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3章 逆境は真実へと至る最初の道筋である。

譲れぬのなら証明せよ 前編

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『大丈夫?』

 その声に何度も助けられたかわからなかった。

『ごめ、んね?守ってあげられ、なくて………』

 だから、そんな顔をして欲しくなかった。そんな悲しそうな顔を見たくなかった。
 君が死にゆく姿を見たく、なかった。

 だから何度もやり直した。

『はじめまして………』

 何度もその言葉を聞いた。
 だけど、現実は非情で、何か一つタイミングを間違えれば簡単に崩れ去る。
 問題を一つ排除しても、また別の問題が浮上してくる。

『ごめんね、アイト』
『私は、それでも………戦いたい』

 もううんざりだった。なんでそんなに他人のために頑張るのかわからなかった。
 いいじゃないか別に。自分の目の届かない場所で誰がどんなものに呪われ、殺され、食い物にされたところで知ったことではないだろう。どうして自ら窮地に飛び込み、そして自分は死ぬのか。理解ができなかった。

 もう、戦ってほしくなかった。

『ごめんね、アイト………』

 やめてくれ。

『ごめんね、アイト。あなたに、こんなことさせて………』

 だって、そうだろう。

『あなただけは、幸せに、なってね………』

 いつまでもこんな世界だから、あなたは簡単に死んでしまうのだから。


□■


 鏡の残骸が地面に落ちる。ここはもう、綺麗な湖の畔ではなくなり、戦場と化していた。

 コピーの残骸を見て立ち竦むレベッカをアイトは一瞥する。

 彼女の誘い込んだこの湖に設置された鏡から襲いかかってきたレベッカのコピー。正直、なぜコピーが襲ってきたのかは謎だった。

 なぜなら、コピーも鏡の能力もルルアリアの恩恵ギフトであり、使えないはずの力だからだ。

 だが、

「何を企んでいたのかは、知りませんが………それにしてもお粗末ですね。この程度で、本当に僕に勝てると思ってないですよね?」

 都合1210のレベッカのコピーは、瞬く間に殲滅された。目にも止まらぬ速度でコピーを蹂躙されたコピーの残骸を見てレベッカはあの日以来完璧に操れるようになったオーラから弓を具現化させて構える。

 ────いける。

「もちろん。だから………ここからが本番だよ!」

 躊躇いなく、切り札の一つである宝石を変化させ、矢に変化させると弓に装填する。
 レベッカにとっては初めて見るも同然な力。アイトも、見たことはあるがなぜレベッカから発せられるのかわからない力。

「力を貸して。ナイル!」

「!?暴風よテンペスト!」

 矢が放たれ、アイトの手前まで飛んでいく。だが、その矢はアイトの発生させた風によってアイトに当たることを拒む。

 そしてレベッカが薄らと笑った。

「なっ!?」

 瞬間、空中に刺さった矢から空間が歪んだ。

「冥界への扉だよ!抗ってみてよ!」

 そこから開かれた冥界への扉。ナイルが使った時は自由にコンタクトをとれるものだったが、雑に開いた今ではそんな便利なものではなく、生者を地獄へ引きずりこもうとする死者が手だけを伸ばして襲いかかってくる。

「まだ!」

 そしてその矢をレベッカは続けて二本撃つ。
 いずれもアイトに当たる前に空中で静止し、冥界への扉を開く。

 普通の人ならば絶対に抗えない攻撃。だが、アイトは

暴れ吼えろ二ゼル

 アイトは漆黒の斬撃を使い、冥界への扉を断ち切った。

(来る!)

 すぐにアイトの立っている場所を注視しようとして。

「闇雲」

 消えた刀身を振るった少年に、手足を断ち斬られた。

「っ………、ぁ────!?」

「………凄かったですよ。あまりにも予想外な攻撃に、少しだけ本気で対応してしまいました」

 手足から迸る激痛。咄嗟に弓を向けたレベッカは、しかし露骨に動きの鈍った足を払われるのに体勢を崩し鏡面の床にどさりと倒れる。
 反射的に受け身を取り、追撃を避けるように転がるレベッカの頭を占めるのは大きな疑問だった。

 五指で受け身を取れていた。

(これ、なんで。腕も、弓ごと切られたと思ったのに……!?)


