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午前十一時
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車は駅を通り過ぎ、さらに走った。駅前通りの大時計が刻む時刻を横目に見ながら、通りを歩く人々が驚くのを尻目に、アリスンは乱暴な運転を続ける。
(簡単には手に入らないって覚悟はしてたけど、こんなにまで手間取るなんて!)
助手席で、エミリオは親指の爪を噛みながら、やや俯き加減に前方を睨んだ。
アリスンもまた、彼と同様に疲れた顔で、でも辛抱強く車のハンドルにしがみついている。
車が制限時速をはるかに越えて突っ走っていても、二人とも沈黙を守り続けていた。
(メリルが生きていて、オレの奥さんになってる…敦也)
景色もまた、車に合わせてどんどん変って行く。彼の時代と変わらない町並みがやがて周りへ流れて、これも見覚えのある並木通りを車は走る。
親友の顔を思い浮かべながら、エミリオは思わず爪を強く噛んだ。
「イテッ」
「どうしました?」
つい叫ぶと、車のややスピードが緩む。指先を見れば、深く噛みすぎた爪と皮膚の間からわずかに血が出ていて、
「はい、これ」
「ありがとう」
アリスンがボードから出してくれた絆創膏を受け取ってそれに貼りながら、エミリオは苦笑した。
(もしかしたら、敦也が死ぬということは)
貼った絆創膏にも、みるみるうちに血が滲んでいくのが分かる。それを見つめて、
(あらかじめ歴史に定められていたことなんであって、ひょっとしたらオレがやろうとしていることというのは、それに対する冒涜なんじゃないか)
心のうちに、迷いが生じる。敦也の顔と、メリルの顔が交互に浮かんで、
(馬鹿なことを…メリル)
好きだった女性。敦也だから大丈夫だと、自分よりはずっとマシな愛し方が出来ると思って、譲った。
(…アリスン)
実際に、彼とメリルの血を引く『孫娘』がいる。早くに両親を失くして、ただ憧れているだけだった『自分だけの家族』が実在するのだと思ってしまえば、
(余計なことを考えるな…余計なことを考えるな)
再び己を叱咤したところで、生じた迷いは消せないのだ。
「もう少しですよ」
アリスンの言葉に、いつの間にかうつむいてしまっていた顔を上げると、車は閑静な住宅街を走っていた。スピードも、出発時に比べるとかなり落ちていて、
「パトカーによく捕まらなかったもんだ」
「ふふ」
エミリオが、吹っ切るように明るく言うと、アリスンは笑って、
「あれです。分かります? あの赤い屋根の家」
前方へ目で示す。なるほど、その先を見れば確かに赤い屋根を持つ、小ぢんまりした家が建っている。
その家の側に、車は静かに横付けになった。ほとんど同時に玄関の扉が開いて、中から空色の瞳にすっかり白くなってしまった髪をした老婦人が、にこにこしながら姿を現す。
「お祖母様!」
アリスンが車のドアを乱暴に閉めて祖母に駆け寄ると、祖母は孫娘の顔を皺深い両手で挟んで、
「車の音が聞こえたのでね。今日はまた、ずいぶんと急いでのお出ましだったこと。何があったの?」
「実はあの、お祖母様」
孫娘が可愛くてならないらしい。目を細めている祖母へ、どう切り出したものか言いよどんだアリスンは、エミリオを振り返った。
車の外に出て、ボディに寄りかかっていたエミリオは、自分を見つめる彼女達へぎこちなく手を振る。
つられてアリスンの祖母も手を振り返したのだが、
「私に何かご用?」
じっとしていられなくなったらしい。差し出された孫娘の手を押し留め、せかせかとエミリオに近づいてきて、
「私に何かご用?」
繰り返す。
「いつか、どこかでお会いしたことがあったかしら…?」
言って、彼女はエミリオを見上げた。その仕草と物の言い方は、つい『昨日』も会ったエミリオの時代の彼女とまるきり同じで、
(ちっとも変わらないんだな)
背筋は少し縮んで丸くなってしまったらしいけれど、五十年間、どうやらずっと彼女は彼女のままだったらしい。
思わずその手を取りたくなる衝動を、エミリオが辛うじて抑えていると、
「実はね」
アリスンがエミリオと祖母を交互に見ながら、祖母の細い肩をそっと抱いて言った。
「私達、研究室のお祖父様に会いに行ったの。だけど、暗証番号が変更されていて、システムが正常に作動しなくなっちゃっていて」
「まあまあ、それは大変でしたね」
その『大変』の度合いを知らない祖母は、小鳥のように首を二、三振って、
「急なご用事? どうしても主人にお会いしたいのかしら?」
「はい、ぜひ」
空色の瞳を見つめて、エミリオは頷く。
「でないと、オレの友達が…いえ、あの、とにかく大変なことになるんです」
「貴方、一体主人とどういうご関係の方?」
エミリオの言葉に、祖母の周りの空気が変わった。それを救おうと、
「お祖母様、あの」
「貴女は黙っていてちょうだい」
助け舟を出しかけた孫娘を制し、祖母はエミリオをしげしげと見上げた。
しばらくの沈黙の後、
「…エミリオ?」
「あ…うん…」
