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第二章

柱だから

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「……ん、」

 穏やかな微睡みの中からゆったりと現実に引き戻されて緩慢に瞬きを繰り返していると。

「……浅葱?」

 起きたの?という心配そうな空良の声が聞こえてきて視線だけで姿を捜す。空良はすぐに視界に入る位置まで寄ってきて俺の顔を覗き込んだ。

「あぁ良かったぁ……」

「俺、また気絶してた……?」

 空良の反応が前回の雨音と一緒だったから何となく察して決まり悪く目を伏せる。

「……今回は1日しか経ってないから安心して」

 1日……、って呟いてから護衛の3人はどうしたんだろうともう一度視線を彷徨わせ、不意に不安になった。みんなは空良を見捨てようとしたんだ。その事実が怖くて俺の手を握ってくれてる空良の手を強く握り返す。
 空良はちょっと困ったみたいに微笑んで反対の手で頭を撫でて言った。

「大丈夫、みんなちゃんといるよ。……それに護衛がああなるのは仕方ないから、怒らないでね」

 オズの為に“ドロシー”を失うわけにいかない。だからその為に不要なものは消す。優先されるのは、俺、というよりもオズ。

「……でも」

「俺の事は、浅葱が守ってくれるでしょ?」

 冗談めかして言われたけど、

「守る……。頑張って守るから」

 元から握ってた手も、頭を撫でてた手も両手で握り締める。

「俺、弱いし一人じゃ何も出来ないけど頑張るから」

「あは、何か女の子になった気分」

 だけど嬉しいよ、って笑った空良の唇が額に落ちた。それから空良にみんなと話しよ?って促されて渋々部屋から出ようとしたら外からは微かな話し声。

(案山子?)

 何の気なしに耳を澄ませたら。

「だぁから俺はさっさと心壊しちまえっつったじゃないすかぁ~。下手に感情なんてあるからめんどくせぇ事になるんすよ。道具らしく大人しくしててくれりゃいいのに」

 一瞬何を言ってるのかわからなくて、理解した瞬間ゾッとした。
 多分、俺の事だ。

「どうしたの、浅葱?」

 ベッドを整えてた空良には聞こえなかったみたいで扉の前に突っ立ったままの俺に不思議そうに声をかけてくる。その声が聞こえたか扉の前から足音が一人分遠ざかった。開けた扉の前には秕がいて、流石に若干気まずそうな顔。
 何を言っていいかわかんなくて視線を足元に落としたら空良にソッと背中押されて振り返る。

「浅葱」

 怒ってない事を伝えようって話してたからさっきのが聞こえてない空良はそのつもり。
 しこりみたいに引っかかるけど聞こえたのは案山子の声だけで秕は何も言わなかったし、空良の微笑みに促されておずおずと秕の服の裾を握った。でもやっぱりまだ顔は見られない。
 だって、信じてたんだ。その考えが甘かったんだなってようやく理解した。それは俺を守るためで、……だけど。
 オズの為に欠かせない柱。その為の護衛。いざという時は俺の意思なんか無視してオズの為に俺を守るんだ。俺の大切なものを切り捨ててでも。

「無理に理解しなくてもいいよ」

 グッ、と唇を噛んでたらそんな声が聞こえて顔を上げた。
 秕は感情を無くしてしまったみたいな無表情で俺を見下ろしてもう一度同じ事を言う。

 ――無理に理解しなくてもいいよ。

 何で、って聞く前に秕が服の裾を握る俺の手を払った。

「……僕たちは姫を守る、それだけが任務だから」

「俺がドロシーだから……?」

「当たり前でしょ。君がドロシーじゃなかったら僕は今ここにいない。ドロシーが君じゃなかったら……もっと楽だったのに」

 どうして君だったの、なんて。
 はたかれた手が痛い。それよりも、心はもっと痛い。

「そ、だよな……。俺がドロシーじゃなかったら秕と会うこともなかったし、秕が宝珠探しに付き合うこともなかったもんな」

 俺がドロシーじゃなかったら、こんな思いをすることもなかったのに。

「浅葱!」

 気付いたらその場から逃げ出してた。




 宿屋を飛び出してがむしゃらに走って、辿り着いたのは町の端。涙がボロボロ零れて止まらない。
 苦しくて苦しくて、その場にしゃがみこんだ。
 なりたくもない人柱に勝手に奉り上げられて、自由を奪われて、他人の願いの為に命を削られて。

「もう嫌だ……っ」

 柱だから、守ってるだけ。

「やだ……っもう、やだぁ……」

 ここにいるのが俺じゃなくても扱いは変わらない。必要なのは“俺”じゃなくて“ドロシー”だから。
 だったら家に帰らせて。元の生活に戻らせて。どうして俺じゃなきゃいけなかったんだ?この世界に何の関係もないのに。俺はここで死ぬまで人柱?

