死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第七十三話 ミオ、怒る

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 つい長風呂をしてしまった。
 小走りに部屋まで戻って、扉に手を掛けると同時に、突然荒々しく扉が開く。

「ミオ!!」
「は、はい」

 凄い形相で飛び出して来たミハイルさんに呼ばれて返事をすると、一転彼は呆けたような表情をした。
 何かあったのかと心配になるが、それきり彼は黙したまま。

「ははっ。目覚めたら姿が見えなくて心配したと、素直に言えばいいものを」

 私からやや遅れて着いてきていたフェオドラさんが、そんなミハイルさんを見て笑いながら揶揄する。

「俺は別に……、ミオ、お前どこに行っていたんだ」

 視線をフェオドラさんから私に移して、ミハイルさんが問いかけてくる。多分、髪が濡れているのを不審に思ったのだろう。

「フェオドラさんと、お風呂に」
「は!? なにを呑気な……ッ、こいつは帝国の人間なんだぞ!」

 怒ると思ったけどやっぱり怒った。言い訳や弁明をすれば余計に怒らせてしまいそうで、黙ってやりすごすことにする。……私を心配して怒ってるんだと思うと、そう悪い気もしないし……。

「リエーフ! リエーフは何をしてるッ」
「はいはい。いますいます、ここに」

 いつの間にか怒りの矛先がリエーフさんに変わっていた。やっぱり止めれば良かったかな。ミハイルさん、リエーフさんに怒るときは容赦がないからな。
 呼ばれてすぐ、どこからともなくリエーフさんが姿を現す。

「わたくしはお止めしたんですよ」
「止められてないなら意味がないだろ!」
「ですから、何かあったらお助けできるようおりました。ご安心を」
 
 にこっと、リエーフさんが微笑む。その刹那。

 ピシ――ッと。空気が凍った。

「などというのは冗談でございます……皆々様、その物騒なものをお仕舞い下さい」

 帝国の寒空をはるかに凌ぐ氷点下の空気に、やや顔をひきつらせて、リエーフさんが両手を上げる。
 それでひとまず私は振り上げていたその辺にあった壺を、フェオドラさんは剣を、ミハイルさんはナイフを納めた。

「何かあれば対処できるような場所にはおりましたが、お姿は見ておりませんよ」
「本当ですか……?」
「本当でございますよ。ご主人様より先になどそんな恐れ多いことは」
「後にも見ないで下さい」
「おや、ご主人様には見せる予定がおありで……おっと出すぎたことを」

 置いた壺を再び掴んだ私を見て、リエーフさんが口を閉じる。

「……うん? ミオの話でなんとなくは察していたが、そこまでか? 一度もか?? 君たちは夫婦ではないのか??」
「お二人とも大変に純情でいらっしゃいまして」
「ミオはわかるが、卿は純情とか言う見てくれや歳じゃないぞ」
「悪かったな」

 率直なフェオドラさんの意見に、ミハイルさんがギロリと彼女を睨みつける。

「そうとは知らず、同室にしてしまったが。もしかして問題があったかな」

 濡れた金髪を掻きあげて、フェオドラさんが悪びれない声をあげる。できれば別室に、と言おうとした私を遮り、リエーフさんが両手を組み合わせて華やいだ声を上げた。

「とんでもございません、むしろグッドジョブでございます」
「そうか、まぁこれを機にしてくれ。先に拝ませてもらって悪いな、期待していいぞ」

 含んだ言い方をして、バン、とフェオドラさんがミハイルさんの肩を叩く。

「いい加減に――」
「いい加減にして下さい!!!」


 多分同じことを言おうとしたミハイルさんの声に被さって、私の叫び声が宿の廊下に響き渡った。
 便乗して口を開きかけていたリエーフさんが口を閉じ、フェオドラさんがミハイルさんの肩から手を離す。