まさに、「思いがけない言葉」をかけられて、エミリオはつい頷く。はっとしてアリスンと顔を見合わせると、
「貴方は、エミリオ…彼本人ね?」
「…そうだよ、メリル」
確認するように繰り返されて、エミリオは彼女の瞳を改めて見つめた。
「今朝、五十年前の今日からここへ着いたばかりだ」
「そんな…本当に?」
「本当だ。嘘じゃない、信じて欲しい」
思わずよろめいた彼女を支えるようにしながら、エミリオは続けて、
「オレの時代じゃ、当たり前だけど敦也もまだ生きてる。けど、君も知ってるだろう? アイツは今日、自分で研究してる菌に感染して、あとわずかで…」
そこで自分の言葉に自分で息を呑み、深呼吸をひとつしてから再び話し始める。
「だから、オレは敦也を助けるために、君の孫のアリスンが開発したアンプルが欲しい。分かってくれ、頼む」
「…敦也を助けることが、本当に出来たの…いえ、出来るの?」
するとメリルは驚いて、丸い瞳を一層丸くした。
「もちろん出来るさ。やってみせる。だけど、なんでそんな風に驚くんだ」
「だって、だって私は」
エミリオから目を逸らし、メリルは激しくかぶりを振って、
「あの時、貴方が五十年後に行ったけど、どうしてもアンプルは手に入らなかったって、貴方から聞いているから…」
「ええ?」
エミリオもまた驚いて、彼女の頬を両手で挟み、
「落ち着いて、言ってくれ。オレが本当にそんなことを?」
空色の目を覗き込むようにしながら言う。すると、
「そうよ」
彼女もエミリオの緑色をした目を見つめて、
「そうよ。そう聞かされたから私、行けたかどうかも分からなかった五十年後に行ってくれて、敦也のためにそこまでしてくれた貴方に、心から感謝したわ。頑張ってみたけど出来なかった、って…全ては自分の責任だからって、研究室であの日あったことも全部包み隠さず話してくれて。そんな貴方とだったら、敦也はきっと死んでも許してくれるって思ったから、私は貴方と一緒に」
(なんてこった…!)
語り終えて終えて涙ぐむメリルから目を逸らして、エミリオは思わず空をあおいだ。
(裏切り者…オレは裏切り者でペテン師になる)
「お祖母様。とにかく、今は急を要します」
そこでアリスンが、彼を再び救うようにメリルへ話しかける。
「お祖父様から何か、聞いておられたこととか、変わったこととかありませんか」
「…そうね」
メリルはすると静かに頷いて、
「つい一時間前のことよ。あの人は帰ってきて、まだ眠っていた私をわざわざ起して、誰が来ても渡すなって言いながら、これをくれたわ」
首から下げていたペンダントを外した。
アリスンがそれを受け取って、しげしげと眺めている。純銀製の、小さな十字架を象った割合に趣味のいいペンダントだ。
「これを調べれば、何か分かるかも」
言いながら、彼女はエミリオへそれを手渡した。受け取って、
(For Real History…)
そこに、小さな文字が彫られているのに気付き、エミリオは少し眉をしかめる。
「ほら、見てごらん」
エミリオがその文字を、絆創膏を貼った爪の先で指し示しながら言うと、メリルとアリスンが一緒に頭を寄せてくる。
「これがひょっとしたら?」
鈍い銀色をしたペンダントは、朝の日光を反射して眩しく光る。目を細めながら彼を見上げたアリスンへ、
「多分ね。手がかりその1、ってとこかな」
エミリオは頷いた。
「じゃあ、メリル。オレ達はこれから『オレ』を探しに行くよ。元気で」
「疑っていたわけじゃないんだけれど」
車へ向かうその背中へ、メリルの声が響く。
「貴方が五十年前に行って、やってきたって言っていたことは本当だったのね。そして貴方は、また歴史を変えるのね?」
「うまくいっても、いかなくても」
エミリオは振り向いて、
「君とはもう、二度と会わない。卑怯な自分になりたくないからね。でも」
歪んでしまいそうになる口元を必死で動かした。
「結婚式には行くよ。招待してくれるかい?」
震える声でようやく言い終えてメリルへ手を振り、エンジン全開のアリスンの車に再び乗り込む。
ドアを閉めようとしたその手を、年老いた手がそっと押さえた。
「エミリオ。今朝戻ってきた時、貴方は市庁舎の金庫にアンプルを移したと言っていたわ」
「本当に?」
エミリオが助手席に座りながら彼女の顔を見上げると、
「ええ。私も詳しく走らないけれど、市庁舎の地下に。彼自身じゃないと絶対に入れないようにしてあるって。その文字、ひょっとしたらそこで役に立つんじゃないかしら?」
「そうか、ありがとう!」
「時間は足りますか!」
メリルへ限り無い感謝を込めて、エミリオは勢い良く扉を閉める。アリスンが運転席から、
「市庁舎まで、突っ走りますよ!」
怒鳴るのへ、
「よし!」
エミリオもまた威勢良く叫んだ。
「着いたらまず、市長室だ!」
同時に、アリスンが思い切りアクセルを踏み込む。威勢のいい音を上げて発進した車から、ふとエミリオが振り返ると、
(メリル…)
リアウインド越しに、彼女の姿がとても小さく見えて、
(さよなら)
思わずこみ上げてくる涙を堪えながら、エミリオは再び前方を睨み付けたのである。
(あと、六時間!)
