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第二章

第5話 旅立ちの前夜に その1

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 王国歴756年。アイシャ・フィアローディという名の聖女の誕生から5年後。

 フィアローディの東に位置する、数年前に魔物に滅ぼされる前までは「サンマリア男爵領」と言われていた地域。そこの森の奥深くに、二種類の鎧をまとった集団が、戦いを繰り広げていた。

「"悪意の崩壊エビルディマイズ"!」

 その最前線にいた彼女の言葉に、彼女の周りを取り巻いていた動物型の魔物の数十体が、呻きながら動きを止めた。

「動きが止まったぞ!」
「今だ! かかれ!」

 フィアローディ伯爵家の紋章をつけた白い鎧の二人の騎士が上げたそのときの声に応じて、一斉に兵たちが襲い掛かった。
 そして僅か十数分後には、その場にいた無数の魔物たちは、物言わぬ肉塊と化していた。

「全て……終わった、のか?」

 息を荒げながら隊長と思しき男が、一人の少女に声を掛ける。
 その言葉に、鮮やかな青と白のドレスに、手足と上半身を甲冑に包んだ、姫騎士のような姿のその少女は微笑み、そして頷いた。

「我らがフィアローディ聖女軍、サンマリア男爵領を魔物より奪還したぞ!」

 うおおおおお!!!

 大きな歓声が、森の中に響いた。

 フィアローディ聖女軍と名乗った彼らとは別の鎧を身に纏った、一人の壮年の男が、その少女に近づいた。

「おおお、聖女様、そしてフィアローディの皆さま、ありがとうございます。このご恩に報いるため、我がサンマリア領復興の暁には、必ずや、フィアローディを守る盾の役割を果たしましょう!」
「そのような役目は不要です、男爵。それよりも、戻って来た、生き残ったサンマリアの民の皆様の為に、力を尽くしてくださいね」

 聖女、アイシャ・フィアローディはそう言うと、美しい金色の髪を風になびかせながら、微笑んだ。

 アイシャが聖女の力に目覚めてから5年。
 彼女は13歳になっていた。

 目覚めたばかりの頃は、聖女の魔法を行使するたびに、休息が必要なほど消耗していたが、彼女の成長に応じて、その消耗も少なくなっていった。
 そして、アイシャが聖女として戦いに赴けるようになった頃合いで、フィアローディは、まずは、自領の守りを盤石にするためにも、以前に滅ぼされたリハリス子爵領とサンマリア男爵領を魔物から奪還することを決めたのだった。

 そのためフィアローディ伯爵は、長男セリウスを隊長、次男ディアスを副隊長とし、聖女を守りながら、聖女の力で魔物を滅ぼす、フィアローディ聖女軍を編成し、魔物の討伐に当たった。

 そして二年前に、リハリス子爵領を魔物から解放することに成功し、たった今、サンマリア男爵領内の全ての魔物の討伐が完了したのだった。

「男爵、リハリス子爵と同様、生き延びていてくれて助かりました。男爵のお声がけで、各地の多くのサンマリアの民が故郷に戻ってくることが出来ました。これで領地の再興も遠い話ではありますまい」
「魔物に滅ぼされた時は、多くの民が死んでしまった中、私だけが運良く逃げ延びてしまったことをひどく後悔しましたが、このような救いの手を差し伸べて頂けるとは。生き恥をさらしてでも生き延びた甲斐がありました。本当に、本当に、感謝してもしきれません!」

 セリウスの言葉に、サンマリア男爵は目を潤ませた。

 サンマリア男爵は、領地が滅びた後、名前を隠して、フィアローディ伯爵領とは逆側にある、アプマイレ準男爵領の小さな村に逃げ延びていた。
 アプマイレ家とは下級貴族同士という事もあり、とても友好的な関係にあった。従ってアプマイレ準男爵も、快くサンマリア男爵の亡命を受け入れたのであった。

