幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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第一話 当主と執事

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 雨は次第に強くなり、激しく窓を叩いている。

 館の中はすっかり暗くて、灯りはリエーフさんが持っているロウソクだけ。でもひっきりなしに奔る稲光が屋敷の中を照らしている。

 天井には蜘蛛の巣。
 足元には埃。
 散乱する調度品。
 黒ずんだ絨毯。

 ……一体どのくらい掃除されていないんだろう?

 リエーフさんの口ぶりじゃ、メイドは何か月かぶりみたいだけど、この荒れ方は数か月って感じじゃない。何年も放置された空き家みたい。前を歩くリエーフさんがいなければ、本当に人が住んでいるのか疑うところ。

 だけど悲しいかな職業病。今私は、この先の不安よりも、ここを掃除したい気持ちでいっぱいだ。

 今は幽霊屋敷みたいな有様だけど、綺麗にしたらきっと素敵なお屋敷になるだろうな。私一人じゃ時間はかかるかもしれないけど、生まれ変わったこの洋館の姿を考えたら気持ちがたかぶってくる。
 こんな逆境だというのに自分でも不思議なくらい、やる気に満ち溢れてきた。

 きっとあれだ、この仕事がなんだか曰く付きっぽいのは、やっぱり「魔法不可」ってところじゃないのかな。
 そりゃあ掃除得意な私にしたって、職場みたいに便利お掃除グッズもないだろうから大変は大変だろうけど。幸か不幸か屋敷がこの有様なら、少し片づけるだけでも見違えそうだもの。

 村を旅立つときに決めた、私の二つの目的――一つ、元の世界に帰ること。二つ、その足掛かりとして、自分の居場所を見つけること。

 ここに元の世界に繋がるものがあるのか、それはわからないけど。少なくとも、住む場所と仕事が得られる。そうすれば二つ目の目的は叶えられる。
 あとはただ、無事採用が決まるのを祈るのみだ……!

 ひときわ強い落雷音のあと、リエーフさんは足を止めた。そして扉をノックする。

「ご主人様、新しいメイドが見えましたのでお通しします」

 返事はない。リエーフさんは溜息をひとつ吐くと、私を振り返った。

「すみません、主人は少し気難しい方でして。……入りましょうか」
「えっと……大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。気難しい方ですが、悪い方ではありませんから。だから、ミオさん……、辞めないで下さいね?」

 フッと、リエーフさんが微笑む。深紅の瞳が妖しく光る。見惚れるくらい美しい微笑みだが、どこかゾクッとするような笑みだった。
 そして、その言葉の真意も、このときは知る由もない。
 ギィッっと音を立てて、リエーフさんが扉を開く。

 この廃墟みたいな屋敷の当主。一体どんな人なんだろう。リエーフさんの話じゃ気難しい人みたいだし……なんとなく幽霊みたいなボロボロの服を纏ったおじいさんを想像していたのだけど。

 通された部屋は、そこだけはえらく小ぎれいで、執務机と本棚がある書斎のような趣だった。並んだ本は、大きさや種類がピシッと揃えられている。その手前には、応接スペースのようなテーブルセット。
 小さなシャンデリアに幾つもロウソクの火が揺れていて、部屋の中は明るい。
 その灯りが、椅子に座った青年を照らし出す。

 ……思っていたよりずっと若い。

 闇に溶けてしまいそうな漆黒の髪に、同じ闇色の瞳。私も同じ黒髪黒目だけど、私よりも濃い漆黒。リエーフさんとはだいぶタイプが異なるけれど、美形と言って差し支えない。ただ目付きが鋭すぎて、かっこいいというよりは怖いの方が先に立つ。その切れ長の瞳が、気だるそうに私を射抜く。

「ミオさん、この屋敷の当主、ミハイル様です。ご挨拶を」

 咄嗟に言葉の出ない私に、リエーフさんが助け船を出してくれる。慌てて私は頭を下げた。

「ご紹介に預かりました、ミオと申します。精一杯頑張りますので、どうか宜しくお願いします」

 何を言えばいいのかわからなくて、そんな当たり障りのないことしか言えなかった。
 恐る恐る顔を上げると、リエーフさんはさっきまでと変わらずニコニコと微笑んでいたけど、当主……ミハイルさんの表情は険しい。
 ガタッと荒々しい音を立てて、彼は椅子から立ち上がると、つかつかと私に歩み寄ってきた。そして、私に向かって荒々しく手を伸ばす。

 悲鳴を上げそうになるのを辛うじて飲み込む。殴られるのかと思った。それくらいミハイルさんはきつく私を睨んでいたけど、殴りかかってきたわけではなかった。
 彼が手を伸ばしたのは、私がつけていた耳飾りにだ。そう気が付いたのは、ミハイルさんの手にそれがあるのを見たときだった。

