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第三十七話 賢者
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城に勝手に入って、勝手に歩いても、咎める人は誰もいない。かといって適当に歩くには、お城は広すぎる。しかしリエーフさんは迷わずスタスタ歩いていく。
「リエーフさんは、どこに賢者がいるか知っているんですか?」
「実をいうと、城のどこかにいるだろうくらいしか」
ケロっとこたえられ、私は若干肩をコケさせた。
「謁見室、貴賓室、王族の私室あたりは見当がつきますので、まずはそちらの方からと」
しかし、あてもなく歩いているわけではなさそうだ。そこは信じるとして、私は改めて城の中を見回した。……さっきから気になるのは、回廊などには燭台があり、炎が揺れているということ。魔法の灯りではなく。
「まだ魔法は完全に普及しているわけではないんでしょうか?」
「ええ。もともと、誰でも使える力というわけではありませんでしたから。個人の能力による差が激しかったのです。……旦那様がその力に長けていたこともまた、不幸でした」
リエーフさんは哀し気に目を伏せたが、ミハイルさんはそれには触れずに、ごく自然な疑問を口にした。
「なら、どうして魔法はここまで広まった?」
「誰でも使えるように体系化されてきたんでしょう、長い年月をかけて。そうでないと、旦那様のような過ちを繰り返す人がまた出てきてしまいます。そういう力を潰し、生活が便利になるためのほんの少しの力を、誰もが扱えるように」
そう聞くと、魔法というのはさほど特殊な力ではない気がする。私がいた世界で言う、科学とか、機械とか、そういうものとさほど変わらない。
「もしかすると、旦那様の一件があったからこそ、そういう方向に転換したのかも――」
だけど決定的に違うのは、そこ――、その能力に特化してしまえば、財力や技術、設備がなくとも、個人で恐るべき力を手にしてしまえる。
伯爵のように、魔法で不可能を可能にしようと思う人は、特に珍しくないんじゃないかという気がする。長い年月をかけて体系化していく間に、それを自分の欲のために利用しようとする人は他にいなかったのだろうか? 生活が便利になるためのほんの少しの力で、皆が満足できたのだろうか。
そのくらいの力だけの方が、平和を保つことはできるんだろうけど……でもそんなギリギリの水準を何百年も保てていることに、人為的な何かを感じてしまう。
「うん、いい線行ってる」
突然思考に割り込んできた声に、驚いて顔を上げる。
いつの間にか、リエーフさんの声は聞こえなくなっていた。焦って隣を見れば、ミハイルさんの姿も消えている。いや、二人が消えたんじゃない。景色も今歩いていた回廊ではなくなっていて、開けたホールになっている。
「キミ、この世界の人間じゃないね」
声の方を振り向くと、一人の青年が立っていた。知らない人――だけど、どこかで会ったことがあるような既視感を覚える。
「名前は?」
無防備にこちらに歩み寄ってくる彼が、ぞんざいに問いかけてくる。
逃げようとしたが、まるで体が動かなかった。恐怖のためとかではない。体が竦んで、とかいうレベルじゃない。動かしているのに、ピクリとも動けないのだ。彼の伸ばした手が、私の額に触れても。
避けることも、それを跳ねのけることも叶わなかった。
「白石澪、か。随分面白そうな世界だ。……機械? ……電子機器? へえ……すごいな。こんな高度な文明は初めて見る」
名乗ってもないのに彼は私の名を口にして、まるで頭の中を見ているかのように、元いた世界のことをつらつらと喋る。
いや、見ているかのように、じゃない。確実に覗かれてる。
「……21歳、仕事中にこの世界に迷い込んで……、ふーん……好きな人がいるんだ?」
「やめて!!」
プライバシーの侵害極まれりだ。頭の中を覗かれる気持ち悪さに、恐怖よりも嫌悪が勝って、叫んでいた。
ようやく彼が喋るのをやめ、私は深呼吸を挟んでから、口を開いた。
「あなたはもしかして、この国に魔法を伝えたという賢者?」
