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「いや、今……」

 言いかけてハッと思い至る。あの女の子が篤とどういう関係なのかは知らないが、もし柚佳の心がオレより篤にあるのなら。さっき見た事を柚佳に伝えたら何かしらのリアクションがある筈だ。まぁ、柚佳が元からあの子を知っているなら通用しないけど。反対に柚佳の中でオレの存在が篤の存在よりも大きければきっと『そうなんだ』くらいで流される話になるだろう。


 慎重に、オレは柚佳の顔を見据えた。ドクドクと脈打つ心臓。上擦りそうになるのを必死に堪え、落ち着けた声で告げる。


「今、篤が知らない女子と仲良さそうに歩いてんの見てた」


 その一瞬に、柚佳の目が大きく見開かれたのを確かに見てしまった。


 えっ……と?


「そうなんだ」

 柚佳は焦っているのを誤魔化すかのように前方を向き、俯いてそう言った。それは遠くの方で響いているように聞こえ、呆然とする頭の端っこを掠めてどこかへ消えた。








「ねえ聞いてるの、海里」

 強く問われ、思考を止めて彼女を見た。

 いつの間にかアパートの近くまで来ていた。空き地の前で柚佳が振り返った。
 佇む細い道路をワゴン車が通り過ぎる。日中の太陽光に目を細める。昨日降った雨の名残もない。


「ああ、聞いてた。……ちょっとだけな」

「私、さっき何て言ったか聞いてた?」

「んー、そうだな。今日おじちゃんとおばちゃんが旅行に行ってるって言ってた?」

「その次は?」

「ごめん、聞いてなかった」

「まだ言ってないよ」


 柚佳が非難するような険しい目を向けてくる。


「で、何?」

 オレは視線を落として薄ら笑みを作った。まださっきのショックから立ち直れていない。

 バスに乗っていた時、彼女を試した。
 オレ、何やってるんだろう。自分で自分を傷付けている気がする。柚佳に深入りすればする程、心は傷だらけになっていく。分かっているのに、彼女を手放すという選択肢がないのは笑える。


 柚佳がきょろきょろと周囲を確かめる素振りをしている。半歩オレの近くに寄ってきた。抑えた声で耳打ちされた。


「今日、うちで一緒に勉強しよ! 明日の夕方まで大丈夫だから。うちに来る事は内緒にしてね。親に知られたら怒られるから」


 耳元の手が離れた。柚佳の顔をまじまじと見る。


「は?」


 よく理解できなかったので聞き返した。柚佳は慌てたように右下に目線を逸らした。


「ほら、海里も言ってたでしょ? 『家族が起きてる間は勉強できない』って! 今日と明日、私だけしかいないし伸び伸び勉強できるよ! 私も一人で留守番はちょっと不安だし」

 いやいやいや待て。逆に勉強できない気がするんだが。

 それに……。柚佳はオレなんかより篤の事が好きなんだろ? 何でオレを誘うんだよ。何でオレと付き合ってるんだよ。

 気付かないうちに奥歯を噛み締めていた。


「いいよ、分かった」

 笑って返事をしていた。柚佳の表情が明るくなるのを眺めながら、心では冷たく考えていた。


 いいさ。柚佳が誰を好きでも。オレ以外考えられなくさせてやる。

 相手が篤でも関係ない。幸いにも篤より一歩リードした『彼氏』というポジションなのだ。利用しない手はない。




 けれど……柚佳の家へ足を運んだ後、オレは彼女に翻弄され続ける事態となるのだった。
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