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第一章 童貞勇者と過保護なお姉ちゃんたち

今日の若様はお姉ちゃんや妹ちゃんが一緒だと行けないイケナイお店に行こうとしているんだね?

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 バーグマン侯爵領は豊かな土地である。

 農業の収穫は他領と変わらない程度だが、領地の東側にある鉱山からの税収だけで公爵家の総収入に匹敵する収入が得られた。

 この鉱山から産出されるのは主に鉄鉱石。鉱山の周辺にはバーグマン家の認可を受けた製鉄所が立ち並び、鉄工業に関連する産業が発展。産業が発展すると当然のように労働力の需要が高まった。

 鉄鉱石を掘り出す鉱夫、鉄鉱石を製錬して鉄を作るふいご吹き、その鉄から様々なものを作り出す鉄工所。そして出来上がった製品や鉄材そのものを売り買いする商人たち。

 特別な技能は無くても、とりあえずここに来ればいくらでも働き口があるので人が集まるようになり、領内の人口は自然と鉱山がある東側へ集中するようになった。

 その結果、バーグマン侯爵領の政治的中心はバーグマン家の居城があるホワイトヒル。経済的中心は鉱夫の街であるアイアンリバー。というふうに侯爵領は一つの領内に二つの都市を持つ変則的な領地形態になっている。


「相変わらず賑やかな街だなぁ……」

 馬屋に乗馬を預けたイーノックはアイアンリバーの陽気な賑わいを楽しみながら人の流れに添うように大通りを歩いていた。

「おや、若様じゃないか」

 イーノックが振り返ると、やけに胸の大きな女性が人好きのする笑顔で手を振っている。公園の一角に十組のテーブルと椅子を設置して鉱夫相手に安くて量の多い食事を提供する青空食堂『鈍色ヘルメット』。そこで給仕をしているアポーペンさんだ。

 色気の無い簡素な水色の給仕服を着ているのに成熟した女性の魅力が滲み出ているアポーペンさんは食堂の常連客たちのアイドルで、今よりも若かった頃なんかは鉱夫の野郎共から毎日のように求婚の告白をされ、他領の貴族からも側室の誘いがあったくらいの美人従業員だ。

「久しぶりだね若様。最近見なかったけど元気だったかい? というか今日は一人なのかい? 珍しいじゃないか」

 次々と出来上がってくる料理を木製のトレイに載せてテーブルの間を忙しく行き来するアポーペンさんは仕事のペースを全く落とさずにイーノックに話しかける。さすが給仕歴ウン十年のベテランだ。

「えぇ、まぁたまにですけど。こういう日もあるんです」

 アポーペンが言う通り今日はイーノックの側に姉も妹もいない。確かにこういう状態はかなり珍しい。

 何かと理由をつけてイーノックを構おうとする姉二人はそれぞれに用事があって朝早くから出かけている。

 起きている間は常にイーノックに引っ付いているロッティが帝都から帰ってくるのは明日の昼頃の予定だ。

「そっか、一人でお出かけするのは寂しいね。いや、むしろ開放感のほうが強いかな」

「どちらかと言うと解放感ですね。こういう機会にしか行けないところもあるし」

 もちろんイーノックは姉や妹を邪魔に思っているわけではない。三人とも大切な姉で、可愛い妹で、大事な家族だ。けれど、それはそれとして一人だけでお出かけしたい場合もある。

「ふむふむ、つまり今日の若様はお姉ちゃんや妹ちゃんが一緒だと行けないイケナイお店に行こうとしているんだね?」

「ちょっ、そんなお店になんて行きませんよ!」

 イーノックが顔を真っ赤にして否定すると、食堂で飯を喰らっていた鉱夫たちが「照れなくていいぞボウズ。男なら興味を持って当然だ」「慌てるなよ小僧、そういう店が開くのは夜になってからだぞ」「なんならいい店紹介するぜ!」と大笑いしながら話に加わって来たので、イーノックは全力で逃げ出した。


 思わぬハプニングのせいで額に汗を滲ませたイーノックが最初に訪れたのは魔道具店だった。

 冒険者ギルドにほど近い場所にある魔道具店『深淵の入り口』。魔術師が使う装備やアイテムを取り扱っている店で、冒険者がダンジョンで獲得したドロップアイテムの買い取りなども行っている。

 店舗の外装は店主の好みで『ひっそりとした隠れ家のような店』をイメージしておどろおどろしい雰囲気の暗色系で統一されているのだが、扱っている品物の質が良くて値段も適正なので来店する客が多く、いつも賑やかなので隠れ家的要素は全く無い。

 買い物を終えて帰るお客とすれ違いながら入店したイーノックは杖やローブを展示している棚の前を素通りしてまっすぐ奥の買い取り受付に向かった。

「ラウンドクックさん」

 イーノックに声を掛けられて出納帳から顔を上げたのはこの店の主人のラウンドクック。オーガのような巨体と、オーガのような筋肉量と、オーガのように怖い顔をした人間だ。ちなみに元冒険者で、こんな体格なのに上級魔術師として活躍していたらしい。