城にいるというその人と、さっき彼が口走ったこと。そこから考えられる可能性を口にすると、あっさり彼は肯定した。
「そう呼ばれてるね」
「どうして私がこの世界の人間ではないとわかったんですか?」
「オレもそうだからだよ。ただ、オレがここに来たのは自分の意志と力でだけど」
「……貴方に聞きたいことがあります」
「元の世界への帰り方?」
そう聞き返されて、言いかけた言葉が消えた。
……そうだ。彼が違う世界から自分の力で来たというのなら、それを知っていて然るべきだろう。だけど、私が聞こうとしたのは、伯爵が使った魔法のことだ。
だって、それを聞くために賢者に会いにきたから。
沈黙した私を面白そうに眺めながら、賢者が再び口を開く。
「何にしろ、条件がある」
「条件?」
「キミの頭の中をもっと覗かせて欲しいな」
楽しそうに笑いながら、賢者が「条件」を口にする。
「……何のために」
「澪の世界の文明をもっと知りたいから。無理矢理覗くことはできるけど、キミの頭の中少し取り止めがなさすぎて。オレが知りたいことを覗くには少し協力してもらえると助かるんだけど」
「だから、それは何のためですか」
「別に悪用しようってわけじゃない。元々オレがここに来たのは、オレの力でこの世界をもっと良くするためだし」
真意が読めない。そう言われても、いきなり人の頭の中を覗くような人、私は信用もできない。
でも……、ここで何をしても現実世界に影響しないなら、構わないのかもしれない。
判断を迷う私を観察するように見ながら、賢者はつらつらと喋り続けた。
「そんなに悩むことないと思うけどな。……澪はさ、この世界に来て思わなかった? 世界を変えてみたいって。それだけ高い文明を持つ世界から来たなら、ちょっとは思っただろ?」
「いえ、別に……」
「そう? 自分の采配で世界が良くなっていくのを見るのは楽しいよ。みんな神みたいに崇めてくれるしさ。気持ちいい」
自らの体を抱くようにして、賢者が恍惚とした顔をする。
……悪い人では、ないのだろう。世界を良くしたいと思っているわけだし。実際、この世界は元より随分栄えただろう。暮らしも便利になっただろう。それはきっと賞賛されるべきことなんだろうけど。
その行動はともかく、少なくとも私は……この人自体に理解や共感はできそうにない。
「私にはわかりません。私は……元の世界に帰りたいです」
「ふーん? 本心かなぁ」
「見ないで!!」
思わず叫んでいた。その拍子に体が動き、渾身の力で彼を突き飛ばす。それだけで酷く消耗して、息が切れた。でもそんなこと、どうでもよかった。
帰りたいのは決して嘘じゃない。それがずっと私の目的だった。家族のことを忘れた日なんてない。嘘じゃないけど。――だけど。
私に突き飛ばされて、賢者は少しよろけた。その顔から、友好的な色が消える。逃げようとした私の腕を掴んで、抵抗しようとしたら足を払われ、成すすべなく転倒した私の上に馬乗りになって、賢者が私の首を掴む。
「なあ、澪。オレと一緒に世界を変えてみないか?」
顔を近づけて、賢者が囁く。吐息が、髪が、顔を撫でる。
「世界を変えるなんて……できません。そもそも、この世界で何をしても、現実世界には影響しないんです」
「そうみたいだね。この世界は誰かが作った箱庭。決められた時間軸に来ればそこで終わり、最初から繰り返すだけの世界」
とっておきの切り札を切ったつもりだったのに、賢者の知識は私より上だった。……それはそうだ、魔法のことなんだから。
「オレもその中の人形にすぎない……が、オレの力があればそれすら捻じ曲げられると思わないか? この箱庭の終わりを伸ばして、作ればいい。箱庭でも世界と同じくらい広げれば、それは世界だ」
賢者がじっと私を見つめる。その瞳には、やっぱり見覚えがある。
人を値踏みするような、見下すような、その目。
「……国王様……」
思わず唸ると、彼はころっと目の色を変えた。そして、無邪気に笑う。
「へえ……オレはいずれ国王様になるんだ。いや、オレの子孫かな。どう? いい国だった?」
「……ええ……」
いい国、だろう。村の人も町の人もみんな幸せそうだった。
