舞台マジック

日向寺結菜

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舞台マジック 初演

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「ミサちゃん!「舞台マジック」って知ってる?」

来月に舞台公演を控えた稽古場で、女優の先輩キミさんが私に話しかけてきた。

「えーっと…舞台上で手品を行うことですか?」

私の言葉にキミさんは時が止まったような表情をし、数秒後笑い転げた。
流石女優さんだ。笑い転げる姿も絵になる。
キミさんは、今回の舞台の公演に毎年出演されているベテラン女優さんで、35歳とは思えないくらい若々しく
ベテランの余裕からか、周囲への気配りも上手でみんなから信頼されている人物だ。

「そこ!うるさい!!」

1か月稽古をしてきて、初めて演出家に怒られた。私は恥ずかしくなり小さくなっていたが、キミさんが私のことをかばい、怒られてくれた。演出家の目線が板上に戻ると、

「ごめんね。あまりにもミサちゃんが面白かったから」

素直に謝ってくれる姿もまた素敵だ。

「舞台マジックはね、舞台公演の期間中に女優さんと俳優さんが恋に落ちることを言うの。んー、舞台用語みたいなもんかな?ほら!ミサちゃんこの前、演出家に『その小道具ワラッテ』って言われて、小道具持ちながらぎこちない笑い方してたでしょ?あれみたいなもん!…ふふ」

ミサさんは周りに声が聞こえないように静かに思い出し笑いをした。
一週間前のこと。
あるシーンの稽古中に相手役のコウキくんが持っていたコーヒーカップを預かり、ステージ上からはける時にワラッテ欲しいと演出家に頼まれた。私は、ワラウという言葉の意味を知らなかった為、彼からコーヒーを預かり舞台上からはける時にニヤリと笑った。それをみた演出家や共演者は大爆笑。
なぜみんなが笑っているのか全く分からなかったが、私が何か間違えたのだということだけは理解できた。

私は、今回が初の舞台出演だった。
大学を卒業したがやりたいことも無く、人生一度きりなら好きな事をやってみようと奮起し、芝居の勉強なら現場でできる!と身勝手な想像から、今回の舞台公演のオーディションを受け、奇跡的に合格した。

舞台稽古は短くて2週間。長いところは3ヶ月ほどかかるところもあるらしい。
今回は稽古期間が1ヶ月半の初めての現場で、初めてだらけの経験に戸惑いながら、心優しい先輩方に助けられ、なんとか本番2週間前という所までやってきた。

お芝居を勉強したい。

その心だけでこの現場に来ていた私にとって、恋愛は他人事だった。

「相手役のコウキくん、かっこいいと思うけど、ミサちゃんどーなの?」

初めての舞台はシリアスな内容で、最後、相手役の彼と一緒に死ぬシーンがある。まだそのシーンは稽古でやっていなかった。

「そうですね。かっこいい方だと思いますけど、、」

「けど?」

正直、相手役だが全くコミュニケーションをとっていなかった。
彼とは結婚している設定だったが、最初以外、同じシーンもなく、思いがすれ違っている中、死ぬ間際に彼の愛を感じ、私が死んだ後、彼が私を追うように死ぬという役柄だった。


「‥‥正直、まだ彼とコミュニケーションがとれてないんです、、自分の事で精一杯で‥」

「そっか‥でも、お芝居って相手との会話だから、シーンは少ないかもしれないけど、その人の事はちゃんと知っておいた方がいいと思うよ!信頼関係は、必ずどこかで役にたつから。」

その通りだ。キミさんはいつも的確なアドバイスをくれる。

相手役のコウキくんは、一般的にみたらかなりかっこいい。
背も高い、顔も整ってる、スラッとした腕や脚、声も低く聞いていて安心する。

イケメンというだけでなく、みんなから好かれる性格で、誰とでも仲が良い。

私とコウキくんは、毎日挨拶は交わすものの、まだ全然話せていなかった。

「じゃあ、10分休憩します。休憩後‥49ページ。頭からやるから準備して。」


その言葉で私は緊張した。
いよいよ私が死ぬシーンだ。
休憩という言葉に、みんな稽古場から出て行く。気がつくと稽古場にはコウキくんと私しかいなかった。

ちらっとコウキくんをみると、彼は真剣な表情で台本を読んでいた。
(私も見習わなくちゃ‥)
より一層気合いが入り、台本を読み込んだ。

 

休憩後。
「‥ごめんね」
そう呟き、私は倒れた。
傷だらけの彼が私のもとにかけより、私の手を握る。

「‥愛してる‥」

そう呟き、彼は私の隣に寄り添うように倒れた。

「はい!」

演出から、シーンを止める掛け声が入る。倒れた状態から起きあがろうとすると

「あー、ミサちゃんは倒れたままで。コウキくん、倒れる時ミサちゃん上に重なる感じがいいな。やってみてくれる?」

(重なる感じ?え、上に乗るってこと?)

