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第二章

第40話 二人の夜

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 会議も終わり、各々思い思いに食堂を後にした。
 今後の予定としては、ジャドニフ子爵領の南端まではフィアローディの聖女軍と共に進軍し、完全に子爵領内の魔物を殲滅した後に、聖女のパーティーだけでリングブリムに向かう、という流れに決まった。出立は明後日だ。

 なんとなく屋敷の中をうろついていた俺は、ロビーで一人ソファに座っていたジェイク・フィアローディ侯爵を見かけた。

「侯爵閣下、改めて陞爵しょうしゃくおめでとうございます」

 会議内では聞いていたが、流してしまっていたので、俺は改めて祝辞を述べた。

「おお、ルレーフェ殿か、ありがとう。……とはいっても、私の陞爵の話は、アイシャが、私の娘が聖女だったから頂けたようなものだ。私の力ではないよ」
「いえ、そのアイシャをあんなに立派に育て上げたと言うのも、十分すぎる功績だと私は思います。きっと立派な教育をされたのでしょう」

 遠い目をして自身の陞爵を謙遜する侯爵の目が、なんだか寂しそうに見えたからだろうか。俺は、彼の功績を肯定しつつ、向かいに腰掛けた。

「育て上げた……か」

 侯爵は俺の言葉に何故か自嘲気味に笑った。

「あの子は、昔は人見知りでね。いつも兄達や姉のリーシャの陰に隠れているような子供だった。一人で人前で話すことはおろか、一人で屋敷内を歩くことすらままならないほどだった。まあ、私や息子たち、姉のリーシャも、そんなアイシャを溺愛していたがね」

 侯爵の昔話を、俺はただ黙って聞いていた。
 そういやパーティーの中心であるアイシャの過去の事を、俺は何も知らなかった。誰よりも彼女の事を知る侯爵の話を聞く機会は滅多にない。この話は聞いておいて損はないと、俺はそう思った。
 それにしてもあのアイシャが、幼少期はそんな感じだったとは。

「あの子が変わったのは聖女の力に目覚めてからだ」
「……変わった?」

 侯爵の発した不穏な単語に、俺は思わず聞き返した。
 まあ、単語自体は不穏だったが、侯爵の表情や声色から、変わったことを決して悪くは捉えてはいない様ではあったが。

「ああ、聖女の力を目覚めさせたその日に、あの子は魔鬼バルガレウスと堂々と対峙し、恐怖に怯えることなく交渉を持ちかけた。そして交渉が決裂した後に、目にもとまらぬ早さで、かの魔物を葬り去った」
「……なんですって?」

 アイシャが力に目覚めたのは、8歳くらいだと聞いている。
 人見知りで屋敷の使用人ともまともに話せなったような女の子が、いきなり荒くれ者の巨大な鬼と対峙して、そんなことが出来るものなのだろうか。

「やはり、聖女様の過去の記憶……というものの影響なのでしょうか?」

 アイシャからは、断片的ではあるが聖女の過去の記憶が、魔法の行使のやり方と共に流れ込んできている、という話を、過去に既に聞いていた。
 根本の魂……と呼ぶのが正しいのかは分からないが、ひとまず魂、という事にしておく。そしてそれが同じであれば、記憶を引き継ぐことが出来る。それは既に俺が実証済みだ。
 という事は、過去の代々の聖女の魂は、アイシャに受け継がれているのだろうか? 
 いやそもそも、一人の人間に複数の魂が宿ることは可能なのか?
 「断片的な記憶」という事であれば、過去の聖女の魂の一部がアイシャの魂に入り込んだという事なのだろうか? 「魂の一部」なんて存在の仕方が可能なのだろうか?

 これは、ベル様に次回会った時に、聞いてみなくてはならないな。
 まあ、その時、俺のルールブレイクが成功していたならば、正直どうでも良い話になっているかもしれないが。

「侯爵閣下は、自分ではなく、過去の聖女様の魂が、アイシャを立派に育てたのだ、と、そう仰りたいのですね」
「う、うむ、まあ、平たく言えばそうだな」

 この手の悩みは地球でも多かった。
 「俺が勝ったのは、あいつが失敗したからで実力じゃない」とか、
 「受かったのは、ヤマが当たっただけだ」とか、
 「前日に、ヒントを得られたあの映画をたまたま見ていたからオーディションに受かったので、実力じゃない」とか、
 「運が良かった」、「たまたまお金持ちの家に産まれた」、「たまたまあのアイドルに似てた」、言い出したらきりがないし、そんなのは意味の無いことである。