 好き勝手騒いでいた二人が黙り込み、シン、と気まずい静寂が訪れる。
 通りかかった人が何事かとこちらをチラチラ見ながら、通り過ぎて行く。
 
 多分、私が何か言わないと場が動かない。そう思い口を開いて、だけど開いてみれば再び怒声が零れてしまった。

「どうしてすぐそうやって人のこと茶化したりからかったりするんですか!?」
「……ミオ様」
「もう放っておいて下さい!!」

 何か……恐らく謝罪の言葉を言おうとしてくれたのだと思う。リエーフさんが声を上げたけど、それを聞かないまま、私はそう言い残すと部屋に飛び込んだのだった。


 ※


 ……あんなに大声を上げるつもりじゃなかった。

 だけど、リエーフさんもお屋敷のみんなも、エフィルも。フェオドラさんも。ミハイルさんだって。もう少しゆっくり考えさせてくれてもいいと思う。私だって、これでも頑張っているつもりなんだけど。頑張れば頑張るほど茶化される気がして。……空回りもしてる気がして。

 考えれば考えるほど、どうすればいいかわからない。
 せめて頭が冷えるまで、一人にして欲しかったけど……きっとそうもいかないのだろう。そう考えてから扉が開く音がするまでは、幾何の時間もなかった。

「ミオ」

 名前を呼ぶ声に、冷えたはずの体が熱くなる。
 リエーフさんもフェオドラさんも、面白がってからかっているだけだ。わかっているのにこうなってしまうから……放っておいてほしいのに。

「ごめんなさい……怒鳴ったりして」
「何故謝る。お前は悪くない」
「でも、空気を悪くしちゃいました」
「嫌なことは嫌だと言うべきだ」

 ミハイルさんはそう言ってくれたけど、言うにしても他の言い方があったと思う。子どもみたいなことをしてしまった。これじゃ茶化されるのも仕方ないな。
 気持ちを切り替えようと、俯いていた顔を上げる。

「嫌というわけでは……、最近はちょっとしつこいかな、嫌かも」
「俺からも言っておく」

 ちょっとおどけた声を上げてみたけど、ミハイルさんは笑わなかった。笑ってくれて良かったんだけど。
 この重い空気をなんとかしたくて、いつもの調子で余計な一言で答えてみる。

「ありがたいですけど、聞いてくれるかな。ほら、ミハイルさんてリエーフさんより立場弱いじゃないですか」
「…………」

 ぴく、と片眉が上がったが、彼は否定をしなかった。

「どうせリエーフさんのことだから、誰が何を言っても無駄ですよ」
「……いや。少し落ち込んでいた」
「本当ですか?」
「俺が何を言っても聞く耳持たないが、ミオに怒られたのはこたえたようだ。もっと言ってやればいい」
「ふふっ……、本当に、どっちが主人かわからないですね」

 思わず笑うと、ミハイルさんが不貞腐れたような顔をする。
 いけない。茶化されて腹を立てたくせに、私も同じようなことを。

「あ、ごめんなさい」
「いや、いい。本当のことだからな」

 ふっと、ミハイルさんが笑みを浮かべる。
 そんな顔を、お屋敷を出てからなかなか見ていなくて……なんだか嬉しくなって、そんな自分に気が付いて目を逸らす。
 どうしよう。今夜ずっと二人きりなんだよね。なのに気まずい空気にして……私の馬鹿。

 共に突っ立ったまま、会話が途絶えてしまったとき。それを救うようなノックの音が聞こえた。

「お食事をお持ちしました」

 聞き覚えのない声がノックに続く。そういえば、まだご飯を食べていないんだった。きっとフェオドラさんかリエーフさんが手配してくれたんだろう。扉を開こうとした私を制して、ミハイルさんが私を見下ろす。

「俺が出る。敵地だということを忘れるな」

 釘を刺されて、頷いて見せる。
 この調子じゃ部屋を分けて欲しいと頼んでも無理っぽい。せめて二人が話でもしにきてくれれば少し気も紛れるけれど、食事も宿の人に頼むくらいだから……来ないだろうな。
 
 帝都にもついていないのに、最終決戦に挑むような気持ちになってきた。
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