 買い取り受付のカウンター越しに期待に満ちた目を向けているのがイーノックだと分かると、ラウンドクックはただでさえ迫力のある顔を顰めてあからさまな不機嫌顔をした。

「誰かと思ったら、へなちょこ勇者のボウズか。何の用だ? 先に言っておくが祝福ブレスト付加エンチャントの金属武器を売りに来た客はいねぇぞ」
「そうですか……」

 訊きたい事を先回りで否定されてイーノックはションボリと眉を垂らした。

「ちっ! 雨に降られた野良犬みたいな顔してんじゃねえや、へなちょこめ。それじゃあこっちが悪いことしているみてぇじゃねぇか」
「す、すみません」

 ラウンドクックは「ったく……」と溜息を吐くとパンッと出納帳を閉じてカウンターに肘をつくと身を乗り出して威圧した。

「前にも言ったが、祝福ブレスト付加の武器は木製の杖や棒ならそれなりに流通している。おめぇが背中に背負っている『祝福されし棒ブレストロッド』もその中の一つだ。だが金属製の武器に祝福が付加されているのは極めて稀だ。なぜなら祝福を付加するのは聖属性の神で、聖属性の神は金属を嫌うからだ。ったく、何度同じ説明をさせる気だ」

「で、でも、ラウンドクックさんは昔『祝福されし短剣ブレストナイフ』を買い取った事があるって……」

「そりゃ二十年以上も前の話だって言っただろう。俺もずっとこの商売をやっているが祝福が付加された金属武器を買い取ったのはそれが最初で最後。んで、買い取ったものの全く需要が無くて三年ほど店頭で埃をかぶっていたが、モノ好きな冒険者が『祝福付きのナイフで食材を切ったら料理が上手になるかも』って買っていった。それっきりだ」

 ラウンドクックが言うように加護が付加された武器の中でも『筋力増強パワー』や『加速スピードアップ』なら価値があるけれど『祝福ブレッシング』みたいに効果がはっきりと実感できない加護が付加されている武器は冒険者の間で需要が極めて低い。

 需要がほとんど無いうえに供給もほとんど無い。となれば商売が成り立つはずもない。

 イーノックは極めて稀な体質のせいでどうしても祝福が付加された武器を必要としているのだけれど、それを別のもので例えるなら、とんでもなくマニアックな性癖を持った人が全ての条件をクリアしている理想の恋人を見つけ出すくらい難易度の高い注文だ。

「そういうのを売りに来た奴がいたら買い取っておくって言ったがよ、毎回期待マックスな顔を引っ提げて来られても無いものは売れねぇし、今みたいにあからさまなガッカリ顔をされたんじゃ俺の気分が悪りぃ。入荷したら屋敷に連絡してやるからよ、いちいちここに顔出しする必要はねぇ。つーか、あまりしつこいと買い取っておくって約束も無しにするからな」

「わ、わかりました。あ、でも普通の買い物もしたいので寄らせてください。とりあえず今日は魔力増幅ポーションを二ダース」

「ふん、ここは買い取りカウンターだ。商品の注文なら会計カウンターに行け」

 ラウンドクックは不機嫌そうに親指を突き立てて会計カウンターを指すとフーと鼻息を吹いて帳簿つけの作業に戻った。

 ラウンドクックの横柄な態度と口の悪さは商人にあるまじきもので実際イーノックもこのおっさんは苦手だ。けれどイーノックは魔道具関係の物を買うならここだと決めている。この店で扱っている商品に偽物や不良品が無く、従業員はみんな誠実で、商品に問題がある場合でも隠さずに説明してくれるので安心して買い物ができる。店主の横柄さと口の悪さに目を瞑ることが出来れば良い店なのだ。



 購入したポーションの宅配手続きを終えたイーノックが次に向かったのは冒険者ギルドが所有する施設の一つ『召喚士支局』。

 今回アイアンリバーにやって来た主目的がここに来ることだった。

 半日以上姉や妹が自分の側にいない。それでいて自分の予定が空いている。今日はそんな稀有な状況だ。こんな日だからこそやっておきたいことがある。もちろんエッチな店に行くことではない(そんなお店に自分が行くと大惨事が起きることが容易に予想できる)。

 一人きりだからこそしたい事。家族には内緒でやりたい事。例えばこれから情けない恰好を見せてしまうことが確定している場合、いくら家族とはいえ、いや、家族だからこそ見られたくないという気持ちになる。

 王都でも史上最弱と嗤われている当代の『勇者』イーノック・バーグマン。過去の勇者は剣士、戦士、魔術師、賢者と様々な適正職を持っていたが、イーノックの適正職は『召喚士』だと出ていた。

「魔物の王とも言われる魔王と戦うのに勇者の適正職が魔物を呼び出して戦う召喚士って……ぶっちゃけどうなん?」 

 イーノックの適正職を聞いた王様がそう言って小首を傾げ、周囲にいる大臣たちは揃って失望の表情を浮かべたという。

 ただでさえ対魔王戦において不利な適正職でありながら、イーノックの召喚士としての技量は低く、今までスライムのような低級モンスターしか召喚に成功していない。召喚士の基礎とも言われる『契約』が一件も結べていないのだ。勇者でありながら召喚士の基礎も行使できないイーノックはまるで売り上げの悪い雇われ商人のように同職の召喚士から「あいつ一件も契約取れてねーんだぜ」と見下され、嗤われている。

 そんな立場に立たされているイーノックは『今日こそ凄いモンスターを召喚して契約するんだ!』と意気込んでやって来たのである。

 姉たちや妹がいない今日を選んでやって来たのは、契約に失敗した場合の全力擁護と過剰な慰めの嵐が降ってくるのを防ぐためで、そんな日を選んで来ている事自体がすでに気持ちで負けているってことにイーノックは気付いていなかった。
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