死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第六十四話 声の正体

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 部屋に戻って後ろ手に扉を閉め、息を吐き出す。

 
 フェオドラさんの来訪。皇帝からの呼び出し。……平穏の終わり。――だけどそれ自体にはあまり動揺していなかった。そんな自分に驚くくらい。

 ……支えになれればと思っていた。
 だけど、ネメスから帰ってきてから、ミハイルさんは驚くほど変わった。今の彼だったら、例えこの先迷っても、間違えても、もうきっと自分で道を切り開いていける。他の人にも心を開けるようになる。

 そうなって欲しいと……思っていたはずなのに。
 なのに胸がチクチクと痛む。

 そのとき、私はどうすればいいんだろう……と。考えている自分に気付いたとき愕然とした。

 彼に必要とされなくなったとき、居場所も記憶も失くした私に一体何が残るんだろう。そう考えると怖くなった。
 こんなの……私らしくない。少し前までは、一人でも仕事を見つけて生きて行けると思っていたのに。

 記憶がなくなりつつあるせいなのだろうか。
 もし、今までの経験が今の私を作っているのなら。記憶を失ったから、考え方も変わってしまったんだろうか。

 それなら全ての記憶を失くしたとき、果たしてそれは――私と呼べるのだろうか。


「――だから、言ったのに。このままじゃキミは彼に飼われることになるって」


 耳を撫でる声。ここしばらく聞いていなかったからといって、忘れるものでもない。
 あやふやに溶ける窓の外の景色。振り向いた私の目の前で揺れる白い髪。

「ミ――」
「同じ失敗はしない主義でね」

 咄嗟にミハイルさんを呼ぼうとしたが、開いた口が手で塞がれる。
 いつも私を惑わす、あの「声」の主が。ずいと顔を近づける。

「私なら教えてあげられるよ。失ったキミの全ての記憶を」

 口を塞いでいる手に、思い切り歯を立てる。だけど手が離れるどころか、何の傷を負わせることもできなかった。確かに噛んでいるのに何の感触もない。

「残念ながら霊体だから。例え触れることはできても、それ以上の影響は――」

 余裕たっぷりだった顔が、突然苦悶に歪んだ。彼のその手に、首に、体に、緋色の鎖が幾重にも巻き付いて、自由になった口で、叫ぶ。

「ミハイルさんっ」

 駆け寄った私を後ろに押しやって、ミハイルさんが血の流れる右手を掲げる。

「いい加減ミオに手を出すのはやめてもらおうか」

 静かだが、怒鳴られるよりはるかにぞっとするような声を受けても、白髪の青年は怯まなかった。体中を締め上げられながらも軽口を叩く。

「そうやって澪を私物化するのはやめた方が良いと思うよ」
「ふざけるな! ミオは俺の――――」

 言いかけて、はっとしたようにミハイルさんが言葉を止める。その瞬間、青年を捕らえていた鎖は元の血に戻って辺りに散った。
 
「真面目だね、キミも。隙を作るのが容易くて助かる」
「……私物化などしていない。だが貴様には渡さん」

 ……別に、いいのに。
 再び手を掲げたミハイルさんを見て、青年が敵意がないことを示すように両手を上げる。

「別にやりあうつもりはないよ。隙を突いたところで、霊体で君に勝てる気はしないし」

 興ざめしたように呟いてから、彼はベッドに腰をおろし、こちらを見上げた。

「あと今回の目的は澪だけじゃない。……皇帝に呼ばれたんだろう?」
「お前には関係ない」
「大有りだね。ロセリアは私の国だ。忌々しいことに、その存亡の鍵はキミたちが握っている。これが黙って見ていられるか?」

 肩を竦めて言う、その口調こそ軽かったけれど。こちらを見る目には剣呑な色がある。
 いやそれよりも……、「私の国」? 今彼は確かにそう言った。

「ミハイルさん、この人は――?」

 気になるのはそこだけじゃない。
 私を知っている幽霊は、レイラとエドアルト、そしてアラムさんの三人だと聞いていた。だけどこの人は三年前の私だけではなく、元の世界の私のことも知っている口ぶりだ。
 
「こいつは……」
「レオニート・ロセリア。前ロセリア国王だ」

 ミハイルさんの声を遮って、青年が答える。

「国王……?」

 にわかには信じられずにミハイルさんを見ると、彼は渋面でうなずいた。

「王様がなぜお屋敷の地下に? それに、どうして私を知っているんですか」
「それを知りたいなら、一人で会いに来てよ」
「行きません」

 ミハイルさんの影に隠れながら即答しておく。なんか……この人、よくわからないけど無理。苦手だ。

「なんでそんなに信用ないかなぁ……」
「いきなり抱きついてくるような人を信用しろって方が無理な話です」
「あぁ!?」

 下ろしかけていた右手を再び翳して、ミハイルさんが怒声を上げる。消えていた血の鎖が再び彼の首に巻き付いて、白髪の青年――国王が呻き声を上げてベッドに転がる。

「ぐ……っ、それくらいでいちいち怒るなっての……」

 苦痛に顔を歪めながらも、突然軽薄な口調になる。……本当にこの人王様なんだろうか……

「澪を一番苦しめてるのはキミだろうに」
「黙れ! 大体、貴様が――」
「わかった、私が悪かった。だから今は帝国の話をしよう。ほら、他のメンツもお揃いだ」

 鎖に掛けていた手で私たちの後ろを指し、彼――故ロセリア国王レオニートが、呆れたように言葉を落とす。その手の指し示す先には、リエーフさんやエドアルト達の姿があった。
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