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1章 魔女 扉を開ける

33 魔女、扉を開ける 1

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 わたしがフェリアさまを襲った刺客にかけられた呪いを解く?
 こんなわたしが?

 ギディオンがのろのろと答えた言葉の意味を、ザザはまだ測りかねていた。

 そんなこと、役立たずのわたしにできる訳がない……ないはずなんだけど。

「やります」
 自分の口からこぼれた言葉にザザが一番驚いた。
「ザザ!」
 ギディオンは、はっと目を見張った。ザザの好きな泉色の瞳、その中に自分が写っている。
「いえあの……できるかどうか、わからないというか……できない可能性の方が高いのですが……」
「ザザ、お前は」
「魔女の呪いが魔女にしか解けない以上、わたしはやってみないといけないと思うのです」
「ほうほう、なかなか勇敢な嬢ちゃんだ」
 ウェンダルが真面目にからかう。
「嬢ちゃんじゃありません。わたしは魔女のザザ・フォーレットです」
「うむ。では魔女のザザ・フォーレットよ、あなたに依頼する」
「承知いたしました。できる限りのことをいたします」
「で、手始めに何をするつもりかね?」
 ウェンダルの瞳がまたたいた。

 冷たい石の壁に乾いた靴音が響く。
 あちこちに灯された松明が影を分散させ、三人しか歩いていないのに、何人も引き連れているような錯覚に陥ってしまいそうだった。
 ここは近衛軍でも限られた者しか入れない地下牢の最深部だった。
「怖いか?」
 ザザの先を歩くギディオンが振り返った。
「こ、怖くなど!」
 ザザの精一杯の虚勢を見抜いたのかどうか、ギディオンは少し笑うとまた歩き出した。少し離れて後ろにはウェンダルが続く。
 二人が薬草苑にウェンダルを訪問してから七日が経っていた。
 その間に季節はまた一歩進み、秋は盛りを超えようとしていたが、この地面の下にはその爽やかな風も光も届かない。
「自信を持つことじゃ」
 ウェンダルが低く言った。
 この七日間、ザザはウェンダルの元で、魔力を高める修練を続けた。主に魔力を最大限引き出せる集中力を持続させる事と、イメージの力を具現化させる鍛錬である。
 ウェンダルによると、集中とは才能と性格と環境に左右され、欲望や強烈な経験の少ない者ほど高めやすいと言う。ザザは性格は大人しいが想像力が豊かで、余計な欲がないのでこの訓練に適しているとのことだった。
「うむ。なかなか優秀じゃ。魔法については門外漢じゃが、人間の潜在的な能力を引き出すことについてなら、わしは優秀な専門家じゃからの」
 ザザの修練は単純なもので、薬草苑の中にある古いほこらに籠るというものだった。
 そこはパージェス古王国の聖域の一つで、城を建てる時の水源となった場所だそうだ。しかし、今ではほとんどおとなう者はいない、忘れられた場所だった。つまり魔女のおかれた状況に似ている。
 初めてここに入った時、静謐せいひつな空気が満ちていることをザザは感じた。
 清らかな水が絶え間なく石の隙間から湧き出して、薬草園を潤している。
 
 ここはなんだか森の泉に似ている。冷たくて清潔で、でもとても落ち着ける。親しみすらわく気がする。
 
 ザザは祠の中に篭って何時間も瞑想を続けた。
 自分からは出て来なくなったザザを心配したギディオンが無理やり引っ張り出さなければ、飲まず食わずで命の危険もあったかもしれない。
 学校はしばらく休ませてもらって、ザザは一日のほとんどを祠の中で過ごした。
  魔力は真夜中に一番高まると仮説を立てていたウェンダルは、最後の二日間、真夜中に王都の病院にこっそりザザを連れ出し、重篤な病とされている女性と、先日の襲撃の際に傷を負った騎士とに癒術を施させた。いずれもギディオンの立ち合いの元である。
 結果として二人の具合はとても良くなった。全快とまではいかないが、少なくとも苦痛が取り除かれ、病巣や傷口が小さくなっていたのである。
「わしもよもやここまでとは思わなんだが、ザザ嬢、あんたはもしかしたらわしが思っていたよりもずっと希有けうなる存在なのかもしれぬ」
「俺も……おどろいております」
「そんな……か、買いかぶりです」
 ザザには戸惑いのほうが大きかったのである。
「魔女の娘よ、己に自信を持てと言うたであろう。見よ、この者の傷の腫れはほぼ引いたではないか」
「そうだ。お前のお陰だということを隠さねばならぬのが残念だ。ザザ、お前はすごいことをやってのけたんだぞ」
 ギディオンは仲間の騎士の安らかな寝顔を見つめて言った。
「は、はい。少しは役に立てそうな気がしてきました」
 ザザは僅かに感じる体の重さを意識しながら頷いた。

