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「閣下……わたくしに何か御用でも?」
努めて余裕に見える様にぱらり、と扇を開いて口元を覆う。
この場では男はみな“閣下”、女は“ご婦人”と呼び合っているという情報を頭の中から引き出して出来るだけ女性的な声を出した。元々そこまで低くもない声だ。女性にしては少しハスキーかも知れないけれど、この妖艶に仕立て上げられた今の僕から出る声としては違和感はない筈。こういう事も見越してこの衣装だったのだろうか。もしそうなら公女様は一体どこまで起こる事柄を把握しているのだろう。
「お連れの方はどちらへ?」
「あのお方なら水を取りに行かれましたわ。直ぐにお戻りでしょう」
だからさっさとこの部屋から去れ、と言外に匂わせたのだけどコーリン男爵はそうかそうか、と鷹揚に頷いただけで内側からかける鍵もがちゃん、とかけてにやにやと笑みを浮かべ始める。
「一体何のおつもりでしょう?閣下」
「おや、ご存知ありませんかな?この小部屋に入ったご婦人は“お誘い”をかけていると見なされるのですよ」
「わたくしの連れが戻ってくる、とお伝えした筈ですわ」
「残念ながら、一度小部屋から出てしまったら所有権はなくなるのです」
「所有権、と仰いまして?」
「ええ、ええ。この小部屋にいる間はご婦人を所有するのはこの部屋にいる男性。つまり今は私が貴方を所有しているわけですな」
わけですな、じゃないんだけど。
ジワジワと近寄ってくるにやけ面に一撃見舞っても良いだろうか。いや、でも今はまだ騒ぎを起こす時じゃないからもう少し我慢した方がいいだろう。かと言ってこのまま放っておいたら僕が男だとバレる事態になるのは目に見えている。
(さて、どうしようか)
淑女が走ったりするのは不自然だろうから殊更ゆっくりソファーから立ち上がって思案気に閉じた扇を唇に当てた。
それだけでゴクリと唾を飲み込むコーリン男爵に思わせぶりな微笑みを向ける。
「小部屋はここしかないのかしら?わたくしソファーの上で、というのは好みませんの。1つくらいベッドのあるお部屋があるのではなくて?」
「まああるにはあるんですがね、そこは主催者がお気に入りを連れ込む部屋になっておりまして……」
「あら、閣下はここへ何度も足を運んでいるご様子。その位融通が利かないのかしら?」
扇でくい、と顎を持ち上げてするりと腰回りを撫でてやれば途端に腰が砕けたようになるコーリン男爵に僕の方が驚いてしまった。
床に座り込む男爵の股間がジワジワと染みていくのを何とも言えない気分で一瞬凝視したけれど、何か恍惚としてる今の内に逃げてしまおう。アクアが戻って来たとしてもこんな状態の男爵がいたら何があったか察するだろう。
「わたくしと遊ぶには少々我慢が足りないようね?失礼させて頂くわ」
まだ気持ち悪い喘ぎのような声を出している男爵を置いて廊下に出る。正直もう帰りたい。
でも子供達は解放してからじゃないと寝覚めが悪いし、一旦ホールに戻ってアクアを捜そう。そう思いながらふ、と廊下の奥を見ると吊り下げランプが1つだけあるその先に扉が見えた。場所的に恐らく例のステージの側にある部屋だろう。
この位置ならアクアも気付いたのではないだろうか。でもそれならもう戻ってきていてもおかしくはない筈。いや、一度室内を調べて退路がないか確認しているのかも知れない。退路がなければここに僕達が使った紹介状の本物の持ち主が情報を漏らしたていで実は公女様が手配した騎士団が乗り込んできた時、僕らも巻き添えで捕まってしまう可能性が高いし先に脱出しておかないといけない。
(どうしたものかな)
ふぅ、とため息を1つ零した所で、ふ、と側に影が出来て驚いて顔を上げて、思わず息を飲んだ。
隠す気もないらしい後ろに撫で付けられた金の髪。前髪が一房かかる仮面の隙間から見える紫の瞳。薄く色付いた唇は自然と弧を描いている。コツ、と石畳の床を歩く靴の音がいやに耳に響いて、その顔から眼が逸らせない。
「こんばんは、ご婦人。お一人でどうされました?」
良く通るその声は最期に覚えている声とは違ってまだ柔らかな暖かさを持っている。
けれど、脳裏を一気に駆け巡っていく色々な記憶の中にこんな暖かさは1つもない。
(テオドール……っ)
ガクガク震える足が一歩後ろに下がるけれど、壁際を移動し始めていた所だったから下がった所で後ろには壁しかなくて、逃げられない。
「ご婦人?気分が優れないのですか?」
す、と伸びてくる手。
頭の中でガンガンと警鐘が鳴っている。
――触るな。僕に、触るな!