古ぼけた大時計をその中央に抱く市庁舎の駐車場へ、車は乱暴に止まった。
車の扉を閉める間も惜しく、エミリオは建物の中へ突進する。アリスンもそれに倣ってキーを引っこ抜き、ついてくる。
「エレベーターじゃない、階段!」
「はい!」
中にいる人々が、驚いて彼らを見るのを尻目に、二人は静まり返っている二階の市長室へと駆け上がった。
扉を乱暴に叩くと、
「はいはい」
中から返事がして、中年の女が顔を出す。秘書だろうか。
「市長に何かご用? アポイントはおあり?」
そして彼らの姿を見て、あからさまに迷惑そうにするその顔の鼻先へ、
「地下の金庫の件で、市長に話があると伝えろ。緊急だ」
エミリオはまだ持っていた銃を突きつけた。
するとその女は、喉の奥でカエルがつぶれたような悲鳴をあげ、
「ど、どうぞお入りくださいな」
慌ててドアを開放し、二人を奥にあった机の側へと導き入れる。
「市長、あの、こちらのお方がお話しがあるそうで…何でも緊急なのだろうで」
「ん?」
割りに広い部屋である。その奥まった場所の中央に置いてあるデスクからは新聞が生えていて、その新聞が動いたと思うと、
「何か用かね。私はこれから都庁へ」
頭の禿げ上がった、冴えない中年男の顔が覗く。そしてその顔は、
「な、なんだなんだ君はっ! そっちの女性はクーパー博士のお孫さんじゃないか!」
エミリオの手にある銃が自分へ向けられていると見て、たちまち真っ青になった。
「静かにしてくれ。別にアンタをどうこうしようとは思ってないんだから」
エミリオは、ゆっくりと市長へ近づいていく。思わず立ち上がって両手を挙げた彼に苦笑しながら、
「そのままで聞け。オレ…いや、元大統領、エミリオ・クーパーが地下の金庫に隠してるものを取りに来た。地下の金庫への見取り図を出せ」
「若造が、いきなりやってきて何を言うかと思えば…できん、できんよ、そんなことは!決まっとるじゃないかね!」
ますますな避けない声を出して、市長は首を振る。
「そうか? でもやってもらわなきゃ」
エミリオは言うと、アリスンをぐいっと抱き寄せて、
「元大統領の孫娘の頭が吹っ飛ぶぜ。それに、アンタの頭も保証できない」
彼女の頭へ銃口を当て、さらには市長の頭へ狙いを付けるふりをした。
「こっちだって必死なんだ。こうやって問答している間も惜しい。とっとと地下の見取り図を出せ!」
「は、はいはいっ!」
市長は慌てふためいて、近くの戸棚から一個の筒を取り出し、震える手でエミリオへ押し付ける。
「見取り図ならこの中に…でも、元大統領ご自身以外、誰もそこへ行けんのだ。
こんなものを手に入れても価値はないと思うが」
「お前の知ったこっちゃねえ」
媚びるように、上目遣いでエミリオを見ながら言う市長へ、彼は苦笑しながら素っ気無く答えた。
そして、まだ怯えているらしい市長には構わず、その机の上で筒の中にある紙を取り出し、広げる。
ボイラー室、食堂、サニタリー…一見しただけでは普通の、よくある市庁舎の構図である。だが、
「ここだ」
その構図の中に、不自然な空白の場所がる。エミリオはその部分を市長へ指し示しながらその顔をじっと見た。
「ああ、そうだ。その部屋に行くには、一般のエレベーターじゃだめだ」
「どこにある?」
エミリオが問うと、市長はがっくりとうなだれて、
「この部屋の二つ隣の部屋…代々の市長と、元大統領以外知らされないエレベーターがある」
はげた額に、汗がじっとりと滲んでいる。
(フン、本当らしいな)
それを見ながら、エミリオは、
「分かった。協力感謝する」
市長へ狙いをつけていた銃口を下ろした。途端、市長は側の椅子へへたりこむ。
(情けねえオヤジだな。よくこんなのを市長に選んだもんだ)
鼻を鳴らしながら、エミリオはアリスンを促して、市長室を出ようとしたのだが、
「どうしました?」
立ち止まった彼を見て、アリスンが首をかしげる。それへ自分の唇に人差し指を当てることで答えて、
「来い」
エミリオはまだへたりこんでいる市長を無理やり引っ張って立たせ、その背中へ銃を押し当てた。
「お祖父様」
「黙って!」
再び不審げに口簿かしげるアリスンへ言うなり、エミリオは扉を蹴り開ける。外には銃を構えた警官がずらりと並んで二人を待ち構えていた。
「待て! 市長がどうなってもいいのか?」
それらへエミリオが叫び、市長に押し当てていた銃が良く見えるように少し体の位置をずらす。
すぐにでも発砲しようとしていたらしい警官たちは、それを見て二の足を踏んだ。
「動くな。このビヤ樽に穴が空くぜ?」
彼が言うと、その言葉にアリスンが思わず噴出すのが聞こえる。苦虫を噛み潰したような思いを堪えながら、エミリオは市長を引っ張って移動し始めた。
市長が言った部屋の扉を同じように蹴り開けて、彼は市長を乱暴に中へ突き転がす。アリスンも一緒に部屋へ入ったのを確認して、エミリオは中から扉の鍵をかけた。
「で、エレベーターってのはどこだよ」
エミリオが問うと、市長は黙って起き上がり、部屋の隅にあったスイッチを押す。当たり前だが部屋が明るくなって、
