子供も望んでいないから」

 とにかく貴女の人生を、命を守るのが私の、聖騎士としての責務なんだ。

 彼はしっかりとした口調でリリシアにそう告げた。一瞬、瞳がめらめらと燃え上がったように見えた。彼の瞳はリリシアを通り越し、その後ろに巣食う魔へ向かっている。リリシアはそこに、底知れぬ敵意を感じた。

「……今日は疲れたよね。おやすみ。ゆっくり休んで。そのお茶にはよく眠れるような調合にしてあるから」

 穏やかに微笑むと、夫は中扉の向こうの自室へと消えていった。一人残されたリリシアは混乱と、不安と、安堵と、なぜだかわからないけれど、少しの寂しさを感じながら閉じた扉を見つめていた。
(な、なんてこと……)

 分厚い布がかけられた窓の外で、丸い月がグリンデルの黒い森を照らしていた。

 そして、リリシアはその夜、本当に久しぶりに夢のない深い眠りにつくことができたのだ。

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