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第三章

第7話 深淵を覗くとき その1

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 コンコン。

 扉がノックされる音がする。

「……ん、はい」

 寝ぼけまなこで返事をし、部屋の扉が開く。
 そこには赤い髪のメイドの少女が立っていた。

「おはようございます、坊ちゃま。朝食の準備が整いました」

 部屋を見回す。紛れも無く、そこはカートライア家の俺の自室だった。
 そう、ヴァルクリス・カートライアである俺の自室。

(!!?)

 懐かしくもあり、見慣れた風景でもあるその光景に、俺は電撃が走ったように飛び起きた。

「どうかされましたか? 坊ちゃま?」
「……い、いや」

 そりゃあ驚くだろ。

 昔失った、最も幸せだった朝の目覚めの風景。
 もう二度と戻らないと思っていた風景が、急に目の前に現れたのだ。
 これまでの戦いは実は全部夢だったんじゃないか、とか。
 知らないうちに世界が全部元通りになったんじゃないか、とか。

 ミューと数十年ぶりに再会した翌日の朝に見たその何の変哲もない一幕は、まさしく俺の魂の原風景だった。

 危うくパニックを起こしそうになったぜ。
 それにしても、俺、実はミューと一緒に眠ったのは人生で初めてだったのではなかろうか?
 
「あ、あの、坊ちゃま」
「う……うん、なんだい?」

 凄いタイミングでミューに話しかけられる。つい、どもってしまった。

「あ、あの、食事の準備のためとはいえ、勝手に抜けだしてごめんなさい。……その、こんなに暖かくて、安心して眠れたのは初めてでした」
「う、うん、俺もだ」

 二人して照れる。
 いや、中学生カップルか!? 全く。

 

 着替えて、食堂に移動して、二人でご飯を食べる。
 うん。とっても美味しい。
 でもミューも屋敷の仕事で疲れているだろうし、早起きでご飯を用意させるのは少し気が引ける。かといって、分担しようと言っても絶対に首を縦に振らないだろうし。
 うん。いってもまだまだ屋敷の完全復旧には程遠い。草刈りや、風呂焚き、力仕事を俺がやることにしよう。


 しかし、ひとまず今日はそんな事をしている時間などない。

 食事を終えた後、俺たちの姿は、次にミューが復旧を優先してくれていた父上の書斎にあった。
 ここには作戦会議にちょうどいい、向かい合わせのソファーがあるからな。

 ミューが淹れてくれたお茶を前に、俺たちは向かい合って座った。

 さて、どういう順序で話そうか。
 まずは、前提からだろう。

「ミュー、ベル様に魂の管轄を書き換えて貰った、というのは本当なんだね?」
「はい。ベル様はそのように仰られました」

 これは僥倖である。つまり、ミューは現在、この世界の理の外の人間になっているという事だ。

「ミュー、エミュから、俺の前世、つまりルレーフェが、魔法使いとして聖女と共に魔王を倒した、と聞いていると思うが、その能力については聞いているかい?」
「はい、魔物から認識されなくなる『認識阻害』の魔法使いだとお聞きしました」

 うん。それならば話は早い。

「結論から言おう。実は俺は魔法使いでは無かったんだ」
「え?!」

 俺はミューに、「この世界の理の外」という魂についての話を伝えた。

 この世界の魔物は、人間を襲う。しかし、その対象は「この世界の人間」であり、別の世界の魂である俺は魔物に襲われない、という事。
 ヴァルクリスの時は、あっさり魔王に殺されたが、魔王のもとまで無傷で辿り着いたという事。
 そして次の生で、魔王と戦う聖女のパーティーに参加するためにそれを「魔法」と偽り、ハーズワート公爵家の皆にそう誤解させて、堂々と魔法使いとして同行したという事。

 ミューは驚いてはいたが真剣に聞いてくれていた。

「そして今、俺と同様にベル様の管轄の魂になったという事は、だ。ミュー、今の君も、この世界のルールの外。つまり、魔物に認識されない、という事になる」
「そ、そういう事に……なりますよね。……この世界の人間を襲う、というルール……」

 ルール、という言葉に、ミューはとても引っかかっていた。本当に前世から思っていたが、ミューの頭の良さは脱帽モノである。あ、もちろんエフィリアも。

 今、俺はこの世界の真相について話をしている。
 いや、深淵というべきかもしれない。
 ともかく、この世界に設定されているルール。
 それを破壊すべき我々。
 この構図を明確に理解できないと話にならないのだ。