「電灯のためのスイッチじゃないのか?」
からかうように尋ねながらエミリオが市長を見ると、市長は苦笑して、
「この部屋全体がエレベーターなのだよ」
額の汗を懐から出したハンカチで拭いながら答えた。
エミリオとアリスンが思わず顔を見合わせると、
「お嬢さん、えらいことに巻き込まれましたな」
少し余裕の出てきたらしい市長が話しかけてくる。
「そちらの若者の人質にされるとは」
「いえ、私は人質では」
アリスンが言い掛けると、それを制して
「黙れ」
エミリオが市長を睨みつける。途端に市長は口をつぐんだ。
やがて、エレベーター特有の不快な浮遊感が襲ってきたかと思うと、今までドアが付いていた場所に巨大な金庫の姿が現れ始める。
「これが…この中だってのか?」
エミリオは信じられない思いでそれを眺め、呟いた。
(オレは、こんなものを作ることが出来るようになるのか)
「お祖父様。この構造、分かりますか?」
アリスンに尋ねられて、エミリオは金庫へ近づく。高度な技術の末に編み出された複雑な操作パネルが、ちょうどエミリオの腹の高さに出現しており、
(これは)
再び驚いて、彼はマジマジとそれを見つめた。
「お祖父様?」
アリスンが、再度呼びかける。エミリオはそのパネルを見つめたまま、
「分かるよ、アリスン」
呟くように言って、
「こいつは、部品があったらいつか絶対に作るって思ってたコンピューターだ。だから」
早速その両手を伸ばした。彼らの背後で市長が呆気に取られた風にその様子を見つめている。
(For Real History…)
最後にペンダントへ刻まれていた文字を入力すると、重そうな金庫の扉が音もなく手前に開き始めた。
「き、君は、一体」
市長の呟きを無視し、エミリオとアリスンは待ちきれずに金庫の中を覗く。
白い煙が彼らの足元へフワフワと流れていって、中には何十ものケースに収まった小さな茶色い瓶が林立していた。
「やりましたね、お祖父様!」
アリスンが、尊敬と喜びをこめて叫ぶ。
「ああ」
(これで、敦也も助かるはずだ)
エミリオは恐る恐る手を伸ばし、そのうちの一つのケースを取り出した。
「これ、もらっていく。いい?」
尋ねると、
「もちろん。だってそれ、もともとお祖父様のものじゃないですか」
アリスンは微笑んで頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。もう一本もらっておこう」
エミリオは言って、アンプルをもう一本、他のケースの中から取り出し、スボンの尻ポケットへ無造作に突っ込んだ。
「そんな所に入れて大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫大丈夫。結構丈夫なんだよ、コイツ。弾力性もあるしね」
見つめて笑みを交し合ってから、
「でも、どうやって五十年前に戻るんです? 普通なら、タイムマシンにはこの三階から乗れますが」
アリスンは言って、ちらりと市長を見る。すると怯えながら二人の会話を聞いていた市長は、
そこでびくりと肩を震わせた。
「そこへ行かなくても大丈夫だと思う」
「どうして?」
首をかしげるのが癖らしいと思わず微笑しながら、彼女の頭へ軽く片手を乗せた後、
エミリオは市長がしたように部屋のスイッチを押した。かすかに振動が起こり、上へ運ばれていくのが分かる。
「もう一度大学へ戻る。なるべく面倒は避けたいし、きっとそこにオレの研究室はある…タイムマシンだって残ってるはずだから」
「本当に…君らは一体何者なんだね」
そこで、とうとうたまりかねたように市長が叫ぶ。
「元大統領にしか分からんはずの暗号を、こうも容易く解除してしまえるなんて」
「その質問に答える前に、やってもらいたいことがあるんだが」
「な、何かな?」
そして再び金庫は消え、代わりに扉が姿を現す。エミリオはその扉近くの電話を手にとって、
「部屋の外にいる警官を追っ払え」
市長に押し付けながら言った。
「…分かった」
市長は素直に言って、震える手でそれを受け取り、内線電話をかけ始める。それを見ながら、
「すっかり悪者ですね」
アリスンはエミリオへ囁いて、クスリと笑った。
エミリオもそれへ苦笑で返す。しばらくして市長が受話器を元通りにし、彼らへ向き直って、
「警官たちにはテレビ用のパフォーマンスだったと伝えて納得させた。これで君たちはいつでも市庁舎から安全に出て行けるよ」
「そいつはどうも」
エミリオは彼に薄く笑いかけ、アリスンを促して部屋を出て行こうとする。すると、
「待ってくれ!」
市長がその背中へ呼びかけた。
「君は何者だ! こちらの要求にも答えてくれたっていいだろう」
アリスンが「どうする?」というようにエミリオの顔を覗きこむ。
「…アンタ、もう少し威厳ってのを身につけたほうがいいんじゃないか?」
エミリオは思わずクスリと笑って市長を振り向き、
「エミリオ・クーパーだよ」
言い捨てて、その部屋から立ち去ったのである。
to be continued…
(簡単には手に入らないって覚悟はしてたけど、こんなにまで手間取るなんて!)