 途中経過に何があったにせよ、結果は一つ。
 そしてその結果に関わる全ての因果を特定することなど不可能なのだから。

「侯爵閣下、栓無きことで悩むのはやめましょう。たった一つ確実なのは、アイシャがあなたの娘として産まれ、そのもとで聖女として立派に育った。それだけです。もしもそれにまつわる経過過程などというどうでもよい事で悩み、侯爵への陞爵という事が分不相応だとお感じになるのならば……」
「ならば?」

 俺は聞き返す侯爵に、人差し指をたてて微笑んだ。

「侯爵閣下の理想とする侯爵位の人間に、これからなれば良いだけの事です」

 地球の俳優さんだって声優さんだって、実力で選ばれることなんてほとんどない。
 まずは顔や声である。
 これはルッキズムの話をしているわけでは無い。
 そのキャラクターに合う顔や声でなければ、どんな実力であろうと選択の余地すら与えられないのが普通だ。
 ただ、世の中に数多存在する、ラノベや原作コミックには、美少女、美少年が圧倒的に多すぎる。それだけの事なのである。

 であれば、まずは先天的に変えられないもの。それを持っている人を選ぶ。実力なんて後からいくらでもつけられるのだから。

 世界はそういう風に出来ている。

 職業選択の自由。確かに目指すのは全ての人の自由だろう。
 しかし、本当の意味でそれがあるのは、美しく生まれた者だけだという事を俺は地球の前世で嫌というほど知っていた。
 だから、俺は作家を目指したのだ。
 もちろん推理小説が好きだったのもあるけど、後押ししたのは、顔を晒さなくても良い職業だったから、というのも決して小さくない。

(あれ? 今何か、ずっと引っかかっていた、大切なことを思いつきそうだったんだけど……)

 俺は、その繋がりかけた記憶の導線を繋ぐことは出来なかった。

(まあ、地球でのルッキズムについての話がこの世界に関係するわけないか)

 俺はそう思い、今はこのことについて考えるのを止めた。

 俺の言葉に妙に納得したジェイク侯爵は、スッキリした表情で「ありがとう」と俺に礼を言うと、自室に帰っていった。
 うんうん、これでフィアローディ領は将来安泰に違いない。


(俺も、戻るか)

 自室に戻った俺は、ベッドに横たわり、頭を整理させつつ、今後について考えを巡らせていた。

 この時間軸に産まれ落ちて早15年。この世界で言えば、もう30年以上になる。
 なんとかここまでは順調に来たと思う。

 「魔法使い」と偽り、聖女のパーティーに参加できた。役立たずになる懸念もあったが、思った以上に俺の「この世界のことわりの外」という能力は、圧倒的な効果を発揮してくれた。

 魔王フェリエラへのファイナルアタックという俺の最終目的の前に、障害になりそうなのは、残すところただ一人となった幹部魔物「魔人ドーディア」だけである。
 コイツの侵略パターンは、人間に化け、前線基地に入り込み、領主や太守を殺害。門を開き、魔物をなだれ込ませる、と言った感じだ。

 実際、南のジャドニフ子爵領はドーディアによって、あっさりと壊滅させられた地域の一つである。
 そして今、魔人ドーディアが標的にする可能性がある前線の領地はそう多くない。
 ここランドラルド伯爵領か、西のガルダ準男爵領、そしてリングブリム子爵領と、後は大陸中央部の二、三の領地くらいである。

 シャルヘィスとゲージャの襲撃のタイミングから言っても、幹部魔物の休眠から覚める周期は意外に近いのかもしれない。であればそろそろドーティアもどこかに現れる可能性がある。

 まあ、全ては推測の域を出ないが。

 コンコン。

 突然叩かれたそのノックの音に、俺が現実に引き戻された。
 誰だろう、と一瞬思ったが、まあ、一人しかいないか。

「アイシャか? どうぞ」

 俺の言葉の後に、若干控えめに扉が開く。
 そこには、俺の予想通りに少し恥ずかしそうな表情をした聖女様が立っていた。
 寝巻き用の薄緑色のワンピースを身に付けたその白い肌の金髪の少女は、まるでラノベなんかに出てくるような、エルフの姫君のようであった。