「だったらどうしてオレに従おうとしないんだ」
「貴方を否定するつもりはありません。ただ、私が幸せでいて欲しいと思う人は、今苦しんでいると思うから……、せめてこの世界にいる間は、その人のためにできることをしたい。それだけです……」
「ふーん……なーんか、面白くないな」
首に痛みが走る。血に汚れた指先を舐めて、賢者が嗤う。
「君みたいなやつ、嫌いなんだよね。可能性を持っているなら試すべきじゃない?」
「だから、否定はしないと言っています……、貴方にとって間違ったことだからって、私には関係ない。貴方の価値観を強要されたくない」
……脅しだ。だってこの世界で起きたことは、現実世界には影響しない。そこは否定されてない。
だから精一杯の虚勢を張る。それを見抜いているように、賢者は顔を歪ませた。
「現実世界で死ななければいいと思ってる? 痛みと苦しみがあるなら、それで充分……、死んだ方がマシってくらいの苦痛をこれから味わうのと、オレに従うの、どっちがいい?」
――悪い人じゃない、なんて思ったのは取り消そう。人を従わせるためにこんな方法を取る人を、私はいい人とは思えない。
大体、私の世界の文明がすごくても、私はその恩恵を受ける一般人に過ぎないし、どの道この人の期待に沿えはしない。
私に、世界を変えられるような力なんてない。私は特別な人間じゃないから。
それでもできることはある。とても小さなことだけど、でも、それで喜んでくれる人たちがいる。
認めてくれる人がいる。
誰に笑われてもいい。誰に蔑まれてもいい。何の価値のない人間でもいい。
人を値踏みして、評価して、強要してくる人より、私は……、私のままで受け入れてくれる人がいい。
だから、お屋敷に帰らなきゃ。帰って、私は掃除をするんだ。それで、みんなに喜んでもらうんだ。そして……あの人に、笑って欲しい。
「ミハイルさん……っ」
思わず口からその名が零れていた。
そしてその途端に、凄まじい光が迸った。見覚えのある光、これは――指輪の光。
「なんだ、この光……、この指輪か?」
怪訝な声を上げて、賢者が私の左手に手を伸ばす。
「触るな」
その瞬間、最高に不機嫌な声が、耳に届いた。
「当家の花嫁に、指一本触れるな!!」
「リエーフさんは、どこに賢者がいるか知っているんですか?」
「実をいうと、城のどこかにいるだろうくらいしか」
ケロっとこたえられ、私は若干肩をコケさせた。
「謁見室、貴賓室、王族の私室あたりは見当がつきますので、まずはそちらの方からと」
しかし、あてもなく歩いているわけではなさそうだ。そこは信じるとして、私は改めて城の中を見回した。……さっきから気になるのは、回廊などには燭台があり、炎が揺れているということ。魔法の灯りではなく。
「まだ魔法は完全に普及しているわけではないんでしょうか?」
「ええ。もともと、誰でも使える力というわけではありませんでしたから。個人の能力による差が激しかったのです。……旦那様がその力に長けていたこともまた、不幸でした」
リエーフさんは哀し気に目を伏せたが、ミハイルさんはそれには触れずに、ごく自然な疑問を口にした。
「なら、どうして魔法はここまで広まった?」
「誰でも使えるように体系化されてきたんでしょう、長い年月をかけて。そうでないと、旦那様のような過ちを繰り返す人がまた出てきてしまいます。そういう力を潰し、生活が便利になるためのほんの少しの力を、誰もが扱えるように」
そう聞くと、魔法というのはさほど特殊な力ではない気がする。私がいた世界で言う、科学とか、機械とか、そういうものとさほど変わらない。
「もしかすると、旦那様の一件があったからこそ、そういう方向に転換したのかも――」
だけど決定的に違うのは、そこ――、その能力に特化してしまえば、財力や技術、設備がなくとも、個人で恐るべき力を手にしてしまえる。
伯爵のように、魔法で不可能を可能にしようと思う人は、特に珍しくないんじゃないかという気がする。長い年月をかけて体系化していく間に、それを自分の欲のために利用しようとする人は他にいなかったのだろうか? 生活が便利になるためのほんの少しの力で、皆が満足できたのだろうか。
