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第一章 童貞勇者と過保護なお姉ちゃんたち

次女シャズナ イーノックもきっとお姉ちゃん成分が足りなくて寂しい思いをしているに違いないわ

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 バーグマン侯爵家の次女シャズナ・バーグマンは粛然しゅくぜんとした教会の中をカツカツとヒールを鳴らしながら少し急いだ様子で歩いていた。

 彼女が足音を響かせているコロッツオ大聖堂には王国西方教区を司る西方司教の席がある。

 六世紀前にここを地域布教の拠点にしたばかりの頃はただの馬小屋でしかなかったという教会も、今では権力を誇示するかの如く荘厳で重みのあるドワーフ様式の大聖堂が建てられている。

 礼拝堂の床は足元が映るくらいに磨かれた暗褐色の大理石で、柱は天井までびっしりと細やかなレリーフが施されている。正面の祭壇には色鉱石を溶かして作ったステンドグラスを通した光が降り注ぎ、全体の雰囲気はどこまでも重厚で、庶民には近づき難いほどの神聖さを匂わせている。

 しかし、侯爵家に生まれ育ったシャズナはそんな虚仮脅しに有難味など一切感じられなかった。

 単純に好みだけで言うなら硬くて足に負担がかかる石の床よりも柔らかくて温かみのある木の床のほうがずっと好きだし、美を計算し尽して作られた聖人の立像よりもイーノックのだらしない寝顔のほうが遥かに尊いと思っている。

『あぁ、早く家に帰ってイーノックのお世話がしたい。触れ合いたい。匂いを嗅ぎたい。もう十八時間半も離れ離れになっているんですもの。イーノックだってきっとお姉ちゃん成分が足りなくて寂しい思いをしているに違いないわ』

 そんな事を考えながらシャズナはカツカツと靴を鳴らし、ブルンブルンとたわわな胸を揺らし、すれ違う多くの神父たちを前屈みにさせながら礼拝堂をL字に囲む回廊を過ぎてようやく目的の部屋の前に立った。

待祭じさいシャズナ・バーグマンです。入室してよろしいでしょうか」

 部屋の中からの返事は無く、代わりに中からドアが開かれた。

「どうぞ、シャズナ様」

 ドアを開けたのは神父見習いと思われる十二、三歳ほどの少年。美少年と言って差し支えないほど綺羅綺羅しい顔立ちの少年はシャズナは初めて見る顔だった。

『あら、また寵愛する子を変えたのですね司教様は』

 心の中で呆れながらもシャズナは表情を微笑みに固定したままで部屋に入った。

「よく来てくれたねシャズナ。急に呼びだして悪かったね」

 この部屋の主である司教トロントは応接用のソファにゆったりと腰掛けていて、優雅に紅茶を嗜みながらシャズナに笑いかける。

 トロントの齢は六十を越えているらしいのだが、角張った分厚い体つきと生気に満ちた肌艶を堅持しているせいで四十歳くらいにしか見えないほど若々しい。

「かまいませんとも。聡明なる西方司教様が名指しで私をお呼びなのですから、階位が三つも下の私は何を置いてでも駆けつけますわ。たとえ先日の大雨の事後処置で色々とやることが山積みであろうとも」

「いやぁあっはっは、参ったね。そんなふうに笑ってない笑顔で嫌味を言わないでくれるかい」

 全ての指に高価そうな指輪を嵌めた手で正面の席を勧めるトロント。

 シャズナが勧められるままその席に腰を下ろすと、先ほどドアボーイをしていた少年がそつなく紅茶を給仕してくれた。

「それで? 司祭様と助祭様の二人の上役を飛ばして私を呼び出したのはそれなりに訳があるということでしょうか」

 シャズナは給仕された紅茶に手もつけず早速話の本題に切り込む。

 彼女が受け持っている教区での救民活動はまだまだやる事が多くて人手も時間も足りないのだ。こんな所で世間話を挟みながら会話を楽しむような暇はないし、どうせ会話を楽しむならこんな色ボケした爺さんを相手にするよりもイーノックの方ががいい。