「浅葱……」

 途中コンパスの差がありすぎて俺に追いついてた空良は、俺が立ち止まるまでそのまま一緒に走ってくれた。目の前にしゃがんだ優しい空良にしがみつく。

「やだ、帰りたい……。母さん達に会いたい……家に帰りたいよぉ……っ」

 きっと日本では俺も空良も行方不明扱いだと思うから、母さんや姉ちゃん達は俺の事捜してくれてるかな。いなくなったって心配して悲しんでくれてるかな。小説家の母さんはちゃんと小説書けてるのかな。上の姉ちゃんはホントは人一倍心配性だから一人でこっそり泣いてたりしないかな。下の姉ちゃんは何かあるとお菓子いっぱい作りすぎるから腐らせてないといいけど。

「帰りたい……」

 優しい家族がいる家に帰りたい。口に出したらもっともっと辛くなって泣きじゃくる。
 どうしてこんなに願ってるのに俺の願いは叶えられないの?

「浅葱」

 空良が宥めるみたいに背中をゆっくり撫でてくれて、我慢ができずに子供みたいに声をあげて泣いた。
 俺のしゃくりあげる声と遠くから小さく聞こえる町の喧騒。
 耳に入ってくるのはそれだけ、っていう状態がしばらく続いて、俺が落ち着いてきたのを察した空良は一度俺の頭に口付ける。

「……大丈夫?」

「ん、……ごめん……。空良も帰れなくてしんどいのに、俺自分の事ばっかで……」

「ううん、俺は浅葱がいればそれでいいから平気」

 あえて明るく言った空良に何だよそれ、ってつられて笑う。

「……ありがと、空良がいて良かった」

 こんなの一人だったら心が折れてたよ。……まぁ一人だったらあのまま王宮で本当に道具みたいになってたかもしれないけど。心音と体温と空良の匂いが心地よくて、安心できて、その胸に擦り寄って目を閉じる。

「ね、浅葱。今日って精霊祭なんだって」

 ゆっくり髪を梳かれてる内に、まだ体力が戻ってなかったところに全力疾走と号泣なんてしたから強烈な睡魔が襲ってきた。

「せーれー、さい……?」

 微睡みの中若干舌をもつれさせながら訊くと、空良が小さく笑う気配。

「うん。よくわかんないけど、お願い事が叶うらしいよ」

 願いを叶えてくれる二柱がいるのにまだそんな事言うなんて、この世界の人は他力本願の贅沢ものだ。

 でももし本当なら俺は――――

(空良と元の世界に帰って、家族に会いたい、です)

 ただそれだけでいい。
 ここで寝ないで、って空良に揺り起こされて何とか起きて手を繋いで宿屋まで戻りながら、

「……このまま逃げちゃ、ダメかな……?」

 小さく呟いた。
 秕が追いかけてきた気配はなかったし案山子は多分直前に部屋の前からいなくなってた。追いかけてきてる可能性があるのは雨音。誰がついてきていようと、今のところ誰かが割って入ってくる感じはしないからつい願望が口をついて出てしまった。
 空良はいつもの、ちょっと困った顔。

「……今逃げるのはどうかな……」

「何で?」

 最初に逃げようって言ったのは空良なのに。

「宝珠を見つけてからの方がきっと逃げやすいと思うよ?」

 ああ、言われてみれば。そう納得してたらそれに、って言葉が続く。

「浅葱は優しいからこの国の人が困ってるの見たら放っておけないでしょ?」

 そんなことない。だってこの国の人達は自分達で何の努力もしないで他人の命を削って願いを叶えてもらってるんだから、きっと俺は困っててももっと困ればいいのに、ってそんな風にしか思わない。
 俺はそんなに綺麗な心なんて持ってないし優しくもないよ。誰かが知らずに役目を代わってやるって言ったなら、きっと真実を伝えないまま喜んで代わる。

「しないよ」

「え?」

「浅葱はしない」

「……何を?」

 口に出てた?そんな筈ないけど……。じゃあこれは何の話?
 微笑んでる空良を呆けた顔で見つめてしまう。

「何考えたか何となくわかるよ。浅葱は何だかんだ言いながらきっと見捨てられない。だから今は逃げちゃダメだ」

 俺はそんな浅葱が大好きだから、って言われて複雑な気分になる。
 ねぇ空良。空良の目に俺がどう映ってるかわかんないけど俺は空良が思うほど綺麗じゃないんだよ。
 だけど、

「……うん……」

 空良に嫌われたくなくて、呆れられたくなくて。それ以上、何も言えなかった。




 宿屋に戻ったら部屋の前にはまだ秕がいて、でも俺と視線を合わせるのを避けるように目を逸らしたまま。俺も今は秕の顔なんか見たくないから空良の背中に縋りついて目を閉じて横を通り過ぎた。
 ドアが閉まってホッと息を吐く。空良に手を引かれるままベッドの側まで行って、そのまま押し倒されて、

「空良……?」

 もしかして今日もするのかと思わず身構えたけど。もぞもぞ体勢を整えた空良は1つ欠伸を洩らして俺を抱き締めた。

「今日はこのまんま寝よう?ぎゅーってしててあげる」

「……ん」

 あったかい腕の中、空良の微笑みにつられて微笑んで目を閉じた。

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