死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第四十三話 嘘

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 指輪の力が、完全になくなったわけではないのか――

 私にも見えていた。
 私たちが最後の階段を降りたとたん、溢れ出してきた死霊たちが。

「うわあああ!?」

 あの、肝の座っていそうな女領主が、らしくない悲鳴を上げる。

「なんだ……こいつらは!来るな!」

 携えていた剣を抜いて、領主が死霊に斬りかかる。彼女にも見えているということは、指輪は関係ないのだろうか。そういえばフェリニのときも、ニーナさんにも死霊が見えていた。
 ……レイラの姿も、街の人に見えていた。力を増した悪霊は誰にでも可視化される、ということだのだろうか。今悠長にそんなことを考えている暇はないけれど……、もしそうだとすると、ここは相当に危険だと言うことになる。

 フェオドラさんの剣を振るう腕は、飾りで持っているわけじゃないのはわかる。とはいえ、私には彼女がどれほどの強さなのか推し量ることはできない。でもそれは無意味なことで、彼女の剣は確実に死霊の面を捕らえていたが、あっけなくそれは死霊の体を通り抜けてしまう。普通の人では霊にダメージを負わせることはできない。ミハイルさんでも、霊を殺すことはできないと言っていた。

 フェリニで見たのと同じような、血塗れの姿をした、直視するのに耐えかねる姿の死霊たち。苦痛と恨みに満ちた呻き声。それに混じって、唯一聞き取れる言葉がある。

 ――カラダ。

 カラダ……からだ……体……。
 さざ波のようにあちらこちらから押し寄せてくる言葉は、そう聞こえる。死霊は私とレナートには目をくれず、わめきながら無茶苦茶に剣を振り回すフェオドラさんに群がっていく。

「目を合わせるなよ」

 私を庇うように傍に来たレナートが、フードを目深に降ろしてそう囁く。
 フェリニで、同じようなことをミハイルさんも言った。目を合わせなければ、認識されていないと思ってくれるのかもしれない。でもフェオドラさんは……

「でも、レナート。フェオドラさんが」
「力を増したところで、霊は実体じゃない。直接食い殺されることはないだろう」

 そう言いながらも、レナートの表情は固い。頬には汗が流れている。

「むしろ危ないのは……」

 今まで叫びながら剣を振り回していたフェオドラさんの体から、不意にガクンと力が抜ける。その背に、腕に、腰に、たくさんの死霊を絡みつかせて。顔を上げた彼女の目が、グルンと回った。半開きの口から唾液が伝う。そして、その口がにやりと弧を描いた。

「体……、体を寄越せぇ!!」
「そうなるよな……!」

 明らかに正気を失った顔で、フェオドラさんが剣を振りかぶる。その一瞬前に、レナートが私の手を引いていた。私の鼻先を剣が掠めていく。声も出ない私を引きずるようにして、レナートが階段をかけのぼる。

「ここは恐らく場所が悪い! ただでさえ地下は穢れたものが溜まるし、国境付近は大きな戦があった可能性も極めて高い」

 走りながら、レナートが叫ぶ。そういえばリエーフさんも言っていた、地下は良くないものが溜まりやすいのだと。
 ひとまず、どうにか追い付かれる前には階段を登り切れたものの。

「待ってレナート……、この状態のフェオドラさんを外に出したら……」
「無差別に人を襲うよな。くそっ」

 館を出ようとしていたレナートが踏みとどまり、踵を返す。
 レナートは……、出会ったばかりの私でも仮面に引き渡したりすることはなかったし、そもそも私を屋敷から連れ出したのも良かれと思ってのことだ。聖職者ならば当然かもしれないが、正義感は相当強い。

「他にも死霊に憑かれた人を見たことあるけど、こんな風に狂暴に人を襲ったりしてなかった。それに、フェオドラさんは今までにも地下に入ったことがあったはず。どうして急に、こんな」
「さあな。おれかお前のせいかもしれん。霊力が高い者は霊を引きよせがちだ」
 
 じゃあ、お屋敷に死霊が集まるのはやっぱりミハイルさんがいるから、なのか。

「……あるいは、あのレイラという死霊の影響かもしれん。街中に怒りが満ちている……、嫌な感じだ……」

 どのみち、今それを突き止めたところで、フェオドラさんを止める手段はわかりそうにない。そうこうしている間にも、隠し扉の向こうからフェオドラさんがぬっと姿を現す。
  斬りかかってくる領主の剣を頭を下げて避け、レナートが懐に飛び込む。そのみぞおちを狙って拳を突き出すが、その前にフェオドラさんは剣を手放していた。そしてレナートの腕と胸倉を掴み、投げ飛ばす。

「くそっ、なんだこいつ! 女のくせにやたら強いぞ!」

 受け身を取って起き上がり、レナートが文句を言う。そりゃ女性の身で軍人をしていれば、そこらの男に引けを取らないくらいには強いのだろう……、その間にフェオドラさんは剣を拾うと、再びレナートに向かって剣を振り上げる。レナートはそれをどうにか躱し続けてはいたが、いかんせん狭い屋内、すぐに退路を失った。

「レナート!」
「お前は逃げろ!」

 レナートが叫ぶ。その隙に、フェオドラさんの首元からいくつも白い手が伸び、レナートの体に入っていく。

「く……う……っ!」

 体、とフェオドラさんが呟いた。隠し扉のあった場所から、いやその他の壁からも、死霊が次々に姿を現す。そして、身動きの取れないレナートに群がっていく。それを成すすべなく見ているうちに、湧き出す死霊のなかの一体と……目が合った。

「体……、からだ……」

 ゆらゆらと、死霊たちが近づいてくる。逃げなきゃ。私は霊体と触れ合える……、もしかしたら食い殺されてしまうかもしれない。頭ではわかってる、なのに、足が動かなかった。それでも必死に退路を探る。館の中なのに他に人の姿はない。出口へ続く扉は……、私がいる位置から、死霊を避けてはたどり着けない。遠い。果てしなく遠い。
 すぐ傍まで迫ってきた死霊が、ガパッと大きく口を開ける。逃げなきゃ。走らなきゃ。あの、遠い扉に……、
 そんな、永遠に辿り着けないと思うほどに遠くに見える扉が。
 
 突然吹き飛んだ。


『捉えよ!』


 緋色の刃が死霊の頭を突き抜け、今まさに私に食らいつこうとしていた死霊がばっと黒い霧になって散る。

 動かなかった足が、嘘みたいに動いた。
 駆け寄った私の腕を、彼が――、ミハイルさんが掴んで引き寄せる。されるがまま抱き寄せられながら、その胸の中で、呟く。

「……もう、しないんじゃなかったんですか……」
「すまん、あれは嘘だ」



 私を抱き締めながら、彼は悪びれもせずそう言った。
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