 それから更に丸一日の後。
 ザザの知識によると、与えられたダチュランの効力が薄まるのが一週間経てからなので、視覚にかけられた暗示を解く絶好の機会なのだった。つまり、急激の首謀者がわかるのではということだ。
 しかし、男はこの一週間ほとんど何も飲み食いしていない。眠った隙に少しの水を口に含ませる程度なので、すっかり弱り切っていた。これは強力な暗示により、捕まったら自死するように仕向けられているからなのだろう。
「その方は今どんな状態なのですか?」
 最後の階段を下りながらザザは尋ねた。
「だいぶん衰えている。持って後一日二日だな。無理に食べさせようとすると、舌を噛み切ろうとするんだ」
「酷いことを……」
「ザザ、わかっているのか? 俺たちはさらに酷いことをしようとしている」
「わかっております」
「もしも、ザザが本当に無理だと思ったらいつでも中断していいんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
 やがてギディオンが足を止めたところは一番奥の扉の前だった。
「入るぞ」
 中は薄暗くて湿った匂いがした。
 目が慣れるのが早いザザは意外にも、そこが牢屋という劣悪な印象からは離れているような気がした。
 床は剥き出しの石だが、寝台の前には敷物が敷いてあり、その寝台も粗末なものではあったが、ちゃんと敷布も布団もついている。横には小さな卓があり、武器にさせないためだろう、木製の食器や水挿しが置かれていた。他にも体を拭う時に使うバケツや布も隅に置かれている。用を足すための容器は気を利かせたのか、今は除けられているようだ。
 そしてその上に──。
 げっそりと痩せた男が四肢を鎖に繋がれた状態で寝かされていた。頬はそげ、眼窩はひどく落ち窪んで無精髭が伸びている。何より顔色が悪かった。もともと浅黒い肌色が更に不健康にくすんで鼠色になっている。
 鎖はピンと貼った状態ではないが、立ち上がること許されるほど緩くもない。
「こうしておかないと、鎖を首に巻きつけて死のうとするんだ」
「お気の毒に……」
 その時、気配を感じたのか男のまぶたがひくりと動いて、濁った瞳がこちらに動いた。
「ううう……」
「は、初めまして」
 ザザは自分から男の側に進んだ。男の声は聞き取れないほどかすれているのだ。
「あ、あんた……」
「ザザです。魔女のザザと申します」
「ま……じょ?」
「はい。魔女です。あなたをお助けしたいと思います」
「……」
 男の目に明らかな疑いの色が浮かぶ。
「いえ、お助けしたいのは本当です。ですが、これからいう名前はあなたを苦しめるかと思うのです。でも、すぐにその苦しみを取り除きますから、少しの間、辛抱してください」
「よし」
 ギディオンが持っていた布で猿轡さるぐつわを噛ませた。下を噛み切らないようにするためだ。その間にザザは目を閉じて気持ちを整える。
「参ります」
 ザザは低く言った。
「あなたはスーリカを知っていますね?」
 その名を聞いた途端、男の口から声にならない悲鳴が漏れた。
 かぁっと開いた口が猿轡を外そうと激しくうごめく。両手足は鎖をぎりぎりまで張って、引きちぎってしまいそうだ。
 ザザは目を閉じると指先を額に当てて魔力を集めた。

 我が身に流れる古き血よ。この者の魂に埋め込まれた楔を抜き、溢れる苦痛を取り除け。解放せよ!

