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3.捕虜

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それから三ヵ月ほどで、目に見える傷は殆ど回復した。
幸いなことに酷かった火傷も跡が残ることはなく、アリーチェのきめ細かな肌は何事もなかったかのように元通りになった。
だが、癒える体とは対照的に、アリーチェの心は酷く傷付き、疲弊していた。
目を閉じれば、あの日の光景が思い浮かび、耳を塞いでも人々の悲鳴が聞こえてくる。
そのせいか、休んでも熟睡することは出来ず、常に浅い微睡の中で悪夢を見るような状態がずっと続いていた。
食欲もなく、横になっているのに衰弱していく様子はまるで病人のようだとアリーチェは自らの有様を見て思った。

この状態では、復讐を成し遂げる前に死んでしまうだろう。
それが分かっていても、悪夢を振り払う術を持ち合わせていないアリーチェにはどうしようもなかった。

溜息を一つ零したとき、扉を叩く音が聞こえた。
ただそれだけなのに、誰が来たのか解ってしまい、アリーチェは顔を顰めた。

「アリーチェ様、陛下がお越しです」

王の来訪を告げる侍女の声と同時に、軍服に身を包んだルドヴィクが、威圧的な空気を纏って入ってくる。
あの日から、毎日ルドヴィクはアリーチェの様子を見に来る。
本当に顔を見る程度だが、多い時には一日に四、五回も部屋を訪れることすらあった。
イザイア国王は卑怯な手を使って他国を攻め滅ぼす以外は、よほど暇らしいとアリーチェはぼんやりと考えた。
アリーチェにとって、この世で最も憎い相手であるルドヴィクと毎日顔を合わせなければならないということが、どのくらいの苦痛を伴うものなのかを彼は知っているのだろうか。

「随分と回復したようだな」
「…………はい、陛下」

アリーチェは彼の顔を見まいと目を伏せたまま、淡々とした口調で答える。

「陛下ではなく、名を呼べと言っただろう。あなたは私の配下ではない」

見た目通り無愛想なルドヴィクは、こうして顔を見に来ても必要最低限しか言葉を交わさない。
それなのに一日も欠かさずに自分の様子を確認しに来る彼の真意を図りかねたアリーチェは、戸惑いながらも警戒していた。

相手は冷酷無比な『隻眼の騎士王』。騎士道精神に反する行いは決してしないという評判だったが、あのカヴァニス滅亡の一件から、その信用は地に落ちたも同然だろう。
それに片方しかない彼の深いエメラルド色の瞳は、何を考えているのかわからない、どこか不気味な雰囲気が漂っていて、恐ろしかった。

「いえ、陛下はこの国を統べる御方。対してわたくしは陛下に命を救われただけの捕虜。恐れ多くも陛下の御名を口にするなど……」

これでもかというくらいに遜った口調で答えると、ルドヴィクがあからさまに不快そうに、顔を顰めた。

「アリーチェ姫。私はあなたを捕虜だなどとは思っていない」

低く、落ち着いたルドヴィクの声に、アリーチェは心がざわつくのを感じた。
戸惑いながらもその日初めてルドヴィクの前で顔を上げ、真っ直ぐにルドヴィクを見据えた。
アリーチェが怖いと感じる深いエメラルド色の隻眼が、こちらを見ている。
底知れないような瞳には、微かに胸に染みるような哀愁にも似た光が見え隠れするように感じるのは、疲弊した心が見せる幻なのだろうか。
視線を逸らしたら負けだと思いながら、アリーチェは震えそうになるのを懸命に堪えた。

「捕虜でなければ何だと仰るのです?わたくしはもう自分の足で歩き回ることが出来るくらいに回復しているというのに、この部屋から一歩も外に出さず、侍女や護衛にわたくしを監視させているではありませんか。それとも、わたくしのような小娘が恐ろしいのですか?」
「………………」

虹色に煌めくアースアイに目一杯の憎しみを浮かべた。その様子を見たルドヴィクは、何かを言いかけてから形の良い唇を引き結んだように見えた。
そしてたった一つしかない瞳でじっとアリーチェを見つめると、静かに目を閉じて踵を返す。
一瞬だけ、彼の瞳の中に強い悲しげに揺れるものが浮かんだように見えた気がした。

「………この部屋から出してやることは出来ないが、それ以外の希望があれば侍女にでも伝えるがいい」

まるで全ての感情を押し殺しているかのような低い声でそれだけ告げると、ルドヴィクはアリーチェを見ようともせず部屋を出ていった。
扉が閉まる音が聞こえると、アリーチェは安堵の溜息を零した。

緊張していたせいで胸の鼓動が速いし、握りしめた掌にはしっとりと汗が滲んでいた。
あの男を目の前にするだけでもこの有様だということが悔しくて、アリーチェは人知れずもう一度ぎゅっと手を強く握りしめたのだった。
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