「ミサちゃんごめんね。重くないようにするけど、苦しかったら言って」

コウキくんはそう言い、ゆっくりと私に体を重ねた。まだよく知らない男性が私の体に密着する。私のお腹の上に、たしかにコウキくんの頭が乗っている。

「んー。腹だと違う意味がでてくるから‥胸のあたりに顔を埋める感じできる?」

演出家の言葉に従い、彼はゆっくりと私の胸の辺りに顔を埋める。
私は死んでいる設定なので全く動けない。目を閉じていられる事がせめてもの救いだ。

「ミサちゃん、ごめんね」

コウキくんは私の胸に顔を埋めたままちいさく呟いた。

「‥大丈夫です。演出ですから」

そう返すと、彼は安心したように私に身体を預けてきた。

「うん、それでいこう!」 

演出家も納得したようで、その体制で決まってしまった。

私は恥ずかしさのあまり、稽古後に彼を見る事が出来なかった。


その日の稽古が終わり、稽古場を出る。
すると、稽古場前でコウキくんがタバコを吸っていた。

(タバコ吸う人なんだ)

彼のことを一つ知った瞬間だった。
じっと見つめてしまったのか、彼が私の視線に気づきタバコの火を消し、私の元に近づいてきた。

「あのさ、良かったら少し‥役の事で話したくて、時間ある?」

彼からの突然の誘いに困惑したが、稽古中にキミさんから言われた事を思い出し、承諾した。

コウキくんは、一人っ子で舞台観劇が趣味のご両親に育てられ、10代の頃からミュージカルに出演する大先輩だった。数々の舞台に出演していて、初舞台の私とは雲泥の差があった。

「ミサちゃん見てるとさ。初めて舞台に立った時の事を思い出して、もっと頑張ろう!って思うんだよね。ミサちゃん、いつも稽古全力でしょ?凄いと思うよ。数こなしてくると、抜きどころとかも分かってきちゃうんだよね。ダメだって分かってるんだけど。」

彼の何気なく私の事を褒めてくれる。
何も知らない私は、とにかく全力で挑むしかなかった。それを見ててくれたんだ。

「‥本番はちゃんと重くないようするからね。」

笑いながらボソッと言ってくれて一言でさっきのシーンを思い出してしまった。

「あの‥」
「ん?」
「私も、、やりにくい所とかあったら言ってください!私、初めての舞台なので分からないことだらけだから、、その、、」

台詞となればいくらでも言葉は出るのに、実際はこういうものだ。
言葉というのは思ったように出てこない。

「ミサちゃんは‥そのままでいいよ。」
「え?」
「そのままでいいと思う。変わらないで欲しい」

そう言いながら私を見つめるその瞳に、吸い込まれそうになった。

同い年の彼は、今までどんな経験をして、どんな事を言われて、傷ついて、喜んで、今私にその言葉を投げてくれているのか。それが知りたかった。


『彼を知りたい』

純粋にそう思った。

次の日から、気がつくと私の目は彼を追っていた。でも、見続けた事で気がついた事がある。

いつも休憩時間にカフェオレを飲む。
メロンパンが好き。
タバコはマルボロ。
髪の毛を縛って来る時は自信がある時。
誰とでも楽しく話してるように見えて、実は聞き役。
みんなを笑わせる事が好き。
飲み会が好き。
歩く事が好き。   ‥など。


ある日。稽古場でコウキくんを見ていると

「ミサちゃん。舞台マジックにかかっちゃった?」

キミさんがニヤっとしながら声をかけてくる。その言葉の意味を数秒考え、私は即座に否定した。
恋をしているのではなく、相手役の事を知ろうとしているだけなのだ。
懸命に説明するものの、ミサさんは「そっかそっか」とニヤニヤしている。

たしかに、ここ数日、知ろうとしすぎて見過ぎていたかもしれない。
何回か目があい、お互い笑いあって終わる事が多々あった。だがそれだけだ。

そうこうしている間に、
いよいよ劇場に入る前日。稽古場での最終稽古を迎えた。

役者の熱量も、周りで支えてくれるスタッフの熱量もかなり高くなっている。
私も、自身が死ぬシーンは何度かやったこともあり慣れてきていた。
コウキくんの頭が私の胸の上にあるのも気にならなくなっていた。