 リハリス子爵領が二年前、魔物からの奪還に成功した、という話を聞いた時、サンマリア男爵は聖女の出現を期待した。

 もしも聖女がフィアローディに現れたのであれば、我がサンマリアも魔物の手から取り戻せるのではないかと。
 多くの民の故郷を奪い、多くの命を散らせてしまったにも関わらず、おめおめと生き延びてしまった自分に出来る事は、例え他力本願だと罵られようとも、聖女様の力を借りて、領地を取り戻すことだけだった。

 まさか、その僅か数週間後に、その期待通りの内容が書かれた、伯爵からの密書を受け取るとは思いもよらなかった。
 そしてあれから一年半。
 男爵の悲願がついに達成されたのだ。男爵が年甲斐もなく涙を流すのも無理は無かった。

「サンマリア男爵、まだ終わりではありません。魔王を倒すまでは、我々の戦いは続きます。ですので男爵は、一刻も早く領地を復興させ、守りを固めて下さい。これまで取り戻した町や村にも、すでに多くの領民が戻ってきていると聞いておりますし、問題は無いでしょう」
「は、はい、セリウス殿、それは勿論。しかし、もしも復興中にまた魔物に襲われたらどうすれば……」
「それは問題ないでしょう」

 不安そうにうなだれる男爵に、今度はアイシャが言った。

「サンマリア男爵領には、私の力の残滓が漂っています。下級の魔物であれば、恐らく半年は近寄らないでしょう。ですのでその間に、少なくとも私の力が切れた後に防衛が間に合うように、街の復興をお願いしますね。」
「なるほど、分かりました! 領民たちと共に、全力で当たらさせて頂きます!」

(サンマリア男爵は民からの評判も上々であったし、これで問題ないだろう。しかし……)

 セリウスは思った。
 サンマリアの問題が片付いたという事は、それは全く同時に、フィアローディに新たな問題が発生したという事を意味していたからであった。

(まずは、屋敷に戻ってからだな)

 一つの領地の奪還、という偉業を成し遂げたフィアローディ聖女軍の面々は、それぞれの想いを胸に、帰路についたのであった。



 ――三日後の朝

 サンマリア男爵領を後にした聖女軍一行は、ようやくフィアローディ領都に帰還した。

「ただいま戻りました、父上!」

 セリウスが屋敷の扉を開けるなりそう言うと、すでに玄関の前で、ジェイク・リュド・フィアローディ伯爵その人が、英雄たちでもあり、家族でもある彼らを出迎えていた。もちろん、伯爵だけでなく、他に伯爵夫人であるエイラ・フィアローディ、宰相のドイル、アイシャの双子の姉であるリーシャもそこにいた。

「よくぞ戻った、セリウス、ディアス。そしてアイシャよ。無事で何よりだ。そして首尾は?」
「はい、サンマリア男爵領を、無事に魔物から奪還し、男爵は直ちに領地の復興に入るとの事です」
「そうか、良くやった。……さすがだ」

 凱旋の報告を受けても、伯爵の表情は浮かなかった。それは他の皆もそうであった。
 その原因は、サンマリア男爵領の奪還と共に出現した、フィアローディ家の、その問題に起因していた。

「まずは皆、ゆっくり休みなさい。今日の夕食後に、応接室に集まるように」
「はい、父上」

 こうして、その日の晩。フィアローディ家での家族会議が開かれることとなった。

「はぁ……」

 自室に戻った伯爵は、椅子に深々と腰かけてため息をついた。そして、机の引き出しを開けると、そこから厳重に封をされた一通の手紙を取り出した。そこにはこう記されていた。

『フィアローディ伯爵領、および、その周辺地域の制圧を優先せよ。それが完了し次第、聖女を王都に招聘するものとする』

 それは、国王陛下からのものであった。
 アイシャが、聖女としての力を発現させたあと、すぐに国王陛下に密書を送った。その返事であった。
 勿論、それっきりということは無く、リハリス子爵領の奪還や、現状の進捗などをこまめに報告していた。そして結果、サンマリア男爵領の奪還が完了し次第、すぐに聖女を王都に送るように、という事で話が決まっていたのであった。

