死霊使いの花嫁

羽鳥紘

文字の大きさ
上 下
58 / 97

第五十七話 少年の覚悟

しおりを挟む
 どれくらい眠っただろうか。ふと、目が覚めた。椅子で眠ってしまったため、体がギシギシする。軽く伸びをすると眠気は遠のいてしまった。

 窓の外を見ると、まだ暗かった。灯りの落ちた真っ暗な街並み。その手前に、ガラスに映った自分が見える。目を逸らして、結っていた髪を解いた。編み込みの癖がついたうねる髪をいつもどおり一つに束ねる。

 足は痛いしドレスは似合わないし散々だな。やっぱり柄じゃない。でも……
 綺麗だと言ってもらえて嬉しかった。


 ……ミハイルさんは、もう眠ったかな。ちゃんと休んでいるかな。
 依存も固執もしないように、自分を律するために。だから、甘えることもせずに、すぐ独りになろうとする。
 人とは違う力を持っているから、そうしなければいけないというのはわかる。
 だけど、それじゃいつか潰れてしまわないだろうか。

 リエーフさんは多分……それを心配しているんじゃないかという気がする。
 こういう立ち回りしかできないと言ったとき。
 八つ当たりだから、止めなくていいと言ったとき。
 寂しそうな顔に、なんとなく後悔めいたものを感じた。きっと、リエーフさんは甘やかすことはできなかったんだろう。あの人も、器用なようでいて不器用なんだ。


 しょげてる場合じゃない。
 私は戦うことはできないし、指輪を使って命を削れば、彼の身は守れても心は傷つける……もちろん、それでも使わなければいけない局面はあるだろうけど。


 それよりも、私がしなければいけないこと、私にしかできないこと――見つけた。


 部屋を出て、隣の部屋の扉を叩く。だが、シンとして返事はない。
 眠っているのだろうか。普通に考えたらそうだろうけど……、何か、胸騒ぎがする。
 まだ夜だし、あまり大きな音や声を出すのも憚られる。そっと扉を押してみると、それは呆気なく開いた。

「ミハイル……さん?」

 開け放しのカーテンから、月明かりが部屋を照らす。――誰もいない部屋を。
 走り出そうとして、派手にバランスを崩して転んだ。……ヒールを部屋に脱ぎ捨てて、宿を飛び出す。

 私に黙って出かけるとしたら……、エフィルのところしか考えられない。何か、あったんだ。
 指輪を使えば、ミハイルさんを喚ぶことはできるだろう。でも、もしエフィルに何かがあって、今危険の中にいるのなら――、残されることになるエフィルの身が危なくなる。

 夜中の街は、昼とは全然違う。人がいなくてとても静かで、全く別の街のようだ。川に写る月が、まるで異世界へのゲートのようにゆらゆらとゆらめく。
 ……もし、死霊に会ったら。あの仮面達に襲われたら。そう思うと、背中が空寒くなる。
 でも、プリヴィデーニの死霊はほとんど屋敷に集まるし、会ったとしても目を合わせなければ多少の時間は稼げる。それに、ミハイルさんの領内では帝国も迂闊に関与できないはず……、だからこそ、わざわざレナートを使って私を領の外まで連れていったのだろうし。

 ――だったら。もしニーナさんが帝国に関与してたなら、フェリニで私とミハイルさんを引き離す機会はあったんじゃないのかな。いや……、今はそれを考えている場合じゃない。

 暗くて慣れない場所だ、道が定かじゃない。集中しなきゃ。思い出さなきゃ。
 確か、橋の傍だったと思うんだけど。

 そのとき、闇に紛れて視界の端で何かが動いた。

「……ミハイルさん!」

 闇に溶けそうなその人を見つけられたのは、一緒にいるエフィルのおかげだ。

「ミオ!?」

 私を見つけて、彼が驚いたように私の名を呼ぶ。

「出掛けるなら、どうして声を掛けてくれなかったんですか!」
「すまん。寝ていると思った」
「だからって……」

 納得したわけではない。だけど、エフィルの視線を感じて口を噤む。

「ごめんなさい。ボクが来てってお願いしたの」
「……エフィルは悪くないよ。でも、どうして私たちの居場所が?」
「それもごめんなさい。街の人たちから泊まっているお宿を聞いたの」