「えー。明日からいよいよ劇場に入ります。みんな最後まで体調管理に気を抜かず、千秋楽まで走り抜けてください!」

「はい!!!」

稽古場の士気が高まった状態で稽古が終わり、SNS用の写真撮影という事で全員での集合写真を撮ることになった。

コウキくんに呼ばれ、私は彼の隣に座る。


「カップル役、夫婦役はわかりやすく少しくっついてください」

カメラマンさんも気を遣って言ってくれたのだろうが、そんな事しなくても‥と思っていた。

「ミサちゃん、手繋いでいい?」

コウキくんからの突然の提案にびっくりしたが、撮影の間だけならと思い手を繋いだ。

人というのは面白い生き物で、服一枚を挟むのと、直接肌と肌が触れるのとは天と地ほどの差がある。
彼の体温と私の体温が重なった瞬間、私は気がついてしまった。



(私はコウキくんが好きだ)


撮影の間、僅か1分にも満たない時間が私にはとても長く感じた。


撮影が終わり、キミさんに声をかけられる。

「‥先輩から一つアドバイス!公演中はそのままの気持ちでいた方がいいよ。よりリアリティが出るから。‥ミサちゃんは女優でしょ?」

全てを察したかのような発言にドキッとしたが、何も言い返す言葉が見つからず、私は黙って頷いた。その様子をみたキミさんは、いつも通り優しい笑顔で返してくれた。

私は自分の気持ちを押し殺す選択をした。



劇場に入り、お客さんが入る準備が淡々と始まる。私は、場当たりとよばれる、役者とスタッフさんのリハーサルの前の確認作業に向けて準備をしていた。

本番の衣装に身を包み、ステージの上に立つ。ステージ上から見える客席にはパンフレットのようなものが置かれ、天井には動くライトやスピーカーが吊るされている。私の周りには舞台セットが立ち並び、床にはレッドカーペット。舞台裏には、スモークマシーンという煙がでる装置や、小道具置き場などがセッティングされている。

何もかも初めてみるものだ。

「最初は緊張するけど、舞台裏の使い方、説明するからついてきて!」

キミさんはどこまで親切な人なのだろう。私がガチガチになっているのを見てか、舞台セットやセット裏の使い方、注意点を事細かに教えてくれた。それでも私の緊張は解けなかった。すると、私の後ろから両肩にぽんっと手が乗った。

「もう少し肩の力抜いたら?」

笑いながらコウキくんがアドバイスをくれる。嬉しさと恥ずかしさが半分半分で緊張は不思議と無くなった。その時、キミさんが言っていた意味が少しわかった。


『お芝居って相手との会話だから、シーンは少ないかもしれないけど、その人の事はちゃんと知っておいた方がいいと思うよ!信頼関係は、必ずどこかで役にたつから。』

コウキくんと2人で作った信頼関係のおかげで、私の緊張はかなり薄いものとなった。



「本番5分前です」

舞台監督さんが、楽屋を回りながら的確に開演時間を告げる。その言葉を聞き、次々と席を立つ役者。私も先輩たちの後を追うように席を立った。

舞台袖から聞こえて来る客席の音。
お客さんの話し声。
舞台裏のスタッフさんの動き。

その全てに、もう緊張しない私がいた。
なぜらなら最初のシーンはコウキくんと一緒だから。本当に頼れる相手役だ。


本番は順調に進み、私たちのラストシーン。稽古場と同じように死ぬ姿を演じ、舞台上が真っ暗になる。所謂"暗転"というやつだ。

コウキくんは、体を重ねて死ぬシーンで腹筋と背筋をフルに使い、重なっているように見えるが体重は私にかけない。という、見事なパフォーマンスをした。もちろん死んでいるので、体は少しも動いていない。私も苦しいと思うことはなかった。

真っ暗になった舞台上で、私の上にいるコウキくんがゆっくりと動き、離れる。
その離れたのを感じ、わたしもゆっくり立ち上がる。その時に気が付いた。

(はける場所が見えない)

真っ暗の中、ステージ上から降りる時、目印となる蓄光(ちっこう)があるのだが、私はそれを見失ってしまった。周囲に手を伸ばすが、舞台なら中心の辺りで死んだため、周りには何もなかった。照明さんが暗視モニターで舞台上を見ているので、次のシーンに進むことはないが、あまりに真っ暗な状態が長く続くと、作品を壊すことになる。私は頭が真っ白になった。