 そういや、この世界にはエルフっていないよな。
 折角異世界に来たんだから、見てみたかった気もする。

「どうして私だってわかったの?」

 入り際に小さく「お邪魔します」と呟いて、部屋のソファに腰掛けたアイシャは、俺に尋ねた。

「足音は一つだったし、今ここに俺を単身で訪ねてくる人間なんてアイシャしかいないだろ」
「ふふふ、私は数少ないルルのお友達、ってわけね」
「数少ない、は余計だ。まぁ、当たってるけどさ」

 俺の言葉にアイシャはなんだか嬉しそうに微笑むと、ソファの上で足を抱えるように丸まった。そして自身の膝の上に頬を乗せると、サラサラの前髪が重力にしたがって流れ落ちた。
 オレンジ色の蓄光灯石に照らされ、ほんのりと健康的に光る彼女の美しさはもはや芸術だった。

 ふっ……なるほどな、そういう事か。

 地球での学生の時分、洋モノのAVにハマる奴の気持ちが俺には一切分からなかったが、今、ほんの少しだけ、その良さの片鱗を垣間見た。そんな気がしていた。それは「絶対に日本人!」と言って聞かなかった俺の、嗜好しこう的パラダイムシフトと言っても過言では無かった。

 は?

 いやいや、無理だって。
 ゲスな思考を無理やり脳内に流し込まないと、理性を保てないかもしれない。
 硬派な文系男子を自称する俺は、雰囲気に流されるようなことは絶対にしないのだ。

「何か用か?」

 俺はベッドから起き上がると、そのままそこに腰掛けた。

「お礼を……言いに来たの」

 アイシャはアンニュイな姿勢と表情のままでそう呟いた。

 それが人に礼を述べる態度か!? とか言うとジョークでも怒られそうだったので止めておいた。

「あんな森の中で、ずっと一人で、ずっと、ずっと、何百体も、魔物を倒し続けてくれたんだよね。ありがとう」

 大したことではない。それにそれは俺の目的にも直結する行動である。

「私は、聖女なのに、ルルが一人で戦っているのも知らずに、砦でのうのうと休んでいた。それが許せなくって、申し訳なくって」

 アイシャはアンニュイな姿勢と表情のままそう呟いた。

 なるほどな、罪悪感に苛まれたって事か。
 にしても、どいつもこいつも女々しい悩みを持ちやがって。フィアローディ家の特色なのか?
 この後セリウス殿に、「私は聖女軍の隊長として相応しいのだろうか?」とか悩みを打ち明けられたら、「知るか!」と返してしまいそうである。

 まあともあれ、アイシャは結構フランクに抱き着いて来るし、俺に好意を抱いている可能性も無くは無いと思っていたが、今のお礼が罪悪感によるものであるならば、ひとまずおかしな展開にはならなそうだ。

「気にすることじゃない。俺の魔法は、俺が一人でいてこそ真価を発揮する。それに、俺一人でいるの、嫌いじゃないしな」
「うん、ルルならそう言うんだろうな、って思ってた」

 アイシャはアンニュイな姿勢と表情のままでそう呟いた。

「ねえ、ルルはなんでそこまで戦えるの? なんの為に戦っているの?」

 アイシャに聞かれて俺は答えに窮した。
 さすがに正直に言う訳にはいかない。
 俺が戦っているのは、この世界のルールをブレイクするためだ。
 しかし、始めは脱出ゲーム感覚で、女神に言われるがままにトライしたこのミッションも、今はその意味合いを大きく変えていた。

 最終目的は、ミューとの時間をやり直すため。あの子のあんな運命を納得して受け入れることなど出来ない。ルールをブレイクすると言うのはもはやその手段の一つでしかない。

「魔王を倒すため……かな」

 俺はひとまずそう答えた。最終目的は言えないが、まあ、前段階的にはこれも間違いではない。

「私の為……じゃあないんだ」

 アイシャはアンニュイな姿勢と表情のままでそう呟いた。

 ってかさっきからアイシャがアンニュイすぎて、もう俺の中でのアンニュイがゲシュタルト崩壊を起こしている。

「いや、そんなことないぞ? 少なくとも、シャルヘィスと二千体の魔物を狩ったのは、アイシャの為だったと思う。ここでこいつらを逃がしたらアイシャが危ない。その一心だった」
「ほんと!?」
「ああ。」