 確かに、ミハイルさんは目立つから……街の誰かは見て知っていただろうけど。
 ミハイルさんにはもう少し文句を言いたかったけど、ここで言えばエフィルが気に病む。それに、こんな夜中に子ども一人で家を抜け出すなんて只事じゃない。

「何があったの?」
「お母さんの様子が変なの」

 そう言うと、ふとエフィルは項垂れた。

「昼間、領主様たちが来てくれてから、どんどん元気がなくなって……、それから動かなくなって、何か言ってるんだけどなんて言ってるかわからなくて……、ボクが呼んでも気づかなくて。怖くなって、家を抜け出したの」

 エフィルが、手を伸ばしてミハイルさんの服をぎゅっと掴む。

「約束の明日まで待てなくてごめんなさい……、どんな罰でも受けるから……、お願い、ママを助けて……」

 それは今にも泣き出しそうな声だったけれど、月明かりが照らすエフィルの瞳には涙はなかった。
 毅然として見上げてくるエフィルを見下ろし、ミハイルさんが彼の名を呼ぶ。

「……エフィル」

 膝をついて、小さなエフィルの目線に合わせてから、ミハイルさんが先を続ける。

「助けろと言われても、死んだ者は生き返らない。以前のように母親と触れ合うことはもうできない」

 あまりに酷な事実を言い渡されても、エフィルは泣いたり取り乱したりはしなかった。

「わかってる。ボクはただ、ママを休ませてあげて欲しいの」

 返ってきた意外な言葉に、ミハイルさんが少し驚いたような顔をする。

「……パパがいなくなったとき、ママは言ってた。失われた命は戻らないって。死んだ人には二度と会えないんだって。二度と触れ合えないんだって。だけど、強く生きていかなきゃならないんだって。そうじゃないと、パパが安心して休めないからって……」

 その声は弱くか細い。それでも迷いはない。

「あのとき、ボクが泣いちゃったから……ママは安心して休めないんだ。だからボクは、もう泣かない」

 そう締めくくるエフィルの顔は、幼い子どものそれではなかった。まるで、覚悟を決めた一人の大人の目をしてた。まだ……こんなに小さいのに。

「強いな、お前は……」

 ミハイルさんがエフィルの頭に手を置く。そして、立ち上がり右手を翳す。

『レイラ』

 蒼い光とともに、レイラが闇の中から姿を現す。

「何かあったの?」

 ぶっきらぼうながらも、案じるようなレイラの声を受けて、ミハイルさんがそちらを向く。

「少し事態が変わった。俺はこいつの母親と話してみる。エフィルと……ミオを頼む」
「私も行きます」

 暗にここで待てと言っているミハイルさんに、拒否を示す。

「だが……」
「ミハイル」

 私たちを順に一瞥してから、レイラがミハイルさんの名前を呼ぶ。

「怒らせたからって人に押し付けないの。ミオはアンタが守りなさいよ」
「…………」

 ミハイルさんが無言のまま家の中に入っていく。嫌だとは言わなかった。
 目を合わせるとレイラが頷く。それを見てから、私も後を追った。
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

家族と移住した先で隠しキャラ拾いました

狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
「はい、ちゅーもーっく! 本日わたしは、とうとう王太子殿下から婚約破棄をされました! これがその証拠です!」  ヴィルヘルミーネ・フェルゼンシュタインは、そう言って家族に王太子から届いた手紙を見せた。  「「「やっぱりかー」」」  すぐさま合いの手を入れる家族は、前世から家族である。  日本で死んで、この世界――前世でヴィルヘルミーネがはまっていた乙女ゲームの世界に転生したのだ。  しかも、ヴィルヘルミーネは悪役令嬢、そして家族は当然悪役令嬢の家族として。  ゆえに、王太子から婚約破棄を突きつけられることもわかっていた。  前世の記憶を取り戻した一年前から準備に準備を重ね、婚約破棄後の身の振り方を決めていたヴィルヘルミーネたちは慌てず、こう宣言した。 「船に乗ってシュティリエ国へ逃亡するぞー!」「「「おー!」」」  前世も今も、実に能天気な家族たちは、こうして断罪される前にそそくさと海を挟んだ隣国シュティリエ国へ逃亡したのである。  そして、シュティリエ国へ逃亡し、新しい生活をはじめた矢先、ヴィルヘルミーネは庭先で真っ黒い兎を見つけて保護をする。  まさかこの兎が、乙女ゲームのラスボスであるとは気づかづに――

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...