助手席で、エミリオは親指の爪を噛みながら、やや俯き加減に前方を睨んだ。
アリスンもまた、彼と同様に疲れた顔で、でも辛抱強く車のハンドルにしがみついている。
車が制限時速をはるかに越えて突っ走っていても、二人とも沈黙を守り続けていた。
(メリルが生きていて、オレの奥さんになってる…敦也)
景色もまた、車に合わせてどんどん変って行く。彼の時代と変わらない町並みがやがて周りへ流れて、これも見覚えのある並木通りを車は走る。
親友の顔を思い浮かべながら、エミリオは思わず爪を強く噛んだ。
「イテッ」
「どうしました?」
つい叫ぶと、車のややスピードが緩む。指先を見れば、深く噛みすぎた爪と皮膚の間からわずかに血が出ていて、
「はい、これ」
「ありがとう」
アリスンがボードから出してくれた絆創膏を受け取ってそれに貼りながら、エミリオは苦笑した。
(もしかしたら、敦也が死ぬということは)
貼った絆創膏にも、みるみるうちに血が滲んでいくのが分かる。それを見つめて、
(あらかじめ歴史に定められていたことなんであって、ひょっとしたらオレがやろうとしていることというのは、それに対する冒涜なんじゃないか)
心のうちに、迷いが生じる。敦也の顔と、メリルの顔が交互に浮かんで、
(馬鹿なことを…メリル)
好きだった女性。敦也だから大丈夫だと、自分よりはずっとマシな愛し方が出来ると思って、譲った。
(…アリスン)
実際に、彼とメリルの血を引く『孫娘』がいる。早くに両親を失くして、ただ憧れているだけだった『自分だけの家族』が実在するのだと思ってしまえば、
(余計なことを考えるな…余計なことを考えるな)
再び己を叱咤したところで、生じた迷いは消せないのだ。
「もう少しですよ」
アリスンの言葉に、いつの間にかうつむいてしまっていた顔を上げると、車は閑静な住宅街を走っていた。スピードも、出発時に比べるとかなり落ちていて、
「パトカーによく捕まらなかったもんだ」
「ふふ」
エミリオが、吹っ切るように明るく言うと、アリスンは笑って、
「あれです。分かります? あの赤い屋根の家」
前方へ目で示す。なるほど、その先を見れば確かに赤い屋根を持つ、小ぢんまりした家が建っている。
その家の側に、車は静かに横付けになった。ほとんど同時に玄関の扉が開いて、中から空色の瞳にすっかり白くなってしまった髪をした老婦人が、にこにこしながら姿を現す。
「お祖母様!」
アリスンが車のドアを乱暴に閉めて祖母に駆け寄ると、祖母は孫娘の顔を皺深い両手で挟んで、
「車の音が聞こえたのでね。今日はまた、ずいぶんと急いでのお出ましだったこと。何があったの?」
「実はあの、お祖母様」
孫娘が可愛くてならないらしい。目を細めている祖母へ、どう切り出したものか言いよどんだアリスンは、エミリオを振り返った。
車の外に出て、ボディに寄りかかっていたエミリオは、自分を見つめる彼女達へぎこちなく手を振る。
つられてアリスンの祖母も手を振り返したのだが、
「私に何かご用?」
じっとしていられなくなったらしい。差し出された孫娘の手を押し留め、せかせかとエミリオに近づいてきて、
「私に何かご用?」
繰り返す。
「いつか、どこかでお会いしたことがあったかしら…?」
言って、彼女はエミリオを見上げた。その仕草と物の言い方は、つい『昨日』も会ったエミリオの時代の彼女とまるきり同じで、
(ちっとも変わらないんだな)
背筋は少し縮んで丸くなってしまったらしいけれど、五十年間、どうやらずっと彼女は彼女のままだったらしい。
思わずその手を取りたくなる衝動を、エミリオが辛うじて抑えていると、
「実はね」
アリスンがエミリオと祖母を交互に見ながら、祖母の細い肩をそっと抱いて言った。
「私達、研究室のお祖父様に会いに行ったの。だけど、暗証番号が変更されていて、システムが正常に作動しなくなっちゃっていて」
「まあまあ、それは大変でしたね」
その『大変』の度合いを知らない祖母は、小鳥のように首を二、三振って、
「急なご用事? どうしても主人にお会いしたいのかしら?」
「はい、ぜひ」
空色の瞳を見つめて、エミリオは頷く。
「でないと、オレの友達が…いえ、あの、とにかく大変なことになるんです」
「貴方、一体主人とどういうご関係の方?」
エミリオの言葉に、祖母の周りの空気が変わった。それを救おうと、
「お祖母様、あの」
「貴女は黙っていてちょうだい」
助け舟を出しかけた孫娘を制し、祖母はエミリオをしげしげと見上げた。
しばらくの沈黙の後、
「…エミリオ?」
「あ…うん…」
まさに、「思いがけない言葉」をかけられて、エミリオはつい頷く。はっとしてアリスンと顔を見合わせると、
「貴方は、エミリオ…彼本人ね?」
「…そうだよ、メリル」
確認するように繰り返されて、エミリオは彼女の瞳を改めて見つめた。