「ミュー、聞いての通り、俺は『地球』という世界の代表として、ベル様に呼ばれ、この世界に来た。ベル様に言われている事は二つ。『一つ、この世界を救って欲しい』、『二つ、その元凶は俺自身の手で絶って欲しい』という事だ」
「坊ちゃま自身の手で?」
「ああ。仮に俺以外の人間が、その元凶を絶ったとしても、この世界は救われない。しかし、俺がその元凶とやらを絶てば、この世界は救われる」

 ルールをブレイクする。
 この概念を理解するには、これが最も分かり易い。
 ミューがここを理解出来れば話を進めるのは容易いだろう。

 まあさすがに、困惑している様だったので、説明を付け加えよう。

「もしも魔王が元凶だったとして、その魔王が『殺されても50年後に復活する』というルールだったとする。その場合、そのルールは『この世界の存在に▪▪▪▪▪▪▪▪殺されても50年後に復活する』というルールになる」
「……あ!」

 ミューも分かってくれたようだ。
 魔物に襲われないルールと同様、その元凶も、この世界以外の存在に害されれば復活しない、ということである。

「なるほど、だから坊ちゃまは、魔王を倒すためにパーティーを組もうとしたり、魔法使いと偽って聖女様のパーティーに潜りこんだりしたわけですね」
「ははは、まあ、そうだね」

 なんだか人聞きの悪い表現だったが、事実なので否定しようもない。
 ま、彼女には悪気はないどころか、賞賛の意さえある感じだったので、良しとしとこう。

「あの、坊ちゃま。では、ウル様を少しだけ解放した、坊ちゃまが前世で破壊した『二つ分の魂のルール』というのは何なのでしょう?」
「ああ、それは恐らく、幹部魔物の事だろう」

 ルールを直接破壊、という文言でピンと来たらしいミューが、ベル様に言われた事を思い出して俺に問いかけた。

 前世ルレーフェの時に、俺が直接手を下した生命体は、雑魚魔物を除けばそうはいない。
 そして俺が止めを刺した幹部魔物はちょうど二体。
 まず間違いないと思う。

「魔獣ゲージャ、魔女シャルヘィス。この二体は前世で俺が直接止めを刺した。きっとこいつらも、『この世界の存在にたおされても復活する』というルールが設定されているのだろう。
 そして、こいつらの魂の維持、復活に関わるウル様の手間が排除された、という事だと思う。当然、今回の魔王復活では、この二体は現れないはずだ」

 まさかあのエミュとの激闘と、不意打ちの一閃に、これほどの価値があったとは思わなかった。
 俺は、目の前で唸りながら悩んでいる好きピを見て、改めてそう思った。

「つまり、魔王と相対しやすくなった……という事になるのでしょうか? でも、坊ちゃまは、前世でフェリエラの首を落とした、と聞いています。それでも倒せなかったという事は……?」
「うん、良い所を突いている。どういうことだと思う?」

 こういう聞き方をしてしまうのは、もう俺の性質なので勘弁してもらいたい。

 それにしても、ミューがどんどん、深淵に足を踏み入れてくる。

『頭が良い人間、というのは、勉強が出来るとかではない。想像力がある人間だ』

 これは地球にいた頃に俺が好きだった作家の先生が、とある作中で言っていた言葉である。
 そしてこれは俺の持論だが、「想像力がある」という事は、言い換えれば「思考を継続できる能力」だと思っている。

 少なくとも、ミューにはその素養が十分すぎるほどに備わっている。
 俺は、ミューの次の言葉で、それを再認識させられたのであった。

「『魔王を倒すには別の条件ルールが必要』とか。あるいは、『魔王は普通の人間には倒せないルールで、そもそも元凶は魔王じゃない』とか……」
「その通りだ、さすがはミュー。そして、まだ確定はしていないが、恐らくは後者。つまり、『そもそも元凶は魔王じゃない』と俺は考えている」

 俺の言葉を聞いて、ミューはその表情に戦慄を走らせた。
 ラルアーの誰しもが、『倒すべき恐怖の存在は魔王』という認識を持って生きているのだ。そして俺の言葉は、それよりも凶悪な存在がいる、という示唆に他ならない。ミューが得も言われぬ恐怖を覚えても不思議ではなかった。

「実は、ヴァルクリスの時に、魔王フェリエラと少し話をすることが出来た。奴は『王都領には何故か復活できない』と、そして『過去に、何故か50年経っても復活できない時があった』と言っていた。きっと、それはルールで定められていたのだと思う」
「『魔王は王都領には復活できない』というルール、という事でしょうか?」
「ああ」
「……なぜ、そんなルールが?」
「決まっている。『魔王に、王都に復活されると都合が悪い』からさ。50年で復活出来ないのは、『そのタイミングで復活されると都合が悪い』のだろう。その黒幕にとってね」
「都合が……悪い……」

