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1章 魔女 扉を開ける

24 魔女と学校 4

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「ギディオンさま!」
「そんなに驚かなくてもいいだろう? 待ち合わせの時間だ」
「は、そう……そうでした」
 突然現れたギディオンにザザもびっくりしたが、下校のために門の近くにいた学生たちも驚いた様子だった。その中にアロイスもいて、皆ギディオンに注目している。彼のことを知っている少年達の目には明らかな憧れの色があった。
「せ、せ、セルヴァンティース指揮官」
 グザビエはやっとそれだけ絞り出したが、やっぱりギディオンを見上げていた。
「なんだ、俺を知っているのか。だが、ご婦人の背中を押すのはやめたがいい」
「はっ、はい!」
「それから大人に向かって小さいとか言うのも」
「でもアロイスだって……」
「いいか?」
「はっ、はい!」
 グザビエは靴を鳴らして敬礼した。
「よし。では行くか?」
「はい!」
 二人とも、自分たちが注目を集めていることなど気づきもしないで歩きはじめる。
「……で?」
 門を出たところでザザは再びギディオンに問いかけられた。
「で? とは?」
「今の少年は教え子かな?」
「え? ああ、グザビエさんは四年生の生徒さんです」
「……そうか。いつもあんなふうにらかわれているのか? アロイスとかいう子にも?」
「からかわれては……いません。ただ、私の知識が僅かだと言ったら、アロイスさんがそれは体が小さいからだと思い込んで……」
「ああ、なるほど。ワレンがそんな子がいると言っていたな」
 ギディオンは唇の端で笑った。
「そうか、それでザザはその子にどうしたんだ」
「知識が少ないのは経験が足りないからなので、一緒にがんばりましょうと言いました」
「それでいい」
 ギディオンはザザの頭をぽんぽんとたたいた。
「自分よりも未熟なものを教えることで、経験は積めると思ったんだ。ザザ、学校に行ってよかったか?」
「は、はい。こんな私でもワレンさまは褒めてくださいました。自分の知識や経験でお役に立てるのなら嬉しいです。そしていつかギディオンさまの役にも立ちたい」
「十分に立ってくれているさ。だからまずは、子ども達を助けてやりなさい」
「はい!」
「が」
「が?」
「子どもといっても彼らは男だ」
「無論です」
「あまり馴れ馴れしく触れてくる者には気をつけなさい。ザザはすぐに許してしまうから。子どもには厳しさも必要だ」
「わかりました。大丈夫です」
 本当はあまりよくわかってはいなかったが、ザザは自分を心配してくれる気持ちを感じて大きく頷いた。
 そうしている間に大きな二枚扉が目立つ店の前に出る。
「さぁ、この店だ。少しうるさいから奥の席をとった」
 そこは騎士たちが多く利用するやや高級な食堂のようだった。
 入ってすぐは大部屋のホールではなく、衝立ついたてで仕切られた半個室が並んでいる。無粋な知り人と顔を合わさなくていいようにという配慮だろう。
 隅の席に着いたギディオンは早速給仕を呼んだ。見せられた献立表メニューから慣れた様子で料理と酒を選んでいく。給仕はすぐに下がった。
「ザザにも食べられそうなものを選んだからたくさん食べなさい」
「ありがとうございます」
 ザザはほっとして言った。何を食べたらいいかわからなかったからだ。飲み物がすぐに運ばれてきた。ザザには赤い果物の果汁を水で割ったものだ。中にも果肉が入っている。
「どうだ? サピと言う、秋の初めにしか飲めない飲み物だ。俺も同じサビだが、こっちは酒だ。間違えるなよ」
「……おいしいです」
 勧められた飲んだ果汁は甘くてするりと喉を通った。
「ワレン殿がな、ザザに国家薬師やくしにもなれそうだと褒めていたぞ」
「こっかやくし?」
「その様子では知らないようだな。つまり薬用植物などを扱う上での国家試験を受けて、合格したら国家薬師になれる」
「こっかしけんにごうかく」
「そうだ。ザザは薬用植物だけ知っているのか?」
「い、一応鉱物とか、生き物から薬効を抽出する方法も学びました。ドルカがお前は魔……力が低いから、他のことで身を立てろって言われたので」
「なら、大丈夫か。国家薬師になれば王宮の薬草苑やくそうえんに勤めて国から給金がもらえたり、街中で自分で薬屋を開くことも可能だから、師匠の言う通り、自分で自分の身を立てられる」
「……」
「国家試験は年に一回、だいたい春ごろに行われる。まだ少し間があるな」
 その時、料理が次々に運ばれてきた。
 ギディオンはは空腹だったらしく、嬉しそうに皿の上の料理を片付けていく。自分が手をつける前には取り皿にも取り分けてもくれる。ザザがあまり見たことのない赤い蕪のスープや、豆をつぶした煮込み料理だ。
 食べられるようになったところを見てもらいたくて、ザザは一生懸命ゼリーで固めた野菜や小さなパイを口に運んだ。実はこのために昼食を抜いたのだ。
「よく食べるようになったじゃないか」
「はい! おいしいです」
 ザザは期待に応えられるようになったのが嬉しかった。もう吐いたりなんかしない。
「さっきの話はどうだ?」
「はなし、ですか?」
「国家薬師になるってのは」
「え?」
 フォークを持つ手が宙で止まった。
「試験を受けてみないかってことだ。国家薬師なら身分が保証されるから食いっぱぐれることはない」
「……」
 その時新たに肉料理が運ばれてきて、ギディオンの注意が逸れた。大皿の肉料理だ。茶色の肉汁がたっぷりかかっている大きな肉の塊を、ギディオンはナイフで器用に切り分けていく。
「この時期しか食えない、春に生まれた仔牛の赤身だぞ」
 ギディオンはザザの皿に切った肉を置くと、自分はナイフに突き刺した肉の塊にかぶりついた。
「うん! 美味い! たくさん食べなさい」
 ギディオンは上機嫌で肉を平らげていった。

