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1 私の中のあなた

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 己花(おとか)さんはある日突然、私の中に現れた。

『無様ですわね』

「誰っ?」

 驚いて振り返った。

 放課後。私は教室前の廊下に立っていた。散見する生徒らがこちらへ目を向けてくるけど誰も何も言わずに通り過ぎていく。違う。彼らじゃない。もっと近くから聞こえた。でも声の主らしき人物は見当たらなかった。……聞き間違い?

 再び体を元の方向へ戻す。目の前に立つ裏原さんが顔をしかめた。私と同じ紺色のセーラー服姿で肩下まである黒髪を結ばず垂らしている。彼女の右隣には肩上までの長さの髪型の子、左隣には長い髪をポニーテールにしている子がいる。三人ともクラスメイトだ。――彼女たちはいわゆる……いじめっ子というやつだった。


 季節は六月、中学三年の時。


 廊下で数人の女子生徒からすれ違いざまに悪口を言われた。彼女たちは振り返り私を見てニヤニヤしていた。


『侮辱されて言い返す事もできないんですの?』

 また声が聞こえた!

 だけど声が聞こえるだけで私の近くには裏原さんたちしかいない。彼女たちの声とは違う……耳に心地いい響きで、どこかで聞いた事のあるような気配を感じた。

 お嬢様めいた口調には呆れの混じった雰囲気がある。

『大体……あなた、視力がよろしくありませんのに。ちゃんと眼鏡を掛けた方がよくてよ。相手の顔をご覧なさい』

 言われて恐る恐る裏原さんたちを見る。お世辞にもキレイとは言えない悪の権化の如き表情をしている。

『醜悪な者に負けてはダメよ。……わたくしが代わりに灸を据えてあげましょうか?』

『ほんとに?』

 言葉に出さず思考してみた。私に語り掛けてくるこの子は……私の心が生み出した私に都合のいい想像なのではないかと思い至ったからだ。中学校生活のストレスや寝不足もあって、私の精神イカレた?

『ええ。あなたの中でずっと見ていたの。今まで助けてあげられなくて、ごめんなさい』

 心で紡いだ言葉は彼女に届いた。返事をしてくれた。涙が流れ落ちてしまう。彼女は……知っているのだ。私の過去を。

『眼鏡を掛けた時は、わたくしが代わりを務めますわ。安心なさって』

 謎の女性の声と脳内会話をしている時分、私が涙を零し何も言わない状態だったので裏原さんたちはニヤニヤを濃くしていた。

「あらあ? 泣いてる! うちらにビビってんの? ウケるんですけど!」

 裏原さんが耳障りな大きめの声で言及している。

 もういい加減こちらも限界だった。精神に異常をきたす程うんざりしていたらしい。私の中にいる私じゃない人物が彼女たちにどう対処するのか見当もつかなかったけど、不確かな妄想の世迷い言に自分を委ねてしまえるくらいには投げ遣りになっていた。

 ポケットに入れていた眼鏡を手に取った。

「え? うわっ! ダサッ! 見て、まりな。こいつ眼鏡掛けてる!」

 裏原さんがギャーギャーと騒いでいたみたいだけど、その声が遠くなったように思った。


「眼鏡を……そしてわたくしの可愛い音芽(おとめ)を侮辱するのはおやめなさい」

「は? 何て言った? 『わたくし』? 『おやめなさい』? ちょっ! 聞いた? マジウケるー! ははは!」

「三年二組、裏原せりな。あなた……サッカー部の吉園君が好きなのでしょう?」

「……は?」

「残念でしたね。彼は一組に彼女がいますの」

「はっ? お前嘘つくな! おととい確認したら彼女はいないって言ってたんだけど?」

「昨日、両想いになってもらいましたわ」

「えっ?」

「わたくし、あなたがずっと目障りだったんですのよ? 毎回毎回わたくしの音芽に嫌がらせをしてきて。ですからあなたにもちょっとした不幸をお返ししたくてキューピッド役をさせていただきましたの」

「はっ! 意味分かんない! 吉園君は私のだしっ! 彼も私の事が好きだからそんな……彼女とか嘘じゃん!」

「それはご自分でお確かめになってはいかが?」

 わざとニッコリした笑顔をお見せします。ゆったりと廊下を歩み隣の教室の引き戸を開けて差し上げました。出入り口の側に引きつった顔の吉園君が立っています。前もって待機をお願いしていました。

 裏原さんの顔が強張っていく様が痛快です。

「吉園く……」

「裏原……お前、そんな事考えてたの?」

 吉園君は裏原さんが何か言い掛けている途中で話し始めました。

「怖っ! ただ喋った事あるだけで好意あるって決めつけんの?」

 吉園君はゾッとしたような表情でした。彼のすぐ傍には彼女さんの姿もありました。二人とも裏原さんへどん引きしていらっしゃるご様子です。

「誤解も解けて何よりですね」

 顔を真っ赤にしている裏原さんへうふふと笑ってあげました。何日も前から準備してきた甲斐がありました。

「実は裏原さんの取り巻きの皆様にも色々と準備をしていましたの」

「い……行こっ!」

 これから更に面白くなりそうなところでしたのに。いじめっ子三人組は廊下を走って逃げ去りました。幾分スッキリした心持ちになれました。笑いが漏れてしまいます。

「今後、音芽に何かしたら相応に報いを受けていただきますわ! オホホホホホ」


 ――そんな事があったらしい。件の場面で意識がなかった。まるで記憶が抜け落ちているみたいに。「知らなかった」感覚に近いかもしれない。後から己花さんにその時の詳細を教えてもらい分かった。

 そっか。何をしていたのか記憶にないってたまに思う事があったけど、己花さんが体を動かしていたのね。

 私の中にいたお嬢様っぽい言葉遣いの女の子……己花さん。

 今はもう高校生になった私だけど、己花さんという存在が生まれた原因に一つ思い当たる事があった。

 中学の頃、眠る時間を削ってネット小説や本を読み漁っていた弊害かな?
 悪役令嬢的なキャラの思考が移ってしまった? 現実逃避したい時、無意識レベルでなりきってる?
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