死神と姫君

小田マキ

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 翔国オルガイムが王城クラウス・ディアでは、とある騒動が起こっていた。
 国外視察で不在な国王と彼に代わって政務中の王妃の隙を突き、王女フォルセリーヌがまた城を抜け出したのだ。
「……レジストールなんて、買ってやるんじゃなかったな」
 執務室で膨大な書類の乗った執務机に肘突く四十を過ぎてもまだまだ若々しい王妃は、王女付きの侍女より報告を受け、美しい漆黒の双眸をきつく歪めていた。
「申し訳ございませんっ、王妃様! 私が目を離したばっかりにっ……」
 報告に来た侍女は最近王女付きになったばかり……己の失態に蒼白となり、泣き出さんばかりに動揺している。
「今回のことは私達親の責任だ。ティアは悪くないんだよ、泣かないで」
 王妃は席を立ち上がって小刻みに震える彼女ティアの前までやって来ると、蒼褪めた頬に流れ落ちた涙を拭ってやる……少し困ったような微笑みもやや抑えられた声も、甘やかで罪深いほどに美しい。ティアの潤んだ瞳は、見る間に熱に浮かされたようなうっとりとしたものに変わる。
「行き先もわかってるしね。すぐに迎えに行ってくるよ」
「王妃様自らですかっ?」
 続いて告げられた言葉に、ティアは信じられないと瞳を見開く。
「ああ、あれだけの飛び石について行けるのは国王か私ぐらいだから」
 レジストール……通称飛び石と呼ばれる魔力を持つ翡翠のごとく深い緑の輝石は、有翼の民オルガイムの間で飛行速度を上げる加速装置として広く使われていた。
 去年の王女の誕生日にせがまれ、一人娘に甘い国王が贈ったそれは最上ランクの一級品。二足歩行時でもその威力は遺憾なく発揮される。宝石としても美しいそれを髪飾りに細工していつも身に付けていたが、フォルセリーヌは敢えてその使用を控えていた。自分への監視が緩むのを待ち、城を抜け出す機会を虎視眈々と窺っていたのだ。
 鮮やかに微笑んで言った彼女は、壁に飾るように掛けられていた白銀の剣を腰に帯びる。そして、降ろし髪を紐で縛り、スラックスの上の巻きスカートを落として、スカーフをフードのように目深に被ると、あっと言う間に簡易な旅装束の完成だ。
「サスキア様っ……!」
 執務机の背の窓を開けて窓枠に足をかけた王妃に、ティアは叫び声を上げる。
「すぐ連れ戻してくるから、他の人間にはフォルのことはまだ黙っていて」
 振り返った彼女は、動じた風もなく口元に人差し指を当てて言うと、それ以上止める間を与えず飛び立っていった。
 ティアが開け放たれた窓辺に到達した時には、既にその姿は城壁を越えて遥か彼方……遠目には陽の光を浴びて輝く白い翼と揃えたような旅装束に、その姿は大空を羽ばたく鳥のようにしか見えなくなっていた。

