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1942年8月4日7:00 フランス ロシュ・ボノー(Roche Bonneau)

ロシュ・ボノーはフランスのグラン・ウエスト地域最大の都市ナントの南西に位置する海岸である。
アイザックの指示によるフランス、ベルギー、オランダ、ドイツの海岸線の要塞化計画が完成している。ここロシュ・ボノーにおいても、頑丈なトーチカに重火器を設置し、複雑な塹壕を張り巡らせており、来るものを寄せ付けない威圧感を放っていた。なお、地中に隠しているが対艦用砲台も複数設置されている。
この地方の防衛を担当しているのはヴィルヘルム・ヨーゼフ・フランツ・リッター・フォン・レープ元帥だった。レープ元帥はナチスに対して批判的だったため、史実ではヒトラーと対立して司令官を解任されていたが、この世界ではアイザックが最も信頼する最高幹部の一人である。
アイザックはアメリカを中心とする西側連合軍が上陸してるであろう上陸ポイントがカレーとノルマンディであることを踏まえて、ノルマンディにはエルヴィン・ロンメル元帥、パウル・ルートヴィヒ・エヴァルト・フォン・クライスト元帥と、アイザックが最も信頼する元帥を配置していた。
    
そして、西側連合軍はイギリス海峡側のドイツ軍の防衛体制が万全で、突破するには多大な被害を覚悟しなければならないため、オーヴァーロード作戦の上陸地点として海岸線の防衛陣地が比較的薄い、ここロシュ・ボノーを選んだ。一方ドイツ軍は西側連合軍の上陸作戦を最大限に警戒してはいたが、大日本帝国海軍の空母機動部隊によりイギリス海峡の制海権を完全に失い、イギリスやアメリカの艦艇の情報もほとんど入らなくなったため、連合軍の艦隊の位置が掴めず、上陸作戦の決行日や位置を予測できずにいた。

この日は空軍が定時の哨戒任務のためビスケー湾を飛行中に、米英の艦隊を発見したとの通信を最後に消息不明になったことから始まった。哨戒機からの報告はすぐにレープ元帥に報告され、レープ元帥はここロシュ・ボノーが大規模な上陸作戦の上陸ポイントになったことを察し、すぐにアイザックに報告をした。
アイザックは国防軍と親衛隊の少将以上からの連絡は直通電話を使用しても良いということにしていた。

『総統!哨戒機が大規模艦隊をビスケー湾沖で発見しました!恐らく敵の上陸作戦が始まります!』

『予想より随分早かったね…。すぐに陸と海か援軍を向かわせるからそれまで何とか粘って。もし、援軍が来るまでに危なくなったら、段階的に第三防衛ラインまで下がって兵力の消耗を抑えてね』

『はい!承知しました!ありがとうございます!』

『君の換えはいないから何があっても死なないように厳命する。いいね?』

『はい!ありがとうございます!ハイル・マイン・フューラー!』

電話を切ったあと、アイザックはすぐに中央軍にレープ元帥の援軍に向かうよう指示した。また、残存のドイツ海軍の潜水艦以外の艦艇をすべてビスケー湾に集結し、陸と海からアメリカ、イギリス、カナダとフランス等の本国を占領されたヨーロッパ解放同盟軍の艦隊を挟撃するよう指示を出した。
ドイツ海軍は主にアメリカ海軍の圧倒的な物量を前に、大規模な損害を受けることは誰もが予想できた。しかし、日本の空母機動部隊がイギリス海峡にいる限りは、海軍としての役割をほぼ果たすことができていないため、ほとんど無傷で温存していた。このままでは張子の虎なので、ここで役に立つ機会が来たと思い、文字通りドイツ海軍の全戦力を投入することを決めた。
アイザックはフランスに駐留しているドイツ空軍にもすぐにも緊急出動を命じた。これまでに連合軍がフランスに上陸してくる可能性を考えて、何度も陸軍、空軍共同での合同演習を繰り返していたので、アイザックの指示に従い、迅速にロシュ・ボノーに向かうことができた。

万全な準備を整えていたドイツ軍であったが、今回の連合軍の規模はドイツ軍の想定の数を遥かに上回っていた。
史実のノルマンディー上陸作戦で動員した艦艇の総数は約6,000隻、上陸部隊は47個師団という史上空前の規模であったが、こちらの世界ではさらにそれを上回る、艦艇の総数は大小合わせて10,000隻。上陸部隊は5個空挺師団を含めて80個師団が投入された。一方、史実とは違い戦力を温存して防衛線を縮小していたため、万全の体制でこれを迎え撃つドイツ軍。人類史上類を見ない大規模戦闘がロシュ・ボノーから始まった。

「閣下、そろそろ敵の砲撃が届く距離です。地下指揮所に移動してください」

「あいつらロンドンで200万人近く失ったはずなのに、よくもこんなに集めたな。まるで虫みたいだ」

「私の実家は農園でしたので、害虫駆除駆除は得意分野であります!」

「ははっ!いいなそれ。よし!地下指揮所に移動して害虫駆除の準備といくか」

「はい!」

緒戦では連合軍の戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦等約300隻の軍艦による艦砲射撃と、米空母から飛び立った艦載機による空爆でドイツの構築した防衛陣地を攻撃した。しかし、藤井が硫黄島での日本軍の防衛陣地を真似て、砲撃や爆撃の対策は完璧にできていたため、兵士達は地下に隠れて被害は軽微であり、重火器も地下に設置していたためドイツ軍にほとんど被害はなかった。
 