 ザザの額が白く光りはじめ、結びの印が現れる。
 ギディオンの見ている前で、光は輝きを増していった。こんなに強く光っているところを見るのは初めてだった。
 ザザは指先で男の額に触れた。しばらくすると、のたうちまわっていた男の顔から苦悶の色が和らぐ。
「あなたを支配していた毒はもう体から消え去っています。毒と一緒に染み込んだ呪いを今から解きます」
 ザザは男に向かってささやいた。それは小さな声だったが、明瞭な響きを持って男に届いたようだった。間近で見守るギディオンにはそれがよくわかった。
「スーリカよ、去れ。邪悪なる魔力からこの男を解放せよ。呪いは呪いを持って術者に返る。魔力を引くがよい」
 ザザはささやき続ける。しかし、次第に苦痛の色が顔に現れ始めた。いつもは垂れ気味の眉がぎゅっと寄せられ、小さな唇が歪みだす。
 ギディオンがすぐに異変に気がついた。
「ザザ!」
「触れるでない!」
 ウェンダルがザザの肩を掴もうとするギディオンを押しとどめた。
「魔力の集中が途切れる!」
「しかし!」
「まだじゃ! もう少し見守るのだ!」

 ザザは自分を圧迫し始める、強い力に必死で抗っていた。
 まるで狭い箱の中に無理やり押し込められているようだった。肺から空気が絞られ、血流が滞る。たちまち体が冷たくなり、指先が痺れてきた。

 これは……全身を締め上げてくる、破られまいとする魔力の抵抗だ。
 なんてすごい力……これがスーリカの力なの? おそらくかなりの距離があるはず。なのに、自分の術を守るために、こんな反発を返してくるなんて……きっと最初にかけられた暗示魔法に予め組み込まれていたんだ。

「んっ……!」

 ザザの肌に玉のような汗が浮いた。
 しかし、ザザは男のに額に当てた指先を寸分も動かさない。

 去れ! の術の本筋ほんすじはもう途切れている。く去れ! ね!

 ザザは渾身の魔力を額から指先に集めた。しかし、どうしても呪縛を跳ね返せない。

 ああ、負けてしまう!

 その時、胸の辺りに温かいものをザザは感じた。

 ……なに? なんだろう?

 それは森を出た時から直に身につけている母の形見の輝石から流れ込んでくる温もりだった。あまりに肌に馴染んで普段はつけていることさえ忘れてしまっているものだ。
 温もりは血の巡りに沿ってザザの全身に行き渡る。感覚をなくしかけていた指先が暖まり、ふっと体が軽くなった。

 今、今しかない! 
 
 長くは保たないことがわかっていた。
 ザザは新たに得た力を急速にイメージに変換していく。
 それは萌え出る、森の木々。冬の冷たい土を割って伸びようとする若い芽だった。

 わたしは枝であり、幹であり、根である。小さな隙間を縫って、どこまでも伸びゆくものだ!
 お前の呪いなど、ただの古ぼけた鎖だ! 切れよ! 砕けよ!

「うあ、ああああああああああ!」
 今まで聞いたことのない叫びが魔女の口から飛び出した。
「ザザ! ウェンダル殿! これは⁉︎」
「呪縛を断ち切ろうとしておるのじゃ! そら、これを!」
 ウェンダルはギディオンに霧吹きの中の液体を噴霧するように命じた。それは森林の香りのする薬液で、ザザの森の古屋に茂る樹木から抽出したものである。どれほど効果があるかはわからないが、ウェンダルがザザの経歴を聞いて材料を集めて作り出したのだ。

 ああ、わたしは森の中にいるんだわ。わたしは樹。さぁ根を張って枝を伸ばすのよ。

 ザザはぐんと伸び上がった。
 やがてあきらめたように、体を縛り上げる魔力の圧が緩んでくる。それは悔しそうな気配をザザに与えながらどんどん遠のいていった。
 縮こまっていたザザの肩が緩んだのがわかった。
「どうやら峠を越えたようじゃの。しかしまだ油断はできん」
「それは?」
「見なさい。魔女が額を合わせようとしている」
 ギディオンの見ている前で、ザザは体を折って自分の額と男の額を触れさせた。ザザの目はまだ開かない。無意識の内に動いているようにも見える。
「ザザ!」
 ギディオンは悲痛な声を絞り出した。



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