 なんだか、聞いてはいけない真実を聞いてしまうのではないだろうか?
 ミューの表情は明らかにそう物語っていた。

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているものである。

 ミューはそれを良く理解している様であった。

「ま、まさか、元凶は国王陛下……?」
「いや、実はその線は、俺も前世で疑っていたが、国王陛下はシロだ。あの方はとても徳のある、素晴らしい人物だった」
「あ、そ、そうなのですね……。わたし、不敬罪に当たらないでしょうか?」
「ははは、それじゃあ、前世で陛下の事を『コイツ尻尾を出さねえかな』と見ていた俺も同罪だな。」

 ミューが妙な心配をしたので、少し息が抜けた。
 その僅かなホッとした瞬間はある意味救いだったのかもしれない。

 ここからの話は、かなりハードな話になるだろうから。
 ミューにとっても、俺にとっても。

「ねえ、ミュー。以前行った、パリアペートでの聖女博物館。そこでの会話を覚えているかい?」

 俺の突然の問いに、ミューは過去の情景を思い出すかのように考え込んだ。
 そしてその脳内の映像を確認しながら話すかのように、当時の会話をぽつぽつと口にした。

「坊ちゃまと一緒に、聖女様の過去の肖像画を見て……みんなお綺麗ですね、って言いました」
「うん、それから?」
「……それから、えっと……、聖女様の力はいつ目覚めるのか、というお話をしたと思います」
「ああ、確か、6歳から10歳過ぎまでまちまちで、これじゃあ情報にならないって話をしたんだったね」
「はい。聖女様の復活までの時間稼ぎの時間を知りたいと、坊ちゃまは仰っていました」

 なかなか、正確に覚えているものである。
 俺にしてもミューにしても。

「それから……。坊ちゃまが『なんで聖女様』何だろう、と性別について疑問を呈されました。特別な力を持った男性が生まれてきても良いはずなのに、救世主は女性だと決められているみたいだって」

 ミューが俺の顔を見た。
 俺がどんな表情をしていたのか、俺には分からない。
 ただ、俺のことを良く知るミューからすれば、俺の表情を見て、こう思ったことだろう。

 そこの答えに、何かが潜んでいる。と。
 それも、圧倒的にヤバイ何かが。


「聖女は常に女性だ。語弊が無いように言い換えれば、救世主は常に女性だ。それは確定している」
「……それも、ルールで決められているという事でしょうか? 『救世主である聖女は、女性からしか選ばれない』という」
「いいや? そんなルールは無いだろう。」
「え……?」
 
 何故なら、救世主が女性からしか選ばれない、というルールに因果関係のありそうな事象が全く見当たらなかった。
 例えば、救世主の産んだ子供が、将来云々うんぬん、とか。
 例えば、聖女と王子が結婚するように定められている、とか。
 まあ、もしそんな決まり事があれば、王子がいきなり第一容疑者なんだけどね。

 女性である魔王フェリエラの影響で、力を持って生まれてくる聖女は同じ女性になるのではないか? 当時はそういう推測をした。しかし、であれば魔法使いも同様に全員女性でなければおかしい。スヴァーグの存在がその仮説を否定している。

「分からないかい? 『性別の変更』。この言葉に君ならピンと来るはずだ」

 俺の言葉に、一瞬考えたミューが、ハッとしたように目を見開いた。
 どうやら気づいたようだ。


 確信したのは、ミューとベル様の会話である。

 ミューは、次回も女の子に産まれたい、と言った。
 ベル様は、性別は魂で固定されているので、変更不可と言った。

 『聖女が常に女性』なのには確かにルールがある。
 それは確実だ。偶然ではあり得ない。

 発想の転換である。
 そもそも逆なのだとしたら?


 『聖女は女性の中から選ばれる』


 というルールではなく……。


 『ワタシ▪▪▪が必ず聖女として産まれる』

 というルールなのだとしたら?

 その『ワタシ』の魂が女性ならば、生まれてくる救世主は常に女性であることが確定する。


 ここに行きつくための、無限の根拠をミューに説明しなくてはいけない。
 しかし、理解してもらえるだろうか。
 きっと、ミューの全ての範疇を超えた内容になる。

 まあでも……。

 その前に、

 これだけは伝えておかなくてはならない。


「そう。俺たちがブレイクする、その元凶。それは『聖女』だ」



(第8話 『深淵を覗く時 その2』へつづく)

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