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6話ー『始まりの終わりと籠の目の冒険者』

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「大丈夫か?」

「あッーーアランッ!! お前ッ!!」

 立っていたのは、冒険者ギルド「ルナイトキャット」の受付係員アラン・モルド。
 琥珀色の瞳に、筋骨隆々とした肉体を有するオッサンだ。

「どうしたんだよニシジマ?
 顔色が悪いが……なにか問題でもあったのか?
 必要なら手を貸すのもやぶさかではないが、お前はそこでくたばっておけ」

 そう言ってほくそ笑んだアランは、俺の無様の姿を見ながら鼻で笑い飛ばした。
 その意地の悪そうな醜悪な笑みから、始めから手を貸す気なんか無いことは伺い知れる。
 きっとこの男は、最初からこうする気で俺にあの話を持ちかけたんだ。

「汚えぞアランッ!! 俺のことを騙してたのかッ!?
 なにが冒険者ギルドは、信用問題に関わるからは嘘をつかねえだよッ!!」

 ーー最悪だッ!!
 ーー俺は、自分の人生の最期にこんな死に方をする羽目になるのかッ!?

「おいおい。騙したなんて人聞きが悪いことを言うなよ。
 騙されたーーの間違いだろ?」

「一体それの何が違うッ!!
 そんなことのせいで、俺はこんなにも苦痛を味わい。
 カイトは、そのせいで死んだって言うのかッ!!」

「全くちげえさ……」

 耳の穴を小指でかっぽじって耳糞を取り出したアランは、「ふっ」と吐息を吐きかけてそれを地面に捨てる。
 背中に担がれたスノーボードをドカッと足元に落とすと、そこにアランは勢いよく足を叩きつける。

「お前は、俺に騙された。
 だからこうなったのは、俺のせいだとでも言いたいのか?
 そいつぁ、厳密には違うな?
 俺に騙されるようなバカがわりいのさ。
 その責任は、騙された本人にもあるんじゃあねえのか?」

「…………ッ」

「それになニシジマ?
 俺は別に弱い者いじめが好きで、こうした訳じゃあねえんだぜ?
 どっちかって言ったら、俺は強い者いじめが好きなタイプなんだ。
 テメエよりも強いヤツの足を集団で引っ張り、引きずり降ろして不幸な目に合わせるのにこそ優越感を覚える。
 そうして俺が、過去に味合わされて来た暴力と屈辱のすべてを。
 お前にも、その身を持って味合わせてやりたかっただけなのさ」

「お前、マジでとんだクソ野郎だな?」

「そいつぁサディストには、褒め言葉だぜ?」

「クソッタレのマゾヒストが……ッ」

 そう言ってやったら、俺はアランに思いっきり顔面を蹴られた。
 目一杯の吐血が溢れて、歯が折れた。

「煽って良いのは、俺だけだ」

 なんの悪びれる素振りもなくそう言ってのけたアランに対し、俺はこの世界で産まれて始めて人間と言う存在に殺意を抱いた気がする。

「ふん、そうカリカリするなよニシジマ?
 目がイカれてるぞ?」

「イカれてるのは、明らかにテメエの方だろッ!!」

「チッ、クソッ!! 減らず口がッ!!
 最高にイラつく野郎だなぁ、お前ッ!!
 俺の自尊心の低さをテメエの強さで傷付けまくって、言葉で刺したら満足かッ!!
 優越感に浸りやがってッ!!」

「それでも……刃物で背中を刺すよりよっぽど良いッ!!」

「クソッ!! クソッ!! クソがッ!!
 ゴミッ!! 雑魚ッ!! クソったれが黙りやがれッ!!」

 何度も何度も顔面に思いっきり蹴りを浴びさせられ、俺の顔が流血で真っ赤に染まる。
 ペロリと舌舐めずりをしたアランの琥珀色の瞳が、熱気を帯びてアーシャを見ている。

「お前の婚約者は、今日から俺のもんだ。
 お前はそこでテメエの女がッ!!
 俺に寝取られて犯されてくところを、ただ黙って指を咥えて見てりゃあ良いんだッ!!
 それが正義感だ真実だなんて、バカげた夢を見ているヤツらには、お似合いの末路なのさッ!!
 だったら俺は、悪で良いッ!! 悪が良いんだッ!!」

「お前……ッ。アーシャにまで手を出す気か……ッ!!」

 どこまで腐ってやがるコイツ……ッ!!

