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「パトリシア様、いきなり倒れるだなんて、アレン殿下と何をお話になっていたんですか?」
 帰りの馬車の中で、パトリシア付きの侍女マールが呆れた様子で言う。
 マールはパトリシアの母付きの侍女の娘で、パトリシアと同じ歳だ。学園へは行っていないが、幼い頃から一緒に育って来たので、パトリシアにとっては侍女と言うよりは友人のような姉妹のような存在なのだ。
「ちょっと気が遠くなっただけで倒れた訳じゃないわ。すぐ治ったし、もう大丈夫よ」
「アレン殿下と、話をされていた、と?」
「マール!言い方!」
「これは申し訳ありません。で、何の話だったかは言えないという事ですか?」
「言えないわ」
 いくらマールでも、アレン殿下の前世とか、ゲームとか…とても信じられないだろうし、アレン殿下も私が他の人にこの事を話すなんて思ってないだろうし…
 それに、アレン殿下が私だけにこの事を話してくれたなら…他の人には言いたくないもの…

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 気が遠くなり、ぐったりとソファにもたれたパトリシアを見て、アレンは慌ててパトリシアに近寄るとパトリシアの前に跪いた。
「…パティ」
 小さな声でパトリシアを呼ぶ。
「あ…アレン殿下…大丈夫ですから」
 アレンは、目を開けて頭を振りながら座り直すパトリシアに手を差し出しかけて、手を止める。
「そうか」
 立ち上がると、元居たパトリシアの向かい側に戻り、ソファに座った。

「…悪役令嬢は…まあ令嬢ではない者も居るが、わかりやすく攻略対象者の婚約者や恋人を『悪役令嬢』とまとめて話す事にする」
「はい」
「悪役令嬢は自分の婚約者や恋人である攻略対象者にヒロインが近付くと、ヒロインを苛めたり嫌がらせをしたりしてどうにか遠ざけようとするんだ」
「ああ…それはまあそうでしょうね」
 自分の婚約者や恋人に、例え同性であろうと恋愛関係になろうかと言う相手が近付くのは許せないだろう。異性ならなおさらだ。
「そして、ヒロインが攻略対象者に近付かないようにするためや、引き離すため、それに攻略対象者を繋ぎ止めるために…身体を…使ったり、する」
 少し言い辛そうにアレンは言い、パトリシアはあんぐりと口を開けた。
「それに、ヒロインも、攻略対象者から悪役令嬢を離す手段として、攻略対象者へだけでなく、悪役令嬢へも色仕掛けを…」
「ええ!?」
 思わず声が出る。
「俺は…」
 アレンが、驚くパトリシアへ真剣な表情で言った。
「俺は、パトリシアが…そんな事をしたりされたりしないように、予備知識を与えたかったんだ」

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 学園は十五歳になる年に入学し、四年間学び十八歳で卒業する。貴族の令息令嬢は学園へ入るまでは家庭教師に学び、貴族でない者は家の都合により五歳から十歳には初等教育校へ入学し、数年間字や計算などを学び、成績優秀者やお金のある商家の子供などが学園へと進学するのだ。
 学園は全寮制で、いかに高位の貴族でも侍女や侍女、メイドなどを伴う事はできない決まりだ。もちろん王族でも。

 学園は一学年が春期、秋期、冬期の三月期制で、春期と秋期の間に約二ヶ月の夏季休暇、秋期と冬期の間、冬期と春期の間にそれぞれ約二週間の休暇がある。

 冬期と春期の間の休暇が今日で終わり、明日からパトリシアは三年生となる。
「どうした?パット。神妙な表情かおをして」
 朝食の席で、パトリシアの兄フレデリックから声を掛けられた。
 フレデリック・デンゼルは二十三歳、デンゼル侯爵家の嫡男で、王城で文官として働いている。王太子レスターと同じ歳の幼なじみで今でも仲が良い。
「え?」
「皺が寄ってる」
 フレデリックは自分の眉間を指差す。パトリシアは自分の眉間を指で撫でた。
「何でもないの。三年生になるんだなあと思ってただけ」
「それで何で眉間に皺?」
「…お兄様」
「ん?」
「ジュリアナ様と仲良くしてる?」
「はい?何だい急に」
 ジュリアナ・キャメロンはフレデリックの婚約者で伯爵令嬢。パトリシアと同じ歳で生徒会の副会長だ。
「仲良くしてる?」
 ジュリアナ様も生徒会副会長だから攻略対象者だもの。お兄様は男性だけど悪役令嬢で…
 ジュリアナ様と私は学年は同じでもクラスが違うけど、お見掛けした時はいつもニコニコして感じが良くてお兄様ともお似合いだって思ってて。
「休暇中は良く会ったよ。うちにも来ていたから知ってるだろ?まあジュリが寮に入ったらあまり会えなくなるけど…学園生の間は仕方ないし、仲は良いと思うけど?」
「そう」
 それでもヒロインに出会ったら何かが変わるのかしら?
「パット?」
「お兄様!ジュリアナ様とくれぐれも仲良くしてね!」
 パトリシアはそう言うと席を立つ。
「…?」
 食堂を出て行くパトリシアを見送りながらフレデリックは首を傾げた。


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