 国家薬師……ギディオンさまはどんどん外の世界を教えてくれる。
 でもそれは、わたしに早く独り立ちするように、とのご配慮なんだわ。

 そう思うと、ダメだとわかっていてもザザの気持ちは重くなった。
「どうした? 最近はちゃんと食べているのだろう? 気に入らないのなら何か違うものを頼むか?」
「いいえ、いただきます!」
 ザザは大きな肉の切れを口に押し込んだ。ザザの口には大きすぎたのか、柔らかいのになかなか喉を通らない。ザザは噛むのをあきらめて飲み込んだ。それと一緒に込み上げてくる感情をも飲み下したかったのだ。
「くうっ」
 胸につかえる肉の塊にザザは顔をしかめた。
「おいっ! 大丈夫か⁉︎」
 必死でつかんだ赤い飲み物は、一瞬だけザザをむせさせたが、ゆっくりと肉を喉から滑り落していく。
「……すみません」
 冷たい果汁を飲み干すとずっと楽になった。肉が胃に収まり、消化が始まる。つい今しがた感じた重く切ない感情もまじりあって消えればいいのに。

 あれ? お腹が熱い……ような……お肉のせい?

「あっ! これは俺の酒じゃないか!」
 ギディオンはザザが握りしめている空のコップを見て声を上げた。
「全部飲んだな! あーあ」
「……おいしかったです」
「お前酒なんて飲めたのか? あ、なんか様子がおかしい」
 ザザの顔は真っ赤で、瞳が潤んでいる。
「だいじょうぶ、です」
「つまり酔ってるんだな。目が泳いでいる。吐きそうか?」
「もう吐いたりなんかしません」
 ザザは怒ったように言った。なんでそんな口調になるのか自分でもわからない。
「そうか。まだ回りきってないんだな。ゆっくり水を飲みなさい」
 ギディオンはそう言って空になったコップに水を注いでやったが、ザザは口をつけようともしない。
「……」
「ザザ?」
「い……やです」
「え? 水が?」
「いやです、ギディオンさま!」
「だから何が嫌だ」
「身を立てるのいや! でも立てますけど! 立って見せます!」
「落ち着け。お前は座っている。やれやれそんなに強い酒じゃないんだが……もしかしてこの子、初めて酒を飲んだんじゃ……」
「わたしはがんばります! でも、一番はあるじさまの役に立ちたいのに……それが叶わないぃ~」
 ザザの上半身はゆらゆらし始めた。
「いいから、もう喋るな。お前は酔っぱらっているんだ。ちょっと氷をもらってこよう」
「いや、行かないれぇ」
 ザザは腰を浮かしたギディオンの袖をつまんだ。
「え?」
「行かないれください、ギディオンしゃま」
「氷をもらいにいくだけだ。どこにも行かない。手を放しなさい」
「わたしらって、これ以上ごめいわく、かけないよーに独りらちしたい。でも、そうなったらギディオンしゃま、わたしをお家からほうり出すのれしょ?」
「どう言う思考回路だ? いやでも、そうなるのか?」
 初めから預かるだけだと自分で言っていたはずだ。今はまだ無理だが、この先ザザが意思疎通の能力を高め、能力に見合う収入を得るようになれたなら、もう一緒にいる必要はない。
 ザザを然るべき場所に出した後は、ギディオンは一人で暮らし、自分の職務を果たす今まで通りの生活に戻るだけだ。
「わたしはがんばります。国家薬師? になれとおっひゃるのなら、なります。でも、ほんとはあるじさまのお側れ、めちゃくちゃお役に立ちたい。よし! わたしは……」
 何を思ったか、ザザはすたりと立ち上がった。
「今度は立つのか」
「わたしは先生と国家薬師になって、ものすごーく役に立つ魔女になります!」
 酔っぱらいの魔女は高らかに宣言した。


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