――嫌だ、怖い、怖い怖い……ッ
上がってしまいそうになる悲鳴を飲み込んで、コーリン男爵にしたように微笑もうとして失敗する。辛うじて扇を開いてカチカチと音を鳴らし始めた口を覆った。
「顔色が悪い。少し休まれては如何かな?」
その手が肩に乗せられる――直前に、ぐい、と力強い手に引き寄せられて少し乱暴に胸に抱き込まれた。
「申し訳ございません、閣下。私の連れが何かご迷惑をおかけしたでしょうか?」
頭上から聞こえるアクアの声にどうしてか泣きたくなるくらい安心して大人しくその胸に縋る。後ろは振り返れない。怖い。
「体調が悪いようだから声をかけただけだよ。連れが来たのなら良かった。では私はこれで」
コツ、コツ、と優雅な足運びで去っていく靴音を震えながら聞いて、その足音が聞こえなくなった頃ようやくアクアの胸に縋ったままなのを思い出した。
「ちょっと、もう離して」
「まだ震えてる」
「……その内治まる」
もう一度さっきの小部屋を開けたらテオドールの声で逃げ出したのか一人官能に悶えていたコーリン男爵はいなくなっていた。あれはあれで震えるくらい気持ち悪かったからいなくなってて良かった。
努めて余裕に見える様にぱらり、と扇を開いて口元を覆う。
この場では男はみな“閣下”、女は“ご婦人”と呼び合っているという情報を頭の中から引き出して出来るだけ女性的な声を出した。元々そこまで低くもない声だ。女性にしては少しハスキーかも知れないけれど、この妖艶に仕立て上げられた今の僕から出る声としては違和感はない筈。こういう事も見越してこの衣装だったのだろうか。もしそうなら公女様は一体どこまで起こる事柄を把握しているのだろう。
「お連れの方はどちらへ?」
「あのお方なら水を取りに行かれましたわ。直ぐにお戻りでしょう」
だからさっさとこの部屋から去れ、と言外に匂わせたのだけどコーリン男爵はそうかそうか、と鷹揚に頷いただけで内側からかける鍵もがちゃん、とかけてにやにやと笑みを浮かべ始める。
「一体何のおつもりでしょう?閣下」
「おや、ご存知ありませんかな?この小部屋に入ったご婦人は“お誘い”をかけていると見なされるのですよ」
「わたくしの連れが戻ってくる、とお伝えした筈ですわ」
「残念ながら、一度小部屋から出てしまったら所有権はなくなるのです」
「所有権、と仰いまして?」
「ええ、ええ。この小部屋にいる間はご婦人を所有するのはこの部屋にいる男性。つまり今は私が貴方を所有しているわけですな」
わけですな、じゃないんだけど。
ジワジワと近寄ってくるにやけ面に一撃見舞っても良いだろうか。いや、でも今はまだ騒ぎを起こす時じゃないからもう少し我慢した方がいいだろう。かと言ってこのまま放っておいたら僕が男だとバレる事態になるのは目に見えている。
(さて、どうしようか)
淑女が走ったりするのは不自然だろうから殊更ゆっくりソファーから立ち上がって思案気に閉じた扇を唇に当てた。
それだけでゴクリと唾を飲み込むコーリン男爵に思わせぶりな微笑みを向ける。
「小部屋はここしかないのかしら?わたくしソファーの上で、というのは好みませんの。1つくらいベッドのあるお部屋があるのではなくて?」
「まああるにはあるんですがね、そこは主催者がお気に入りを連れ込む部屋になっておりまして……」
「あら、閣下はここへ何度も足を運んでいるご様子。その位融通が利かないのかしら?」