「理由として考えられるのは、私が領主の娘だから、とか?」

「さすがシャズナ君だ、察しが良くて助かる」

 シャズナの予想通りだった。となると次にくる話はどうせ『救民活動のために義援金をもっと出せ』という話だろう。

 ――と、シャズナは考えたがトロントの話は予想外の方に向いた。

「あぁそんな嫌そうな顔をしないでくれるかい。今回は義援金を出してくれって話じゃないんだ」

 シャズナは思わず目を瞬かせた。

 貴族に対して金をくれと言わない神父なんてワンと吠えない犬を見たような気分だ。

「シャズナ君をわざわざここに呼びつけたのは、身内に『勇者』がいるバーグマン家に伝えておいた方が良い情報を掴んだからなんだよ」

「詳しくお聞かせ願えますか!」

 トロントは予想以上の勢いで食いついてきたシャズナに驚いたが、すぐにいつもの柔和な笑顔に戻って話を続けた。

「ここにいるミッシェル君はね、この西方本部と王都の総本部の通信使つうしんしをしてもらっているんだ」

 シャズナが改めて少年に顔を向けると、華やかな顔立ちの美少年は薔薇の蕾のような赤い唇を綻ばせて微笑んだ。

 通信使とは王都の政務官と地方都市の執政の間で文書を往来させる官職のことであるが、教会内でもそうした役割を果たす者を同じ呼び方で呼んでいる。

 都市と都市を往復するこの仕事は世間知らずに育ってしまいがちな貴族の子弟の見聞を広げるのに都合が良く、成人前の貴族の少年がこの役職に就くことが多い。

 あらかじめ決められたルートを決められたとおりに移動するだけのお仕事でも、屋敷の中で本を読んでいるだけでは知り得なかった経験をこれで得るのである。

 もちろん貴族の少年がそんなに多いわけではないので、ほとんどは騎士学校から派遣された見習い騎士が当番制で行っている。

 ただ、この通信使の仕事には裏の役目が付随している場合がある。

 中央から遠く離れた地方に居を構えている貴族や有力者たちは、賽の目のようにコロコロと政局が変化する王都の政情に対応しにくい。細やかな人事の変更でも後に大きな潮流となって、その流れを知らなかったために本流から外れてしまう場合もある。

 そうした政情の機微をしっかり掴んで、正確に情報を分析し、時にはスパイ行為も行って、雇用主の立場が優位になるように暗躍する。そんな特殊任務を託されている者が通信使の中に紛れている場合がある。

 ただし通信使のほとんどが若輩なので、そこにスパイ活動に熟達したベテランを配置するのはあまりにも不自然なため、通信使になっても不自然でないほど若くて機転の利く少年が必要になってくる。

 当然そこまでの働きが出来るほどの人材は稀なので、そのような少年を用意できる者は相当な権力者でもかなり少ない。

 トロントの話しぶりからして、このミッシェル少年は彼が囲っている特殊通信使の一人なのは間違いない。

「なるほど、通信使ですか……」

 ミッシェルが王都で『勇者イーノック』に関係する政府の重要な動きを掴んだので、バーグマン家の一員であるシャズナに教えて恩を売っておこうという魂胆なのだろう。

 トロントが美少年愛好家であることがあまりにも有名だったので、シャズナはこの少年がトロントのお愉しみ用のペットなのかと思っていた。

 実際にトロントはそういう少年を十数人も囲っているので、これだけ目立つ容姿のミッシェルがトロントの側にいても、彼の事をよく知る者ほど『あぁ、そういう子なんだな』というふうにしか思わない。

 まさかこの子の役割が『通信使』でありながら『トロントのペット』でもあり、その上『特殊通信使』という三つ目の役割をも担っているとは思わないだろう。

 自分への悪評を逆に利用して堂々と特殊通信使をはべらせているトロントの豪胆ぶりにシャズナは感心し――、

「まぁ、彼のメインの仕事は通信使なんかよりも私と同じベッドに入って可愛い鳴き声を上げることなんだがね」

 ……感心しそうになった自分がバカだと思った。

「この子の鳴き声はとても素敵なのだよ。甘く切なく響く小鳥のさえずりのような声を一度キミにも聞かせてあげたいくらいでね――」

 嬉しそうに語るトロント。その隣に控えていたミッシェル少年は赤くした顔を恥ずかしそうに伏せてしまった。

「余計の事は良いので本題のほうを聞かせて下さいませんか」
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