 アイシャはアンニュイな姿勢と表情を初めて崩して嬉しそうに言った。

「ねえ、変なこと聞いて良い?」
「変な事なら駄目だ」
「ルルは、結婚とか考えてないの?」

 俺は即座ノーと返したが、アイシャは動じることなく、俺の返答を無視して質問を投げかけて来た。
 ちっ、慣れてきてやがる。

「なんでそんなことが気になるんだ?」
「だって、たまに忘れそうになるけど、ルルって、言っても公爵家の三男でしょ? 結婚の義務はあるだろうし、きっと平和になったら引く手あまたよ。だから、そういう先の、未来の幸せの事とかは考えてないのかなぁ、って」

 未来の幸せの事。
 その言葉を聞いた瞬間に、俺の脳裏には二人の少女の顔がよぎった。

 一人は既にこの世界にいない人。

 一人はかけがえのない大親友たちの愛の結晶。

 しかし、そんな事は今の俺には考える事は出来なかった。

「無いことは無いさ。でも、未来の幸せとかそういうのって、今を必死に戦ったその先にしかない。最悪、魔王との戦いで死んでしまう事だってあり得るんだ。でも、戦って、戦って、戦い抜いた先にきっと、『もう幸せになっても良いんだ』、『今なら幸せに手を伸ばしても良いんだ』って自分自身に言ってあげられる時が必ず来ると信じてる。だから、俺はその時までは、そういうのは考えないようにしている、かな」

 俺が内心の吐露をするのが珍しかったのだろう。アイシャ瞬き一つすること無く、俺の言葉を真剣に聞いていた。そして、何かを納得したかのように苦笑すると、ひとつ小さく頷いて、
「そっか」
と呟いた。

「その、アイシャこそ何のために戦ってるんだ?」

 自分の事を語ってしまったむず痒さからか、俺は話の矛先を変えようとしたのだろうが、思った以上に下らない質問をしてしまった。

 アイシャの事だ。
 世界平和のため、とか、みんなの幸せのため、とか、聖女としての義務、とか、そういう答えが返ってくるに決まっていた。

 しかし、アイシャは意外にも、その回答に少し悩んだ。

 なんだろう。この完璧聖女のアイシャが、俺が前述したようなこと以外の何かがあるのだろうか?

 そしてアイシャは、ふふっと息を口から漏らし、可愛らしく微笑むと、人差し指を口にあてて言った。

「ないしょ」

 妙に気になった。
 このアイシャが何か特定の事の為に戦っている。それは些細なことに聞こえるかもしれないが、俺の想定の範囲外の答えであった。

 しかしまあ、いずれ分かることだろう。俺も大いなる秘密を隠している訳で、そういう点ではおあいこだしな。


 こうして、他愛のない話をしながら、無事に再会した俺たち二人の夜は更けていった。


 ……この日の。
 フィアローディ侯爵、そしてアイシャとの会話。
 そこに、きわめて重要な意味が含まれていたなどという事には、この時の俺は気づくことは無かった。




 ――明後日の朝。


 準備を整えた俺たち一行は、南端の平原を目指して出立した。
 機動力の賜物か、それとも先日の俺の戦果の影響か、点在する魔物をちょいちょい狩りながらではあったが、一週間後にはあっさりと到達した。

「もうジャドニフ子爵領の魔物は殲滅したと言っていいかもしれませんね」
「そうね」

 背中からのキュオの言葉に、アイシャは同意した。
 仮に少しくらい残っていても、フィアローディ聖女軍が処理してくれるだろう。

 聖女と魔法使いのパーティーとしては、先を目指すだけである。

「……では、行ってまいります、お父様、お兄様」
「ああ……頑張って来なさい」
「フィアローディで、お前の帰りを待っているぞ、アイシャ」

 アイシャは、二人に別れを告げると馬のきびすを返した。それに続くように、口々にお礼と別れの言葉を述べた俺たちは、進路を東に向けた。


「さあ行きましょう! みんな!」
「「はい!」」
「この先も、きっとルルが沢山倒してきてくれたはずだから、きっと大丈夫よ!」
「いや、この辺はそんなに倒してないぞ!? まあ、スヴァーグ先生がいれば、大丈夫か」
「ルレーフェ様、いい加減、先生と言うのは止めてもらえます?」


 そして、和気あいあいと走り出す俺たちを、ジェイク・フィアローディ侯爵とセリウス・フィアローディは、その姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。



(第41話 『魔人作戦』 へつづく)
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