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第四幕 みんなが子猫を探して上や下への大騒ぎ

土州 3

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 余三郎の案に希望の光を見出して目を輝かせる甘蔵。

 その逆に、二人を追いかけている土州は今の話を聞いて焦り始めた。

「ほぉ、言われてみればその通りだ。じゃが、それを知ったわしが貴様きさんらをこのまま見逃す思うてか!」

 わりと余裕を見せて追って来ていた土州が速度を上げて迫ってきた。

「お、おい! このままじゃっつかれるぞ! もっと早く進め!」

「そう言われても……」

 早く進もうにも余三郎たちを導く猫の歩みが遅い。余三郎はとっくに猫の尻尾が掴める位置に追いついている。

「まずいぞ! あの高下駄野郎がもうそこまで迫ってる!」

 後ろを振り返った甘蔵が悲鳴に近い声を上げた。

「おっさんのくせに情けない声を上げんでくれ。どうせなら恰好良く『ここはわしが食い止めるから先に行け!』くらい言ってくれてもいいのに」

「阿保ぅ! 綺麗で乳のデカい姉ちゃんが相棒ならそれをやる甲斐もあるが、名前も知らねぇガキのために張る命なぞ持ち合わせちゃいねぇよ!」

「なんて言いぐさだ。助けるんじゃなかった!」

「助けるんじゃなかった? そういう言葉は最後まできちっと助けてから言ってくれ、そしたら次は俺が命を張って助けてやるからよ!」

「本当だな? じゃあ今回のは貸しにしておくぞ」

 余三郎は甘蔵を先に行かせると、振り返って土州と向き合うように立ち上がった。

「お、おい、まさか?」

 本当に土州を相手に真剣勝負をするのかと甘蔵はぞっと肝を冷やした。

 けれど、元より余三郎には本職の剣士と刀を交える気などさらさら無い。余三郎の狙いは土州の背中の向こうにいる人たちだった。

 余三郎は両手を口元に添えて大声を放った。

「おーい、おっさんらー! 今がここから逃げる絶好の好機ぞー! 怖い怖い見張り役はこんなところまで来た。おっさんたちが今逃げ出したら追いつくまでにそうとう時間が掛かる。逃げるなら今だぞー!」

 余三郎たちの追いかけっこを他人事のように眺めていた奴隷人足たちは余三郎に言われてハッと自分たちの状況に気が付いた。土州も気付いて『しまった!』と顔を歪めた。

「そ、そうだ。今こそ!」
「確かにあそこまで離れてたら簡単に戻れねぇ!」
「おい、足を出せ、足枷の鎖を切ってやる!」

 奴隷たちは自分たちを縛る足枷の鎖を互いにツルハシで叩き切って一斉に逃げ始めた。それを見ていた土州は慌てて地上の見張りの男に向かって声を張り上げた。

「は、浜吉ぃ! 聞こえちょるかー! 今すぐ経文堂の扉を閉めろぉー! 集団脱走じゃ! 誰が来てもそこを通しちゃならんぞ!」

 土州が大声を張り上げたしばらく後に遠くの方から「承知しやしたぁー」の声が戻ってきた。

 土州と浜吉のやり取りを聞いた奴隷たちが、地上に戻っても出口を封じられていたのでは逃げられないんじゃないかと不安になって足を止めかけた。が、余三郎が再び大声で檄を飛ばした。

「止まるな、止まるな、そのまま逃げろ! どれだけしっかりと扉を閉めたところで、おっさんたちが今握っているツルハシを使えば木の扉なんぞ一発で壊すことが出来る! それに地上にいるのは浜吉というヤクザ者が一人だけだ。刀は持っていなかったぞ! 持っていたとしても懐に隠せる程度の短刀一本だけだ! こっちはツルハシ持ったおっさんらが三十人もいるんだから人数で押し切れる!」