 手首から先が落とされたかと思った。脚が削ぎ落されたかと思った。
 だが、確かに刃が通り、断ち切られた筈の手足に欠損はない。霞む刀身によって斬り飛ばされた筈の足もまた、骨の芯まで苛むような痛みと痺れがあるものの血の一滴も流れていなかった。

「思ったよりもいい動きをしますね」

「っ、あ、ぐ――!?」

 戸惑う間はない。高速での連続斬撃、風を用いたブーストも抜きに常人離れした速度を発揮する少年の刃に追い立てられるレベッカは苦し紛れに放つ矢も拳ひとつで容易く破砕され返す刀で切り刻まれていく。

 頬が裂かれる。肩が抉られる。脚を薙がれ、再び地に伏せたところを弓を構える腕を貫かれ地に縫い止められた。
 そして輪郭も定かではない霞む刀身によって刻まれた箇所には、傷口も流血もない──。ぶちぶちと肉の裂ける痛みに苦悶の声をあげるレベッカは、眼に涙を滲ませながら無表情の少年を見上げた。

「う、く………これ、って」

「凄いでしょう?この刀は相手を傷付けずに無力化することができる一品なんです。相手を殺したくない時に、傷を与えず、血も流させずに痛みを与えるに留めることもできます」

「ぅあ………」

 腕を貫く刃を引き抜こうとするレベッカだったが、彼女の左腕を縫い留める刃は実体もない。掌で触れ引き抜こうとした刀身を掴むことも叶わず、触れた掌が扱いの誤った包丁に裂かれたかのようにジンジンと痛むのみだった。

 だが、レベッカを貫く刃に実体はなく、痛みも感じるだけ。
 ならば、腕を裂く幻刀による痛みにさえ耐えれるのならば、防ぐ必要さえない。

「あぁぁぁぁああああああっ!!」

 刃に裂かれるのも構わず持ち上げた腕。狙いもロクに定めずに矢が放たれた。
 出鱈目に放出させられた矢は、倒れた状態でありながら存外アイトを正確に捉えていた。

「ッ!?」

 突然のことに驚愕するアイトだったが、飛んでくる矢を拳で砕き、最低限の動きで躱し、掴み取っては握り潰して距離をとった。

「あぁぁぁぁああああああっ!!」


 息を荒げながら身を起こした少女は、手足を削がれる苦痛を味わったばかりとは思えないしっかりとした体勢で弓を構え、次々に矢を放つ。
 矢の軌道から逃れ疾駆するアイトはレベッカを冷静に観察しながら考える。

(痛くは、ないのでしょうか?いえ、痛いのは確実。闇雲は痛覚を遮断した相手にも通じる武装。ならば、痛みに耐えている?そんな根性は今までなかったはずでは………)

 今までとは明らかに違う展開にアイトは薄らと笑みを浮かべる。
 もしかしたら、と思う気持ちと同時に、まだどこか今回も失敗するという諦めの感情も乗っている。

 それはそれとしてアイトは勝たねばならない。痛みを耐える相手に勝つのは難しいようで、存外簡単なものだ。

 アイトは地面を踏み込むと、矢の弾幕の中を疾走した。

「!?」

 突然の行動にレベッカは驚き、さらに驚愕する。
 アイトは、全ての矢を最低限の動きで躱し、レベッカに接近してくるのだ。
 矢の弾幕を全力の疾走で駆け抜けたアイトは、レベッカの首めがけて刃を振るった。

 咄嗟に後方に跳ぶレベッカだったが、アイトはそれを逃さず、レベッカの喉笛に輪郭の薄れた太刀で正確に抉りぬく。

「か、は………!」

「────」

 体勢の立て直しを許しはしない。呼吸器を裂かれた激痛にたまらず咳き込んだレベッカに向け更に一歩を踏み込み、最大の急所を刈り取るべく刃を薙いだ。

「これで、終わりです」

 呆気なく終了を宣言するアイト。
 アイトの放った斬撃はレベッカの細い顎の下をくぐり抜け、首にめり込み、反対側まで貫通した。
 霞の剣に首を絶たれたレベッカは、膝から崩れ去る。

「終わり、です」

 改めて終わりを宣言して、アイトは背を向ける。
 アイトの刃は確かに強力だ。だが、幻痛を耐えながら動ける相手とは相性が悪すぎる。
 それでも、首を刈り取られる衝撃をまともに喰らって意識を保つことは困難なはずだ。