アメリカ軍とイギリス軍、カナダ軍とオーストラリア軍、ヨーロッパ解放同盟軍はそれぞれ4つの軍団に分かれて、4地点から上陸作戦を開始した。
ロシュ・ボノーの海岸線は連合軍の揚陸艇で埋め尽くされて砂地がほとんど見えない。雨のように降り注ぐ銃弾の嵐が揚陸艇から降りる連合軍兵士に襲い掛かった。上陸部隊の士官も下士官も揚陸艇から降りるとすぐに戦死し、海岸に辿り着いた兵士達の指揮を執るものがいなくなり、組織的活動が困難になったため前進できずに上陸地点に留まった部隊が多数出た。その結果、海岸線に死体が積み上がり生きてる者と死んでいる者の区別もつかない状況となった。
カナダ軍は損耗率が3割を超えたため自軍の離脱をアメリカ軍に打診したが、後方からドイツ海軍の艦隊が迫っているため、この海岸線を確保する以外に生き残る道がないという結論になり、全軍に前進するように命令することしかできなかった。

次から次へと迫りくる西側連合軍に対して、ドイツ軍も必死に戦った。一か所でも突破を許せば後ろからトーチカを攻撃されて前線が崩壊する。前線が崩れてここを占領されれば数十万人の連合軍兵士をフランスに上陸させてしまう。それが分かっていたので、コンクリートの丘を駆け上ってくる敵兵を、一人ひとり確実に処理していった。
上陸開始から約1時間後にはドイツ空軍の攻撃機部隊が到着し、連合軍の上陸部隊への攻撃が開始された。これに対して米空母からの艦載機が応戦してロシュ・ボノー上空で空戦が始まったが、航空支援を受けられなくなった連合軍兵士の犠牲がさらに増えることになった。

このままでは全滅すると考えた前線の第101空挺師団所属の特務A中隊が、指揮官を失っているにも関わらず決死の特攻を行い、バンガロール爆薬筒を使って人工の丘を爆破に成功した。煙幕で身を隠しながらドイツのトーチカまで到達して、火炎放射器でドイツのトーチカを無力化した。
特務A中隊の成功は前線の他の部隊にも伝わり、連合軍は多大な被害を出しながらも夕方には海岸線一帯の占領に成功した。海岸線の防衛陣地が突破されてからレープ元帥は全軍に第二防衛ラインまで後退するように指示。
地獄の上陸作戦を突破した西側連合軍は翌日には、ドイツ軍が念入りに構築した第二防衛ラインの防衛陣地と対峙することを強いられた。
レープ元帥は海岸線の防衛陣地をあえて薄く構築し、防衛ラインを第一から第四まで用意して、敵を内陸に誘い込み、自軍の戦力を温存しながら、敵には大きな犠牲を強いる戦術を使い、西側連合軍は初日と翌日の2日間だけで兵士の損耗率が3割を超えた。

ドイツ海軍は西側連合軍の艦隊と対峙したが、アイザックの命令で空母や戦艦には一切攻撃をせず、西側連合軍の輸送船だけを目標とした。
ドイツ海軍はこの海戦で全艦艇が轟沈というドイツ海軍史に残る悲劇的な海戦となったが、連合軍の輸送艦を多数沈め、約10個師団をフランス上陸前に海に沈めるという大戦果を残した。

幸運にも上陸できた連合軍の兵士たちには、さらなる悲劇が待ち受けていた。海岸から上陸し、複雑に張り巡らされた塹壕の攻略でも多数の死傷者を出し、塹壕を超えた先には数百万個設置された地雷原を通り、約2週間かけてようやくレープ元帥が用意した最終防衛ラインを突破して、多大な犠牲を出しながらナントの街に辿り着いたときには、リバプール出航時には140万人いた兵力がたったの2週間で100万人まで減っていた。ドイツ軍は60万人の戦力を投入し、約4万人の戦死なので、数字だけで見れば西側連合軍の大敗北となった。
    
先に上陸していた空挺部隊5個師団は、ドイツの激しい対空砲火の中も8割以上の部隊が無事に降下することができ、上陸部隊よりも先にナントの街を開放していたため、ロシュ・ボノーから上陸した部隊はナントでの市街戦は避けることができた。西側連合軍が約40万人の犠牲を出して占領した海岸線から、西側連合軍の後続の部隊が続々と上陸を果たし、2週間で延べ150万人の連合軍将兵がフランスに上陸をした。
 
アイザックは降伏勧告に応じなかった西側連合軍に対する報復として、ロンドンと同様にパリにもレッシェンを1基設置し、これ以上進軍を続けた場合はパリ市民が犠牲になることを西側連合軍に通達した。
西側連合軍はアイザックからの通達を受けて、パリ解放を諦めてパリを迂回してドイツ国境を目指す方針に変更した。そして、西側連合軍は軍団の進行ルートを2ルートに分け、イギリス、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ解放同盟をパリの北側を迂回するルート、アメリカ軍をパリの南側を迂回するルートで進軍を開始した。

イタリア軍はドイツ軍が敗北した場合、無条件降伏をするしかなくなるため、即座に援軍を出すことを決めた。イタリア陸軍はパリ南部を通過するアメリカ軍をドイツ軍と挟撃するため、国境を越えてフランス南部から北上を開始した。
これに対してアメリカ軍はイタリア軍とドイツ軍を合流させずに、2軍に分かれて各個撃破する作戦を選んだ。アメリカ軍は本国から援軍が続々と到着していくなか、ドイツ軍は東部方面に全体の戦力の6割以上を割かれているため、部隊の損耗ををすると補充ができない。そのため、兵士の損耗を伴う作戦は全てアイザックが却下し、攻勢に転じることができなかった。連合軍に損害を与えながらも後退が続き、北部はルーアン、南部はトロアとリヨンまで西側連合軍に押し込まれてしまう。
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