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 あ、あのバラの咲き残りがあったわ。
 リリーはバラの植え込みの前でしゃがみ込む。リリーの前に、一輪だけ遅れて咲いた錆色のバラがあった。

「リリー様」
「ひゃっ」
 いつの間にかシドニーがリリーの後ろに立っていて、強張った声でリリーに声を掛ける。
 不意に声を掛けられて驚いたリリーは口元を押さえてしゃがんだまま後ろを振り返りながらシドニーを仰ぎ見た。
 …怒って、る。
 シドニーは眉を寄せ、口元を引き結んでリリーを見ている。手には半分に折られた便箋と、白い封筒を持っていた。
「…何ですかこの手紙は」
「シドニー様」
「サイオン殿下の御名を騙って、私を揶揄っているんですか?」
 ああ、そう思われるのも覚悟していたけど…
「…違うわ」
 リリーは震える声で言う。
「揶揄っているのではなければ、馬鹿にしているんですか?」
 憮然とした表情のシドニー。リリーは立ち上がると、シドニーと向かい合う。
「違う!本当なの。私がサイオン殿下にお願いして…そのお手紙を書いてもらって…」
「リリー様が、何故?」
 リリーの瞳に涙が浮かぶ。
「…好きなんです。シドニー様が」
「…………は?」
 呆気に取られた表情のシドニーの前で、リリーの両眼から涙がポロポロと落ちた。
「な…泣っ!?…は?え!?」
 涙を見たシドニーは途端にオロオロと慌て出す。
「…ごめんなさい」
「え?…ごめ?何?謝っ…何故?」
 オロオロしながら、リリーの方へ手を差し出しては引っ込める仕草を繰り返す。
「信じられなくても…仕方ないですけど、私…本当に…」
 リリーの言葉をシドニーは手の平をリリーに向けて制止する。
「待ってください」
「シドニー様…」
「あの…もしかして…この手紙…本気なんですか?」
 シドニーは手にした手紙を示しながらリリーを窺い見る。
「はい」
「本気で、リリー様は…サイオン殿下に婚約破棄された後、私と、けっ…結婚したい、と?」

-----

 きっかけは自分にもよくわからない。

 一目惚れとは違う気がするが、自分の髪が鉄錆色だと言い「リリー様にバラと同じ色だと言われると、この髪色も悪くない」と照れたように笑ったシドニーが頭から離れない。
 たった一度会っただけの、父親でもおかしくない歳の、男の人。気のせいだと思いながらも気がつけばいつも思い出している。
 サイオン殿下との婚約を、円満解消ではなく、殿下から破棄を突きつけられれば、私の嫁ぐ先の選択肢はかなり狭まる。
 もしかして、十九歳上の、王都に屋敷を持たない伯爵の、後妻、と言う選択肢は…ないかしら?

「ローゼが髪を赤茶に染めて侍従の格好をしているのを見て『シドニー様が十代の頃はこんな感じだったのかしら』などと考えてしまったり…」
 東屋に戻り、淹れ直した紅茶の湯気を見ながらリリーは鼻をすんすんと鳴らす。
「…重症ですね」
 同じく自分の手元の紅茶のカップをじっと見ながらシドニーが言う。
「そうなんです」
「実際また会ってみて『やっぱり違う』と思ったりは?」
「私もそういう事もあるかも、と思っていたのですが、今の処は全く」
「しかしこの先そう思うかも知れませんよね」
「先の事はわかりませんから…」
「そうですね。ですが、そうなる可能性はある」
 リリーは湯気の向こうのシドニーを見る。シドニーはじっと手元のカップを見つめていた。
 …そっか。そんな可能性を持ち出してまでも、私を拒絶したいんだわ。
 辛いけど、もう泣いては駄目よリリー。更に困らせてしまうもの。
 リリーは眉間にぐっと力を込めて涙を堪える。
「…どう考えても、おかしい。無理だ…」
 シドニーが極々小さい声で言う。
 全身でシドニーの様子を窺っていたリリーには、その極小の声が明瞭に聞こえた。

「…わかりました」
 リリーはそう言って立ち上がると、シドニーの前に置かれた封筒に手を伸ばした。
 シドニーがハッとしてリリーを見上げる。
「このお話は…聞かなかった事にしてください」
 震える唇で辛うじて笑顔を作ったリリーは、封筒を持って東屋を出た。
 シドニーは一瞬リリーの方へ手を伸ばしかけ、それを押し留めると、テーブルの上で拳をぐっと握り、リリーの後姿をそのまま見送った。



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