手当たり次第で、何か自分の場所がわかるものはないか手を伸ばしていると、暗闇の中から急に手が伸びてきて、私の手を握り、ゆっくりと進む方向へ導いてくれた。私はその手がコウキくんのものだと、その時確信した。だから思わずギュッと握り返した。すると、ギュッと握り返された。気がつくと舞台上に光が入り、次のシーンが始まった。舞台上から漏れるその光で見た手の主は、もちろんコウキくんだった。コウキくんは満面の笑顔で私を見てくれた。私はもう、その目から離すことなく、私達は少しの間舞台袖で見つめ合った。


本番後。

「本当にすみませんでした!!」

私は、全員に謝罪をした。

「蓄光を見失いました。光つけるのを待ってくださり、皆さん本当にありがとうございました。」

裏にあるモニターを見ていた誰もが"何かあったに違いない"と思えるほど、舞台上は暗転していたらしい。

「まあでも、本番も無事に終わったし、明日からまた頑張ろうよ!ね?みんなも頑張っていきましょー!」

キミさんの明るさや一言に救われるのは何回目の事か。キミさんのお陰もあり、私が暗転中にはけ口を見失ったことは笑い話になった。

「コウキくん、本当にありがとう。」

「俺も昔やった事があるんだ。相当焦るよね。」

「焦るどころじゃないよ、終わったって思った」

「あー!わかるわかる!」

コウキくんの言葉につられて、他の役者さんもあるあるだと教えてくれる。

『失敗も笑い話になるなら悪くない』

これもミサさんが私にくれた言葉だ。

私は、明日は同じ失敗をしないと心に誓った。


次の日。
また同じシーンがやってきた。
朝、劇場に入った後、スタッフさんに協力してもらい、暗転の時にどこを見ればいいか何度も確認をして、何度も練習した。準備はできていた。

そして本番2日目。
滞りなく公演は進み、ラストシーン。
私が死に、コウキくんも私の上に重なり、再びあの暗転がやってきた。
コウキくんが離れたのを確認し、起きあがろうとした瞬間、私の背中に暖かい感触があった。そう、先に起き上がったコウキくんが私の背中に手を入れ、起き上がるのを手伝ってくれた。そしてそのまま私の手を繋ぎ、昨日のように誘導してくれたのである。彼の行動は、ますます私を夢中にさせた。この日から、千秋楽までの全公演、彼は私を起こし、誘導してくれたのだ。

私は劇場にいる時、彼がどこに、いるのかいつも探していた。

休憩時間も、一緒にお昼ご飯を買いに行ったり、仮眠をとろうと場所を探している時も、コウキくんが見える場所で寝ていた。

公演が終わったらもう会えなくなる。
それが寂しかった。

でも、公演は終わりに近づく。

いよいよ千秋楽。

「今日で最後だね。相手役がミサちゃんで本当に良かったよ」

舞台袖で準備をしていると、真っ直ぐに私の目を見てコウキくんが伝えてきた。
私も自分の感情を素直に伝えたかったのが、やはり大事な時に限って言葉は出ない。

「私も‥ありがとう。」

感謝の言葉を伝えるので精一杯だった。
いつも通り物語は進んでいき、ラストシーンも終わり、舞台上からコウキくんとはける。彼が優しく私の手を握る。これも今日で最後。そう思うと私は手を離したくなく、ギュッと力を入れて握ってしまった。

すると、やはりギュッと返してくれる。

私たちは何も言わずに、手を繋いだままカーテンコールまで舞台袖で物語が終わるのを待った。

そして、手を繋いだままカーテンコールに出演し、お辞儀をしたあとゆっくりと手が離れていった。


私と彼が手を繋いだのはそれが最後。
舞台公演が終わり、日常へ戻ってきた私はあれが夢だったかのように思え、SNSの向こう側にいる彼を遠い存在に感じた。

あれは舞台マジック。

特別な空間で毎日顔を合わせ、夫婦役という錯覚によって、恋に落ちた。でも、あれは私の思い込みだったんだ。

私は今日も、新たなオーディションに向けて準備をしている。


(携帯が鳴る音)

「(文字)久しぶり!キミ姉さんだよ!今夜演出家とコウキと飲みに行くから、ミサちゃんおいで!場所は‥‥」


私は、本当に素敵な先輩に恵まれた。















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