 アイトが静かにその場を去ろうとしたその時、背後からザッと、草を踏む音が聞こえた。

「────っ!?」

 背後で感知した魔力に、顔色を変えて振り返った。
 迎撃するように振り抜かれた矢を通り過ぎ、一本の矢がアイトの胸の中心を打ち抜く。

「がっ………!?」

 胸部で爆ぜた衝撃にのけぞり、体勢を整えた瞬間には眼前にずらりと並ぶ矢が迫っている。拳の連打で矢を打ち落とし、その動体視力で射撃の間隙を見極めたアイトは一気に踏み込み細い首に刃を走らせる。


 すれ違いざまの斬撃を首に浴び、体勢を崩したレベッカはしかし、直後には踏鞴を踏みながらも踏ん張り、倒れることもなくアイトに向かって矢を放っていた。

「ッ……」

 嘘だろ、と。そう言いたくなる。
 血の塊を吐き出しながら瞳を揺らすアイトの前で、本来ならば昏睡していなければいけない少女が今もアイトに向かって攻撃を仕掛ける。

 そして気が付く。レベッカの口元から血が滴っていると。
 それも通常の怪我では有り得ない。尋常ではない程の血液を溢れさせ顎から滴らせる彼女に絶句した。

「………まさか!」

 その血の理由に察しがついたアイトは驚愕する。

ゃあっはぃやっぱり

「やっぱり、刀が透けてる時は、私の矢を弾けないんだね。ずっと、手で防いでいたのは、刃に実体がなくなってるから?」

 アイトは、そうやって話すレベッカの口を見て己の予想が的中していたと理解した。
 その紅く、紅く染まったその口の隙間から、半ばから千切れた舌が元に戻っていくのが見える。
 そして理解すると同時に、アイトの表情は固まっていく。

「嘘、でしょう………なんで、そんな………。あなた、舌を噛んで無理矢理意識を保ったのですか!?」

 アイトはそう叫びながら理解する。
 レベッカ・ルーズはもう、痛みでは止められない、と。

 痛みを構わずに戦うレベッカに、幻痛は意味をなさず、首を断つことで意識を断とうとしても舌を噛み潰してでも意識を保つ。

「そこまで、か」

「そうかな?だって私、あなたと戦うって決めた時から、一度だってこれが必要じゃないって思わなかったよ。だって────こうでもしないとあなたには勝てないから。アイトには勝てないって、わかってるから」

 だからレベッカは特訓した。
 頭が粉砕されても、肉が断たれ、骨を砕かれても、首が砕かれても──── それでも即座に復帰して戦えるように、何度も何度も何度も何度も何度も、治癒を重ねていた。

 即死は避ける。身を削ってでも必殺の意志で相手を打ち砕く。意識を断たれようとしたならば自害をしてでも戦闘を継続する。

 レベッカはもう、回復の力を万全に発揮することのできる立ち回りを完全に心得ていた。

 新たな鏃を装填しながらレベッカは言う。

「私は本気でいくよ、アイト」
「今更、傷つけたくないなんて言わないよね。だって────そのための今までだったんだから」

 アイトは悪態づきながら刀の朧を解除し、漆黒のオーラを再展開させる。今度は、別の効果を持って。

「………………………くそっ」

 痛みではもう、少女は止まらない。
 首を刃で斬っての強制的な昏倒も、力技の自害で凌がれる。
 もう、無傷で彼女を抑える術はなかった。

 刀に魔力を纏わせたアイトはレベッカを睨みつけてから刀を振るう。

「震界!」

「チノ──力を借して!」

 世界を蹂躙するような空間の爆発がただ一人の少女に向け襲い掛かる。

 呵責なしの最大火力。自分たちのいる場所が崩壊しそうなその攻撃にもレベッカは意に返さずに突き進む。

「今のアイト、全然怖くないよ」

「最初のアイトの方が今よりももっと、ずっと、かっこよかった!」

 軌道のズレた風の刃がレベッカの肩を削ぎ、暴風を穿ち貫いた真紅の矢がアイトの腕を抉る。

 鮮血が飛び散り、2人のぶつかり合う森の木々が吹き飛んでいく。
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