上 下
43 / 67

再会

しおりを挟む
「閣下……わたくしに何か御用でも?」

 努めて余裕に見える様にぱらり、と扇を開いて口元を覆う。
 この場では男はみな“閣下”、女は“ご婦人”と呼び合っているという情報を頭の中から引き出して出来るだけ女性的な声を出した。元々そこまで低くもない声だ。女性にしては少しハスキーかも知れないけれど、この妖艶に仕立て上げられた今の僕から出る声としては違和感はない筈。こういう事も見越してこの衣装だったのだろうか。もしそうなら公女様は一体どこまで起こる事柄を把握しているのだろう。

「お連れの方はどちらへ?」

「あのお方なら水を取りに行かれましたわ。直ぐにお戻りでしょう」

 だからさっさとこの部屋から去れ、と言外に匂わせたのだけどコーリン男爵はそうかそうか、と鷹揚に頷いただけで内側からかける鍵もがちゃん、とかけてにやにやと笑みを浮かべ始める。

「一体何のおつもりでしょう?閣下」

「おや、ご存知ありませんかな?この小部屋に入ったご婦人は“お誘い”をかけていると見なされるのですよ」

「わたくしの連れが戻ってくる、とお伝えした筈ですわ」

「残念ながら、一度小部屋から出てしまったら所有権はなくなるのです」

「所有権、と仰いまして?」

「ええ、ええ。この小部屋にいる間はご婦人を所有するのはこの部屋にいる男性。つまり今は私が貴方を所有しているわけですな」

 わけですな、じゃないんだけど。
 ジワジワと近寄ってくるにやけ面に一撃見舞っても良いだろうか。いや、でも今はまだ騒ぎを起こす時じゃないからもう少し我慢した方がいいだろう。かと言ってこのまま放っておいたら僕が男だとバレる事態になるのは目に見えている。

(さて、どうしようか)

 淑女が走ったりするのは不自然だろうから殊更ゆっくりソファーから立ち上がって思案気に閉じた扇を唇に当てた。
 それだけでゴクリと唾を飲み込むコーリン男爵に思わせぶりな微笑みを向ける。

「小部屋はここしかないのかしら?わたくしソファーの上で、というのは好みませんの。1つくらいベッドのあるお部屋があるのではなくて?」

「まああるにはあるんですがね、そこは主催者がお気に入りを連れ込む部屋になっておりまして……」

「あら、閣下はここへ何度も足を運んでいるご様子。その位融通が利かないのかしら?」

 扇でくい、と顎を持ち上げてするりと腰回りを撫でてやれば途端に腰が砕けたようになるコーリン男爵に僕の方が驚いてしまった。
 床に座り込む男爵の股間がジワジワと染みていくのを何とも言えない気分で一瞬凝視したけれど、何か恍惚としてる今の内に逃げてしまおう。アクアが戻って来たとしてもこんな状態の男爵がいたら何があったか察するだろう。

「わたくしと遊ぶには少々我慢が足りないようね?失礼させて頂くわ」

 まだ気持ち悪い喘ぎのような声を出している男爵を置いて廊下に出る。正直もう帰りたい。
 でも子供達は解放してからじゃないと寝覚めが悪いし、一旦ホールに戻ってアクアを捜そう。そう思いながらふ、と廊下の奥を見ると吊り下げランプが1つだけあるその先に扉が見えた。場所的に恐らく例のステージの側にある部屋だろう。
 この位置ならアクアも気付いたのではないだろうか。でもそれならもう戻ってきていてもおかしくはない筈。いや、一度室内を調べて退路がないか確認しているのかも知れない。退路がなければここに僕達が使った紹介状の本物の持ち主がていで実は公女様が手配した騎士団が乗り込んできた時、僕らも巻き添えで捕まってしまう可能性が高いし先に脱出しておかないといけない。

(どうしたものかな)

 ふぅ、とため息を1つ零した所で、ふ、と側に影が出来て驚いて顔を上げて、思わず息を飲んだ。
 隠す気もないらしい後ろに撫で付けられた金の髪。前髪が一房かかる仮面の隙間から見える紫の瞳。薄く色付いた唇は自然と弧を描いている。コツ、と石畳の床を歩く靴の音がいやに耳に響いて、その顔から眼が逸らせない。

「こんばんは、ご婦人。お一人でどうされました?」

 良く通るその声は最期に覚えている声とは違ってまだ柔らかな暖かさを持っている。
 けれど、脳裏を一気に駆け巡っていく色々な記憶の中にこんな暖かさは1つもない。

(テオドール……っ)
 
 ガクガク震える足が一歩後ろに下がるけれど、壁際を移動し始めていた所だったから下がった所で後ろには壁しかなくて、逃げられない。

「ご婦人?気分が優れないのですか?」

 す、と伸びてくる手。
 頭の中でガンガンと警鐘が鳴っている。
 
 ――触るな。僕に、触るな!
 ――嫌だ、怖い、怖い怖い……ッ

 上がってしまいそうになる悲鳴を飲み込んで、コーリン男爵にしたように微笑もうとして失敗する。辛うじて扇を開いてカチカチと音を鳴らし始めた口を覆った。

「顔色が悪い。少し休まれては如何かな?」

 その手が肩に乗せられる――直前に、ぐい、と力強い手に引き寄せられて少し乱暴に胸に抱き込まれた。

「申し訳ございません、閣下。私の連れが何かご迷惑をおかけしたでしょうか?」

 頭上から聞こえるアクアの声にどうしてか泣きたくなるくらい安心して大人しくその胸に縋る。後ろは振り返れない。怖い。

「体調が悪いようだから声をかけただけだよ。連れが来たのなら良かった。では私はこれで」

 コツ、コツ、と優雅な足運びで去っていく靴音を震えながら聞いて、その足音が聞こえなくなった頃ようやくアクアの胸に縋ったままなのを思い出した。

「ちょっと、もう離して」

「まだ震えてる」

「……その内治まる」

 もう一度さっきの小部屋を開けたらテオドールの声で逃げ出したのか一人官能に悶えていたコーリン男爵はいなくなっていた。あれはあれで震えるくらい気持ち悪かったからいなくなってて良かった。
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

Take On Me 2

マン太
BL
 大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。  そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。  岳は仕方なく会うことにするが…。 ※絡みの表現は控え目です。 ※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。

メインキャラ達の様子がおかしい件について

白鳩 唯斗
BL
 前世で遊んでいた乙女ゲームの世界に転生した。  サポートキャラとして、攻略対象キャラたちと過ごしていたフィンレーだが・・・・・・。  どうも攻略対象キャラ達の様子がおかしい。  ヒロインが登場しても、興味を示されないのだ。  世界を救うためにも、僕としては皆さん仲良くされて欲しいのですが・・・。  どうして僕の周りにメインキャラ達が集まるんですかっ!!  主人公が老若男女問わず好かれる話です。  登場キャラは全員闇を抱えています。  精神的に重めの描写、残酷な描写などがあります。  BL作品ですが、舞台が乙女ゲームなので、女性キャラも登場します。  恋愛というよりも、執着や依存といった重めの感情を主人公が向けられる作品となっております。

ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。

水鳴諒
BL
 目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

処理中です...