そのくらいの力だけの方が、平和を保つことはできるんだろうけど……でもそんなギリギリの水準を何百年も保てていることに、人為的な何かを感じてしまう。
「うん、いい線行ってる」
突然思考に割り込んできた声に、驚いて顔を上げる。
いつの間にか、リエーフさんの声は聞こえなくなっていた。焦って隣を見れば、ミハイルさんの姿も消えている。いや、二人が消えたんじゃない。景色も今歩いていた回廊ではなくなっていて、開けたホールになっている。
「キミ、この世界の人間じゃないね」
声の方を振り向くと、一人の青年が立っていた。知らない人――だけど、どこかで会ったことがあるような既視感を覚える。
「名前は?」
無防備にこちらに歩み寄ってくる彼が、ぞんざいに問いかけてくる。
逃げようとしたが、まるで体が動かなかった。恐怖のためとかではない。体が竦んで、とかいうレベルじゃない。動かしているのに、ピクリとも動けないのだ。彼の伸ばした手が、私の額に触れても。
避けることも、それを跳ねのけることも叶わなかった。
「白石澪、か。随分面白そうな世界だ。……機械? ……電子機器? へえ……すごいな。こんな高度な文明は初めて見る」
名乗ってもないのに彼は私の名を口にして、まるで頭の中を見ているかのように、元いた世界のことをつらつらと喋る。
いや、見ているかのように、じゃない。確実に覗かれてる。
「……21歳、仕事中にこの世界に迷い込んで……、ふーん……好きな人がいるんだ?」
「やめて!!」
プライバシーの侵害極まれりだ。頭の中を覗かれる気持ち悪さに、恐怖よりも嫌悪が勝って、叫んでいた。
ようやく彼が喋るのをやめ、私は深呼吸を挟んでから、口を開いた。
「あなたはもしかして、この国に魔法を伝えたという賢者?」
城にいるというその人と、さっき彼が口走ったこと。そこから考えられる可能性を口にすると、あっさり彼は肯定した。
「そう呼ばれてるね」
「どうして私がこの世界の人間ではないとわかったんですか?」
「オレもそうだからだよ。ただ、オレがここに来たのは自分の意志と力でだけど」
「……貴方に聞きたいことがあります」
「元の世界への帰り方?」
そう聞き返されて、言いかけた言葉が消えた。
……そうだ。彼が違う世界から自分の力で来たというのなら、それを知っていて然るべきだろう。だけど、私が聞こうとしたのは、伯爵が使った魔法のことだ。
だって、それを聞くために賢者に会いにきたから。
沈黙した私を面白そうに眺めながら、賢者が再び口を開く。
「何にしろ、条件がある」
「条件?」
「キミの頭の中をもっと覗かせて欲しいな」
楽しそうに笑いながら、賢者が「条件」を口にする。
「……何のために」
「澪の世界の文明をもっと知りたいから。無理矢理覗くことはできるけど、キミの頭の中少し取り止めがなさすぎて。オレが知りたいことを覗くには少し協力してもらえると助かるんだけど」
「だから、それは何のためですか」
「別に悪用しようってわけじゃない。元々オレがここに来たのは、オレの力でこの世界をもっと良くするためだし」
真意が読めない。そう言われても、いきなり人の頭の中を覗くような人、私は信用もできない。
でも……、ここで何をしても現実世界に影響しないなら、構わないのかもしれない。
判断を迷う私を観察するように見ながら、賢者はつらつらと喋り続けた。
「そんなに悩むことないと思うけどな。……澪はさ、この世界に来て思わなかった? 世界を変えてみたいって。それだけ高い文明を持つ世界から来たなら、ちょっとは思っただろ?」
「いえ、別に……」
「そう? 自分の采配で世界が良くなっていくのを見るのは楽しいよ。みんな神みたいに崇めてくれるしさ。気持ちいい」
自らの体を抱くようにして、賢者が恍惚とした顔をする。
……悪い人では、ないのだろう。世界を良くしたいと思っているわけだし。実際、この世界は元より随分栄えただろう。暮らしも便利になっただろう。それはきっと賞賛されるべきことなんだろうけど。
その行動はともかく、少なくとも私は……この人自体に理解や共感はできそうにない。
