死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第八十二話 未来のために

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 駅には人の気配がなく、がらんとしていた。屋根と、大きな時計と、その向こうには線路のようなものが見える。屋根の下にあるベンチに私達を待たせて、フェオドラさんは駅員らしき人と何か話をしていた。彼女が戻ってくるのを見て、私は立ち上がると彼女の元まで歩いていった。少し、話したいことがあった。

「次の便まで半刻ほどだな」

 懐中時計を見ていたフェオドラさんが、私に気付いて顔を向ける。その表情は、特にいつもと変わりなく見えるのだけれど。

「あの……大丈夫ですか?」
「ん? 落ち込んでいるように見えるか」
「いえ、見えないから心配で。……私ああいうの嫌いなんです。なんていうか、女性を見下すような、馬鹿にするような物言いの人」
「はは。まぁ女だてら軍にいればそういうのはザラだ。だがああいう奴は自分が上手くいかない理由を周囲に見つけたいだけさ。私が男でも何か別の理由を探して蔑む。気にするだけ時間の無駄だ」
「……強いですね。フェオドラさんは」

 私なんかの心配なんて要らなかったのかもしれないけど。
 気にしないようにしたって、あの目は刺さる。ほとんど忘れてしまっても、胸を抉った言葉はなかなか消えてはくれないものだ。 

「いや……弱いから自分を変えるしかなかった。他人を変えるより楽だからな。だから君の優しさに感謝するよ。君の……伴侶殿にも。少し意外だった」

 そう言われて、思わず頬が緩んでしまった。あのときミハイルさんがフェオドラさんを止めたのは、多分……あれ以上侮蔑されるのを見かねたからだと思う。エドアルトを呼んだのも、一刻も早く二人を引き離すため。本人は脱出のためだと否定するだろうから、フェオドラさんが優しさだと受け止めてくれてたことが嬉しくて。

「意外じゃありません。私なんかよりずっとずっと優しい人です」
「おっと、これは馳走になってしまったな」

 悪戯っぽいフェオドラさんの声に、私は無言で顔を覆った。違う、惚気たわけじゃ。いや……うん……惚気なのかもしれない……。
 羞恥に耐える私の肩にポンと手を置いて、フェオドラさんはみんなの方へと視線を伸ばした。

「で、君はどうする気だ。王子様」
「王子はやめろ。帝都に連れて行けといったはずだ」

 ギロリと睨みつけるレナートを見下ろして、フェオドラさんもその目に剣呑な色を見せる。口を開きかけた彼女を片手で制して、声を上げたのはミハイルさんだった。

「お前はこの雪がなんなのか、わかっているのか」
「魂だ」

 ミハイルさんの問いに、レナートが短く即答する。鋭かったフェオドラさんの目つきが、僅かに怯む。 

「ロセリアが死霊と、イスカが生命の迷い子と呼ぶそれがこの雪だ。この雪から得られるという力の源は、言わば寄せ集められた命の残り火。帝国は人の魂を食って生きている……そう報告すればイスカは帝国を捨て置けん。さっきも言ったが、最悪ロセリアを巻き込んでの戦争になる」

 シン、と場が静まり返る。ややあって、リエーフさんの穏やかな声が訪れた静寂を割った。

「魂の冒涜は禁忌とするのに、戦争で人命を脅かすというのは本末転倒に感じますが」
「そりゃもちろん戦いは好まない。だがロセリアの結界が消えた今、放っておけばいずれこの雪はイスカをも侵すようになる……帝国はロセリアで妙な術を研究していたが、あれはロセリアにもあの雪を降らせる為のものではないのか?」
「……それは」

 レナートの責めるような口調に、フェオドラさんが応える。だがその先はいつまでたっても語られなかった。

「ロセリアが魔法で栄えるもっと遥か昔の話だ。呪術や神術といった人智を越えた力により一度世界は滅びた。力と欲に塗れた者の奢りで、それを良しとしないものも、豊かな大地も全てが滅びた。自然を捻じ曲げた力はいつか必ず滅びをもたらす」
「君はそんなおとぎ話を信じているのか?」
「嘘か誠かなど知らん。だがそれを戒めとして生きるのがイスカの民だ」
「だとしても、君が一人帝都に乗り込んで何になる。最悪無駄死にするぞ」
「無駄を省けば殺し合いになるだけだ。大体おれの死が無駄かどうかをお前に決められる謂れはない」

 あくまで冷静に諌めるフェオドラさんに、だがレナートは引かなかった。それどころか釣り上がり気味の目をさらに釣り上げ、フェオドラさんを睨む。もちろんそれに動じたりするフェオドラさんではない。……少なくとも、表向きは。
 レナートの、まだ幼さの残る勝ち気な表情から、少年らしさは消えていた。

「皇帝はそこの幽霊伯爵を引っ張り出すためにイスカを利用した。挙げ句その説明を求めても無視し、使者として来たおれの入国すら認めなかった。もう帝国とイスカの溝は埋めようがない。だが諦めて殺し合うことに命を使うのなら、おれはイスカの王族として、最後まで戦を止めることにこの命を使う」

 肌に刺さる威圧を感じる。前にも感じたことのあるそれは、故ロセリア国王レオニートから感じたそれと全く遜色のないものだった。
 ふっとフェオドラさんが表情を変える。憂い。悲しみ。諦め。どれとも取れるが、どれも違うような、フェオドラさんには似合わない儚さ。
そんな顔をして、彼女はつまらなそうに呟いた。