「今朝、五十年前の今日からここへ着いたばかりだ」
「そんな…本当に?」
「本当だ。嘘じゃない、信じて欲しい」
思わずよろめいた彼女を支えるようにしながら、エミリオは続けて、
「オレの時代じゃ、当たり前だけど敦也もまだ生きてる。けど、君も知ってるだろう? アイツは今日、自分で研究してる菌に感染して、あとわずかで…」
そこで自分の言葉に自分で息を呑み、深呼吸をひとつしてから再び話し始める。
「だから、オレは敦也を助けるために、君の孫のアリスンが開発したアンプルが欲しい。分かってくれ、頼む」
「…敦也を助けることが、本当に出来たの…いえ、出来るの?」
するとメリルは驚いて、丸い瞳を一層丸くした。
「もちろん出来るさ。やってみせる。だけど、なんでそんな風に驚くんだ」
「だって、だって私は」
エミリオから目を逸らし、メリルは激しくかぶりを振って、
「あの時、貴方が五十年後に行ったけど、どうしてもアンプルは手に入らなかったって、貴方から聞いているから…」
「ええ?」
エミリオもまた驚いて、彼女の頬を両手で挟み、
「落ち着いて、言ってくれ。オレが本当にそんなことを?」
空色の目を覗き込むようにしながら言う。すると、
「そうよ」
彼女もエミリオの緑色をした目を見つめて、
「そうよ。そう聞かされたから私、行けたかどうかも分からなかった五十年後に行ってくれて、敦也のためにそこまでしてくれた貴方に、心から感謝したわ。頑張ってみたけど出来なかった、って…全ては自分の責任だからって、研究室であの日あったことも全部包み隠さず話してくれて。そんな貴方とだったら、敦也はきっと死んでも許してくれるって思ったから、私は貴方と一緒に」
(なんてこった…!)
語り終えて終えて涙ぐむメリルから目を逸らして、エミリオは思わず空をあおいだ。
(裏切り者…オレは裏切り者でペテン師になる)
「お祖母様。とにかく、今は急を要します」
そこでアリスンが、彼を再び救うようにメリルへ話しかける。
「お祖父様から何か、聞いておられたこととか、変わったこととかありませんか」
「…そうね」
メリルはすると静かに頷いて、
「つい一時間前のことよ。あの人は帰ってきて、まだ眠っていた私をわざわざ起して、誰が来ても渡すなって言いながら、これをくれたわ」
首から下げていたペンダントを外した。
アリスンがそれを受け取って、しげしげと眺めている。純銀製の、小さな十字架を象った割合に趣味のいいペンダントだ。
「これを調べれば、何か分かるかも」
言いながら、彼女はエミリオへそれを手渡した。受け取って、
(For Real History…)
そこに、小さな文字が彫られているのに気付き、エミリオは少し眉をしかめる。
「ほら、見てごらん」
エミリオがその文字を、絆創膏を貼った爪の先で指し示しながら言うと、メリルとアリスンが一緒に頭を寄せてくる。
「これがひょっとしたら?」
鈍い銀色をしたペンダントは、朝の日光を反射して眩しく光る。目を細めながら彼を見上げたアリスンへ、
「多分ね。手がかりその1、ってとこかな」
エミリオは頷いた。
「じゃあ、メリル。オレ達はこれから『オレ』を探しに行くよ。元気で」
「疑っていたわけじゃないんだけれど」
車へ向かうその背中へ、メリルの声が響く。
「貴方が五十年前に行って、やってきたって言っていたことは本当だったのね。そして貴方は、また歴史を変えるのね?」
「うまくいっても、いかなくても」
エミリオは振り向いて、
「君とはもう、二度と会わない。卑怯な自分になりたくないからね。でも」
歪んでしまいそうになる口元を必死で動かした。
「結婚式には行くよ。招待してくれるかい?」
震える声でようやく言い終えてメリルへ手を振り、エンジン全開のアリスンの車に再び乗り込む。
ドアを閉めようとしたその手を、年老いた手がそっと押さえた。
「エミリオ。今朝戻ってきた時、貴方は市庁舎の金庫にアンプルを移したと言っていたわ」
「本当に?」
エミリオが助手席に座りながら彼女の顔を見上げると、
「ええ。私も詳しく走らないけれど、市庁舎の地下に。彼自身じゃないと絶対に入れないようにしてあるって。その文字、ひょっとしたらそこで役に立つんじゃないかしら?」
「そうか、ありがとう!」
「時間は足りますか!」
メリルへ限り無い感謝を込めて、エミリオは勢い良く扉を閉める。アリスンが運転席から、
「市庁舎まで、突っ走りますよ!」
怒鳴るのへ、
「よし!」
エミリオもまた威勢良く叫んだ。
「着いたらまず、市長室だ!」
同時に、アリスンが思い切りアクセルを踏み込む。威勢のいい音を上げて発進した車から、ふとエミリオが振り返ると、
(メリル…)
リアウインド越しに、彼女の姿がとても小さく見えて、
(さよなら)
思わずこみ上げてくる涙を堪えながら、エミリオは再び前方を睨み付けたのである。
(あと、六時間!)