「私にはわかりません。私は……元の世界に帰りたいです」
「ふーん? 本心かなぁ」
「見ないで!!」
思わず叫んでいた。その拍子に体が動き、渾身の力で彼を突き飛ばす。それだけで酷く消耗して、息が切れた。でもそんなこと、どうでもよかった。
帰りたいのは決して嘘じゃない。それがずっと私の目的だった。家族のことを忘れた日なんてない。嘘じゃないけど。――だけど。
私に突き飛ばされて、賢者は少しよろけた。その顔から、友好的な色が消える。逃げようとした私の腕を掴んで、抵抗しようとしたら足を払われ、成すすべなく転倒した私の上に馬乗りになって、賢者が私の首を掴む。
「なあ、澪。オレと一緒に世界を変えてみないか?」
顔を近づけて、賢者が囁く。吐息が、髪が、顔を撫でる。
「世界を変えるなんて……できません。そもそも、この世界で何をしても、現実世界には影響しないんです」
「そうみたいだね。この世界は誰かが作った箱庭。決められた時間軸に来ればそこで終わり、最初から繰り返すだけの世界」
とっておきの切り札を切ったつもりだったのに、賢者の知識は私より上だった。……それはそうだ、魔法のことなんだから。
「オレもその中の人形にすぎない……が、オレの力があればそれすら捻じ曲げられると思わないか? この箱庭の終わりを伸ばして、作ればいい。箱庭でも世界と同じくらい広げれば、それは世界だ」
賢者がじっと私を見つめる。その瞳には、やっぱり見覚えがある。
人を値踏みするような、見下すような、その目。
「……国王様……」
思わず唸ると、彼はころっと目の色を変えた。そして、無邪気に笑う。
「へえ……オレはいずれ国王様になるんだ。いや、オレの子孫かな。どう? いい国だった?」
「……ええ……」
いい国、だろう。村の人も町の人もみんな幸せそうだった。
「だったらどうしてオレに従おうとしないんだ」
「貴方を否定するつもりはありません。ただ、私が幸せでいて欲しいと思う人は、今苦しんでいると思うから……、せめてこの世界にいる間は、その人のためにできることをしたい。それだけです……」
「ふーん……なーんか、面白くないな」
首に痛みが走る。血に汚れた指先を舐めて、賢者が嗤う。
「君みたいなやつ、嫌いなんだよね。可能性を持っているなら試すべきじゃない?」
「だから、否定はしないと言っています……、貴方にとって間違ったことだからって、私には関係ない。貴方の価値観を強要されたくない」
……脅しだ。だってこの世界で起きたことは、現実世界には影響しない。そこは否定されてない。
だから精一杯の虚勢を張る。それを見抜いているように、賢者は顔を歪ませた。
「現実世界で死ななければいいと思ってる? 痛みと苦しみがあるなら、それで充分……、死んだ方がマシってくらいの苦痛をこれから味わうのと、オレに従うの、どっちがいい?」
――悪い人じゃない、なんて思ったのは取り消そう。人を従わせるためにこんな方法を取る人を、私はいい人とは思えない。
大体、私の世界の文明がすごくても、私はその恩恵を受ける一般人に過ぎないし、どの道この人の期待に沿えはしない。
私に、世界を変えられるような力なんてない。私は特別な人間じゃないから。
それでもできることはある。とても小さなことだけど、でも、それで喜んでくれる人たちがいる。
認めてくれる人がいる。
誰に笑われてもいい。誰に蔑まれてもいい。何の価値のない人間でもいい。
人を値踏みして、評価して、強要してくる人より、私は……、私のままで受け入れてくれる人がいい。
だから、お屋敷に帰らなきゃ。帰って、私は掃除をするんだ。それで、みんなに喜んでもらうんだ。そして……あの人に、笑って欲しい。
「ミハイルさん……っ」
思わず口からその名が零れていた。
そしてその途端に、凄まじい光が迸った。見覚えのある光、これは――指輪の光。
「なんだ、この光……、この指輪か?」
怪訝な声を上げて、賢者が私の左手に手を伸ばす。
「触るな」
その瞬間、最高に不機嫌な声が、耳に届いた。
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