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留守番よろしく
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「それじゃあ、今日もよろしくね」
私が玄関を出ると隣に住んでいる女性が、玄関に向かって何か言っている。確か自分と同じ一人暮らしのはずなのに一体どうしたのだろう。だれか泊まっているんだろうか。
思わずじっと眺めてしまっていたので、こちらを振り返った女性と目が合ってしまった。黒髪にポニーテール。ジーンズにだぼっとした白のセーターを着て、大きめのベージュの鞄を肩にかけている。耳元では緑のピアスがきらりと光り、私と目が合ってぎょっとしたような顔をした。
「おはようございます。あの、隣に越してきた篠村です」
「あ、はい。おはようございます。私は、矢川です」
慌ててお互い挨拶をして道を譲り合うしぐさをしてから、私は、すみませんと笑って階段を降りていく。矢川さんも私と一緒で駅まで行くらしい。
「私、役者志望なの。今日は、オーディションがあってね」
卒業した後も派遣やバイトでつなぎながら、たまに役者として舞台に立っているらしい。先がどうなるかわからない夢を追うだなんて私には信じられなかった。
「篠村さんは、大学生か~」
眩しそうに目を細める矢川さんは良い人そうだった。明るい笑顔にこちらもつられて笑みを浮かべてしまう。
「ここのアパートは家賃が安いですね」
「うふふ。私も助かってるの」
お金ないからねと二人で笑い合っているとほっとした。やっぱり彼氏の家を飛び出してきたのは正解だと今でも思う。自分で家賃を払えないマンションでお世話になるだなんてやっぱりおかしいのだ。
走って五分の駅までの距離は短く、あっという間に着いてしまった。矢川さんは私と反対方向だからと言って、手を振って歩いて行こうとするのを呼び止めた。
「あの、矢川さん!」
「何?」
「矢川さんは一人暮らしですよね?」
「ええ、そうよ」
それがどうしたのと首を傾げるのに、聞いても良いかどうか迷ってから思い切って口を開いた。
「さっき、誰に声をかけていたんですか?あの、家を出る前、誰かに声をかけていたでしょ?」
矢川さんはしばらく考えてから、すぐに思い当たったようで苦笑いをした。
「あれはね、挨拶よ」
「挨拶?」
「私たちの住むアパートって、ちょっと古いでしょ?」
古いどころじゃない。相当古いとはいえない程度に古い。私が首を縦に振ると、矢川さんが秘密を打ち明けるように手を口に当ててそっとささやいた。
「留守の間、部屋を守って下さいって」
「…座敷童か何かいるんですか?」
その手の類の話はなかったはずだ。事故物件でもなければ変なものが出るっていう噂もない。不動産屋さんも古いのに、そういった話がないから安心して勧められると笑っていた。ウソだったのだろうか。
「座敷童はいないわよ。ただね、あのアパートはね、盗難や空き巣に入られたことがないので有名なの」
「はあ」
それが挨拶とどう関係があるのだろうか。私がじっと話の続きを待っていると、矢川さんが面白そうに笑う。
「ヤモリがね、日夜あのアパートをパトロールして住人を守ってくれてるの」
「そ、そうですか」
「だから、いつもありがとうとか、お疲れ様とか、今日もよろしくねって声をかけて出ていくのよ」
ぎこちなく笑う私に矢川さんがじゃあねと手をひらひら振って行ってしまう。電車が来るアナウンスが流れたので、慌ててその場を立ち去った。狐につままれたような気分で電車へと駆けこむ。ぎゅうぎゅうの満員電車ではないことにホッとして、吊革につかまる。流れていく景色は、もうすっかり見慣れたものになっていた。
ヤモリが家を守るって、都市伝説の類だろうか。矢川さんの言葉を忘れようと思い切り頭を振って、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
私が玄関を出ると隣に住んでいる女性が、玄関に向かって何か言っている。確か自分と同じ一人暮らしのはずなのに一体どうしたのだろう。だれか泊まっているんだろうか。
思わずじっと眺めてしまっていたので、こちらを振り返った女性と目が合ってしまった。黒髪にポニーテール。ジーンズにだぼっとした白のセーターを着て、大きめのベージュの鞄を肩にかけている。耳元では緑のピアスがきらりと光り、私と目が合ってぎょっとしたような顔をした。
「おはようございます。あの、隣に越してきた篠村です」
「あ、はい。おはようございます。私は、矢川です」
慌ててお互い挨拶をして道を譲り合うしぐさをしてから、私は、すみませんと笑って階段を降りていく。矢川さんも私と一緒で駅まで行くらしい。
「私、役者志望なの。今日は、オーディションがあってね」
卒業した後も派遣やバイトでつなぎながら、たまに役者として舞台に立っているらしい。先がどうなるかわからない夢を追うだなんて私には信じられなかった。
「篠村さんは、大学生か~」
眩しそうに目を細める矢川さんは良い人そうだった。明るい笑顔にこちらもつられて笑みを浮かべてしまう。
「ここのアパートは家賃が安いですね」
「うふふ。私も助かってるの」
お金ないからねと二人で笑い合っているとほっとした。やっぱり彼氏の家を飛び出してきたのは正解だと今でも思う。自分で家賃を払えないマンションでお世話になるだなんてやっぱりおかしいのだ。
走って五分の駅までの距離は短く、あっという間に着いてしまった。矢川さんは私と反対方向だからと言って、手を振って歩いて行こうとするのを呼び止めた。
「あの、矢川さん!」
「何?」
「矢川さんは一人暮らしですよね?」
「ええ、そうよ」
それがどうしたのと首を傾げるのに、聞いても良いかどうか迷ってから思い切って口を開いた。
「さっき、誰に声をかけていたんですか?あの、家を出る前、誰かに声をかけていたでしょ?」
矢川さんはしばらく考えてから、すぐに思い当たったようで苦笑いをした。
「あれはね、挨拶よ」
「挨拶?」
「私たちの住むアパートって、ちょっと古いでしょ?」
古いどころじゃない。相当古いとはいえない程度に古い。私が首を縦に振ると、矢川さんが秘密を打ち明けるように手を口に当ててそっとささやいた。
「留守の間、部屋を守って下さいって」
「…座敷童か何かいるんですか?」
その手の類の話はなかったはずだ。事故物件でもなければ変なものが出るっていう噂もない。不動産屋さんも古いのに、そういった話がないから安心して勧められると笑っていた。ウソだったのだろうか。
「座敷童はいないわよ。ただね、あのアパートはね、盗難や空き巣に入られたことがないので有名なの」
「はあ」
それが挨拶とどう関係があるのだろうか。私がじっと話の続きを待っていると、矢川さんが面白そうに笑う。
「ヤモリがね、日夜あのアパートをパトロールして住人を守ってくれてるの」
「そ、そうですか」
「だから、いつもありがとうとか、お疲れ様とか、今日もよろしくねって声をかけて出ていくのよ」
ぎこちなく笑う私に矢川さんがじゃあねと手をひらひら振って行ってしまう。電車が来るアナウンスが流れたので、慌ててその場を立ち去った。狐につままれたような気分で電車へと駆けこむ。ぎゅうぎゅうの満員電車ではないことにホッとして、吊革につかまる。流れていく景色は、もうすっかり見慣れたものになっていた。
ヤモリが家を守るって、都市伝説の類だろうか。矢川さんの言葉を忘れようと思い切り頭を振って、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
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