 フィアローディ伯爵は、目をつぶり、そして今の想いを、心の中で吐露するしかなかった。

 いつかこの日が来ることは分かっていた。
 それこそ聖女の力をアイシャが目覚めさせた5年前から。

 あれ以来、私は、アイシャの命を守るためにも、彼女を聖女として、救世主として、より一層厳しく教育した。あの子は愚痴一つ、弱音一つ吐かなかった。
 その甲斐あってか、この5年間でのアイシャの成長は目を見張るものがあった。
 人前で堂々と話せるようになった。直ぐに馬にも乗れるようになったし、剣も扱えるようになった。まあ、それは恐らく、多少なりとも引き継がれているらしい『過去の聖女の経験』とやらによるところが大きいと思うが。

 もうあの子は、一人前と言っても大丈夫だろう。

 そして、リーシャもまた、アイシャが力に目覚めて以降、同様に厳しく接してきた。リーシャはハーズワート公爵家への嫁入りが決まっている。
 王族の血を引く公爵家に嫁ぐからではない。
 リーシャは利発で、自分に厳しく他人に優しい、良く出来た娘だ。だからこそ、聖女となり、戦いに身を置く双子のアイシャが厳しい戦いの人生を歩んでいく中、自分だけがぬくぬくと生活することを良しとしないはずである。アイシャが頑張っているのと同じだけ、自分も頑張ろうと、そうしなくてはならないと、そう思う娘だ。

 だからこそ、私はリーシャも同様に厳しく接した。アイシャが剣や馬ならば、リーシャは知識や作法、と言ったように。そしてこちらもやはり、文句ひとつ愚痴一つ言わなかった。そんなリーシャも齢13歳。領地も安定した今、婚約者としての公爵家への移住もそう遠い話では無い。

 今になって思う。

 本当は娘たちにもっと優しく接し、もっと甘えさせてあげたかった。両親や兄二人の手の中で、しっかりと守り続けてあげたかった。あの子らが旅立ってしまっては、もうそれも叶わない。

 アイシャは人類を滅ぼしかねない災厄と雌雄を決するまで、その一方的に与えられた使命を果たすまで、きっとここには戻らないだろう。例えいつか戻って来たとしても、それは何年先の事か。その時にはもうきっと、人に甘えられるような歳では無いに違いない。
 あの子が女の子として、誰かに甘えて、蝶よ花よと育てられる唯一の時を、私が奪ってしまったのだ。私自身の『優しい父親』という像と共に。

「……くっ。アイシャ……リーシャ……」

 伯爵は人知れず、涙を流していた。それは、『救世主の親』という分不相応な立場になってしまったがゆえに、自らをも追い詰めて来た彼の後悔の涙であった。

「私は、誰よりも、お前達を愛している。愛しているぞ」

 コンコン。

 伯爵が、外には聞こえないような小さな呟きを漏らしたその時、ドアがノックされた。伯爵は慌てて涙を拭い、深呼吸して心を落ち着かせて、言った。

「誰かな?」
「父上、アイシャです」

(なんだって? この5年、私に呼ばれてくることはあっても、アイシャの方から私の部屋に来ることなど無かったのに)

 伯爵は、今アイシャの顔を見て、涙をこらえられる気がしなかった。しかし、彼女を追い返すことはもっと出来なかった。

「ああ、よく来たね、入りなさい」

 伯爵は、入り口に背を向けて、娘の入室を許可した。

 最後まで、厳しい父であらねばならない。
 最後に、命懸けの戦いに赴く愛する娘を優しく包み込んでやりたい。

 フィアローディ伯爵の胸中には、二つの相反する気持ちが吹き荒れていた。



(第6話『旅立ちの前夜に その2』へつづく)

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