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2章 魔女 未来に向かって

58 魔女と霜降の節 6

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「……え?」
「好きだ」
 ギディオンは繰り返し、ザザを引き寄せる。小さな体はつんのめるように男の腕の中に収まった。
「だから、お前も聞かせてほしい。なんで泣いたんだ? 俺に背を向けて」
「…………さまが…………と思って」
 うまく答えられないのは、顔が胸に押しつけられているから。
「聞こえない。ちゃんと聞かせてくれ」
 そう言いながら覗き込んでくる瞳の魔力に囚われないように、ザザは目をそらす。この魔法には絶対に勝てない気がする。
「あ……の」
 しかし、自分はもう弱虫の魔女ではない。ギディオンの横に並び彼を支え、役立つためには、対等でなくてはならないのだ。
 そう、思い直してザザは大きく息を吸い込んだ。

 母さん! 力をかして!

 額に白い印がふわりと現れ、首に下げた貴石が柔らかい熱を持ち始める。
「……わ、わたしはっ!」
「私は?」
「わたしはギディオンさまを誰にもあげたくないと思って泣いたのです!」
 一息にザザは叫んだ。
「俺を?」
「はい。本当はとても独り占めしたかった……もうずっとそう思っていた……でも、言えなかったんです。ギディオンさまがフェリアさまを、あ……愛してると思っていたから……」
「そうだったか。そんなことを言った覚えはないのだが」
 考え込むようにギディオンは呟いた。
「……まぁそんなことは今はどうでもいい。ザザ」
「はい」
「口づけていいか?」
 レストレイがここにいたなら盛大に吹き出すか、後頭部を思い切り殴っていただろう。
 しかし、ザザは笑いもしなければ叩くこともしなかった。
「いかようにも。わたしの全ては、ギディオンさまのものです」
「くそ……そんな殺し文句をさらりと言うなよ。俺だって男なんだぞ」
 ギディオンは眉をしかめて言った。
「だが、ザザ、それは主従の隷属れいぞくではないな?」
「ちがいます。わたしはギディオンさまが好きだから言ったのです。だからどうか……口づけ……をしてください」
 言い終わるや否や、ザザは爪先立ちになってしまった。正くはさせられた。
 力強い腕に腰をすくわれているのだ。しかし、そんなことを考える余裕はなかった。
 自分に押し付けられる熱くて弾力のあるもので、頭がいっぱいになってしまったのだ。それはザザの唇を覆っても、なお足りないように、ぐいぐいと性急に迫る。
「あっふ」
 ようやく唇が少し浮いてザザはやっと呼吸ができた。吐息がかかる距離で大好きな人の声が聞こえる。
「好きだ。ザザ」
「は……はい」
 深く腕の中に閉じ込められると、とても安心できる。その硬さと暖かさに体の力が抜けていく。
「……額が光っているな。なにか魔法を使ったか?」
「いいえ。多分、私がたかぶっているだけだと思います。少し混乱もしているかも」
「そうだな。俺もそうだ……酷く混乱している」
 ギディオンは少し苦しそうに笑った。
「私がお役に立てますか?」
「立つとも。大いに立つ」
「では、どうぞお使いくださいませ」
「そうさせてもらおう。後悔するなよ」
 腕の中の魔女はきょとんと彼を見上げていた。
 その様子は自分の言葉の隠された意味をわかっているとは思えない。もともとザザは、そういう娘だったことをギディオンは思い出した。
「ザザの口は小さいな。小さくて甘い。すごく美味しそうだ」
「そんな……お菓子じゃないですよ」
「もう少し頂こう」
 そう言うとギディオンはザザをひょいと持ち上げ、さっきレストレイが座っていた椅子にどかりと腰を下ろした。
 ザザがあっと思う間もなく、口づけが再開される。
 それは先ほどの口づけがかすんでしまうほどの感覚。
 今まで食物と飲み物しか飲み込んだことのない口に、強引に割り込もうとするものがある。
 わっと声を上げそうになった瞬間、それはぬるりと侵入した。ギディオンの膝の上で仰け反った背中に腕が回り、逃げられないように顎もがっしりと掴まれる。
 熱く濡れたそれはしばらくザザの口腔こうくうを彷徨っていたが、やがて目当てのものを見つけたらしく、強引に絡みついてきた。
「……んっ!」
 混乱の極みに陥ったザザをなだめるように、何度も優しく擦りつけられ、味わったことのないその刺激に目じりから涙が滑り落ちた。
 それに気が付いたギディオンは、ザザに含ませていたものを除くと、ふと笑った。
「ごちそうさま」
 ギディオンはそう言って、ザザの体を確かめるようにふれていく。大きな掌に触れられるのはとても心地が良かった。
 弾んでいたザザの呼吸は少しずつゆっくりになっていく。
「怖くないか?」
「怖くないです。触れていただけると安心します」
「だから、そういうことを男に言うもんじゃない。これ以上はできないから、今は」
「これ以上……? ってあるのですか?」
「やれやれ、この魔女はどこまで奥手なんだ」
「おくて」
 黒の十年で悪名を馳せた大魔女の中には、その色香で王侯貴族の男たちをたぶらかせた者もいる。しかし、ギディオンの腕の中にいる魔女は、自分の値打ちも知らない無垢な娘だった。
「ザザ」
「はい」
「俺は二日後、アントリュースに向かって発つ」
「アントリュースに?」
 ザザの体にさっと緊張が走る。
 それは、いよいよギディオンがチャンドラを探りに行くという事だった。
「争いごとになりますか?」
「おそらくな」
「では私もお供いたします」
 一部の迷いもなくザザは宣言した。
「ありえないな」
「なぜですか?」
「危険だからだ」
「私は魔女です! 自分の身ぐらい自分で守って見せます」
「なんだか急に自信たっぷりじゃないか。さっきまで俺の中で震えていたのに」
 余裕の笑みを男は浮かべた。しかし魔女も負けてはいない。
「それとこれとは違います。言っておきますが、わたしはこれでも魔女なので、ギディオンさまの知らない方法でこそりついていけるのですからね」
「それは怖いな。だが、この話はまたにしよう。残念ながらそろそろ広間に戻らんとな」
「はい、ではそちらもお供します」
 ザザはギディオンの膝の上からぴょんと飛び降りた。薄いスカートの裾がふわりと持ち上がり、膝まで丸見えになる。
「……さっきも思ったが、ちょっとその服薄すぎるぞ」
「そうですか? 別に寒くないですよ」
「ではなくて……まぁいい。だが、広間に戻ったら、なるべく人目につかないところにいなさい。仕事が終わったら義姉上が迎えに来てくださるだろう。それまで人の……特に男の前には出るなよ」
「わかりました」
「まったく、わかっているのかいないのか」
 簡単に受け合うザザにギディオンはため息をついた。
「わかっていますよ。わたしが作法や会話で失敗しないように、でしょう?」
「ああそうだよ!」
 ギディオンは半ばやけくそで言った。
「ザザが作法や会話で失敗するところを誰にも見せたくないからな」
「……そうですよね」
「さぁ行くぞ。庭は寒い。これを羽織りなさい」
 そう言いながら掛けられた騎士の式典用の上着は、ザザの背中にずっしりと重い温かさを与える。

 わたしはこの温もりを与えてくれた人を絶対に守る!

 ザザはそう誓って、広い背中を追いかけた。


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