   * * *

 一方、リィンと王女フォルセリーヌは、かつて砂漠であったキルギスを抜けた先の輝石の大地に立っていた。自分を見上げたまま固まる腕の中のフォルセリーヌを地面に降ろすと、リィンは広範囲に渡りエクシミリオンで覆われた大地に目を向ける。
 先の戦乱の爪痕は、こんなところにも残っている。クラウディア帝国のサクリファのエネルギー放射により、一撃で滅んだ翔国オルガイム。せめてもの抵抗に当時の国王は自分達ごと王城クラウス・ディアを永業石エクシミリオンで覆い、破壊を免れた。
 改心したクラウディア皇帝によって、奪われた命が戻された際に取り払われたのだが、城内にいた国王始め殉死者達が蘇ることはなかった。サクリファの熱で溶かされたエクシミリオンだけが、オルガイム国土を取り囲むように周囲の大地に吸収され、鉱物化してしまったのだ。
 痛ましさに当初は周囲の国々から同情を集めていたが、現国王と王妃はそれを国家の為に活用することを考えた。大地が陽光を集める性質を持ったことから、そこで得た光、熱、動力を生活に役立つ資源に鉱物変換させることに成功する。
 それは今までにない高濃度な鉱物燃料として他国へも輸出され、閉ざされていた国交が復活。蘇ったばかりの翔国オルガイムはエリアスルートでも有数の富国となった。時代の闇に取り残された自分と違い、かつての旧友達は自分達の手で未来を切り開き、着実に前に進んでいる。
 その背は、もうこの目には映らない遥か彼方だ。
「あとは自分の足で歩いて帰れるだろう」
 僅かな逡巡の後、リィンは呆けたように自身に視線を注ぎ続けているフォルセリーヌに呼びかける。
「……う、そだっ……オジサン、その顔っ……!」
 湿り気を失った唇からは、驚愕に塗れた言葉が紡がれる。
『……急に力を使うからだ、元に戻っているのだよ』
 さらに腰に帯びたイシュトレイグの言葉に、リィンは咄嗟に顔の前に手を上げる。二十年の時の打刻はすっかり消えていた。リィンは、張りの戻った顔を盛大に顰めた。
「それっ、死神の剣! 貴方……ディゾ、リーリングっ?」
 次いで彼女の口から、かつての呪わしき異名が語られる。
「両親から聞いていたか……まあ、関わり合いのないことだ。忘れろ」
 自分の正体を見抜いたことに多少驚くが、彼はそう言って当初の予定通りフォルセリーヌの前から踵を返すが……
「待ってっ!」
 数歩も歩まぬうちに、リィンは腕を引かれる。
「……何だ、一体?」
「ここまで来たのに、お母様やお父様と会って行かない気っ? お母様は貴方のことを大切なお友達だから、ずっと会いたいってっ……!」
 王妃サスキアは、自分のことを大層好意的に娘に話していたらしい……実に彼女らしいことだが。
「私は過去の人間だ」
「えっ……?」
 フォルセリーヌは、リィンの言葉が理解出来ないと言うように瞠目する。
「それってどういうこと? 貴方は、お母様やお父様に会いたくないのっ?」
「彼らも多忙だろう」
 リィンとて彼女らを旧友との認識があるのだから、もちろん会いたくないわけではない。けれど、戦いを介さぬ平和な今では、彼らにどんな顔で会えばいいのかわからない。今を生きる彼らと何も変わらない自分では、あまりにも隔たりがあるのだ。
「あまりあの二人を困らせるようなことをするな」
 その言葉に、フォルセリーヌは真っ赤になって恥じ入るように俯いた。しかし、それでもリィンの腕を掴む手を放すことはしない。
「いい加減、放せ」
「嫌よっ、こんな一方的なのって……あんまりだわ!」
「……何なんだ、本当に」
 彼女がなぜここまで自分を引き止めようとするのか、リィンにはまるで見当がつかなかった。

「……フォルっ、見つけた!」

 どう対応すべきか考えあぐねていたところ、またしても頭上から第三者の鋭い声が降ってくる。その声音はいくら時が経とうとも、忘れられるような代物ではなかった。
「……お母さまっ?」
 フォルセリーヌはギョッとして空を仰ぐ。遥か上空を飛翔していた影は、急速に二人の元へ降下してきた。
「……本当にしようのない子だな、フォルセリーヌ」
「どうしてっ……!」
「お前にあげたレジストールは双子石なんだよ。片方は私が持ってる……フォルが一筋縄じゃいかないのはわかってたからね」
 もともと一つだった魔導石を割った二つは双子石と呼ばれ、互いに引き合う不思議な縁が生まれる。それは、離れて暮らす家族や恋人に持たせる慣例があり、贈り物としてはとても人気が高い物である。まんまと出し抜いたと思っていたフォルセリーヌだったが、母親の方が一枚上手だったようだ。
「……ところで、随分懐かしい顔だな」
 彼女は、娘がその腕を拘束しているリィンに視線を移した。突然の再会、そして全く容姿の変わっていない彼にも、取り乱した様子は見られなかった。
「……久しぶりだな、サエ」
「まったくだ。随分水臭いじゃないか……この子の名付け親の件も断っておいて」
 諦めたように答えた彼に、サスキア王妃ことサエは咎めるように言葉を続けた。
「元死神だった人間に、そんなものを頼むな。縁起が悪い」
 リィンはうんざりした様子でため息を吐き出した。
「何言ってるんだ、薄情者。私達夫婦はあんたに一番祝福してもらいたかったんだぞ。今回ばかりは、絶対に逃がさないからな」
「私はただ、偶然出くわした家出娘を送り届けただけだ」
「今までの埋め合わせだ、礼ぐらいさせろ。あんたと一緒じゃなければ、城に戻れない」
「……何なんだ、お前まで」
 彼はまったく引かない母子に、眉根を寄せる。
「アルフレインも留守にしてるし、私の不在まで知れれば、不平分子に謀反を起こされる可能性がある。ルガイムもまだまだ一枚岩とは行かないからな。今この瞬間にも城を落とされているかもしれない……あんたは私達親子を、路頭に迷わすつもりか?」
 とんでもないことを、とびきりの笑顔で言ってのける。
「脅す気か……」
「あんたの出方次第だな。二十年も連絡寄越さなかったんだ、いくら温和な私だってさすがに怒るぞ」
 笑顔が空恐ろしく感じられるのは、果たして気のせいだろうか?
「……長居はしないからな」
「決まったな、さっさと帰ろう。フォル、後でゆっくり説教だからな」
「えぇっ、嫌だぁ!」
 二人のやり取りに呆気にとられていたフォルセリーヌは、母の言葉に悲痛な声を上げる。そんな相変わらずの姿を目の当たりにしたリィンも、久しぶりの敗北感を噛み締めていた……今も昔も彼女にだけは敵わない。
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