死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第六十話 ある日の午後

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 静かで穏やかな日々。それはエフィルという新しい住人のお蔭で、少しだけ賑やかで、だけど一層穏やかな日々をお屋敷にもたらしていた。

 エフィルに掛かれば、あのレイラですらツンケンせずに世話を焼く。幼いからか本人の能力かはわからないけれど、エフィルには霊を見ることができ、そして怖がらない。庭の世話をよく手伝い、エドアルトによく花の名前を教わっている。アラムさんが医者と知るや、怪我や病気のことを質問攻めにしていた。そんな風に、お屋敷の幽霊たちともすぐに打ち解けてしまった。

 普段はリエーフさんを手伝ったり、彼の元で手習いをしている。だから、私は先生を取られてしまったわけだけど、エフィルが相手じゃ私も我儘は言えない。

 そうして空いた時間を、私はミハイルさんの部屋で過ごすことが多くなっていた。だからといって別に何をするでもなく、相変わらずほとんど会話もない。だけど、私にはそれが一番心地よかった。

 昼下がり、暖かな日差しが差し込む窓辺のソファ。時折本のページを繰る音がするだけの静かな部屋で、私はリエーフさんに借りた裁縫道具を広げていた。傍らには、少し古びた子供服がいくつか。ほぼ身一つで屋敷に来たエフィルのために、ミハイルさんの子供の頃の服を繕っているのである。結構きれいに残っていたので、買い足すより経済的だと思った……、この家の経済事情は知らないんだけど、私は貧乏性なので。

 しかし、こんな小さな服を着てた時代がミハイルさんにもあったんだと思うとなんだか不思議な気分になる。全然想像できないんだけど、その頃から、今みたいな仏頂面だったんだろうか。

 ……ふと、何気なく聞いていた音がなくなっているのに気付く。顔を上げると、こちらをまじまじと見る闇色の瞳と目があった。

「何か?」
「いや、珍しいなと。裁縫がそんなに楽しいか?」

 何が、と言いかけて、顔が綻んでいたことに気が付く。慌てて表情を取り繕いながら、手元に目を戻す。

「裁縫も掃除と同じくらい好きなんです」

 咄嗟にごまかす。別に嘘ではない。けど、まさか、ミハイルさんの子供時代を想像していたなどとは言えるはずもなく。想像で笑っていたなんて恥ずかしいにも程がある。

「掃除屋だけでなく服屋もやれそうだな」
「さすがにそれは無理ですよ。……でも、もし娘がいたら服を作ってあげたいなぁ。フリルとかレースとかたくさんつけて、リボンも――、あ」

 ……他愛ない話のつもりで、また変なことを言ってしまった気がする。手元に視線を落として、何事もなかったように作業を再開するけれど、なかったことにするには強引すぎる。せめて言葉を止めなきゃよかった。

「あの、別に、娘が欲しいというわけでは……」

 沈黙に耐えかねて落とした言い訳は、墓穴以外の何者でもなかった気がする。
 再び本を繰る音が聞こえてきてほっとする。何事もなかったかのように時間が動き始める。

 ……そういえば、ミハイルさんは子供は要らないんだったな。
 だとしたら、帝国やイスカとの問題が片付いたとしても、このお屋敷はミハイルさんの代で終わることになるのかな。死霊使いとしての力が確実に遺伝してしまうのなら、その判断も無理はないと思うけれど――なんだか寂しい気がする。
 そんなの、私がどうこう言えることじゃないけど……

 さっきまで心地よかった静寂が、少し重く感じてきた頃。それを救うように、ノックの音が響き渡る。

「ご主人様、リエーフにございます」
「……入れ」

 ミハイルさんの声にも、どこかほっとした色がある……気がする。ともあれ返事を受けて、扉の向こうからリエーフさんが姿を現す。彼は私を見て、少し気まずそうな顔をした。

「ミオ様、こちらにおいででしたか」
「お邪魔でしたら部屋に戻りますが」
「いえ、邪魔をしたのはわたくしの方かと……、いらっしゃるならいらっしゃるとわかるようにしておいて下さい」
「別に入ってこられて困るようなことしてません」
「それは残念です」

 即答されて、嘆息しながら裁縫道具を片付けていると、リエーフさんが慌てたようにそれを制した。

「お待ちください、わたくしもミオ様がおられて困るようなことはありませんゆえ、そのままで。……エフィル」

 私の手を押さえながら、リエーフさんが扉の外に呼びかける。すると、エフィルが自分の身の丈近くあるワゴンを押して現れた。そのワゴンからティーセットを取って、リエーフさんが机に降ろす。

「エフィルがお二人にお茶をお淹れしたいと。準備もほとんど一人でやりました」

 リエーフさんが目を細め、エフィルはというと、少し照れたようにはにかんだ笑顔を見せた。

「エフィルが一人で? すごい。それに嬉しい。ありがとう、エフィル」
「あの……、まだあまり上手にできないんですが……」

 そう言いながらティーポットを取る手には、戸惑いも緊張もない。エフィルの小さな体と手では、二人分のお茶が入ったポットは重いだろうに。危なげなく片手で持ったソーサーの上のカップに、中身を注いでいく。

「どうぞ、旦那様」
「ああ……、ありがとう、エフィ」

 差し出されたカップを受け取って、ミハイルさんが薄く笑う。その笑顔だけではなく、語りかける声もとても優しい。今まで見たことがないくらい。ミハイルさんが片手でエフィルの金髪をくしゃりと撫でると、「えへへ」とエフィルが年相応の笑顔を見せる。

 ……まるで、本当に親子みたい。

 いつもミハイルさんは、どこか張り詰めた顔をしていて、鋭い目はとても冷たい印象だった。だけどエフィルと話しているときは、それが全くない。多分本人も気付いていないだろうけど。

「奥様、どうぞ」
「あ……ありがとう」

 慣れない呼称で呼ばれて、戸惑いながらも差し出されたカップを受け取る。
 できれば名前で呼んで欲しいのだけど、事情を知らないエフィルにそれを要求しても戸惑わせてしまうだろう。

 動揺を隠すように、カップに口をつける。

「……美味い」

 私と同じ感想を、ミハイルさんが先に口にする。僅かな驚きと共に。

「ええ。リエーフさんが淹れたお茶と同じくらい」
「そんな、先生にはまだまだ敵いません」

 エフィルは謙遜したが、決してお世辞ではない。リエーフさんの淹れるお茶はいつもとても美味しいが、エフィルの淹れたものもそれに決して引けを取っていない。本当はリエーフさんにやってもらったのでは? って思うくらい。

「エフィル、ご苦労様です。午後の授業まで自由にしていて構いませんよ」
「はい! では、失礼します」

 一礼して、エフィルが退室していく。その所作一つ見ても、とても綺麗で。

「驚いたな。見違えた」
「でしょう。坊ちゃんの小さい頃とは大違いです。わたくしの言うことは聞かないわ、宿題は忘れるわ、稽古の時間になったら逃げだすわ、挙句レイラに庇ってもらって――まあ、それはそれで可愛らしかったのですが」
「昔の話はいい」

 感慨深げなリエーフさんの声を、不機嫌なミハイルさんの声が遮る。なんだか意外すぎる子供時代で、もう少し聞いてみたかったけど……それを言ったら、きっと怒るだろうな。

 笑っても怒られそうだからそのどちらも堪えつつ、ついでに、リエーフさんは一体幾つなんだという疑問も一緒に飲み込むのだった。
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