「……身の保証はできんぞ」
「構わん」

 それきり誰も声を上げず、人気のない構内はシンと静まり返った。そんな気まずい空気の中で、リエーフさんが口元に手を当てて囁いてくる。

「いよいよキナ臭くなってきましたね」
「帝国とイスカが折り合うことはないだろう。だからこそあいつは……賢者は両国を隔てたんだろうな。ロセリアは二国の緩衝材だったんだろう」
「イスカが帝国に抗っても勝ち目はないように思えますが……」
「あの退魔士の戦闘能力が標準なら、戦えないことはないんじゃないか」
「しかし軍事力のないロセリアは、両国が戦争になればどちらかにつかざるを得ません。最悪の事態を考えるなら、今のうちに皇帝に恩を売っておくのも手かと」
「俺にそういう駆け引きを期待するな」

 二人の物騒な話も気になったが、それ以上に引っ掛かりを覚えて、胸を押さえる。なんだろう……この違和感。

 轟音がして顔を上げると、列車がこちらに向かってくるのが見えた。雪を撥ね飛ばして車体が駅に入り、フェオドラさんがホームに向かって歩いていく。彼女の腰に下がる長剣が、カチャカチャと音を立てている。それを見て、違和感の正体に気がついた。

 これだけの技術があるのに、帝国はどうして未だに剣で戦うのだろう。
 雪という、少なくとも表向きは便利な資源があるのに、それが使われるのは……暮らしをほんの少し、便利にする程度の。

 既視感に、肌がゾクリと粟立つ。
 このまま、皇帝に会っていいのだろうか。みんながホームへと向かう中、私は一歩を踏み出せずにミハイルさんの服を引いた。

「……どうした」
「いえ。少し……怖くて」

 長いブレーキ音が耳に触る。
 まるで、三国間の均衡が少しずつ崩れていく音のように。

 でも最初からリエーフさんは言ってた。いつかは腹を括らねばならないときが来ると。

「やめるか」
「……え?」
「帝国もイスカも手が届かないくらい遠くまで逃げればいい。お前一人くらいなら俺の力で守れる」

 真顔でそんなことを言われて、一瞬呆けてしまった。だが次の瞬間には首を横に振る。

「で、でもそれじゃ……!」
「冗談だ」

 表情を欠片も動かさずにミハイルさんがそう一言呟き、思わず脱力した。だから、冗談なら冗談らしく言って欲しい……、むくれる私の頭に手を置いて、ミハイルさんが言葉を継ぐ。

「……だが少し前までは本気でそう思っていた。そのとき、ずっと憎んできたものの気持ちが解ってしまった。禁に触れてまで、大事な者を蘇えらせようとした伯爵の狂気すらも」

 茶化されたのかと思ったけれど、違った。自嘲気味に語る彼を見上げて眉をひそめる。そんな私を見下ろして、ミハイルさんは笑った。

「だから……それじゃ駄目だと気付いた。どうせ命を懸けるなら、お前がより幸せだと思える未来の為がいい」

 列車に向かってミハイルさんが歩き出す。その背が、いつもよりずっと大きく見えて。

「……やめろ」

 その背にしがみついた私に、不機嫌な声を上げてミハイルさんが振り返る。

「連れて逃げたくなるだろ」
「なっなっ、何をっ」

 動揺しながら見上げると、彼は急に手で顔を覆った。

「……すまん。気障なことを言うつもりでは。ただ、思ったことを率直に言うとそうなる」

 なるほど、たまになんか凄いことをさらっというのはそういうことか。……わからなくもない。

「……もう平気です。行きましょう」

 さっきまであった言い知れぬ不安は、もうなくなっていた。そう言って笑うと、手を掴まれて引き寄せられた……が、咄嗟にそれに抗ってしまった。

「…………」
「……あ、すみません。嫌がったわけでは」
「嫌がるだろいつも」
「嫌がってません! ただ、その……怖いんです」

 ミハイルさんが少し、表情を曇らせる。それは本当に些細な変化だったけれど、気付いて慌てて否定する。

「違います、貴方を怖いと思ったことはありません」

 力のことも呪印のことも。そんなことではなく、別に経験がないからとかそういうわけでもなく。突き詰めればもっと単純に。

「その……、私、ほんとになんの取り柄もないし……大事にしてもらうほどの価値もないので。単に嫌われるのが怖いだけです」
「……ッ、お前なぁ……」

 呆れたような視線が刺さる。だから……何で私なのかって、聞いても答えてくれなかったくせに。

「無駄に徹夜した。帰ったら覚えてろよ……」
「な、何がですか?」

 何故か恨みがましい声で言われて顔を上げると、満面の笑みのリエーフさん、真顔で凝視するフェオドラさんとばちりと目が合った。

「あ、どうぞどうぞお気になさらず」
「ああ。一本くらい遅らせても問題ないぞ」
「大有りだ!! こっちは戦争沙汰になるかもしれんと焦っているのにイチャイチャと!! お前らはもう少し人目を憚ったらどうだ!?」

 レナートだけは目を逸らしていたが、白い顔が真っ赤である。負けず劣らずな自信はあるが。

「そ、そんな憚らなきゃいけないことしてません!!」
「自覚がないのはたちが悪い!! 大体ネメスでも」
「うわあああ!! ごめんなさい私が悪かったです早く行きましょう!!」

 クスクス笑う二人の前で、レナートを薙ぎ倒す勢いで列車に向かう。何事か喚き続けるレナートを引きずりながら……


 ……こういう反応されるくらいなら、からかわれているほうがまだマシだと痛感するのであった。
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