「そ、それ……」

 それがないと、私はこっちの言葉を理解できない。でもそれを何と説明しようか考えている間に、ミハイルさんが手を握りしめて何事か呟く。それから彼は耳飾りを差し出した。
 何がなんだかよくわからないけど、とにかくこれがなければこちらの言葉を話せない。元通り右の耳にそれを装着する。

「……この屋敷の中では、外の魔法の効力が及ばない。少し弄った」

 ようやく、ミハイルさんが言葉を発する。低めの、よく通る声。

「そう……なんですか? でも、リエーフさんとはちゃんと話ができていたのですが」
「それは、こいつが普通じゃないだけだ」

 顎でリエーフさんを指して、ミハイルさんが言い捨てる。そんな言い様をされても、リエーフさんはやっぱり相変わらずにこにこしている。

「はあ……、では改めまして、ミオと申します。こちらで雇って頂けますでしょうか」

 彼は元通り椅子に座りなおしてから、私をまじまじと見て口を開いた。

「不吉な髪と目の色だ」

 何を言うのかと思えば、そんなことで。いやでも、ちょっと待ってほしい。自分だって同じ黒髪黒目じゃないの? つまり遠回しな自虐なの? 
 私が言葉に詰まっていると、彼はそれきり私に興味を失くしたように、フイと目を逸らした。

「好きにしろ」

 それは、採用という解釈でいいのだろうか?
 迷ってリエーフさんを見上げると、彼はパン、と両手を合わせてひときわ嬉しそうな笑顔を見せた。

「それではミオさん、これからミオさんに使っていただくお部屋にご案内するので私についてきて下さいね。そこでお仕事の詳しい説明も致します」

 主人のすげない態度もなんのその、スキップでもしそうな足取りでリエーフさんは歩き出す。私は一応ミハイルさんにぺこりと会釈だけして、部屋を後にした。

「どうせ、すぐ辞める」

 ドアが閉まる間際、ミハイルさんがそんな独り言を零したのが、耳についた。

 ※

「こちらがミオさんのお部屋です」

 通されたのは、大体六畳くらいの部屋だった。ベッドと机と椅子が一つずつの、簡素な部屋。
 リエーフさんがぽんぽんと枕を叩くと、少しだけ埃が舞う。だけど何か月も手入れされてない……という感じではない。

「あ、灯りを忘れていました。……これを置いていきますね。替えのロウソクは机の引き出しにあるはずです。火打石、使えますか? ここでは魔法が使えないので」
「あ、教えて下さい」

 魔法はもともと使えないが、かといって火打石を使ったこともない。

「では」

 それから、私はリエーフさんから火打石の使い方をレクチャーされた。あと、水は庭の井戸から汲まなければいけないことも聞いて、お風呂をどうしようか私は真剣に悩んだ。村では魔法の力でいつもほかほかのお湯が沸いていたものだったけど。

「ご主人様の態度に、気を悪くされないで下さいね」

 それらの説明を一通り受けたあと、リエーフさんはそう言って済まなそうな顔をした。

「そんな、気にしてません。ここに置いて頂けるだけで嬉しいです」
「最初の内は、そう言って下さる方も多いのですが……」

 いつもニコニコしているリエーフさんが、そこで初めて眉を顰める。


 ――辞めないで下さいね。
 ――どうせ、すぐ辞める。


 リエーフさんとミハイルさんの言葉が、相次いで頭を流れた。

「……こんなこと、聞いていいのかどうかわかりませんけど。どうしてみんなすぐ辞めちゃうんですか?」

 気になっていたことを聞いてみる。するとリエーフさんは眉根を寄せたまま、ちょっと困ったような顔をした。

「それは、その……、やっぱりほら、この館の中では魔法を使えませんし。水を汲むのにも井戸まで行かなければならないから重労働でしょう? かく言う私も、主人と書斎の部屋だけで精一杯でして……あ、いつ人が入ってもいいように、できるだけこの部屋も手を入れるようにはしていますよ! 何か必要なものがありましたらいつでも私にお申しつけ下さいね」

 いつの間にかにこにこ顔に戻って詰め寄ってくるリエーフさんに気圧されて、私は「はい」と返事をする。……なんだかはぐらかされたような気がする……。

「とにかく、今日はもう日も暮れますし、お休み下さい。夜が明けたら屋敷を案内しますね」

 というリエーフさんの言葉に逆らう理由は一つもない。今日はいっぱい歩いたし、正直私も眠りたい。
 それでは、とリエーフさんが退室する。灯りを貰ってしまったのでリエーフさんは手ぶらだけど、こんな真っ暗な中で大丈夫なのかな? そういえば雷も落ち着いたみたいだし、雨の音も止んでいる。
 心配して声をかけようとしたら、彼の方が先に声を上げた。

「その……、辞めないで下さいね……」

 パタン、と扉が閉まる。


 それ、余計に怖いから!!
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