 止まりそうになっていた奴隷たちの足が再び速くなったのを見て土州は焦り、本性を剥き出しにして奴隷たちを脅迫する。

「おはんらその場を動くな! わしの言うことをきかんで逃亡する奴は全員叩き斬っちゃるきに!」

 今度は奴隷たちが動揺する前に余三郎が素早く彼らを鼓舞した。

「わはははは! そんな脅しに意味はないぞ! 大人しくいう事をきいていてもどうせ最後にはみんな殺される! 今の作業が終わればみんな口封じで殺されるんだ、ちょっと考えたらわかるだろ! みんなそのまま走れ、殺されたくないのなら今逃げるしかないんだよ!」

 今まで『殺されたくなければ言う事をきけ』と、刀による『恐怖』だけで奴隷たちを支配していた土州。ところが今は不意に現れた子供にこれまでのやり方を逆手に取られて『殺されたくなければ逃げろ』と、真逆の効果に利用されてしまった。

「くっ! このガキ、まるで幻術師のように人を操りやがる!」

 最後まで逃げようとせずに用心深く様子見をしていた臆病な奴隷までもが「あぁそうか、逃げなきゃ逆に不味い事になるんだ」と重い腰を上げて、今では一人も残らず逃げ始めていた。

「いいぞ! よくぞ思い切った! 今逃げなきゃ二度とお天道様を拝むことができなくなるぞ! ほら、今こそ好機ぞ! むしろ今しかない! 早く逃げろ! そら逃げろ! 早く! 早く! もっと早く! 走れ! 走れ! 走れぇー!」

 余三郎に煽られた奴隷たちの足がさらに加速した。

「ちいっ!」

 憎らしいほど的確で効果のある余三郎の扇動っぷりに土州は大きく舌打ちをする。

 今、土州は選択を迫られていた。

 猫に導かれて鍾乳洞の奥へ向かっている余三郎たちを追うか――、
 集団脱走を始めている奴隷たちを追うか――、

 寸の間迷ったが土州は余三郎たちに背中を向けて石筍地帯を戻り始めた。

 土州の心情的には、自分を窮地に追い込んだ余三郎を自慢の刀でバッサリ斬ってやりたいところだが、今は一瞬でも早く奴隷たちに追いついて始末しないといけない状況だと判断した。

 余三郎たちが追っているあのデブ猫がどこから入り込んで来たのか知らないが、その通路が人が通れるほどの路じゃない可能性だってある。もしそうだと彼らは行き止まりの洞窟の中で立ち往生だ。

 一方、奴隷の方は一人でも逃げ延びてそいつに番屋へ駆け込まれてしまうと、これまでやってきたことの全てが終わってしまうのだ。

「待て! 待ちやがれ!」

 土州が大声を張り上げて追いかけるが今更その声を恐れて止まる者などいない。奴隷たちはドカドカと音を立てて板橋の上を走っている。

 これまでの労働で死にかけていた者ですらここが最期の踏ん張り処とばかりに目をギラつかせて懸命になって走っている。

「くそっ!」

 ようやく石筍地帯を抜けた土州が履いていた高下駄を脱ぎ捨てて、素足でがむしゃらに奴隷たちを追いかけるが、死力を尽くして逃げている奴隷たちはもう背中が見えないほど遠くに行っている。

 やがて奴隷たちの板橋を踏み鳴らす音が遠くなり、土州の背中も闇の中に消えた。

 その様子をずっと見ていた甘蔵は四つん這いのまま余三郎を見上げて感嘆の溜息を洩らした。

「お、おまえ……この切羽詰まった状況でこんな機転を利かす頭はてぇしたものだが、その、あれだな、人を扇動する力が半端ないな。普通は出来ないぞ、一度も言葉を交わしたことのない人間の集団をああも簡単に動かすなんて……正直、怖ぇくらいだ」

「扇動って言い方はあまり好きじゃないな。人を動かす力の事を言いたいのなら、もっと格好良く『統率力』と表現してくれると嬉しいね」

 余三郎が少し照れながらもドヤッと自慢げにしている。そんなところに年相応の少年っぽい生意気さを感じた甘蔵は「おかしな奴だな」と苦笑した。

「そんなことよりも猫がもうあんなところまで行っている。見失わないうちに追いかけよう甘蔵さん」
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