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 いや!
 いや!いや!
「お父様やめて!」
 怖い!怖い!
 まだ幼いローゼ。
 暗闇の中、その身体を撫で回す大きな手。背中から押さえつけられ身動きも取れない。
「ローゼ…かわいいな…」
 低い声。荒い吐息。
 いやだ!怖い!

「何をしている!!」
 バンッと開いた扉。眩しい光。
 涙で滲んだローゼの視界に入って来たのは憤怒の表情の兄クレイグ。
「この野郎!!」
 クレイグはローゼを押さえつける男を蹴り付けると、ローゼをその腕に収めた。
「お兄さま…」
「大丈夫かローゼ」
「お兄さま…こわ…かった…」
「ああ。怖かったな。もう大丈夫だ」
 ぎゅっと抱きしめられる。
「二度とこの男にこんな事させない。安心しろローゼ」
「うぅ…わああ」
 ローゼは大きくて暖かい兄にしがみついて泣いた。

 八歳のローゼを襲ったのは、クレイグとローゼの実の父だ。
 エンジェル男爵である父はクレイグがまだ幼い頃に妻を亡くし、クレイグが十歳の時にローゼの母と再婚した。
 ローゼの母アメリアは借金を抱えた伯爵家の娘で、エンジェル男爵がその借金を返済する事を条件に娶った、いわば借金のカタとして花嫁だ。
 通常なら男爵家が上位貴族である伯爵家の令嬢を娶る事はないが、男爵は教会に多額の寄付をし、強引に結婚許可を出させた。もちろん借金を肩替わりしてもらう立場の伯爵からも教会へ嘆願させている。
 アメリアは結婚当時まだ十六歳になったばかり、背も小さく、痩せていて、幼い顔立ちの少女だった。学園へ行っていたアメリアを、男爵は強引に辞めさせ結婚を強行する。

 エンジェル男爵は小児性愛者だったのだ。
 クレイグの母が亡くなった後、非合法の小児娼館などで欲望を晴らしていたエンジェル男爵だが、もっと小さな児、もっと小さな…と欲求がエスカレートして行き、ある時ふと思いつく。

 自分の娘なら。

 そうして娶られたのがローゼの母。そして生まれた娘がローゼだった。

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 はあはあと息を切らせてローゼは図書館の裏のベンチへ座る。
「…もう忘れたと…思ってたのに…」
 たった一度、初めて凶行に及んだ父は未遂で兄に止められた。
 それでもそのたった一度の恐怖がローゼの心身に刻み込まれていた。

 あの後、クレイグは父の男爵位剥奪を国に申し出た。その際、幼い子供が被害者と言う事で関係者には緘口令が敷かれたが、国の中枢の者や司法機関にいた者はエンジェル男爵の蛮行を知る事になる。
 爵位剥奪の申請の他に、クレイグはローゼを家から引き離すため行儀見習いとして預ける先を探しまわったが、噂が噂を呼んだ状態のローゼを受け入れる上位貴族はなかなか見つからず、マーシャル公爵家がようやくローゼを受け入れてくれたのだ。
 アメリアは夫の性癖と真意を知り心を病んで、今現在も実家で療養をしており、父は爵位を剥奪された後、男爵位を継いだクレイグにより屋敷の地下へと幽閉され、一年前に亡くなっている。

 マーシャル公爵家へ行った頃、周りの大人からも、子供からも「穢れた娘」として冷たい目を向けられた。
 そんな中で唯一人「ピンクの髪の毛かわいくて羨ましいわ」と笑い掛けてくれたのはリリー様。周りから忌み嫌われた私を側に置いてくれた。
 偏見なく綺麗で明るく優しいリリー様。
 段々とマーシャル公爵家にも味方は増えたけど、それもリリー様のおかげだもん。私は一生、何があってもリリー様が一番。絶対にリリー様の味方よ。
「リリー様…」
 ローゼはそう呟くと、頬に流れていた涙を手の平でぐいっと拭った。

「ローゼ嬢?」
 ドキン。
 聞こえた声に心臓が跳ねた。
 ゆっくりと振り向くと、そこにサイオンが立っている。
「サイオン殿下…」
「どうした?何かあったのか?」
 サイオンがローゼに近付いて来る。ローゼは慌てて目を擦った。
「いえ。少し昔の事を思い出していただけです。ここはあまり人が来ないので油断していました」
「…ああ。私も学園生の頃は考え事などの時よくここへ来ていたな。今日は図書館へ資料を借りに来たんだが、懐かしくなって来てみたら…」
 サイオンはじっとローゼを見ている。
 ローゼもサイオンから目を逸らせないでいる。
「…あの、私はもう戻りますので」
 ローゼはサイオンから目を逸らせないまま、ベンチから立ち上がる。
「ああ」
 サイオンが目を逸らしたので、ローゼもようやく俯いて地面を見た。
 礼をしてその場を去ろうとした時「サイオン」と、イヴァンの声が聞こえた。
「イヴァン」
「サイオンが図書館に来ていると聞いて…ローゼさん?」
 イヴァンが訝し気にサイオンからローゼへと視線を移す。
「あの、たまたま私がここにいたら殿下が見えられて」
「ふうん?」
 自分の顎に手をやりローゼを見るイヴァン。
「イヴァン、ローゼ嬢の言う事は本当だ」
 サイオンがそう言うと、イヴァンは軽く肩を竦めた。


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