「だったらどうした? 今のお前に何が出来る?
 確かにお前は、強すぎたーーあぁッ!!
 なんと言っても、お前は王都のエリートルーキーさッ!!
 お前みてえなヤツは、今の今まで見たことがねえッ!!
 ハッキリ言ってバケモンじみてるッ!!
 ーー規格外だッ!!
 そんな存在をこうして叩き潰すには、俺みたいな弱者は麻痺でも使わねえと勝てねえからよッ!!
 だから俺の為に死んでくれよッ!! エリートルーキーッ!!」

「どうして、お前は俺の死を望む?
 そんなことをして何になる?」

「振り向かせてえんだッ!!」

「誰をだよ?」

 俺がそう尋ねると、アランはその琥珀色の瞳をスッと細めてアーシャを眺める。

「言った筈だ。神聖なるチャペルに“待った”は付き物だってな」

「そんなことをして、アーシャが振り向くとは思えない」

「あぁ、そうだな。
 だからもう、振り向かなくても良いってことだよ。
 振り向いて貰えないぐらい、お高く止まりやがった高尚な存在なら。
 俺の手で力づくで奪ってでも、犯せば良いって気が付いちまった……ッ。
 あの小ぶりの胸を揉みしだいてみろ。きっとたまらねえぞ?」

 ピクリとアランの股間が、その瞬間から布越しに大きくなるのが分かる。

「まぁ、俺は胸よりもケツ派だがな」

「そんなことをアーシャが望む訳がない!!」

「俺が望めばそれで良いのさッ!!」

 そう言ってアランは、構わずそのスノーボードに乗り始める。

「……ッ!! あいつ人の話なんか聞いてねえッ!!」

 どこまで身勝手でクソ野郎なんだッ!!

「俺のクラスジョブは、波乗り騎士サーファーだッ!!
 陸地も海も空も関係ねえッ!!
 例えこの雪原の荒波であってもッ!!
 超えてみせるぜッ!! ビッグウェーーーイブッ!!」

 そう言って滑り始めたアランは、もう止まる訳がない。
 ーー止められない!!
 先行して走るアーシャに追従するスピード感で、そのまま雪道の斜面を逆走していく。

「クソッ!! このままじゃアーシャまでッ!!」

 慌てて後を追いたいのは山々だ。
 だけど俺の背後には、未だに誰かがその刃物に力を込めている。
 ちらりと背後に視線を配らせる。
 自分のことを背後から刺している者の瞳が、ふいに片方だけ見える。
 それは籠の目と呼ばれる、赤い瞳。
 アーシャと瓜二つの灼熱色の瞳だった。

(どの道、俺の命はもう助からないだろう……)

 これだけの出血量だ。
 持ってあと数分の命に違いない。

(こんなことで死ぬのか、俺は……)

 そう思うと途端に切なさが増してくる。
 だけどならばこそ、死してでも護り抜くと決めた命があるッ!!

「逃げろアーシャッ!!
 今すぐにそこから逃げるんだッ!!」

 大声で叫んでアーシャに逃避を促すことを優先する。
 背後にアラン以外の敵がもう一人居る以上、この傷で「逃げよう」なんて言う選択肢は、最早潰えた。
 ならば俺は、せめてアーシャを逃がすことのみに専念する。
 だけどその想いさえ、アランは容易く踏みにじった。

「届かねえなぁ!!」

 そう言って見せた竜の紋様が入った首飾りに、俺の声が吸収されて消音してしまう。
 音は、大気中で空気が振動することによって移動を行う。
 それは言い換えれば、伝導する空気が無ければ消えてしまうと言うことでもある。

「野郎ッ!! 絶対真空かッ!!」

 ーー絶対真空。
 それは限りなく空気を取り除いた真空空間。
 その空間において、声は飲まれるように沈黙するしかない。

「正解だ。この首飾りの魔道具は、とあるジジイに作らせた特注品でなッ!!
 魔道具作りにおいて、そいつは天才的な頭脳を持ったジジイだったッ!!
 だからお前の声は、もう二度と俺には届きようがないッ!!
 分かったかニシジマッ!!
 お前の人生は、ここで終わりなんだよッ!!
 これが最期ッ!! いわば人生における終着点ッ!!
 この俺がお前がそうなるようにチェックメイトしたッ!!」

 高笑いを吐き捨てたアランは、そのままの勢いでスノーボードから飛び降りる。
 背後からアーシャを押し倒すと、そのままミニスカートの下にある下着に手をかける。

「ハハッ!! こいつぁ良いや!!
 見ろよッ!! パステルグリーンだぜえッ!!」

 ペチンとアーシャの太ももを引っ叩いたアランは、そのまま股間を丸出しにすると力強く挿入する。

「や、やだッ!! やめてッ!! あっーーノボルッ!!」

 自分の名前を叫ばれながら、俺の眼の前でアーシャがアランに犯される。
 激しくピストンを開始したアランを、俺はただじっと眺めていることしか出来ずにいた。
 眼の前で好きな人が侵されている。
 それなのに声が届かない。
 ーー手が出せないッ!!