古ぼけた大時計をその中央に抱く市庁舎の駐車場へ、車は乱暴に止まった。
車の扉を閉める間も惜しく、エミリオは建物の中へ突進する。アリスンもそれに倣ってキーを引っこ抜き、ついてくる。
「エレベーターじゃない、階段!」
「はい!」
中にいる人々が、驚いて彼らを見るのを尻目に、二人は静まり返っている二階の市長室へと駆け上がった。
扉を乱暴に叩くと、
「はいはい」
中から返事がして、中年の女が顔を出す。秘書だろうか。
「市長に何かご用? アポイントはおあり?」
そして彼らの姿を見て、あからさまに迷惑そうにするその顔の鼻先へ、
「地下の金庫の件で、市長に話があると伝えろ。緊急だ」
エミリオはまだ持っていた銃を突きつけた。
するとその女は、喉の奥でカエルがつぶれたような悲鳴をあげ、
「ど、どうぞお入りくださいな」
慌ててドアを開放し、二人を奥にあった机の側へと導き入れる。
「市長、あの、こちらのお方がお話しがあるそうで…何でも緊急なのだろうで」
「ん?」
割りに広い部屋である。その奥まった場所の中央に置いてあるデスクからは新聞が生えていて、その新聞が動いたと思うと、
「何か用かね。私はこれから都庁へ」
頭の禿げ上がった、冴えない中年男の顔が覗く。そしてその顔は、
「な、なんだなんだ君はっ! そっちの女性はクーパー博士のお孫さんじゃないか!」
エミリオの手にある銃が自分へ向けられていると見て、たちまち真っ青になった。
「静かにしてくれ。別にアンタをどうこうしようとは思ってないんだから」
エミリオは、ゆっくりと市長へ近づいていく。思わず立ち上がって両手を挙げた彼に苦笑しながら、
「そのままで聞け。オレ…いや、元大統領、エミリオ・クーパーが地下の金庫に隠してるものを取りに来た。地下の金庫への見取り図を出せ」
「若造が、いきなりやってきて何を言うかと思えば…できん、できんよ、そんなことは!決まっとるじゃないかね!」
ますますな避けない声を出して、市長は首を振る。
「そうか? でもやってもらわなきゃ」
エミリオは言うと、アリスンをぐいっと抱き寄せて、
「元大統領の孫娘の頭が吹っ飛ぶぜ。それに、アンタの頭も保証できない」
彼女の頭へ銃口を当て、さらには市長の頭へ狙いを付けるふりをした。
「こっちだって必死なんだ。こうやって問答している間も惜しい。とっとと地下の見取り図を出せ!」
「は、はいはいっ!」
市長は慌てふためいて、近くの戸棚から一個の筒を取り出し、震える手でエミリオへ押し付ける。
「見取り図ならこの中に…でも、元大統領ご自身以外、誰もそこへ行けんのだ。
こんなものを手に入れても価値はないと思うが」
「お前の知ったこっちゃねえ」
媚びるように、上目遣いでエミリオを見ながら言う市長へ、彼は苦笑しながら素っ気無く答えた。
そして、まだ怯えているらしい市長には構わず、その机の上で筒の中にある紙を取り出し、広げる。
ボイラー室、食堂、サニタリー…一見しただけでは普通の、よくある市庁舎の構図である。だが、
「ここだ」
その構図の中に、不自然な空白の場所がる。エミリオはその部分を市長へ指し示しながらその顔をじっと見た。
「ああ、そうだ。その部屋に行くには、一般のエレベーターじゃだめだ」
「どこにある?」
エミリオが問うと、市長はがっくりとうなだれて、
「この部屋の二つ隣の部屋…代々の市長と、元大統領以外知らされないエレベーターがある」
はげた額に、汗がじっとりと滲んでいる。
(フン、本当らしいな)
それを見ながら、エミリオは、
「分かった。協力感謝する」
市長へ狙いをつけていた銃口を下ろした。途端、市長は側の椅子へへたりこむ。
(情けねえオヤジだな。よくこんなのを市長に選んだもんだ)
鼻を鳴らしながら、エミリオはアリスンを促して、市長室を出ようとしたのだが、
「どうしました?」
立ち止まった彼を見て、アリスンが首をかしげる。それへ自分の唇に人差し指を当てることで答えて、
「来い」
エミリオはまだへたりこんでいる市長を無理やり引っ張って立たせ、その背中へ銃を押し当てた。
「お祖父様」
「黙って!」
再び不審げに口簿かしげるアリスンへ言うなり、エミリオは扉を蹴り開ける。外には銃を構えた警官がずらりと並んで二人を待ち構えていた。
「待て! 市長がどうなってもいいのか?」
それらへエミリオが叫び、市長に押し当てていた銃が良く見えるように少し体の位置をずらす。
すぐにでも発砲しようとしていたらしい警官たちは、それを見て二の足を踏んだ。
「動くな。このビヤ樽に穴が空くぜ?」
彼が言うと、その言葉にアリスンが思わず噴出すのが聞こえる。苦虫を噛み潰したような思いを堪えながら、エミリオは市長を引っ張って移動し始めた。
市長が言った部屋の扉を同じように蹴り開けて、彼は市長を乱暴に中へ突き転がす。アリスンも一緒に部屋へ入ったのを確認して、エミリオは中から扉の鍵をかけた。
「で、エレベーターってのはどこだよ」
エミリオが問うと、市長は黙って起き上がり、部屋の隅にあったスイッチを押す。当たり前だが部屋が明るくなって、
「電灯のためのスイッチじゃないのか?」
