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アレク

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 水の槍が飛んできた方向にも既に騎士団がいて逃げ惑う人達の避難誘導をしながら狼型の魔獣を追い詰めている。さっきの水の槍はアクアが放った物じゃなかったらしく、視線を走らせてもアクアの姿がない。

(どうして、どこ行ったの)

 頭の中はまだパニック状態で心臓もバクバクと壊れそうなくらいの鼓動を刻んでいる。

(怖い、怖い……ッ)

『ベリルー』

「リー……っ出てきたらダメだ!」

 だってテオドールがいた。僕が精霊師だってバレたら。ユヴェーレンの為に僕を連れて行こうとするかも知れない。

『でもベリル、顔青いよー』

 具合が悪い?と心配そうに聞いてくるリーを手の平に閉じ込める。普段だったら大抵の人にはリーの姿は見えないってちゃんとわかるのに、今の僕にはそんな簡単な事すら頭になくて、ただ必死でリーの姿を隠した。

(早く、早くここから逃げないと……!)

 アクアがいないなら、この場から一人でも逃げないと。テオドールに見つかってしまう。
 今のテオドールは僕の事なんか知らない、それすらも頭から抜け落ちてその場から走り出そうとした僕の腕を誰かが掴んだ。

「ひ……!?」

「驚かせてごめんなさい。震えていらしたから、怪我でもされたのかと……」

 背中に流した白金の髪。煌めく宝石のような緑の瞳。白磁の肌は今煤で汚れている。薄桃の唇は僕を安心させるように微笑んだけれど、僕は歯の根が合わない唇に手を当てて何とか押し込める。リーは気配を察して隠れてくれたからそれだけが救いだ。

「大丈夫ですか?やはりどこかお怪我を?」

 気づかわしげに僕を覗き込んで来るのは、ユヴェーレン・マジェラン侯爵令嬢。
 光の魔術は後天的に発動する能力だ。だから公女様から光の魔術を一時的に奪うまでユヴェーレンの髪色は明るいオレンジ色だった筈。それが今白金になっているという事は、彼女は光魔法を手に入れたという事だ。

(どうして、公女様は……!?)

 この騒ぎで公女様は現れない。騎士団まで来ているのに、またあの西砦の時と同じだ。

「ここは危険ですわ。向こうの広場に皆集まっております。走れますか?」

 す、と伸ばされた手を咄嗟に避けて後ろに下がる。

(アクア……!)

 こういう時いつもアクアが腕を引いてくれた。でもいつまで待ってもアクアは来ない。
 ジワジワと侵食する恐怖で足から力が抜けてしまいそうだ。目の前のユヴェーレンに公女様はどうしたか訊くわけにいかないだろう。だったらこの震える足を何とか動かして一旦安全地帯に逃げるべきだ。

「走れます」

「良かった。さあ、走って」

 公女様が見せる慈愛の微笑みと似たような、けれど全然違う微笑みを最後に一瞥してその場から逃げ出す。
 情けない、と自分を罵るのも後だ。今はとにかくこの場から逃げてアクア達と合流しないといけない。そして公女様の無事を確かめないと。
 まだ震えている体を何とか動かしてみんなが避難しているという広場に向かう。アクア達も騎士団に言われてそこに避難してるかも知れない、そう考えてどうにか足を動かして走っていた時だった。皇都の地理は頭の中にあるから近道を、と思って狭い路地裏を通り抜けた僕の腕を誰かが掴んだ。
 咄嗟にアクアだと思って振り返って、息を飲む。

「一人だな」

 確かめる様に僕の背後を覗き込んで、それからニヤリと良く知る笑みを浮かべた。
 助けを求めて周りを見回しても誰もいない。それがより絶望を煽る。

「テオドール……」

「今までどこに隠れていた?なあ、アレク」

 先程まで民を案じる為政者の顔をしていたくせに。
 僕を見下ろすその瞳に宿る残虐な色は見知った物。けれど、今の僕とテオドールには何の関係もない。アレキサンドリートはもういない。なのに、何故。

「ど、して……」

「お前にもあるんだろう?前の記憶が」

 後退ろうとしたのに、テオドールの熱い手ががっちりと僕の腕を掴んで離さない。

「きおく……」

 恐怖で舌がもつれてうまく話せない。

「あの時ユヴェーレンが言うままお前を処刑して心底後悔したよ。まさか精霊王が皇国を滅ぼしに来るとは思わなかった」

 ドン、と民家の壁に押し付けられた。思わず顔を逸らしたら顎を掴んで強引に視線を合わせられて、もう震えすら通り越して全身から力が抜けてしまいそうになる。
 ダメだ、今気を失ったら何をされるかわからない。そう思って必死に意識を繋ぎとめて、けれど恐怖で体は動かない。

「なぁアレク。お前が私の元に現れなかった事でお前にも記憶があるんだろうとすぐにわかったよ」

 足の間にテオドールの膝が入っていて押しのけようとした手は壁に押さえつけられ、いよいよ動けなくなってしまった。
 こういう体勢になった時の対処法も師匠に習ったのに、いざテオドールを目の前にしたらちっとも役に立たない。

「今回はユヴェーレンにも誰にも知らせずにお前を囲ってやる」

 耳元を掠めるその声が不快だ。

「大事に閉じ込めて、私だけの物にしてやる。嬉しいだろう?」

「嬉しい、わけ、ない……」

「へえ、お前が私に口答えするのか?」

 びくりと強張る体にクスクスと笑っているテオドールの指が僕の唇に触れた。

「ああ、あの地下劇場で着ていたドレスは良かったな。あの姿のお前を抱いてみるのも楽しそうだ」

「最初から……」

 あの時から僕に気付いていた。気付いていて泳がされていたのは僕らの方だった?

「あの時一緒にいた男は誰だ?あの男とはもう寝たのか?」

 ゴーンゴーンと鳴り響いた音に驚いて視線を向ければ、遠くに見える時計台が丁度頂点をさしている。本来夜の間はならない鐘は町の炎の明るさを昼と誤認して鐘を鳴らしたのだろう。
 またくすりと笑ったテオドールが言った。

「18歳おめでとう、アレク」

 言葉と同時に腹部に衝撃を感じて視界は真っ白になった。

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