(こんなにも近くに居るのにッ!!
 俺は自分の大好きな彼女一人ーー護れていないッ!!)

「やめろアランッ!!
 クソッ!! やっぱりやめないでくれえッ!!」

 そのことが途端に分かって涙が出そうになる。
 なんてーー弱いッ!!
 俺の股間が爆発寸前まで迫りつつある。

「ハッハッハッハッ!!
 そうだろうそうだろうッ!!
 やめろと言われて、やめるバカがどこに居るッ!!
 あっ、今……なんて言ったんだお前……? 気のせいか……?」

「やめろアランッ!! やめるんだァッ!!」

「ハッハッハッハッ!!
 そうだろうそうだろうッ!! 気が付けニシジマッ!!
 この世の中、お前の思い通りになんてなりゃあしねえッ!!
 お前みたいな弱者はなッ!!
 いつだって俺みてえなクズに奪われちまう側なんだッ!!
 理不尽に無惨に無慈悲に、無為に消えて無くなるッ!!
 それがお前と言う冒険者の人生の墓場ッ!!」

「あぁあああああッ!!
 アラァあああああああンッ!!
 やめないでくれえぇええええッ!!
 もっと続けてくれぇええええッ!!
 死にそうだぁあああああああッ!!」

 ーーなんて、弱いんだ俺は……ッ!!
 好きな人が眼の前でアランに寝取られているのに。
 もう、直に死ぬと分かっているのに。
 なのに股間が爆発寸前まで昂ってしまうだなんて……。

(分かっているんだ……。
 すべてーー俺の弱さが招いた失態だッ!!)

 俺の弱さが、大事な息子と彼女を傷付けたッ!!

「ーーおっ、覚えていろよアランッ!!」
 ーー絶対に俺がァッ!!
 ーーお前をォッ!!
 ーーいつか、殺してやるからなァあああああッ!!」

 憎悪と共に吐き捨てた言葉の後、「これが最期だ」と言わんばかりに再び俺の背中へ刃物が降りる。
 たちまちダムが崩壊したように止め処なく血液が流れだし、耐えかねた俺はその場に倒れた。
 不自然にガクガクと震え出した四肢に、全身には地獄のような苦しみがムカデが這うように込み上げて来ている。

(ーーあぁ。
 これが俺の人生の二度目の終わりかよ……)

 熱い、痛い、寒い、疲れた、寝たい、死にたい。
 横になって、一秒でも早く楽になりたい。
 ありとあらゆる負の感情が、ただ脳裏に闇雲に押し寄せ、俺と言う存在を蝕み続ける。
 抗う気力など最早ない。
 気持ちは負け、身体の芯から生きる力がごっそりと抜け落ちて行くのを感じとる。
 衰弱して弱りつつある全身に、自然とダンゴ虫のように身体を丸める。

(人生か……。
 そうだ、俺たちは人生を逆転させるぐらい、大きな変化を掴んでみたかっただけなんだ……)

 そんな願いさえも叶えられずに死んで行く。
 それは端的に言うなら“悔しかった”。

 意識の糸が途切れるその瞬間、ふいに脳内に声が響いた。

『聞こえるか。ニシジマ・ノボル』

(お前は一体……)

『私の名前は良い。
 君に助けて貰いたいことがある。
 この事件を解き明かす為の力を君に授ける。
 その代わり、世界を君に救って欲しい。
 もし、君が再び三度目の生を願うならーー』

 あぁ……と俺は動かない首を縦に振る。
 意識なんてほとんどない。
 この声の主が、誰かなんてことにも興味はない。
 だけど俺は、何かに縋ってでも変えたかったんだ。
 ものすごく後悔している、今の自分の情けない結末を。

(ーー俺が、アランに騙されたりなんかしなければ……)

 俺もカイトもアーシャも。
 みんな死ぬことは無かった……。

『ーー貴方に神の加護があらんことを願って……』

 ーー瞬間、俺の意識はプツリと途切れた。



 ガタガタと動く、歯車のような音色が聞こえたような気がする。
 それが意識の覚醒だと気が付いた時。
 俺は見知らぬ馬車に乗っていた。

「おはようございますターニャさん。
 着きましたよ。
 ここが竜宮王国ウェブレディオが東に位置する。
 ーーディートハルト大陸ですよ?」

 それがーー俺の新しい物語の始まりだった。
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