からかうように尋ねながらエミリオが市長を見ると、市長は苦笑して、
「この部屋全体がエレベーターなのだよ」
額の汗を懐から出したハンカチで拭いながら答えた。
エミリオとアリスンが思わず顔を見合わせると、
「お嬢さん、えらいことに巻き込まれましたな」
少し余裕の出てきたらしい市長が話しかけてくる。
「そちらの若者の人質にされるとは」
「いえ、私は人質では」
アリスンが言い掛けると、それを制して
「黙れ」
エミリオが市長を睨みつける。途端に市長は口をつぐんだ。
やがて、エレベーター特有の不快な浮遊感が襲ってきたかと思うと、今までドアが付いていた場所に巨大な金庫の姿が現れ始める。
「これが…この中だってのか?」
エミリオは信じられない思いでそれを眺め、呟いた。
(オレは、こんなものを作ることが出来るようになるのか)
「お祖父様。この構造、分かりますか?」
アリスンに尋ねられて、エミリオは金庫へ近づく。高度な技術の末に編み出された複雑な操作パネルが、ちょうどエミリオの腹の高さに出現しており、
(これは)
再び驚いて、彼はマジマジとそれを見つめた。
「お祖父様?」
アリスンが、再度呼びかける。エミリオはそのパネルを見つめたまま、
「分かるよ、アリスン」
呟くように言って、
「こいつは、部品があったらいつか絶対に作るって思ってたコンピューターだ。だから」
早速その両手を伸ばした。彼らの背後で市長が呆気に取られた風にその様子を見つめている。
(For Real History…)
最後にペンダントへ刻まれていた文字を入力すると、重そうな金庫の扉が音もなく手前に開き始めた。
「き、君は、一体」
市長の呟きを無視し、エミリオとアリスンは待ちきれずに金庫の中を覗く。
白い煙が彼らの足元へフワフワと流れていって、中には何十ものケースに収まった小さな茶色い瓶が林立していた。
「やりましたね、お祖父様!」
アリスンが、尊敬と喜びをこめて叫ぶ。
「ああ」
(これで、敦也も助かるはずだ)
エミリオは恐る恐る手を伸ばし、そのうちの一つのケースを取り出した。
「これ、もらっていく。いい?」
尋ねると、
「もちろん。だってそれ、もともとお祖父様のものじゃないですか」
アリスンは微笑んで頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。もう一本もらっておこう」
エミリオは言って、アンプルをもう一本、他のケースの中から取り出し、スボンの尻ポケットへ無造作に突っ込んだ。
「そんな所に入れて大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫大丈夫。結構丈夫なんだよ、コイツ。弾力性もあるしね」
見つめて笑みを交し合ってから、
「でも、どうやって五十年前に戻るんです? 普通なら、タイムマシンにはこの三階から乗れますが」
アリスンは言って、ちらりと市長を見る。すると怯えながら二人の会話を聞いていた市長は、
そこでびくりと肩を震わせた。
「そこへ行かなくても大丈夫だと思う」
「どうして?」
首をかしげるのが癖らしいと思わず微笑しながら、彼女の頭へ軽く片手を乗せた後、
エミリオは市長がしたように部屋のスイッチを押した。かすかに振動が起こり、上へ運ばれていくのが分かる。
「もう一度大学へ戻る。なるべく面倒は避けたいし、きっとそこにオレの研究室はある…タイムマシンだって残ってるはずだから」
「本当に…君らは一体何者なんだね」
そこで、とうとうたまりかねたように市長が叫ぶ。
「元大統領にしか分からんはずの暗号を、こうも容易く解除してしまえるなんて」
「その質問に答える前に、やってもらいたいことがあるんだが」
「な、何かな?」
そして再び金庫は消え、代わりに扉が姿を現す。エミリオはその扉近くの電話を手にとって、
「部屋の外にいる警官を追っ払え」
市長に押し付けながら言った。
「…分かった」
市長は素直に言って、震える手でそれを受け取り、内線電話をかけ始める。それを見ながら、
「すっかり悪者ですね」
アリスンはエミリオへ囁いて、クスリと笑った。
エミリオもそれへ苦笑で返す。しばらくして市長が受話器を元通りにし、彼らへ向き直って、
「警官たちにはテレビ用のパフォーマンスだったと伝えて納得させた。これで君たちはいつでも市庁舎から安全に出て行けるよ」
「そいつはどうも」
エミリオは彼に薄く笑いかけ、アリスンを促して部屋を出て行こうとする。すると、
「待ってくれ!」
市長がその背中へ呼びかけた。
「君は何者だ! こちらの要求にも答えてくれたっていいだろう」
アリスンが「どうする?」というようにエミリオの顔を覗きこむ。
「…アンタ、もう少し威厳ってのを身につけたほうがいいんじゃないか?」
エミリオは思わずクスリと笑って市長を振り向き、
「エミリオ・クーパーだよ」
言い捨てて、その部屋から立ち去ったのである。
to be continued…
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