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第七幕 七 「闇の匂いが強くなってきました。この辺りで何か起きるかもしれませんね」 

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     七

 客室に戻り、リンをベッドに座らせたヒョウは、笑みを深くして椅子に座っていた。
 作戦会議での思わぬ収穫に、仮面のような微笑も消失し忍び笑いを漏らしている。
「婚約破談ですか・・・。いったい誰の仕業なのでしょう?」
「先生、楽しそうだね?」
 ヒョウにつられて楽しそうにしているリンは、いつもなら飛んではしゃぎまわるというのに、おとなしくベッドに座っていた。うずうずとしてはいるが、ヒョウに座らせられたまま、動こうとはしていない。
 リンに向けて微笑み、ヒョウは長い足を組む。
「ええ、楽しいですよ。少しずつカードが揃ってきましたから。これで悲劇を彩ることが出来そうです。」
 底なしの闇をサファイアの瞳に湛え、悠然と構えているヒョウ。
 リンはそんなヒョウを恐れるでもなく、真正面から何事もなく見つめていた。
「先生。警部、怒ってたね。」
「そうですね、警部殿は本気で信じているのですよ。情報がどこからも漏れることなどないと。警部殿がもう少し深くインターネットを嗜んでおられたら、既に情報が漏洩していることが理解できるでしょうに。末端というのは、いつも光が当たりにくいものですが、都市伝説ほどの噂ならば、どこにでも落ちているでしょうに。誰も知らない孤島で起きた事件などでもありませんし、関係者が全て死亡しているわけでもありませんし。」
 実に流暢に溢れていくヒョウの言葉。
 リンはヒョウの言葉の半分も理解していないのかもしれないが、ヒョウは気にせず続けた。リンも特に質問をしない。
「人の口に戸など立てられませんよ。現に、我々は警察関係者でなくても知っているのですから。他にも、たくさんいるでしょう。」
「先生。」
 いつもならば、この辺りでヒョウに抱きつくリンだが、ベッドに座ったままでヒョウに呼びかけた。
「先生のトコ、行けない。」
 ヒョウへと両手を伸ばすリン。ワンピースの裾から見え隠れする、膝の包帯が痛々しい。
 ヒョウは組んでいた足を解き椅子から立ち上がると、リンの隣に座った。
 リンが、早速甘えるようにヒョウに抱きつく。
「それにしても、名探偵殿や横山サンは、これからどう動くのでしょうか?楽しみですね。」
 遠足を前にした子供のように、気分を弾ませているヒョウ。とても、殺人事件を前にした探偵の表情とは思えない。死や被害者に対する敬意はなく、状況を玩んでいるようだ。
 黒い手袋に包まれた手でリンの髪を梳きながら、ヒョウは夢心地で続ける。
「闇の匂いが強くなってきました。この辺りで何か起きるかもしれませんね。」
 少しずつ陽は傾き始め、太陽の光は弱くなる。
 無邪気なほどのヒョウの笑み、瞳に湛えているのは底なしの闇と計り知れない狂気、そして理性と知性のひらめきは閃光のように鋭い。全てを含んだ得体のしれない禍々しさを放つサファイアの輝き。
「リン、楽しみですね。シリアルキラーとコピーキャット。名探偵と女探偵。引きこもりとメイド。主人と秘書。警部とプロファイラー。誰がどう動き、それぞれの運命に絡み合うのでしょうか?」
「先生、お腹すいた。」
 ぐうーっと、リンのお腹の無視が鳴るのと、リンの呟きは同時。リンの体内時計はこと食事に関してはあまりに正確だ。
 ヒョウはリンに笑みを向ける。サファイアの双眸からは、もう先程までの禍々しさは消えていた。
「そうですね、そろそろ夕食でしょうか?」

 コンコンコン

 タイミングを見計らったかのように、扉を叩く音がする。
「夕食の時間です。」
 扉の向こうから聞こえたのは、メイドの杏子の声だ。
 ヒョウはリンを軽く抱き上げて立ち上がる。
「はい、分かりました。」
 扉に声を掛けて、扉を開く。
「すみません、杏子サン。」
 リンを抱ええたままのヒョウが扉から顔を出すと、杏子は驚いたように二人を見つめた。
「あっ、あの!リンちゃんの怪我、そんなに悪いんですか!」
 自分の足で歩くのではなく、抱えられて出てきたリンを見て、杏子の顔は凍りついた。杏子の視線はリンの膝の包帯に定まったまま動かない。使用人として客に怪我をさせたという責任も相まって、杏子は下げられる限りの角度で頭を下げた。
「申し訳ありません!私がいたのに。」
「いえいえ、そんな。貴方は迷子になっているリンを助けてくださったのですから。こちらが感謝しているくらいですよ。」
「いえ、私のせいです。」
 顔を上げない杏子。土下座すらしそうな勢いだ。そんな杏子を微笑で見下ろして、ヒョウはリンを抱えたまま首を横に振る。
「違いますよ。彼女の責任を負うのは私の役目です。貴方は気になさらなくて結構です。」
 涼しげな声音は、杏子の謝罪をお門違いとでも言いたげだ。
 杏子は様子を窺うように顔を上げた。
「あのー、リンちゃんの怪我は大丈夫なんですか?お医者様とか呼んだ方がいいですか?」
 恐る恐る尋ねる杏子に、ヒョウは首を振る。
「大丈夫ですよ。骨などには異常はありません。立って歩けないような傷ではないのですよ。ただ、私が用心を重ねるためと、彼女への謝罪を込めて抱き上げているだけです。笑われてしまうかもしれませんが、過保護なんですよ、私は。」
 微笑は悪戯に輝く。
 抱えられたままのリンも、鈴の音で肯定を響かせた。
 そこで、ようやく杏子は背筋をピンと伸ばした。
「そうなんですか・・・。」
 まだ謝り足りない杏子だったが、そんな杏子を急かすようにリンのお腹の虫が鳴く。
 ぐうー
「お腹すいた。」
 お腹の虫の鳴き声とリンの呟き。怪我などなかったかのようなリンの素直な食欲に、杏子はどこか安堵したように笑い出す。
「分かりました。食堂までご案内しますね。」
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