扇でくい、と顎を持ち上げてするりと腰回りを撫でてやれば途端に腰が砕けたようになるコーリン男爵に僕の方が驚いてしまった。
床に座り込む男爵の股間がジワジワと染みていくのを何とも言えない気分で一瞬凝視したけれど、何か恍惚としてる今の内に逃げてしまおう。アクアが戻って来たとしてもこんな状態の男爵がいたら何があったか察するだろう。
「わたくしと遊ぶには少々我慢が足りないようね?失礼させて頂くわ」
まだ気持ち悪い喘ぎのような声を出している男爵を置いて廊下に出る。正直もう帰りたい。
でも子供達は解放してからじゃないと寝覚めが悪いし、一旦ホールに戻ってアクアを捜そう。そう思いながらふ、と廊下の奥を見ると吊り下げランプが1つだけあるその先に扉が見えた。場所的に恐らく例のステージの側にある部屋だろう。
この位置ならアクアも気付いたのではないだろうか。でもそれならもう戻ってきていてもおかしくはない筈。いや、一度室内を調べて退路がないか確認しているのかも知れない。退路がなければここに僕達が使った紹介状の本物の持ち主が情報を漏らしたていで実は公女様が手配した騎士団が乗り込んできた時、僕らも巻き添えで捕まってしまう可能性が高いし先に脱出しておかないといけない。
(どうしたものかな)
ふぅ、とため息を1つ零した所で、ふ、と側に影が出来て驚いて顔を上げて、思わず息を飲んだ。
隠す気もないらしい後ろに撫で付けられた金の髪。前髪が一房かかる仮面の隙間から見える紫の瞳。薄く色付いた唇は自然と弧を描いている。コツ、と石畳の床を歩く靴の音がいやに耳に響いて、その顔から眼が逸らせない。
「こんばんは、ご婦人。お一人でどうされました?」
良く通るその声は最期に覚えている声とは違ってまだ柔らかな暖かさを持っている。
けれど、脳裏を一気に駆け巡っていく色々な記憶の中にこんな暖かさは1つもない。
(テオドール……っ)
ガクガク震える足が一歩後ろに下がるけれど、壁際を移動し始めていた所だったから下がった所で後ろには壁しかなくて、逃げられない。
「ご婦人?気分が優れないのですか?」
す、と伸びてくる手。
頭の中でガンガンと警鐘が鳴っている。
――触るな。僕に、触るな!
――嫌だ、怖い、怖い怖い……ッ
上がってしまいそうになる悲鳴を飲み込んで、コーリン男爵にしたように微笑もうとして失敗する。辛うじて扇を開いてカチカチと音を鳴らし始めた口を覆った。
「顔色が悪い。少し休まれては如何かな?」
その手が肩に乗せられる――直前に、ぐい、と力強い手に引き寄せられて少し乱暴に胸に抱き込まれた。
「申し訳ございません、閣下。私の連れが何かご迷惑をおかけしたでしょうか?」
頭上から聞こえるアクアの声にどうしてか泣きたくなるくらい安心して大人しくその胸に縋る。後ろは振り返れない。怖い。
「体調が悪いようだから声をかけただけだよ。連れが来たのなら良かった。では私はこれで」
コツ、コツ、と優雅な足運びで去っていく靴音を震えながら聞いて、その足音が聞こえなくなった頃ようやくアクアの胸に縋ったままなのを思い出した。
「ちょっと、もう離して」
「まだ震えてる」
「……その内治まる」
もう一度さっきの小部屋を開けたらテオドールの声で逃げ出したのか一人官能に悶えていたコーリン男爵はいなくなっていた。あれはあれで震えるくらい気持ち悪かったからいなくなってて良かった。
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