上 下
7 / 83

6

しおりを挟む
6

 いや!
 いや!いや!
「お父様やめて!」
 怖い!怖い!
 まだ幼いローゼ。
 暗闇の中、その身体を撫で回す大きな手。背中から押さえつけられ身動きも取れない。
「ローゼ…かわいいな…」
 低い声。荒い吐息。
 いやだ!怖い!

「何をしている!!」
 バンッと開いた扉。眩しい光。
 涙で滲んだローゼの視界に入って来たのは憤怒の表情の兄クレイグ。
「この野郎!!」
 クレイグはローゼを押さえつける男を蹴り付けると、ローゼをその腕に収めた。
「お兄さま…」
「大丈夫かローゼ」
「お兄さま…こわ…かった…」
「ああ。怖かったな。もう大丈夫だ」
 ぎゅっと抱きしめられる。
「二度とこの男にこんな事させない。安心しろローゼ」
「うぅ…わああ」
 ローゼは大きくて暖かい兄にしがみついて泣いた。

 八歳のローゼを襲ったのは、クレイグとローゼの実の父だ。
 エンジェル男爵である父はクレイグがまだ幼い頃に妻を亡くし、クレイグが十歳の時にローゼの母と再婚した。
 ローゼの母アメリアは借金を抱えた伯爵家の娘で、エンジェル男爵がその借金を返済する事を条件に娶った、いわば借金のカタとして花嫁だ。
 通常なら男爵家が上位貴族である伯爵家の令嬢を娶る事はないが、男爵は教会に多額の寄付をし、強引に結婚許可を出させた。もちろん借金を肩替わりしてもらう立場の伯爵からも教会へ嘆願させている。
 アメリアは結婚当時まだ十六歳になったばかり、背も小さく、痩せていて、幼い顔立ちの少女だった。学園へ行っていたアメリアを、男爵は強引に辞めさせ結婚を強行する。

 エンジェル男爵は小児性愛者だったのだ。
 クレイグの母が亡くなった後、非合法の小児娼館などで欲望を晴らしていたエンジェル男爵だが、もっと小さな児、もっと小さな…と欲求がエスカレートして行き、ある時ふと思いつく。

 自分の娘なら。

 そうして娶られたのがローゼの母。そして生まれた娘がローゼだった。

-----

 はあはあと息を切らせてローゼは図書館の裏のベンチへ座る。
「…もう忘れたと…思ってたのに…」
 たった一度、初めて凶行に及んだ父は未遂で兄に止められた。
 それでもそのたった一度の恐怖がローゼの心身に刻み込まれていた。

 あの後、クレイグは父の男爵位剥奪を国に申し出た。その際、幼い子供が被害者と言う事で関係者には緘口令が敷かれたが、国の中枢の者や司法機関にいた者はエンジェル男爵の蛮行を知る事になる。
 爵位剥奪の申請の他に、クレイグはローゼを家から引き離すため行儀見習いとして預ける先を探しまわったが、噂が噂を呼んだ状態のローゼを受け入れる上位貴族はなかなか見つからず、マーシャル公爵家がようやくローゼを受け入れてくれたのだ。
 アメリアは夫の性癖と真意を知り心を病んで、今現在も実家で療養をしており、父は爵位を剥奪された後、男爵位を継いだクレイグにより屋敷の地下へと幽閉され、一年前に亡くなっている。

 マーシャル公爵家へ行った頃、周りの大人からも、子供からも「穢れた娘」として冷たい目を向けられた。
 そんな中で唯一人「ピンクの髪の毛かわいくて羨ましいわ」と笑い掛けてくれたのはリリー様。周りから忌み嫌われた私を側に置いてくれた。
 偏見なく綺麗で明るく優しいリリー様。
 段々とマーシャル公爵家にも味方は増えたけど、それもリリー様のおかげだもん。私は一生、何があってもリリー様が一番。絶対にリリー様の味方よ。
「リリー様…」
 ローゼはそう呟くと、頬に流れていた涙を手の平でぐいっと拭った。

「ローゼ嬢?」
 ドキン。
 聞こえた声に心臓が跳ねた。
 ゆっくりと振り向くと、そこにサイオンが立っている。
「サイオン殿下…」
「どうした?何かあったのか?」
 サイオンがローゼに近付いて来る。ローゼは慌てて目を擦った。
「いえ。少し昔の事を思い出していただけです。ここはあまり人が来ないので油断していました」
「…ああ。私も学園生の頃は考え事などの時よくここへ来ていたな。今日は図書館へ資料を借りに来たんだが、懐かしくなって来てみたら…」
 サイオンはじっとローゼを見ている。
 ローゼもサイオンから目を逸らせないでいる。
「…あの、私はもう戻りますので」
 ローゼはサイオンから目を逸らせないまま、ベンチから立ち上がる。
「ああ」
 サイオンが目を逸らしたので、ローゼもようやく俯いて地面を見た。
 礼をしてその場を去ろうとした時「サイオン」と、イヴァンの声が聞こえた。
「イヴァン」
「サイオンが図書館に来ていると聞いて…ローゼさん?」
 イヴァンが訝し気にサイオンからローゼへと視線を移す。
「あの、たまたま私がここにいたら殿下が見えられて」
「ふうん?」
 自分の顎に手をやりローゼを見るイヴァン。
「イヴァン、ローゼ嬢の言う事は本当だ」
 サイオンがそう言うと、イヴァンは軽く肩を竦めた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

処理中です...